こんにちは。
『現代語訳 学問のすすめ』への反応
『現代語訳 学問のすすめ』を出版して一ヶ月がたちました。
本作に限らず本を出して学んだことに、読者の方からの反応って発見や学ぶことが多い、というものがあります。
「こういう表現をすると、世の中の常識としてはそのように解釈されるのか」とか「自分の伝えたかったことが伝わっている!」というものから、自分が想定していた以上の反応をいただき、自分が書いた文章にもかかわらず「そんなに深い学びがあるのかー」とか「意外にいいこと言ってるんだなー」という感想をもつこともあります。
今回の著作についてもイベントの場などで直接コメントいただく感想以外にも、ブログや書評などでコメントいただいていたりします。
「現代語訳学問のすすめ」著者の河野英太郎さんの話を聞いて感じたこと - たっけのメモ
とか、
などなど。
大変うれしいです。引き続きみなさん、よろしくお願いします。
まさか...福澤諭吉がこんなこと言ってる?
そんな中、今回の企画ならではという反応もありました。
動画 | 本の動画投稿コミュニティサイト「本TUBE」
こちらでインタビューしてくださった中村さんのコメントにもあるように、これまで「学問のすすめ」を呼んだことがない方で、そのタイトルや醸し出す雰囲気から一般に想像される内容と実際に書かれている内容のギャップからか
「本当にこれ、福澤諭吉が言っているんですか?」
という反応です。
言ってるんです!
たとえば、先のインタビューの中でも話題になっている「9編 お金のためだけに働かない」に出てくる「アリンコ」という表現についてですが僕は以下のように翻訳しました。
こうして細く長く生きながらえることに注力して、一軒の家を守っている人がいたとします。この人は「自分は独立して生計を立てている」と誇らしげに言いますが、それは大いなる勘違いで、このレベルでは、せいぜい駆け出しのアリンコ程度に過ぎません。一生頑張っても、アリンコの生涯の業績にに並ぶことはできないでしょう。
実際には原典では次のように書かれています。
とにもかくにも一軒の家を守る者あれば、みずから独立の活計を得たりとて得意の色をなし、世の人もこれを目して不覊独立の人物と言い、過分の働きをなしたる手柄もののように称すれども、その実は大なる間違いならずや。この人はただ蟻の門人と言うべきのみ。生涯の事業は蟻の右に出ずるを得ず。
これなど、あまりに身近な表現だったためか、原典をご存じない方には翻訳著者である僕の創作だとおもわれている節があります。
1万円札のまじめな表情からは「アリンコ」とういう表現とはつながらないでしょうね。
なので、広告を出稿した時にも「超訳」という表現が使われてしまったこともありました。
超訳とは、”超訳者”の独自解釈がはいったり、大幅に内容を削ぎ落とした部分訳のことをさすことが多いのですが、今回の『現代語訳 学問のすすめ』逐語訳です。
分かりやすく表現を変えた部分はたくさん(というかほぼ全部)あっても、要素を削除したり独自解釈を加えた部分はありません。
現代人の僕が独自に創りだした、そう見えてしまうほど分かりやすく訳したためこのような反応になってしまったわけですね!!
他にも、「こんなことは3歳の子供でも分かる」とか、「やりたければ、勝手に1人でやっていればいい」「こういうことをいうのは小者でしょう」などと結構からくちな面白い表現を多用しています。
これも全て、僕の創作ではなく実際に原典で福澤諭吉が言っている表現を現代語に訳したものなのです。
福澤諭吉の感情も現代に蘇らせる
原典の表現や従来の”現代語訳”では、今の時代の人たちに伝わりにくかった福澤諭吉の感情面もこのように表現することで伝わるようになっています。
原典の出版当時にはおそらくそれまでの古文的な表現からはかなり画期的に新しい表現だったはずで、であるが故に当時の人口の10人に1人が手に取ったといわれるほど出回ったのだと思います。
それを今の基準でよみがえらせる、というのは大変有意義な仕事でした。
是非一度手に取ってみて頂きたいです。