忠臣蔵と学問のすゝめ 〜「47人で玉砕」は日本の組織文化か?〜

こんにちは。

今はお盆の季節です。

先祖に思いを馳せながら感謝の念をささげるこの習慣は、僕はすごく意義を感じています。

ふるさとに戻って親しい人と会ったり、お墓参りをしたり仏壇にお経をあげたりすることは、宗教的な儀式以上に、日頃の”精神的な”疲れを癒す良い機会であるのと同時に、温故知新というように、過去を振り返り今に活かす思考を巡らす良い機会だとおもうからです。

赤穂浪士の考えを”正した”福澤諭吉

そんな流れで、ちょっとだけ史実や古典の話を思い浮かべました。

忠臣蔵」で描かれた仇討ちの物語は有名です。今でも毎年12月14日になるとなにかしら映画やドラマなどが放送されています。日本人の好む構図がそこにあるからでしょう。

明治の頃も同じように日本人の間ではこの物語は人気を得ていたようです。平成の現代から見れば300年以上昔のこの物語も、当時は150年ちょっと前という距離感です。時間の流れを勘案すればさらに親近感はさらにあったはず。

それに対して明治の初頭、福澤諭吉はその著書「学問のすすめ」の中で、真っ向からこの出来事をこき下ろします。

主旨はこんな感じです。

  • 暴力に対して暴力で訴える仇討ちというのは、最低の手段だ。
  • 本来赤穂の浪士たちが主張したかったことは「吉良上野介浅野内匠頭の”けんか”が両成敗であるべきなのに、裁判も行われず吉良に一切のお咎め無しであったことを正すこと」だったはず。
  • であれば、死ぬ覚悟ができているので47人、これを目的にあわせて有効活用するべき。
  • 吉良一人を殺して47人が玉砕するのではなく、47人が1人ずつ順番に幕府に訴えればよいのだ。
  • 1人目はダメでも、2人目、3人目と続ければ、江戸幕府もバカではない。訴えを聞き入れ、裁判を行い、吉良側に何らかのお達しを出すだろう

この論には当時もかなり炎上したらしく、福澤諭吉はこれらがもとで一生刺客から付け狙われたという話も残っているようです。

現代の”忠臣”たち。本来はどうすべきか

さて、これ、本ブログのテーマであるホワイトカラーの生産性向上という視点で考えてみましょう。

47人の赤穂浪士の行動の原点には、

「どうせお上は聞き入れてくれないから武力に訴え玉砕するしか無いのだ」という前提が見え隠れします。論理性を飛び越えて感情的に判断しているとも言えます。

当時の情勢がどうであったかは置いといて、冷徹に目的合理性を追求すると福澤諭吉の論点のようになるはずです。

これ、日本の今の意思決定に共通するところはありませんか?

「どうせ言っても経営層は動かない。自分たち現場が頑張るしかない」

「○○部長の言ったこと、オレは間違ってると思うけど、ここは『大人になって』言われた通りやるしかない」

などと、感傷的になってしまい、本来やるべき交渉をしないで現場でながーく働き続けたり、納得いかないままフラストレーションを抱えて文句を垂れながらも気に入らない環境で辞めもせず所属し続けたり。

本来言うべきことを言わない、やらないことを「大人になる」「現実を見る」という表現でごまかしてしまったり。

もちろん、福澤諭吉が刺客から付け狙われるのと同じように、正論を吐くにはリスクがともなうため、勇気や努力、工夫が要ります。

しかしながらそのようなリスクを取ってきた先人がいるから今があり、そのようなリスクを取るために我々が現在存在しているんじゃないかな、仕事の面白さって、そういうところにあるんじゃないかな、と思うことがあります。

皆さんはどうお感じになりますか?

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