『プロダクトアウト』 〜最近はポジティブ文脈〜

こんにちは。

最近、立て続けに「プロダクトアウト」という使い古された言葉について議論する機会がありました。

『ソリューション型』はもう旧い?

20世紀末から今世紀の最初の頃まで「プロダクトアウト」というと、ネガティブコノテーションで語られた時期がありました。

あの時代に社会人だった人は、上司に「それは、プロダクトアウト過ぎるアプローチじゃないか?」という指摘を受けた方も多いと思います。

しかし、2000年を少し過ぎた頃、状況は一変します。

ソフトバンクが通信ビジネスに入り始めた頃でしょうか。「ベストエフォート」という言葉がはやり始めました。当時僕はこれを『「巧く行けば」これくらいの通信速度が確保できる』という意味で解釈しました。

消費者としては多少の不便はあっても特に不満はありませんでした。

そして、2007年iPhoneが登場します。これによって状況が一変します。

それ以前にも存在した概念ですが、まずはプロダクト(iPhone等のデバイスや、アプリなどのソフトウェア)を顧客にロックインして、修正プログラムができたらどんどんネットワークを通じて修正していく。そして結果的に顧客の要望に応えていく、というものです。

今や死後になりつつある「ソリューションアプローチ」の上を行く概念なわけです。

誤解無きように「ソリューション型へのシフト」を否定するわけではありません。まだ前時代のプロダクトアウトアプローチを取っている組織も未だに存在するわけですから、ソリューション型はそれよりは進んだ考え方です。

日本の組織への処方箋『現代型プロダクトアウト』

ただ、わざわざ一旦ソリューション型を経由するよりも、それをスキップして一気に現代型のプロダクトアウト型に到達するというアプローチも合ってよいのかもしれません。

幸か不幸か日本の様々な組織を見るにつけ、周回遅れのプロダクトアウトの組織が大半ではあります。事ここに至っては、ソリューション型への到達への道のりを経ずに一気に次の段階までショートカットして、近代型プロダクトアウト(繋がったプロダクトアウト)へのジャンプを指向してみてはいかがでしょうか。

「今やプロダクトアウトが主流だよね」という現代の碧眼たちの言葉を聞いて、そんなことを考えたこの数日間でした。

皆さんはどのように考えますか?f:id:eitarokono:20160718211935j:image

年間目標、中間振り返り 〜苦しみましたがOn Trackです〜

こんにちは。

今年も、あれよあれよという間に半年が過ぎました。

年初にIBM帰任の報告とともに、年間目標を立てたので、その振り返りをしたいと思います。

1) ワーク(所属会社):年間ターゲット達成

これについては、ON Trackです。偶然も重なりつつも前半のターゲットは超過達成しました。
もちろん、100%ちょっと、という達成はIBMでは今までやった事は無いので、未だにあきらめずに圧倒的達成という看板はおろさないつもりでいます。
また、大胆な発想を提案して「は?」「そんなことできるの?」的な反応を受けるという目標は狙い通り達成しています。これも計画内です。
加えて、定石通り、ビジョンを設定して、戦略を練り、実行する、というステップは踏んでいますし、そのビジョンが「無視される➡異論を表明される➡気付かれる」という常道は歩めています。
その次ぎにくるべき「賛同される➡実行される➡自分のものにしてもらう」というステップに向けて全力投球です。
IBMのコーポレートビジョンである「コグニティブビジネス」を日本に定着させる事についても、微力ながら現在進行中です。
加えて具体的行動目標でもある「常に先手を打つ」ということですが、ここは正直課題あり。日々のチャレンジの中で、つい脱力する事が多かった半年間ですが、それを言い訳に先手を打つエネルギーをないがしろにしていたのかもしれません。反省です。

2)ワーク(個人事業):発信活動の継続

ここについても、あえてOn Trackにします。まだ書籍を出せてはいませんが、企画は進んではいます。なんとか年内に二冊!
また、教壇に立つ仕事も継続しています。これがまた、新鮮な刺激や学びが多くて、労力をかけた以上のリターンがあるのが現状です。チャレンジしてよかったとつくづく思います。
また、当ブログは継続しています。そして、さらに近いうちに発表できると思いますが、某準キー局テレビのバラエティ番組にも出演します。これは非常に大きな学びのある経験でした。ご一緒した方々がまたすごすぎた!
こちらも超過達成に向けてさらにドライブをかけていきたいです。

3)ライフ(個人):競技会に2度出場

こちらも、On Trackです。実は来週、ジャパンマスターズ水泳大会に出場します。こちらは別途ご報告。秋にももう1回出ます。

そして、年初の想定には入っていなかったのですがゴルフを始める事になりました。何と言っても水泳選手は反復練習は慣れている、というか楽しめるので、練習そのものもこころから楽しめています。いろいろ学ぶきっかけになればいいな、と思います。

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4)ライフ(家族):家族との時間を維持

これも、On Trackです。毎週末息子と泳ぎにいっています。娘の方は今年は受験生でもあるので、息子との時間が増えがちですが、これも継続していきたいと思います。

5)おまけ:上記目標を忘れない

こちらについては、今回中間振り返りをすることができていますが、日々常に意識するところまでは行っていません。もう少しですね。

結果的に目標は達成していますが、常に意識・工夫を続けた上での年間達成を実現できるようにしていきたいと思います。

総論として、今後に向けては今の取り組みを継続します。その時には常に目標を意識しながら先手を打つ事を心がけていくことになります。

皆さんの今年前半はいかがでしたか?

皆既日食 〜新しい「気付き」「発見」のイメージ〜

こんにちは。

今年、初めてグロービスの「あすか会議」に参加者としてフルアテンドしました。

あすか会議とは

あすか会議は、ダボス会議をヒントに開催されている会議で、各界(ビジネス、学術、文化、芸術、思想、行政、冒険など)で活躍する人たちが集って登壇し、参加者に刺激を与える(参加者と刺激を与え合う)場です。
内容はそれぞれ、生放送されましたし録画も公開されるでしょう。是非ご覧ください。

分科会はいくつも並行して走るので、同時間帯からは一つを泣く泣く抽出しなければならなかったのですが、登録した分科会はどれも刺激的な内容ばかりでした。
これらへの参加を通じて、登壇者の皆さんとの彼我の差を確認して気持ちを新たにするとともに、新しい視点や自身の活動へのアイデアをたくさん頂きました。

「素晴らしい考え方だ」とか「あー、もやもやしていたのは、こう言う事だったのか」と感心するコメントが山のようにあったのですが、こう言う経験をつづけるにつけ、このイメージってなんなんだろうか、って考えるようになりました。

皆既日食のコロナ部分

で、思い至ったイメージがあります。
ちょっと変なたとえですが、皆既日食です。
皆既日食って、地球から太陽を見た直線内に月が入り込んで月のカタチのまわりに太陽のコロナがぼーっと見えるイメージです。(添付の写真はフリー百科事典 ウィキペディア日本語版からの引用画像)
ここでは、黒い円に見えている月の部分が既存の明確に認識・理解できている範囲、で太陽のガスの部分がぼやっと理解している部分。
月の輪郭からはなれれば離れるほど薄くなってくのは、何となく認識できているところからだんだん理解度が下がっていっているイメージです。
コロナ部分=知的好奇心の及ぶ範囲と置き換えてもいいでしょう。

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このガスの部分を刺激してくれるのが、今回のあすか会議の登壇者のような各界で活躍する先人たちからのメッセージなのだと思います。(当然のことながら、あすか会議に限った事ではありません)
それが、ニュートリノのようにぴゅんぴゅん飛んでくるのですが、このガスの部分にかすったときに「気付き」「発見」が生じるわけです。

そして発見を増やすごとにこの円の部分が大きくなっていきます。

コロナを広くもつ

要するに、受け手としてアンテナに相当するこのぼやっとしたコロナをひろーく張っていないと、引っかかるものも引っかからない。
自分の知識の範囲だけで満足してしまうと、この黒い部分だけにとどまり成長がないわけです。
ガスが濃い部分であれば「あ、僕の言いたい事は、この事だったのだ」という気付きになるし、薄い部分は「こんな考え方もあるのか」という発見になります。

そして、まったくガスが届かない部分にニュートリノが飛来した場合は、理解・認識を超える部分で「難しすぎる」「???」ということになるか、そのニュートリノに気づきもしない、ということになるわけです。
僕たちがやるべき事は、コロナをひろくひろーく保って、少しでも遠くのニュートリノをキャッチできるようにすること。すなわち知的好奇心や課題意識を持ち続けることなんだな、と思いました。

みなさんはどう思いますか?

警察に「赤信号をわたっていいですか?」と聞いて許可が下りるか。(やってみたわけではありません)

こんにちは。

問題解決こそが仕事

何か物事をすすめるときは、思った通りに行かないというのはつきものです。

ホワイトカラーの仕事のうち、価値あるものの大半は何か問題が発生した時にそれを解決することでしょう。マニュアル通りやっていればいいのであれば、人間どころかAIすら要りません。

こちら側はこうしたい、というものがあるのに、競合やクライアントや付き合いのある業者がそれをゆるしてくれない、と言ったものも多いでしょう。

そういう時に相談に行く相手は、ケースバイケースでしょうが、いわゆる管理部門のプロフェッショナルの皆さんは非常に頼りになります。

もちろん、時には現場の主張と対立する事はあるでしょうが、それは双方相談して解決策を探る過程で必要な対立です。

「いやいや、うちの管理部門は、杓子定規で箸にも棒にもかからない」という人もいるかもしれません

しかし、もしかしたら相談の仕方が悪いのかもしれません。

相談の仕方にもコツがある

法務部門に「このルールを破りたいのですがいいですか?」と聞いたらどう答えるでしょうか。

これはまるで警察に「この赤信号をわたっていいですか?」と質問するようなものです。

もちろん、答えは「ダメです」と言われるに決まっています。

そうではなくて「赤信号の向こうのあの地点に行きたいのです」と、目的を明確にして相談してみてはどうでしょう。

そうすると、優秀な警察官(管理部門プロフェッショナル)であれば、オプションを提示してくれるはずです。

例えば

①カネを使わず、体力を使うか。

②体力を使わず、カネを使うか。

の二択です、と。

そして、

『①を取るならば、あちらに歩道橋があるから、走っていって歩道橋をわたるというオプションがあるります。ただし、走っている間に横断歩道の赤信号が青信号に変わって、結果的に同時に到着するかもしれません』

『②を取るならば、そこにいるタクシーに乗れば右折することで反対側には着きます。ただし、近距離過ぎて運転手さんが怒るかもしれませんし、同じようにタクシーに乗って料金を払ったりする間に青信号に変わるかもしれません』

などと、それぞれのオプションの、メリットやリスクについて解説してくれるかもしれません。

下手をすると大いなる味方も敵に...

その道の専門家、プロフェッショナルは、素人やたまにしか関与しない人が思いつかないようなことを、選択肢として助言してくれたりするわけです。

そりゃそうですよね、いつもそればかりやっているわけですから、ケースはいっぱい見ているのです。色んな解決策を引き出しとして持っているんですよね。

そんな貴重で頼りになる人に対して「ルール破っていいですか」という質問でコミュニケーションするのは勿体なすぎると思いませんか?

皆さんはどう思われますでしょうか。

 

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経験が通じない事もある、という事を知るのも経験 〜過去の経験と新規チャレンジ〜

こんにちは。

実は最近、仕事の関係でいくつか全く新しい経験をしました。

それをきっかけに関連して考えた事をコメントしてみようと思います。

チャレンジする事のリスク

「常にチャレンジし続けること」というのはキャリア上肯定される事が多い事です。

一方で年齢やキャリアを重ねると、いつの間にか新たな経験をする事が減ってきてしまいます。

もちろん一般的には、経験やキャリアを積むとできる事が増えます。仕事の幅やこなせる量も増えてきて、いわゆる大きな仕事に取り組む事が可能になります。

それに伴い、自信がつき、同時に貫禄やまわりからの信用が増えてくるので、良い循環構造ができあがるわけですね。

その自信を糧に、多くの経験あるビジネスパーソンは新たなチャレンジをするわけですが、時にその経験が新たなチャレンジの成功を邪魔する事があります。

僕自身も絶対の自信をもって挑んだことで、「業界の常識と思っていたこと」「価値観上ゆずれないこと」が全く通用しなかったという経験をしたことがあります。

まさにその渦中にいる時には、他責しか感じられませんでしたが、その中にあっても、「おそらく振り返れば、自分にも反省し、学ぶべきところがあるだろう」と考えていた節はありました。そしてしばらく経って振り返るとその通りでした。

経験が通じない事もあるコトを知る

結論としては「経験が通じないこともある」ということを明確に学んだわけです。すなわちこれも「経験」。まるで禅問答のようですね。

とはいえ、これもチャレンジしないと分からなかった事なので、今ではチャレンジした事を肯定的にとらえています。

経験を巧く活かしたチャレンジとは

さらに今後の行動に反映させたこととしては、新たなチャレンジをするにも、全くもって新規の場所に踏み込むのではなく「中身」「場」「相手」といった要素分解をして、そのうち少なくとも一つ、できれば二つは経験済みのもので展開するようにすると、より成功確率が上がり、同時に新たな経験もできるのだな、とまとめられます。

冒頭述べた「全く新しい経験」というのは、「場」も「相手」も初めての経験でした。どちらも世の中へのインパクトが大きかったので、開始直後は一瞬、脈拍が150くらいまで上がってたと思います。

(この脈拍150というのも、毎週末の水泳の練習で経験しているので体は難なく耐えてくれました!)

そんな中でも「中身」には絶対の自信があったため、あとから「本当に初めてだったんですか!?」と言われる出来でした。

こんな感じで、戦略的にあらたなチャレンジを蓄積していきたいと思いました。

今回は読者というよりは自分に比重が寄った内容になりましたが、ホワイトカラーの働き方には参考になるかと思ったので掲載しました。

皆さんはどうお感じになりますか?

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「素案」の価値 〜StrawmanとStraw man〜

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こんにちは。

気の持ちようで苦行も楽しくなる!?

最近思う事があります。物事を前に進めるための素案の意義や価値です。

大きな組織にいると、ついつい感覚がいわゆる「官僚的」になるのか、何か新しい事をやることが自分の仕事に思えなかったりします。

決まったプロセスや、プロジェクトタスクにのっとって着実に仕事をすすめることが仕事の大半になるためでしょう。

ただ、そんな大きな組織の中でも、新しい事を始める事のできる幸運に恵まれる事もあります。その組織が大きく転換しようとしている(しなければならない)瞬間に立ち会えるのは、得難い経験です。大企業組織とベンチャー的組織、どちらのいいところも経験できるわけですからね。

ただ、それまでに「物事を変える」とか「創り出す」ということをやってきていないと、1)どうしても自分の仕事と思えなかったり、2)やり方が分からなくてパニックになったりしがちです。

この2点については、実は能力の問題ではなく気の持ちようです。

まず1点目についての気の持ちよう。非常にシンプルです。それはあなたの仕事です。それどころか決まった仕事はそのうちワトソン君(!)が全部やっちゃう時代がきますので、物事を変えたり、創り出したりする仕事が自分の仕事と思えないと、仕事が無くなります。

次に2点目。やり方が分からないのは当たり前。だって誰にとっても初めてですから。わざわざパニクると損をするのは自分だけです。

どちらも、まさに気の持ちようですよね。

物事を前に進めるためにまずやる事

では、何をやったらいいのでしょうか?

これも実はシンプルです。「素案」を作ることです。

何も無いところで立ち止まっていては、文字通り何も始まりません。何かをきっかけにして「あーでもない」「こーでもない」と議論する事で物事が前に進んだり、更に新しいアイデアが出てきたりします。

僕自身の事を言わせて頂けば、今まさに会社が変わる瞬間に新しい事業を立ち上げる仕事をしていて、いろいろな素案をもとに、更に素案が出てきて議論が深まったり高まったりする、という瞬間を毎日経験しているため非常に刺激に満ちた日々を送っています。

しかしどうしても新しい案が出てこないチームもあるでしょう。

素案ができない理由は、各人の中に「こんなの出したら、何言われるか分からない」という抵抗感があるからじゃないでしょうか。

冷静に考えてください。素案って「何か言われるためのもの」です。

素案に対してポジティブな事を言うか、ネガティブな事を言うかは相手の資質を測るバロメーターであって、あなた自身の評価ではありません。

肯定的な付加価値提案をしてきたら相手をポジティブに評価しましょう。できない理由を挙げてきたら相手は残念ながらマイナス評価です。

ちゃんとしたものを作ってから、もってこい!」は20世紀、それも昭和のころの時間の流れの世界です。さすがにそろそろそういう人もいなくなっている頃なので、心配せずどんどん、新しいアイデアを出していきましょう。

昨今、アジャイルとかデザイン思考といった言葉が従来以上に注目されていますが、これらも全て何か前に進むための素案があって初めて成り立つ概念ですよね。

素案の価値

ところで、英語圏の人と仕事をしているとStrawmanという言葉をたまに耳にします。これは「たたき台」のことで、まさに本稿で意図する「素案」と同じ概念です。

Strawって藁(わら)のことなので、藁の人形を「たたく」って日本でも通用する発想だなーなんて思いました。

strawmanの意味・用例|英辞郎 on the WEB:アルク

で、この同じオンライン辞書でつい、Strow manと2単語で調べてしまいました。そうすると意味が少し変わるようです。

straw manの意味・用例|英辞郎 on the WEB:アルク

「かかし」「藁人形」と行った意味に続き「つまらぬ人物」「価値のない人」「資産[財産]のない人」「無資力者」といった意味が記されているのです。

念のため調べてみたら、辞書によってはStrawmanとStraw manを区別していないものもあります。

 

結論として、どうやらStrawmanには2つの意味があるようです。

Strawmanを作って出す人はStrawmanではない、というところでオチをつけましょうか。

「何も出さない」と「しょぼくても何か出す」の大きな違い。みなさんはどう思われますか?

みんなのリーダーシップ考 〜ちきりんの結構前のブログに刺激され〜

こんにちは。

全ての人にリーダーシップは求められる

先週あたりに、ちきりんさんの5年前のブログがなんでか知らないけどタイムラインに複数流れてきました。

以前も読んだ記憶があるけれど、改めて読んでみると僕の考え方と似てるな、と思いました。

d.hatena.ne.jp

実は手前味噌ながら6月1日にプレスリリースしたのですが、拙著「99%シリーズ」(ディスカヴァー21)がシリーズ全媒体合計100万部を超えました。

その中の第二弾はリーダーシップに関する内容です。

これを機会に改めて自分の書籍を読み返してみたところ、同様の事が書いてありました。そういえば講演でもいつもお伝えしていますし、リーダーシップの講義をするときも同じようにお伝えします。

この本でも唱えているのは、リーダーシップは全ての人に求められる役割や能力であるという点です。

リーダーシップは一部の限られた人、すなわちいわゆる”リーダーポジション”に着いている人だけに求められるもの、と思われがちですが、実はそうではないのです。

自分がオフィシャルなリーダーポジションにいるわけではなくとも、もし自分がその立場だったら今、この瞬間にメンバーに対してどう動いてほしいと思っているか、自分ができることは何か、というのを常に考えている時点で、リーダーシップ能力が備わっています。

皆がリーダーシップを発揮するチームは強い

そして、ちきりんのブログにも書いてあるように、そういう想像力を働かせられるメンバーが多いチームはパフォーマンスも非常に高いです。

僕が思うに、すべてのメンバーがリーダーシップ能力を発揮した一番の例は、V9時代の巨人軍なんじゃないかと思うのです。

V9 (読売ジャイアンツ) - Wikipedia

もちろん、王、長嶋という偉大な主軸がいたのは有名ですが、実は1番から9番までが自分の分限を全うしながら、川上監督がやってほしいと考えていることを着実に実行していく集団だったそうです。9年連続日本一というのは3番4番だけでは成し遂げられるものでは無いのでしょうね。(ちなみに僕自身は生粋の中日ドラゴンズファンです)

ところで、拙著の中でもコメントしていますが、リーダーの重要な仕事の一つにメンバーをモチベートする、というものがあります。ビジョンを描き、メンバーをモチベートしてそのビジョンに向かわせるわけです。

リーダーのモチベートは誰の仕事?

ここで、一つ考えなければならない事があります。

すべてのメンバーに求められるリーダーシップ。そのリーダーシップの主な仕事がメンバーをモチベートするということです。ということは、全てのメンバーが、周りのみんなのモチベーションをサポートしなければならないという事になります。

その辺り、皆さんはどう感じられるでしょうか。メンバーの立場の人は”リーダー”の立場の人のモチベーションに配慮した事はありますか?

視点を変えて、リーダーの立場の人は、メンバーの行動にモチベートされた事はあるでしょうか?

リーダー経験のある人の多くは「ある」というのが答えではないでしょうか。

自主的に動いてくれる人、先取りして動いてくれる人がいることでただでさえストレスの多いリーダーは勇気づけられるものです。リーダー自信のモチベーションが高まる事で判断の精度や速度もあがり、良循環が始まるのです。

逆に言うと、メンバーの行動によってはリーダーは「がっくり」きます。

もちろんリーダーの立場なので、表面に表したり、仕事に対してやる気をなくしたりはしませんが、それなりにマイナスインパクトはあるものです。全体のパフォーマンスに影響がありますよね。

先ほど触れた、V9時代の川上監督も選手のそのような働きを受けてさらに高いレベルで仕事ができたのではないか、と想像します。

チームってそんなもんじゃないでしょうか。

皆さんはどう考えますか?

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