心的外傷後成長( PTG )〜修羅場体験?

こんにちは。

今週はIBMから有給休暇を取得して場所を移動し、仕事に関連して諸々勉強したり計画したりする時間に当てています。

PTG(Post Traumatic Growth)

今後の出版の作業をする中で僕にとっては新しい言葉を学びました。

PTG(Post Traumatic Growth)心的外傷後成長、という言葉です。

これまで似た響きの言葉でPTSD(Post Traumatic Stress Disorder)心的外傷後ストレス障害は聞いたことがありました。

心の問題を取り扱う業界の言葉なので、素人の僕が余計な解釈を入れるのはちょっと配慮が必要な世界なのですが、以下のように理解しました。

メンタル面で大きな影響を受ける出来事を経験した後の大きな成長(Growth)のこと、です。

自分のキャリアを振り返ってみても、確かに苦しかった時とか辛い思いをした時が成長した感覚はあります。また、もう少し範囲を広げて過ごしてきた時間全体を見渡しても、辛いことを経験すると大きく成長するのだろうな、というのは実感として理解できます。

「トラウマになる」ほどですので、できれば経験したくない出来事なのですが、もし乗り越えた場合には成長しているという側面もあるのだ、という事ですね。

であるがゆえに、企業でも研修や配属の中で「修羅場体験」をある程度肯定的に捉えている組織も多いのだろうなあ、という連想をしました。

この先は「組織主導の」修羅場体験の話

ただ、僕としては、なんかこの組織主導の「修羅場体験」をすべて肯定することに違和感があったので、なんでだろうな、と少し考えてみました。

というのはすべての「修羅場体験」が成功するわけではないような気がしていて、万が一失敗した場合、それこそPTSDとして取り返しのつかないことになりかねないな、という懸念がどうしても抜けません。

場合によっては安易な、または身勝手な「修羅場体験をさせる」という行動が、とんでもない事故を生むことはないか、と思うのです。

それを防ぐにはおそらく、3つほど条件が揃っている必要があるのだろうなと思います。

  1. 本人が納得(できれば希望)したものであること。
    その修羅場体験には本人の納得度が絶対条件なんだろうな、と思うのです。ここは最も意見が分かれるところだとも思いますが、修羅場を強制しかねないところが伝統的に日本の組織の一番危ないところだと思っています。
  2. 論理的に説明できる目的合理性があること。
    得てして修羅場は催眠術にかかったような精神状態になることもあるため、一見本人が「頑張る」と言っていたとしても、客観的にみて異様な修羅場はあまり意味のないものだったりします。
  3. 撤退の自由が本人にあること。
    「お前が望んだんだ、最後までやりきれ」というのは、掛け声としてはあり得ますが、強制になったら逆効果です。あくまでも本人が望み続けた場合だけにやりきる意味があるはずです。

 これらの条件さえ整っていれば、修羅場体験は有効に機能し、PTGに近い超回復が期待できるのではないか、と思います。

皆さんはどう考えますか?

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