成長確認の場 〜「伝説の」プロジェクト同窓会〜

こんにちは。

自称「伝説の”人材輩出”プロジェクト」

約20年前、北関東のある町で、伝説のプロジェクトがありました。
当時僕が所属していた某社のプロジェクトで、すこしずつ入れ替わりつつ30〜40名程度の若者が関与していました。
クライアントである経営者の片腕として、大きな変革を成し遂げたプロジェクトでした。もちろんプロジェクトがやっている事というのは、それぞれが貴重で、固有の特徴がありますのでそれぞれを比べてどちらが偉大か、というのは言えませんし、それはここでの主眼ではありません。

が、何がすごいかって、そこから排出された人材がすごい(と僕は思っています)。それこそ某紙の「交遊抄」じゃないですが、自分自身の講演などでもよく引用します。

多くのメンバーが独立企業して、文字通り日本中、世界中で活躍しています。
普通にすごしていても、この中のメンバーがメディアに出ない日は無いといってもいいかもしれません。

一部上場企業となった会社を起業し経営し続けているメンバー、事務所や事業などを起業したり、海外に定住してグローバルリーダーを支援しているメンバー、それを結果的に焚き付ける事になったメンバー、コンサルティング会社の経営陣となるなど各社の主要ポジションで活躍しているメンバー、型にはめるのが難しいメンバーなどなど。

何年ぶりかの同窓会

たまたま、ひょんなことがきっかけとなり、僕が音頭をとって僕の年次以上のメンバーでの同窓会をすることになりました。

それぞれFacebookなどで繋がっているので、活躍は知っているのですが、皆が集まって話す機会というのはなかなか持てていない状況でした。

たまに個別に合ったりすると、「今度みんなで集まろう」という話にはなるのですがいざ実行には移しにくかったのです。

で、いざ集まってみるとなかには本当にプロジェクト以来15年以上ぶり、という再開もありました。

それぞれが、それぞれの道で成長してある意味偉大になっているのですが、当時の序列や人間関係が適用されます。

僕も当時のスイッチが入って、いわゆる”下っ端”として動き回りました。ただ、それが当たり前でしたし、なんだか新鮮でうれしい。更に言えば、あのころの活力を取り戻した感覚さえありました。

と同時に、それぞれの成長(物理的な面も含む!)も感じられ、非常に良い刺激になりました。

成長を確認し、明日への糧に

「あ、自分はこの辺りでは成長している」と確認できる反面「あのメンバーはこんな事も考えたり成し遂げたりしている」と非常に良い意味での刺激を受けることができました。

事実、対して若くもないのに、午前様まで飲んでいたにもかかわらず、翌日の足取りや気持ちは一気に若返っていたと自覚できました。

また、いくら偉くなって立派な事を成し遂げていても、当時の人間関係はそのままで「三つ子の魂百まで」では無いですが同じ釜の飯を食った仲間との関係は永遠だな、と感じもしました。

そして何よりも、これからまた始まるそれぞれの日常の中で、この自称「伝説のプロジェクト」のメンバーであった事に恥じないように、自分自身も成長していかないとな、と心を新たにすることができました。

やってみるものですね、こう言う交流というものは。

皆さんは、同じようなご経験ありますか?

(写真、無断使用中。各自が細かいから問題ないですよねー。問題あれば教えてください。ちなみに僕は撮影者なので、左足だけ参画中)

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男女混成チームがハイパフォーマンス 〜特許も五輪競泳代表も〜

こんにちは。

先日あるレポートの説明を受ける機会がありました。

男女混合チームの特許はレベルが高い!?

以下のリンクにある、日本政策投資銀行の餅友佳里さんが作られた「女性の活躍は企業パフォーマンスを向上させる~特許からみたダイバーシティの経済価値への貢献度~

http://www.dbj.jp/pdf/investigate/mo_report/0000160502_file4.pdf

というレポートです。

研究開発分野での、一つの大きな指標である特許(現在権利有効である製造業約400社の約100万件が対象)を、男性のみのチームが取得したものと、男女混合チームが取得したものの「経済価値」を比較したものです。

結論として『日本の従来型のチームである「男性のみ」のチームのものよりも女性が交じったチームの特許の方が経済価値が高い』という結果が出ています。

それも、「微妙に高い」というものではなく「明らかに高い」という結果です。

女性活躍推進の積極的理由

昨今、ダイバーシティインクルージョンが注目されています。

しかしこのデータは、政府の表現のように「人口減少時代への最重要課題」的な理由だけではなく、またイコールオポチュニティというような当然の議論でもなく、積極的に女性が社会にどんどん出て、男女混成チームで仕事をすることでイノベーションが活性化する、ということを示した客観データと言えると思います。

その意味で、最近の”オジサン世代”によくある、女性活躍推進は当然賛成するもののビジネス上のメリットで確信をもちたい、という悩みに回答しているのではないでしょうか。

発想や視点の違い、好みや行動範囲の違いなどから新しいアイデアや物事の進め方、ネットワークの活用の仕方など、補い合う側面があるのだと思います。同性だと言いにくい事も言い合ったりできるということも増えるのかもしれません。

また、異性の存在によってモチベーションがあがったり、緊張感が生まれたりすることもあると思います。

経営者や、リソース配分に責任のある立場の方は、是非このあたり意識してみてはいかがでしょうか。

ちなみに...

若干手前味噌、かつ根拠が十分ではありませんが、オリンピックの代表のうち同じ種目で男女が基本的に行動をともにするのは競泳だけだと聞いた事があります。

そう考えると北京、アテネ、ロンドン、リオといった最近のオリンピック代表の競泳はチームとしてのパフォーマンスが非常に高いように見えます。

そう考えると柔道やレスリング、体操、卓球など男性女性がそれぞれ代表を送っているような競技は2020の東京大会に向けて男女混合チームでの行動にしてみるととんでもなくパフォーマンスが上がったりするのではないでしょうか。

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夏休みの自由研究 〜4週連続の週休3日トライアル〜 

こんにちは。

夏休みの自由研究

夏休みですね。僕は今年の夏は、まとまった休暇をとるのではなく、週に一日休暇を取得して週3日を4週連続で過ごしてみる、という実験をしてみました。

この実験をするにあたり深ーい理由があった・・・わけではなく、普段、特に毎週月曜日に感じる「もし週休3日だったなら!」という願望を叶えてみるとどうなるか、について試してみようとふと思った、というシンプルな理由からです。

で、やってみての結論は「意外に問題があり、メリットは思ったほど無い」というものでした。

実際には、4週とも金曜日を休暇として、3連休(うち一回は、山の日と絡めて4連休)にしました。

企画倒れ感満載

結局、普通の金曜日には所属会社は通常営業していて、チームメンバーは普通に稼働しています。なので自分が休暇だろうが関係なく当たり前のようにメールが来るわけです。

幸か不幸か自宅でメールを見る手段は複数あり、数分から数十分ごとにメールをチェックするという習慣(中毒症状)は如何ともしがたく、当たり前のようにほぼリアルタイムに状況が把握できてしまいます。

「いかん、いかん、今日は休暇だった」と思って返信したい衝動を抑えるのですが、つい気を緩めると返信しようとしている自分に気付く、という悪循環です。

また所詮3連休なので、何か予定を入れたとしても、iPadiPhoneを置き去りにして、時差のあるパラダイスに出かける、というほどの余裕はなく、割り切って「オンライン中毒」を断ち切るほどのきっかけにはならないというのが実態でした。

心を強く持って振り切ればいいのですが、人間弱いものでつい日頃の習慣が抜けません。

夏休みの子供たちにつきあってもらおうと思っても、小学校も高学年ともなると子供たちなりに忙しいのが実態です。。。あまり相手になってもらえません。本人同伴の必要がある「マイナンバーカード」の取得には家族で行く事ができましたが。

やりようによっては意義があるかも

とはいうものの、この日ばかりは夏の暑い時期に炎天下を移動する義務は無く、満員電車に巻き込まれなくても良い、また外出したとしても短パンサンダルで良い、というのはそれはそれで快適ではありました。やり方次第ではメリットを享受できるかもしれません。

ただ、比較対象が、週休2日のケースとの比較であればこのメリットは際立つのですが、平日5連休をとって9連休のケースと比較した場合、そこまでの大きなメリットは無い、というのが結論です。

もし、チーム全員が週休3日を取るなどの組織的なアクションを取ったならばその日結局働く、という事にはなりにくくリフレッシュする事ができるかもしれませんね。

また、3連休ではなく週の“なかび”である水曜日を休みにすれば、週に2回週末が来るのでまたちがう楽しみ方もあるかもしれません。

あ、ちなみに山の日を絡ませた4連休は息子が釣りにつきあってくれたし、実家に帰って同窓会をハシゴする、ということもできました。

来年こそはリベンジ、というまでのこだわりは無いのでこの企画でPDCAをまわしたりはしませんが、ちょっとした学びがあった自由研究でした。

皆さんは、休暇の取得について、何か工夫をされたりしていますでしょうか?

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釣り、ゴルフ、スキー ~ビギナーへのサポートが暖かい~

こんにちは。

40の手習い

40歳代を迎えて3年近く経ちますが40の手習い的に、新しくやってみたものがあります。

釣り、ゴルフ、スキーです。

どれも周りには愛好家は多かったですし、興味が無かったわけではないのですが、あえて一歩踏み入れずにいました。

始めたら面白いだろうからハマるといろいろと時間や手間やお金が必要になるのだろうな、という感覚があったためです。

ですが意外な事に、釣りやスキーについては、子供が大きくなり彼らが興味を持ち始めたことで一歩踏み出すことになりました。
ゴルフも将来みんなでできるんじゃないかという理由から家族の同意がありました。

きっかけは受動的でしたが、やっぱりやってみると奥が深いです。何から何まで学ぶ事ばかりです。
何と言っても一番クセになるのは、新しい事をやってみた後の、心と体の筋肉痛のような感覚が何とも言えません。

で、前置きが長くなりましたが、釣り、ゴルフ、スキーを40を過ぎて始めてみたことをもとに本稿のテーマに即した学びを3つほど。

①ベテランはビギナーに優しい

先日、親子で海釣りデビューしてきました。

職場の上司に紹介いただいた釣り船に乗ったのですが、周りの釣り客はベテランの方がたばかり。船長とも阿吽の呼吸でやっておられたため格好や行動すべてがビギナーの我々親子は明らかに「浮いて」いました。
釣り糸は絡まるわ、釣れたら釣れたで、どう処理していいか分からんわ。。。
でもその度に手を止めて、手伝ってくれたり、助言してくれたり。当然のように皆さんがサポートしてくれます。

つい恐縮してしまうのですが「釣りって面白いから、これからも続けてね」という気持ちが伝わってくるようで、それが大変うれしかったです。そしてその通り、また来たくなりました。
ゴルフも同じです。すでにベテランの皆さんとは圧倒的に差があるから、明らかに足手まといになるのですが、助言をくれたり道具を頂いたり。
これも、「ゴルフ楽しいから、好きになって早く上手になって、一緒に回ろう」ってメッセージが伝わってきます。
暖かいサポートを得て、はやい段階で面白みが見いだせれば、もっと巧くなってみんなと同じようにできるようになりたいって思うわけですよね。

そうする事で”競技人口”が維持され、文化にまでなっていくのだと感じます。

翻って、僕たちホワーとカラーの仕事に目を移してみるとどうだろうか、と考えてしまいました。

新規異動者、新卒・中途の新入社員などを迎えた時に、ベテランとしてビギナーに、楽しさややりがいを見いだせるサポートをしているでしょうか。

それ以前に「この仕事は楽しいので」と言えるだけの状態に、今自分を保てているでしょうか。もっと言えばそのような職場・職業に自分の身を置けているでしょうか。
当然、ゴルフや、釣り、スキーといったホビーとビジネスはちがうという主張も真実ですが、できればホビーのように没頭してやりがいを感じられるようなビジネスをやりたいものです。

②追求したものには共通項がある

新しく始めたこの、ゴルフ、釣り、スキーですが、今まで自分が培ってきてある程度追求しきったと言えるもので得たノウハウが意外に応用可能だな、と思う事も複数ありました。

僕が「ある程度やった」というものの代表は競泳ですが、例えばこんな事が共通です。

「アタマをぶらさない」「体幹を維持する」「一番大きな筋肉を使う」「基本を繰り返しベースをつくる」「対象を確実に捉える」などなど。

こういうのって、言われれば当たり前の事だったり、バカの一つ覚え的に耳にタコができるほどいわれて辟易していたり、という感覚を持つかもしれません。

僕も若い頃は実際そうでした。が、一つの事を追求してみる、という経験を複数積んでみて振り返ると、これは共通の真実に近いな、というのが現時点での感覚です。
ですから、やはり新しく始めたこれらの事であっても、基本さえ守れば「意外に筋は悪くない」と言われたりします。

仕事においても同じだろうと思いますし、根本的なところは全て共通なのだと思います。

ただ気をつけなければならないのは、その「根本的なところ」を広くとらえすぎないところかもしれません。

ある一つの業態や社会、組織にだけ通用する”常識”と「根本的なところ」を取り違えると自分も周りも苦労することになりますからね。

③残るのは一体感

数えるほどの経験からではありますが、毎回思うのが、釣りにしてもゴルフにしてもスキーにしても一度ご一緒させて頂くと、それぞれの共通経験を通じた独特の一体感があるのを感じます。

この共通経験というのもは仕事の中では”一案件”とか”一プロジェクト”をチームで対応するという経験に近いですね。

ビジネス目標が常に全て達成されるわけではありません。しかし成功経験、失敗経験を通じたそれぞれのレベルでの学びはチームを作っていくのに必要な経験だろうと思います。

日々の仕事の中でも、この「釣り」「ゴルフ」「スキー」の愛好家コミュニティのような良循環構造をつくりだしていけると、チームはよいものになっていくのではないかな、と感じました。

すなわち、

  • 一歩踏み出してきたビギナーに対して、ベテランは常にサポートしてその面白さを伝える。そのためには、ベテラン自身のコンディションを良い状態に保つ。
  • ビギナー側は素直にそのサポートから学ぶ姿勢を常に持つ。今まで極めたものがあるのであれば、その「根本的なところ」を応用する。

というようなことを繰り返していけば、良循環構造はどんどん出来上がるのではないかな、と思った次第です。

皆さんはどう考えますか?

 

目的不合理なルール 〜典型的な日本の大企業〜

こんにちは。

大企業病」に関する印象的なブログ

しばらく前に以下のようなブログが回ってきました。非常に興味深い内容でしたので一気に読んでしまいました。皆さんもお時間があれば是非どうぞ。

tsukuruiroiro.hatenablog.comこのブログのポイントは、

日本の大企業が陥りやすいジレンマを典型的な例を引きながら、分かりやすいぶっちゃけた表現で語っているところです。また、その原因と対応策にもふれています。

ここで語られる「無能な人」とそれが起こす現象は、今までの僕の実キャリアのなかで何度も出会ったことのある現象でした。

そしてともすると自分もやりかねないな、と感じるとともにいつも決してこうならないでいたい、という意味で他山の石としている、いわば「逆ロールモデル」です。

加えて、文中では大企業と書いてありますが、大企業ではなくとも立ち上がったばかりのベンチャー的な企業以外はこの罠に陥っていると感じます。

一つだけ感じた疑問

基本的には、ウンウンと何度もうなずける内容だったのですが、一方で唯一感じた違和感が「ルール」そのものが問題の原因であるように読み取れるところです。僕自身は「組織運営には一定のルールが必要なのではないか」という考えをもっています。

「ミッション」「ビジョン」や「戦略」「計画」があって初めて縁もゆかりもない他人同士が集まってチームたりうるのではないか、という言い方もできます。

この疑問を持つ背景は、とある組織に所属した経験からです。

逆説的ですが「うちは、プロフェッショナルファームだからフレキシビリティが唯一のルール」となどと言っている組織がありました。この訳の分からない「フレキシビリティ」という「非合理な」ルールで人をしばって、原始的な組織になっていたのです。

そこでの唯一の行動規範は「○○さんがこう言った」というものです。

残念な事に、この○○さんは、ワトソンさんやペッパーさんと違い、生身の人間ですので、頻繁に気分が動きます。だからいつどのような判断がおりるのかが分からないから問題です。

ですので組織を有機的に動かすためには客観的に成文化したルールは必ず必要だ、という信念にいたりました。

そこがただ一つの、この文章に対する僕の違和感だったのです。

日本の組織の問題点

そこで少し考えてみました。

典型的な、機能していない日本の組織と、機能している組織の、そのルールに関する違いについて。

そこで得られた結論は、リンク先のブログの作者の言うように、くだらないルールを作りすぎた結果、必要なルールと必要ないルールの区別がつかなくなってしまい、何でもかんでも盲目的に守らせようと言う「無能な」上司と、とりあえず全て守っておこう、という「有能な」部下がそろってしまっているのが典型的な日本の組織なんじゃないか、というものです。

言い方を変えると、組織運営にはルールは必要。ただし、目的に対して合理的なルールのみ守り、守らせる意味があるのです。

日本企業の典型的な組織は、この本質部分をないがしろにして、「とりあえず」ルールは守っておこう、という発想になってしまっていることが問題なのだと思うのです。本質的でないルールは遠慮せず、是非改善していきましょう。

そうすることで結果的に有能な人が活躍しやすい、健全なルールに基づいて運営される組織になっていくのです。

みなさんはどう思いますか?ご自身の所属組織はどうでしょうか?

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ご意見ください! 〜「人材の流動化」「新卒一括採用廃止」「副業禁止の禁止」〜

こんにちは。

最近、いろいろな人たちと議論していて、本稿のテーマである「ホワイトカラーの仕事の効率化」の実現にむけ解決すべき具体的なテーマが、幾つか具体的になってきたな、と思い始めました。

とはいえ、一人で考えていても発展は無いので、ぜひ本稿をご覧になった皆さんのご意見を伺えたら、と思ったので3つほどテーマを絞って問いかけてみたいと思います。

それは、題名にも使いましたが「①人材の流動化」「②新卒一括採用廃止」「③副業禁止の禁止」3つです。

まず「①人材の流動化」

昨今、企業の経営者が脅威と感じることのひとつとして、異業種からの参入があります。Uberの出現とか、AmazonAWSとか、IBMなどの広告業界への参入といった事例はご存知の通りだと思います。人材を預かるリーダーとしては、今までにないスキルの調達が急務になっています。そのスキルギャップを埋める方法としては人材の中途採用が現実的な手段ですが、となると立場を変えれば、全ての組織は人材を狙われている事に気がつかなければなりません。

その際にクローズアップされるのは「エンゲージメント」です。

「エンゲージメント」とは、個人と組織の関係に置いて、その方向性の一致度合いと僕は解釈しています。「エンゲージメント」が高い組織は人がやめにくい、どころか会社方針の達成確率があがり、コンプライアンスの問題が起きる確率が下がるともいわれています。

そして、世界でトップクラスのエンゲージメント調査であるIBM Kenexa Employee Surveyにおいて日本は国別エンゲージメントのレベルでダントツの最低を示しているのです。

実はIBM以外のどの調査に置いてもこの傾向は同じです。

この結果について、いろいろな解釈がありますが、僕はこれを日本人は「組織の方向性には不満がある。でもなぜかその組織に居続ける」という傾向があるからだと理解しています。

ブツブツ言いながらも何故かそこに居続ける。そうすると組織はどうなるでしょうか。

なお、同じくIBM Kenexaのサーベイ結果と企業業績を連動させたデータでは、エンゲージメントが高い組織はビジネスの業績も高いことが証明されています。

ってことはすなわち、日本企業の平均エンゲージメントが低いという事は、日本経済全体にかかわる問題なのではないかと思います。

これ以外にも多くのメリットがあると思われる人材の流動化、これを促進するメリットは何だと思われいますか?

そして、それを推進するための具体的な課題はどういったものでしょうか?

続いて「②新卒一括採用廃止」です。

毎年4月には新入社員が入社してきます。この事自体は大変喜ばしい事です。組織も一気に活性化しますからね。また時期をほぼ同じくして翌年の新卒採用活動が行われます。

これは、経団連の協定が影響しており、頻繁に変わるガイドラインに合わせて、日本企業は右往左往しなければなりません。この新卒一括採用は会社および学生双方にデメリットがあると思います。

まず、受け入れ側の会社、特に人事が受ける影響は...

受け入れから新入社員研修と、採用活動が一時に重なり、会社によっては各種人事異動や決算対応、株主総会対応がかさなり、人事などはほぼ機能停止します。一度止まったものを立ち上げるには時間がかかるのですが、夏休みシーズンも重なり秋頃にやっとエンジンがかかり年末までなんとか生産的な活動をしつつも年明けからはまた季節労働の準備です。

どうしてもクリエイティブな活動よりも数をこなす業務に重きを置くようになり、「戦略人事」が必要なことがわかっていても、十分にそれに注力する事ができません。

また「お客様」的に扱われた学生が、新入社員研修が綿密に行われる事を前提に入社してくるわけです。その負担たるやかなりのものです。

学生側としても...

集団就職の時代は遥か昔の時代です。にもかかわらず大学を卒業した直後に就職しなければならないという縛りがあり、より早くインターンを通じて就職したい人が卒業まで待たされる状況や、能力があるのに必要でもない新入社員研修をうけなければならないという状況を回避できます。

会社で必要な能力は会社が面倒をみるもの、という時代ではなくなるのはまちがいないでしょう。そんな社会的、会社的コストは明らかに無益です。

また上記で書いたように人材の流動化は不可避です。「新卒研修を受けたのだから一生勤めろ」などと言う人はさすがにもうそろそろいなくなるでしょう。

学生時代にいかに多くの経験を積んで、能力をつけるかが世界で戦うための条件になります。ライバルは学生だけではなく、同じように職をもとめる世界中の経験者でもあるのです。(会社からすると、新卒と経験者採用を区分けする必要も無くなりますよね)

一律の試験や、上から目線の採用面接にさらされることなく、力をつけた人が自分の能力を売り込む事ができるようになるわけです。

ついでにいえば、社会で役に立つ教育を施すために、大学・大学院を中心とした教育機関の充実も測る必要もあるでしょう。そうでないと日本の大学に行く必要が無くなります。

この件はまだ議論がそれほど多く出ているわけではないと思います。(僕が知らないだけかもしれませんが)なので、賛否両論以前の問題で「は?」の世界かもしれませんが、僕はなんとなく、この新卒一括採用のしきたりが、日本企業を弱くしているように思えて仕方がありません。

皆さんは、このテーマについてどうお考えでしょうか?もし賛同いただけるなら、実施する上で何が過大になるでしょうか?

最後に「③副業禁止の禁止」

先日なんと会社の広報同席のもと、ある著名媒体から「副業」についてインタビューを受けました。この事実が示すように、この副業禁止の禁止、または復業の常識化については、本稿でも複数回扱いましたし、役所の中や公共放送などでも盛んに議論されています。

副業禁止を掲げている(世の中的に)「遅れた」会社の人事の皆さんは、より具体的に改善を検討しなければ競争に乗り遅れるのは間違いような状況です。

すでに流れはできているものの、まだ半分以上の会社は副業禁止規程をもうけているとも聞いた事があります。こちらについて皆さんのご意見はいかがでしょうか?改革を進める上でのチャレンジはどのようなものがあるでしょうか?

いろいろ皆さんのご意見をお聞かせいただければ幸いです。今後の発信活動の参考にしていきたいと思っています。

ご意見の発信先は、私のFacebookでも、Hatenaのブログにでも、以下のメールアドレスでも結構です。

eitarokono@gmail.com

是非とも、どしどし!f:id:eitarokono:20160801010025j:image

 

重慶飯店麻布賓館での会食 〜ヒエラルキーの媚薬〜

こんにちは。

会食後のひとこと

大変お世話になっている出版社ディスカヴァー21の干場社長と会食した後のことです。
後日SNSに会食の写真とともに上がっていたコメントの中で印象深く、どうしてもココロに引っかかる一言が掲載されていたので、それについて考えてみました。

原文はこちら。

www.facebook.com文面全体が印象に残るのではないでしょうか。僕が40代男性であるから印象に残ったというだけではないと思います。

キャリアの相当はやい段階から社長および編集者として出版社を率いてきた干場さんならではの表現だと感じました。
その中でも「ヒエラルキーの媚薬」という表現についていろいろ思うところがありました。

ヒエラルキーの媚薬とは

ヒエラルキーの媚薬」とは僕は次のように解釈します。
すなわち、簡単に言えば出世欲。

もう少し具体的に言えば、組織の中で生き抜くために、仕事を一生懸命して、与えられた目標を達成しつつ、周りの比較対象となる人たちよりも少しでも高い評価(必ずしも成果とは限らない)をあげるための努力を最優先にすること、だと解釈しました。

そしてその後「罠」という表現をつかわれていることから、どちらかというとネガティブな文脈でとらえられている事も見て取れます。

干場さんのキャリアを通じて見てきた、同世代の男性たちが通ってきた実例をもとに仰っているわけなので、説得力はあります。

キャリアに置ける40代の意味

確かに40代は、職業人生の一つの分かれ目なのかもしれません。

例えば、一般的な転職は40歳を境に状況が変わってきます。ポテンシャル採用は当然ですが一切無くなります。

今所属している会社によっては、大企業プレミアムがついてしまい、同じ給料だと求められるものがあまりに高くなることも多いでしょう。

40になるまで転職を経験しないで同じ会社にいると、その先も同じ会社グループに居続けることを選択した、という事にもなるわけです。

また、体力面でも無理が利かなくなります。20代のように自分が動けば何とかなるという責任範囲ではなくなるのと引き換えに、そもそも頑張りすぎると翌日に響くようになったりするのです。

一方で色んな事に目が向くようになり、動いた事に寄るインパクトもかなり大きなものになります。所属組織という器を通じて社会に及ぼす影響も大きくなるのです。

人に頼られることも多くなるでしょう。ちょっとした悩み相談は若い頃からあるかもしれませんが、ビジネスの提携話や新規ビジネスの相談、キャリア相談といった人の人生を左右しかねないことも増えてくるのです。

その意味では、この10年間の過ごし方如何によってその後の仕事人生がどの程度面白くなるかが決まってくるという事なのでしょうね。

その流れに、一刺ししてくれているのが先ほどの「ヒエラルキーの媚薬」です。

せっかくの重要で楽しい40代。そのなかで「ヒエラルキーの媚薬」の罠にはまってしまう、主に男性が多いと仰るのです。

ヒエラルキーの媚薬」に負けないために

この言葉に対する、僕の解釈は冒頭述べた通りですが、現時点の自分自身に置き換えて考えると、幸か不幸かこの罠にははまっていません。

実際にはついこのあいだまでは、具体的に言えば前職の会社の途中までにいたる約10年くらいはこの媚薬の罠にはまっていました。

ですので、非常に社内評価に対して敏感になっていました。その弊害は至る所にありました。良い評価を取る事が最優先事項になるため、人の顔色をうかがったり、数字をよく見せるために動いたり。その間、今から思うと仕事が楽しくなかったように思います。そして結果的に巧く行きませんでした。

一方でその「ヒエラルキーの媚薬」から解放された今、少なくともやりたい仕事とやるべき仕事が一致しており、日々大変なことは多いのですが、不思議と楽しんでいる気がします。仕事の幅も広がり、いわゆるスキルやリーダーシップと言った側面でも日々成長実感があります。

これって不思議なもので、よく言われるように『人でもお金でもそのものを追いかけると逃げていってしまう。本来追いかけるものを追いかければ、結果的に人やお金がついてくる』というのは真実なのではないかとすら思います。

干場さんの本来の意図は、今度機会があったら伺ってみたいと思いますが、そんなことを連想させる名言でした。

皆さんはどう思われますか?

 

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