「言うは易し、行うは難し」 西野監督や落合監督の意思決定

こんにちは。

ほとぼりが冷めてからだいぶ経った感があるのですが(ありますので!?)、先日のW杯ロシア大会における、サッカー日本代表ポーランド戦を見ていたときに思ったことについてコメントしてみます。

賛否両論のポーランド戦「最後の10分」

状況としては、ご存知の通り、”格上”のポーランドに対して負け試合ながら一点差を保っている中で、同時進行中のセネガルがコロンビアにそのままのスコアで負ければ、日本が決勝に進める、というものでした。

そこで当時サッカー日本代表チームを任されていた西野監督の下した判断は、これ以上強豪のポーランドを刺激することなく、このままのスコアで試合を終えるために時間までパス回しをし続ける、というものでした。

賛否両論あったと思いますが、評価がどう固まったかは存じ上げません。

そのときに、僕が思い浮かべたのが「確率論」というやつです。

おそらく、試合前から、いろんなケースでの場合わけをしてアクションを決めていたのだと思います。

同じく決勝進出のかかったコロンビアが点差を守り勝ちきる確率と、強豪ポーランドを刺激して2点差以上で負けてしまう確率などを勘案したのでしょう。

ここで、絶対にぶれなかったのが何を目的にこの試合をやっているか、という軸足だと思います。すなわち「決勝進出」という目的に対する合理性。

もちろん、どの程度かまでは予測できなかったかもしれませんが「世間からの批判」というリスクも検討していたとは思いますが、あくまでも「決勝トーナメント進出」が目的なのです。

僕個人は、西野監督の意思決定を尊重しましたし、すごいリスクテイカーだな、尊敬の念を強くしました。

こんなこと言ってますが、自分が実際そのような状況で同じ決断ができるか、というとやるんでしょうが、辛いだろうな、と思ったりします。

例の、幻の完全試合

この光景を見ながら、思い浮かべるシーンがありました。

同じくプロスポーツの世界ですが、2007年プロ野球日本シリーズで悲願の優勝がかかった中日ドラゴンズ落合監督が、8回まで完全試合をしている山井投手を下げ岩瀬投手に9回を任せた試合です。

結果は1対0で中日ドラゴンズが優勝を果たしました。

2007年日本シリーズにおける完全試合目前の継投 - Wikipedia

当時のこと、すごく思い出します。

こんな意思決定できるのか、と。徹底的に目標にこだわった確率論での意思決定でした。ノーヒットノーランじゃなくて、完全試合ですよ…

8回を投げて来た山井投手と、鉄腕と言われる岩瀬投手のどちらが1点差を守りきる可能性が高いか。

冷静な今なら当然確率的には岩瀬投手です。でもあの試合の盛り上がりの中、完全試合を達成して日本シリーズ勝利、という偉業を夢見るのが人間です。

しかし、落合監督の意思決定は違ってました。それも、状況的に試合前にシミュレーションしていたとは思えません。

これこそ「悲願の日本一」という目標にを達成できる可能性がどちらが高いか、という目的合理性を徹底的に追求した、究極の姿だと思うのです。

そこには「華々しく玉砕する」とか「男気(なるもの)を見せられれば後悔などしない」と言った、日本の組織が過去やってきてしまった、論理を超えた謎の意思決定というものが存在しません。

すなわち、ロシアW杯のケースでいえば

「決勝トーナメントに進む」

に相当する

「53年ぶりに日本一になる」

という「目的」に対する究極の合理性追求があったわけです。

これは、強烈なインパクトを僕に残してそのあとの学びとなりました。

「ヒリヒリする意思決定ってこういうことなのね」って。

実は当時、この中日ドラゴンズの日本一が決まった試合の翌日、自分の会社の専務とお客さんの社長さんの3人で別件でミーティングをしたのですが、この話題になりました。

そして3人とも「あの意思決定ができるかどうかは分からない」という見解で一致しました。

また、あの”名将”野村克也監督のコメントも「俺にはできない」というものでした。

それ以来、企業経営者として多くの意思決定をしている人に対して、尊敬の念を抱かずにいられなくなりました。

また自分が重要な決定をするときには、いつも頭の隅にあの「完全試合」を思い浮かべるようになりました。

「目的合理性」へのこだわりです。

皆さんは、こういうことってありませんか?

 

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