カッコいいオフィスで旧態依然

こんにちは

オフィスの進化

仕事の中で、様々なオフィスにお邪魔することがあります。

色々考えられていて、素晴らしいなあ、と思うこと本当に多いです。

ここで仕事をしたら、パフォーマンスが上がるだろうなあ、なんて思ったり。

実際に少し仕事をしてみたりすると、非常に集中できたり、議論が活性化したり。

良いことが多いです。

オフィスも日進月歩。イノベーションですね。

以前、IBMの旧六本木本社のオープン当時の職場風景を写した映像をみたのですが、当時の最新鋭も、やはり今見ると、オフィスそのもののイノベーションの歴史がよく感じられました。

実際にこの場で、様々なイノベーションが起こってきたのだろうと思います。

イノベーティブな場所で、プリミティブ

で、今回思ったことなんですが、AIを駆使した各種設備が整ったオフィスの中で、非常に違和感を感じるシーンをよく目にするのです。

いわゆるサラリーマンのおじさんが、スーツの一部のようなものを着て、会議卓にずらっと座り、それでも椅子が足りなくて周りの椅子を持ち込んで、すごく素敵なガラス張りの会議室にギュウギュウ詰めにされている。

さぞや活発な議論が行われていることだろうと思って見ると、(まあ、実は思ってないのですが)喋っているのは先頭の一人だけ。

あとは、スクリーンを見るふりをしてぼーっとしている。

これ、すごく違和感ないですか?

保守的というか前近代的というか。

最新鋭施設の無駄遣いというか。

宝の持ち腐れというか。

思考停止というか。

なんのための最新鋭のオフィスなんだろうか。イノベーションを起こそう、ということを趣旨に作ったはずのオフィスをそういう態度で使うのは、作った人にも失礼だし、目的合理性の観点からも整合してないので、どうかと思った次第です。

もちろん、アウトプットさえ出てくれば良い、という考え方もあるのはわかります。

だったら、別の場所でやってもアウトプット出るんじゃないか、って思うのです。

せっかくの新しい目的を持った場所だったら、使い方や関わる態度、できればカタチなども変えてみるのはいかがでしょうか。

皆さんはどう思われますか?

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皆さんの会社の会議室にはホワイトボードはありますか?

こんにちは。

議論が空中戦になったとき

皆さんは、会議でホワイトボード(フリップチャート)を使いますか?

使うとしたら、どんな時に使いますか?

多くの場合、考えていることを人にわかりやすく伝える時に使うと思います。

人にわかりやすく伝える必要がある場合というのは、大抵は皆がすでに知っていることを題材にしている時ではなく、何か新しい考えをひねり出したり、相手にとって初耳のことを教えたりする時に必要になります。

認識合わせの時にも使ったりしますよね。

もちろん、パワーポイントやグーグルスライドなどでもできなくはないのですが、もし顔を合わせて同じ空間にいるのであれば、やはりホワイトボードやフリップチャートのスピード感や臨場感、柔軟性は一日の長があると思っています。

で、逆の視点から見ると、もし顔を合わせる会議が行われる会議室に、ホワイトボードもフリップチャート無いのであれば、そこでは何も新しいものは生み出されていない、単なる報告や情報共有の顔合わせしかしていない、ということになります。

皆さんの組織はどうでしょうか?

会議室に書いて議論する施設はありますか?

「優秀なプロジェクトマネジャーの条件」

これに関連して少し思い出した話があります。

僕は以前、ある会社で人事系部門にいた時に「プロジェクトマネジャー(PM)育成タスク」というのを担当したことがあります。

業界でも顔の利く、大物5名を選んでもらい、ヒアリングして回りました。

どんなPMが優秀な人で、そういう人はどうやって育ってきたのか、というのを別々の場でじっくり話してもらいました。

それぞれが、超一流の人だったので、それぞれのご意見があります。

「プロジェクトは始まる前から成否が決まっている。いかに計画を詳細化したかが勝負だ」とか「メンバーとのコミュニケーションが重要だ」とか「お客様の期待値をちゃんとキャッチしてコントロールするかが一番肝心」とか。

印象的だったのは、5人が5人、

「優秀な奴は、立ってホワイトボードに書き始める」

と言っていたことです。

僕はこの時、なるほどな、と思いました。

おそらくプロジェクトではいろんな課題やリスクが存在します。それをうまく方向づけるのはPMの役目。

いろんな解釈や対立があることでしょう。

そこに

「つまり、こういうことですね?」

と言ってホワイトボードを使う、という感じなのでしょうね。

ホワイトボードのない会社

さて、少し話を戻します。

実は僕は過去にホワイトボードのない会議室ばかりの会社にいたことがあります。

この会社は、多くの人がクライアント先で働くのでクライアント側にはあるのでしょうね。

それに(ちゃんと考えている役員の)役員室にはちゃんと設置してありました。

また、デザインシンキングを披露するためのフロアには設置してありました。

しかし、多くの会議室にはホワイトボードはありません。

すなわち、上の論法で言うと、この会社にいるときは基本的に新しいことを議論もしないし、課題を解決することもほとんど無い、ということになります。

デザインシンキングも披露する時だけ使って、普段は特にやってないと言うことになります。

もちろん、僕もそのフリップチャートの無いフロアの一員でしたので、

「フリップチャートかホワイトボードを導入しましょう」

と提案しました。

答えは

「会社としてはコストがかかるので、廃止した」

でした。

「じゃあ、僕らの部門だけでも導入しましょう」

と、当然言いますよね。

その答えが

「他の部門が勝手に使うと、うちの部門が損をする」

と言うものだったので、僕はその時点で気絶をしました。

部門長の任命というのは、本当に重要なことだと感じた瞬間でした。

Creativeな仕事をするという目的で提案したのですが、この目的を達成できなかったのは、ここで引いてしまった僕の責任です。

思考しないことに慣れてしまった人を説得してまで、ホワイトボードを設置する努力に使う時間は僕にはありませんでした。

ファシリティって意外に大事

人や組織の行動は、一見その所属メンバーの内側から出てくるようで、実は環境にもすごく左右されます。

確実なデータを持っているわけではないのですが、皆さんも経験的に賛同いただけるでしょう。

ホワイトボード一つとっても同じことだとおもいます。

人がなぜ企業に集まって仕事をするかというと、コラボレーションをするためだからです。

ホワイトボードやフリップチャートはその要となるツール。もちろん技術の進歩でそれに代わるツールは出てきているので、モノそのものにこだわるわけではありません。

が、やはり物理的な会議室を使っているなら、そのようなツールはあるべきなのではないかと。

よりクリエイティブな、建設的な、未来志向の議論をするために。

皆さんはどう思われますか?

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コンサル100年史を読んで、いろいろ”実践”したいと思った

こんにちは。

以前のブログでも少しコメントしてますが、独立を機に”コンサルティング”というものと向き合ってみよう、と考えました。

これからについて 〜人と組織を支援する仕事を深めます〜 - 河野英太郎ブログ”On”

また、事業会社としてコンサルタントを雇う側にもあり、かつ他にも理由もあって、この週末この本を改めて読んでみました。

 

コンサル一〇〇年史 (ディスカヴァー・レボリューションズ)

コンサル一〇〇年史 (ディスカヴァー・レボリューションズ)

 

出版年も4年前で、一度目に手を取ったのもだいぶ前です。

今の視点が、その時のこの”コンサルティング”という職業や業界に対しる向き合い方や視点とは全然違っていて、その時とは全く違う非常に多くの示唆に富んでいました。

やっぱり同じ本でも、読むときの自分の状態によって琴線に触れたり役に立つポイントって全然違いますね。

スタートアップ的視点

100年史と銘打っている通り、前半の章は主に経営コンサルティングの黎明期から勃興期、成熟期に至る歴史を辿っているため、立ち上がりの頃の紆余曲折や苦労話は今の自分のいくつかの仕事ともよく似ていて、当事者意識を持って読むことができました。

立ち上げ期は、やはり情熱や信念を持って取り組んだ創業者や中興の祖がいたんだな、ってことがよくわかりました。

また、法律の変更や景況など追い風になるような環境もあって、コンサルティング産業というのは大きなうねりになっていったんだな、ということも改めてわかりました。

ブームになった時には多くの参入もあり、偽物もはびこり、そしてまた淘汰もあり。

その淘汰を生き抜くには情熱や信念と、もう一つ二つのキラリと光る差別化要素なんかもあったんだな、と感じました。

ユーザー視点(クライアント視点)

産業を育てるのは、提供側の努力はもちろん、ユーザー側の成熟も必要ですね。

ユーザーに理解をいただくためには、当たり前ですが前例にとらわれず、とはいえ先人の知恵や権威をちゃんと活用しながら、手を替え品を替え、試してみることが重要だな、と思いました。

また、これから求められるコンサルタント像は、ファクトベース(いわゆる頭脳・スキル系)とグレイヘア(人間性・経験系)という二大要素の両面を持っている人だ、という主張に大いに感銘を受けました。

ファクトベースで積み上げたり、新しい技術を取り込んだりすると同時に、それまでに培った経験や人間性をベースに経営者に寄り添う、と。

いくらデータがそう言っている、と言っても理想やあるべき論だけでは組織は動きません。同時に、クライアントのビジネス特性や企業の成長段階を考慮せず、過去の経験のみのお仕着せノウハウを無理やり当てはめる方法も逆効果です。

クライアント目線としては、そういう視点でコンサルタントを雇うようにしないといけないですね。

もひとつだけ、この視点で考えたこと。

それは、やっぱり定着化の視点です。

いくらコンサルタントが、クライアントに”寄り添う”って気持ちの上では思っても、利害を共有して名実ともに一緒にやっていくには、仕組みが必要だし、それなりに時間も必要だと思います。

著者の並木さんは、成果報酬型を主張されていました。

僕も大いに賛成だし実行中です。

一旦その方針(成功報酬型)でプロジェクトを始めると、関与するコンサルタントのクリエイティビティが一気に解放される、ともコメントされていました。

これ正に現在進行形で経験しています。

コンサルティング業界に求められる”変革”

最終章である第5章は、コンサルティング業界に求められる”変革”というテーマでした。

2015年に出た本ですが、僕の感覚ではここに書いていあることは現在も課題であり続けてるな、と思います。

詳細はぜひ本書を手にとってもらえればと思うのですが、GDPで比較した時にまだ日本のコンサルティング業界は、アメリカやドイツなどと比べて極端に小さいようです。

言い方を変えれば、やり方次第では伸びる余地がある、ということ。

並木さんは大きく5つの解決に向けた処方箋(ヒント?)を提示してくださっています。

これ、どれも僕にとって今まで違和感を持っていたことへの答えになっていたので、すごく腹落ちしました。

違う言い方をすると、世の中にありがちな”コンサル”の様々なマイナスイメージも、当事者(業界側と顧客側)がこの処方線を実行することで解決されていくように思えます。

僕はこれらを参考に、今関与している事業(いっぱいあるけど、全部当てはめられる)に活かしていきたいと思いました。

ご興味あれば、みんさんも是非。

習慣のワナ〜「原本を送付ください」→「ウチも印刷して送るだけなんです」〜

こんにちは。

習慣として残る業務

冷静に考えれば、変更するのが当たり前なのに、つい習慣で今までと同様にやってしまっていることってありますよね。

で、それに気づいた周りも、相手に”気を使って”指摘をしないために、全く改善されない。そんなことありませんか?

最近、僕はいろんな場面で見積書や請求書を発行するのですが、結構頻発するのが、ソフトウェアからPDFで出力された見積書を宛先に送ったところ、

「ありがとうございます。確認しましたので、原本を下記住所までお送りください」

という返信が返ってくることです。

で、ここで

「承知しました」

といって対応することが多いと思います。

何しろ、相手はお客様ですから。

でも、よく考えるとこちらで実施する作業は、印刷して封緘して、切手貼って送付する。先方では、窓口が受け取って配布して、担当者が受け取って開封して、処理担当者に回す、その間には物理的に紙が移動するわけです。

言われれば、シンプルに「なるほど」

で、ポイントは、以下の一言を返してみてはどうか、ってところです。

「承知しました、原本手配することは可能です。ただし、弊社側でもこのPDFを印刷してお送りするだけなのですが、それでもよろしいでしょうか」

そこで、大体相手は”習慣の呪縛”から解かれます。

「あ、そっか」と。

特に僕が使っているシステムは印章部分もシステムから出力するので、実際の角印で捺印してるわけではないことが伝われば、ほぼ間違いなく

「こちらで、印刷して処理に回します」

と返ってきます。

何しろ相手は「DX事業部」だったり「AI担当」だったり、それこそ世の中でも最もデジタル化が進んでいる仕事をやっている人たちだったりするわけですから、それに反対するはずがありません。

単に、習慣的に「捺印文書は原本でなければ」と刷り込まれてしまってるだけだったりします。

現在、我が国で何枚の、有印文書の”原本”がやり取りされているかわかりません。

契約書ならまだしも、見積書や請求書であれば原本を確認する必要があるケースはかなり絞られるはずです。(上記のケースだともともと、印刷物が原本なのですが)

見積書と請求書の原本を撲滅するだけでも、樹木にして何本か。燃料にして何リットルか。切手代やインク代でいくらか。積み上げた残業代・残業時間いくらか。・・・が削減されるのではないかな、なんて思うのです。

こういったことって明確に認識されてないだけで、潜在的には本当に多いんじゃないかな、って思うのですが、いかがでしょうか。

皆さんの周りでも習慣のワナってありません?

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会議の出席者が少ないことのメリット

こんにちは。

会議8分の1の法則

「会議8分の1の法則」ってご存知でしょうか?

おそらくご存知ないと思います。

なんでかっていうと、僕が勝手に作った法則だからです。

なんで8分の1かっていうと以下のような説明になります。

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3つの要素を半分にすると、なんと全体では87.5%の削減効果があるというわけです。

100時間かけていたものが12時間半の投入コストで収まるのです。

余った87.5時間はお客さんのところに行くとか、早く帰って自己研鑽に当てるとか、家族や友人と過ごすとか。色々鍵ある時間として使えます。

これ、やらないわけにはいきませんね。

この3つの要素のうち参加人数について、最近考えたことがあります。

参加人数が少ないと、組織に与える負担も少ないので有効であることは上で説明できていると思います。

加えて、物事が進むスピード感というかリードタイムの短縮にも関係するな、と感じるのです。

「来月会いましょう」か「じゃあ明日」か

具体的には、今のような夏休みの時期に毎年感じます。

当然夏休みなので、いろんな人が休暇をとる機会が増えます。

最近はお盆の時期に一斉に、ではなく少しずらしたタイミングで取得する人も多いですね。チーム内で話し合って分散させるところも多いでしょう。

しかし、残念なことに、会議に参加する人数が多い組織の場合「●●さんが休みなので会議が設定できない」という事態が発生します。

参加人数が多ければ多いほどこのリスクが増えます。

ですので、ただでさえ調整が難しい会議なのに、平気で「残念ながら来月に設定させてください」ということになります。

せっかく分散して獲得した意味がないですよね。

出社している人だけで意思決定できるように、ちゃんと引き継いでおく必要があります。

役割分担が明確でないために、関係しそうな人全てに念の為声をかけるという文化も影響していると思います。この要素も削減しなければなりません。

そのためには役割を明文化しておく必要もあるかと思いますが、その辺りは十分なのでしょうか。

諸々原因はあるかと思いますが、この「次回は来月」というスピード感は、やり方次第で「じゃあ、明日打ち合わせましょう」とか「今電話で話しちゃいましょう」というところまで持っていける類のものだと思います。

もちろん、今の”働き方改革”と言われる規制や圧力の中ででも、十分できる改革です。

働き方改革の余波で選択肢が少なくて申し訳ありません」なんて弁明する必要もありません。

 

会議に参加する人が少なくて済む、というのは作業量削減だけではなく、物事の推進スピードの高速化というメリットもあるのです。

是非一度検討してみてください。

文化に与える、地形・気候・歴史のインパクト

こんにちは。

デンマークに行ってきました 

我が家では毎年夏には海外に出かけるようにしています。

外形的には休暇なのですが、仕事にも関連させて考えています。

今年は特に、色々仕事の環境が変わったこともあり、仕事に時間を割くべきなのでは?と通常なら考えるのでしょうが、もちろん僕はそうはしません。

仕事が忙しい中でも、立ち止まって諸々考える時間が欲しいと思う、というかむしろ、そうしたほうが仕事もうまくいくと考えるようにしてます。

あと、曲がりなりにも父親の役割を担う者としては、すでに中学生になっている子供たちがいつまで付き合ってくれるか分からない、というカウントダウン感もあったことも確かです。

で、今年はどこに行ったか、というと実は1週間ほどデンマークに行ってきました。

手がけている事業「Bridge to the Better」の取り組みの一環として、以前イベントを企画した時に初回のテーマとして選んだのがこのデンマークでした。

イベントは仕事と生活両面を取り扱ったもので、かなりの大盛況でした。

こちらのレポートに諸々背景なども書いてあります。

eitarokono.hatenablog.com

こんなイベントを主催しておきながら、実は現地に行ったことがなく。

企画の過程や、イベント当日に得た情報に刺激され、やはり現地に行ってみたい、という思いが募ってきたのがデンマークに行くことになった大きなきっかけです。(実は元々は別のプランでした)

僕の夏の旅行のスタイルはもしかしたらちょっと変わっているかもしれません。

飛び回って名だたる名所旧跡を訪ね歩く、という方法はとらないのです。

そうではなくて、一箇所に止まり、予定も決めずに現地に入り、近辺をぶらぶらしながらその範囲を広げていく、というスタイルをとります。

このスタイルに落ち着いたもともとの理由は、子供が小さい時から一緒に旅行していたため、頻繁な移動ができない、という制限があったところから始まっています。

あとは、特に僕が時差が苦手とか、プライベートまで緻密に計画を立てたくない、とか、まあ、どちらかというと消極的な理由から始まったこのスタイルですが、やってみると結果的に満足度が高いため、つい癖になってしまいました。

ですので、ツアーに参加したりはせず、移動手段と宿泊先だけを個別に確保して、あとは行くだけ。

細かい旅の計画は、日本の空港で行きの飛行機に搭乗してから検討が始まります。

 前置きが長くなりましたが、デンマークに行ってきたことを本稿のテーマに少し絡めて雑感を列挙したいと思います。(当然の事ながら、一部しかみていない個人的な独断と偏見と愛着に基づく!文字通り雑感ですので、悪しからず)

結論として、

全てにおいて非常にリアリスティックかつロジカルな国民性であり、無駄を排除しつつも過度な自称”効率化”や”高品質化”などもしないが故に、一人当たりGDP労働生産性、幸福度指数という一見トレードオフの要素を安定的に高く保っているのだな

という感想を持ちました。

SASスカンジナビア航空で往復しました

社会人駆け出しの頃、いろんなビジネス書を読み漁ったのですが、もっとも衝撃を受けた書籍の一つがこれでした。

真実の瞬間―SAS(スカンジナビア航空)のサービス戦略はなぜ成功したか

当時の僕にとっては、SASの社長でありこの著書の著者でもあるヤン・カールソンはヒーローの一人でした。

のちに学んだビジネススクールでケースの題材としても扱われていて、現在はそのケースは刷新されたものの、同じリーダーシップのコースを講師として担当しています。

なので、縁を感じまして。

成田からコペンハーゲンまでのダイレクトはおそらくこれだけだったので料金は他よりも高かったですが、サービスも含め満足度は高かったです。

ここでも過剰サービスはなく、定時運行で、快適な時間を過ごしました。

 ②自転車王国でした

噂には聞いてましたが、自転車が通勤通学を中心に定着してる感じがしました。

道路脇には必ずと行っていいほど自転車道が整備してあり、そこには歩行者も自動車も入らない工夫がしてました。

で、気が付いたこととしては、電動自転車が皆無だったこと。

なんでだろう?と滞在の前半に観察していたら、見えてきました。大きく原因仮説は2つ。

1)平地ばっかり。2)湿気が少ない。

もし、夏の東京で自転車で通勤したら、会社着く頃には、用水路に落ちた時のような汗だくのおじさんが出来上がってるでしょう。

さらに最近では熱中症にもなりかねません。命の危険を犯してまで地球温暖化対策に走るのは判断軸が間違ってますからね。

そこへ行くと、コペンハーゲンは、30度を下回ることが多く湿度も20%とか。

そして東京だと島国の海辺に位置し、地名も”谷”とか”山”とか”台”とか、いかにも起伏の激しい地形なのですが、広大なユーラシア大陸の一角を占めるこの国は元来平地が多いのではないかと。あまり起伏を感じないわけです。

だから自転車前提の交通網を設計できるわけだ。その結果渋滞もないし、電動自転車もニーズがそれほど高くない。

電車の中にも自転車抱えて乗りこむことが普通に想定されていて、車両の中に自転車専用エリアが準備されてます。エレベータもその前提なので縦長に設計されてる感じがしました。

そして、コペンハーゲン中央駅には、東京駅では考えられないくらい自転車置き場がありました。

ここで感じたのはいくらデンマークが「エコな社会」成功事例だからと言って、地形や気候、インフラを無視して強引に日本にモデルを持ち込むと、熱中症増加とか放置自転車の増加なんかを招く可能性もありこれまた結構な社会的コストを生んでしまうんじゃないかな、という発見がありました。

③夏の日光は重要

滞在の前半は曇りや雨が多かったのですが、後半はカラッと晴れたいい天気でした。

これも、かなりの偏見ですが、30度を越えると上半身裸の男性が現れ始めます。年齢問わず。

河原には人が大量に溢れ、集団で横たわって日光浴をしてますし、海岸はかなりの人で賑わってました。

日本で生まれ育った僕の感覚では、30度そこそこで脱がなくても、そんなに暑くないのに、と思い不思議に思ってました。

どうやら日本との違いは、暑さ故脱ぐのではなく、日光を取り込むために脱いでいるように見えます。

夏の一時期訪れただけなのでなんとも言えませんが、モノの本によると、夏の間に日光を取り込まないとそれ以外の季節があまり日照時間が多くないが故に、ビタミンDが不足して健康への影響があると言われているそうです。

日本だと避けようとする傾向の強い日光ですが、逆の発想もあるんですね。

そういえば日差しが強くても、サングラスは見かけたけど日傘は見なかった。

④サービスは必要最小限に

コペンハーゲンカードというフリーパスを使い倒したのですが、それを活用して電車は全ての移動で使いました。

ドアは、ほぼ全て乗りたいときは外側からボタンを押して開ける方式でした。日本だと北国によくあるタイプの車両ですね。

また駅員はホームには殆どいないし、駅のホームの放送や車内放送もかなり少なかったです。

人口密集が東京ほど進んでいないのか、自転車通勤などで分散できているのか東京の通勤ラッシュのような状況はなさそうです。(夏のバケーション期間だったのかな?)

だからなのか、駅員さんによる誘導や乗車補助、ホームの安全対策が必要ないのですかね。

多少遅れようが、「お待たせして申し訳ありません」というアナウンスがある訳でもなし。(個人的には山手線で「2分遅れ」で気なったことはあまりないです)

「進行方向向かって右側のドア」が開くかどうかのアナウンスもありませんでした。(右か左か分かってないと、降りられないほど混んでいる訳でもないから必要ないか)

この鉄道に乗るたびに、それほど高い期待値を持たないことが、満足度を上げる秘訣なんじゃないか、とだんだん思い始めました。

デンマーク贔屓になっていき、文字通り”贔屓目”は免れませんが、非常に合理的なシステムだなあ、と思った次第です。

⑤一度もキャッシュを使わずじまい

噂には聞いてましたが、かなり進んだキャッシュレス社会でした。

結局滞在して戻るまで、一切現金に触れず。これはすごいな、と思ったのですがコペンハーゲンだけではなく、今では世界中で当たり前なのですかね。

(海外に行く頻度が少ないため最新状況がわからないので、最近どこか海外に行かれた人、どなたか教えてください。)

その面で、滞在中一番びっくりしたのはトイレ。

鉄道駅だと、ところどころに安全上の理由からか有料トイレがありました。が、なんと入場時に全てカード決済方式でした。

クレジットカード持っていないとトイレ我慢しないといけないんです。

トイレ的に「緊急事態」だと、冷静に暗証番号打てなくて、その場で「崩壊」しかねないなあと思いました。

とは言え、キャッシュレスについては日本でも導入してもそれほど副作用はないんじゃないかな、と思いました。

経済を健全化する意味もありますしね。

⑥レジ袋有料の徹底ぶり

スーパーにはなんども足を運びました。コンビニが日本ほど多くはないから、ということもありまして。

その時に一番驚いたのが、前提としてレジ袋がないこと。これ徹底してました。というか習慣化されてました。

これも噂には聞いてましたが「要りますか?」ぐらいは聞かれるのかと思ってました。

なので、財布一つでふらっと買い物に行って、日本の感覚で買い物をしてカード決済をしたあと、両手では抱えきれない今しがた自分のモノになったばかりの元商品たちを目の前に、愕然とするすること幾たびか。

「”タダで”もらえる」と思っているものを購入することに抵抗があるため、意地でもポケットと両手を駆使して、抱えて帰る、という愚行を晒しました。

3度目くらいにはリュックなどの入れ物を持っていく、という知恵をつけましたけどね。

これにとどまらず、環境負荷の高いものについては、高い値段をつけるという経済が回っているように思います。

例えば、ティッシュやオムツの類が高いな、と感じたのとか、冷えたペットボトルと常温のベットボトルの価格差がすごい、など。

⑦英語はほぼ完全に通じる。けど・・・

英語はどんなところでも通じましたね。

英語圏に来たかのような感覚でした。

ただ、英語が完全に通じることは、現地語は知らなくていい、ということではないな、とは思いました。

中国行った時は英語は通じなかったけど、字である程度類推できることが多かったです。イタリアやスペインは、音や文字で英語やフランス語の知識から類推できるものがあったのですが、デンマーク語はこれまで僕が学んだ言葉とは距離がありすぎました。

結局、Yes / Noとか1、2、3という基本的なデンマーク語すらわからないまま帰ってきちゃいました。

カールスバーグ

特にビール好きの僕は、最初からカールズバーグを楽しみにしていました。

ついたその日に本社工場見学に行ったくらいです。(見学コースが工事中で閉まってましたが)

昼夜合わせて何リットル飲んだことか。

ところでカールスバーグって世界第4位のビール会社なんですね。

人口と面積を考えると日本の都道府県では千葉県に一番近いかな、と思うのですが(グリーンランドはカウントせず)、そこだけだと市場はだいぶ小さいので、生き残ろうと思うともともと国外に打って出るしかないわけです。

そういう宿命を持った企業は強いなあ、と思いました。

それほどこの会社に詳しいわけではないので、憶測の域は出ませんが、シンプルな味で基本を確実にやることで世界第4位のポジションを取っているんだろうと、何杯も飲みながら感じました。

あと、キャッチコピーも良いですね。「Probably the Best Beer in the World」だって。多分同意。

⑨北欧デザインの国はダテじゃない

デザインミュージアムにも行ってきました。

自分にデザインの素養があるわけではないのですが、展示物を見るにつけ、少なくともデザインを非常に大切にしている国なんだな、というのは強く思いました。

色の感覚とか、日本を含むアジアとも、南のヨーロッパとも、アメリカともだいぶ違っています。

北欧の国旗が並んでるところで思ったのですが、国旗の色使いもカッコいい。でシンプルです。

地形・気候・歴史という現実

そして、Bridge to the Betterでデンマークイベントをやった時も、たどり着けそうでたどり着けなかった問いへの答えですが・・・

なんで、デンマークでは一人当たりGDP労働生産性、幸福度指数という一見矛盾した指標で高いレーティングを取れているのか。

考え続けた結果…

論理をベースに判断をしつつも、地形や気候、歴史的背景などの現実を踏まえた意思決定をすることが広く国民に習慣として根付いていること(すなわち文化となっているところ)がこの国をこうさせているんじゃないか、という思いに至りました。

つまり、今のところの答えの仮説は、この国の徹底した「現実的な合理性」にあるんじゃないか、と。

「現実的な合理性」って、結構僕が好きな響きです。今まで思ってたことを結構説明できる。

要は合理性って理想を目指すと、現実と合わなすぎてうまく行かないです。とはいえ、あまりに現実ばかりに寄り過ぎると論理を欠いた感覚に基づく意思決定になっちゃう。

この言葉が見つかったのが今回の視察の最大の収穫かな、って思いました。

皆さんはどんな休暇を過ごされるのでしょうか? 

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プレッシャーはあるけどストレスはない

こんにちは。

独立してどうですか?

最近色々な会合などで、よく聞かれることが「独立していかがですか?」という質問です。

書類上は5月末、実質3月末から大資本を離れ、個人の会社やスタートアップを中心に仕事をするようになりました。

いわゆるサラリーマンを離れて、どうですか?という意味の質問です。

忙しくなった、暇になった、長く働くようになった、働かなくなった、お金が入るようになった、入らなくなった、そういう範囲での回答を期待されているのだろうな、とは思います。

ただ、あんまりどれもピッタリ来ないのです。

スタートアップに関与しているわけだから、時間的にはかなりタフになりました。

自分の責任で仕事をしているわけなので、自分さえ管理すれば仕事は進むという側面はあります。

意思決定は自分がするので、今までやれなかったことが自由にできます。

そういえば、大資本ではやろうと思ってもできなかった「出来高払い制の報酬体系のプロジェクト」というのも実施できています。

だからやりがいについてはかなり高まっています。

とはいえ、大資本で働いていた時のように、重厚なサポートはありません。

契約書は自分で作らないといけないですし、プリントアウトも一枚一枚がダイレクトにコストと感じられるため、なかなかプリンターボタンが押せません。

要するにいろんな要素がありつつ、シンプルな答えがなかなかできないなあ、という状況だった訳です。

プレッシャーはあるけど、ストレスはない

で、そんな中つい先日「これはピッタリだ!」と思える表現を見つけました。

それが

「プレッシャーはあるけど、ストレスはない」

というやつです。

これを聞いた、同じ境遇の方、すなわち長く”サラリーマン”をやっていて独立した人が心から同意してくれました。

やはり、明日仕事がなくなるかもしれない、というプレッシャーで眠れない日はあったりします。

一方で、どうしてもやりたくないことや、自分ではコントロールしきれないことまでやらなければならないという”ストレス”は一切ありません。

大資本にいた時には、お客さんの期待に答えたいけど、自分が納得できない理由で、期待に答えいることが出来ない、ということが一切無い訳です。

「大変だけど納得度は高い」という言い方もできるかも。

これはある意味幸せですね。

どうやら僕は相当程度、自由裁量を求める傾向が高いことが改めてわかりました。

まあ、一年経ったら全然違うことを言っているかもしれませんが、これが今時点での偽らざる心境です。

このまま体に気を受けつつ、一つ一つ納得できる営みを続けていき、大目標に近づいていければ、と思っています。

皆さんは今はどんな心境で仕事をしてますか?

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