上意下達(ってなんて読むの?)ってヒトから学ぶ機会を減らしてないか? 

こんにちは。

”上意下達組織”

上位下達って言葉ご存知でしょうか?

未だに正式にはなんて読むか分からないし特に分かりたくもないのですが、上からの命令を無理矢理聞かせる組織文化や、逆にそれを言い訳に、上司に責任を丸投げする組織文化または、そういうシステムのことを指すんだと思っています。

そして少なからず日本においては、このなんて読むか分からない上意下達型の組織がまだ残っています。

基本的には僕はこの組織文化をネガティブにとらえています。

なんでかというと、個人の能力を十分に発揮できないからです。

機能するかどうかというと、機能するとは思っています。

ただし有効に機能するためには上司に当たるヒトが絶対に正しいという前提か、部下に当たるヒトがあまり訓練されていないとか情報量が圧倒的に少ないなどのハンデを背負っている場合に限られていると思います。

今の組織って、なかなかそういうことって無いですよね?

特に最近は、テクノロジーの移り変わりが激しいため、世の中の景色が一瞬でかわってしまいます。

変わることに対しては、若い人の方が情報収集能力や対応能力が高いため、一般に若い人の方が部下になることの多い日本の組織では、この面で逆転現象が起こります。

じゃあ上司部下を逆転すればいいか、というとやっぱりまだ仕事においては感情のコントロールとか、ネットワーク、問題解決など経験が活きてくる能力が必要とされます。

ですから、流石にそれも難しい。

上意下達からの解放

じゃあ、どうすれば良いか。

単純に、先輩や上司が自分たちが「絶対に正しい」「正しくなければならない」という意識を捨て、後輩や部下が「先輩が決めてくれるだろう」「指示を待っていれば良いだろう」という意識を捨てれば良いのです。

その方がお互いそうとう気楽です。ストレスがかなり軽減される。

先輩や上司から、分からないことを聞いたり、意見を聞いたりすればいい。最後の責任を取りさえすれば堂々と聞いて良いはずです。その方が情報も集まってくるし、自分の足りないところがドンドン補完される。

僕なんかも、年齢や立場が上の人から質問されたり相談されたりすれば嬉しいから役に立とうとします。「上司のくせに」とか「先輩なのに」なんて微塵も思わない。むしろそれでもついて行きたいと思えるヒトなら尊敬の対象です。

後輩や部下に当たるヒト達に教えを請うことは日常です。

教えてくれるヒトは、先輩や上司だけじゃないのです。

最近、リバースメンタリングという言葉を聞きます。これも一つの例でしょう。

「リバースメンタリング」とは? - 『日本の人事部』

上意下達の組織文化を維持していると、単純計算で組織の半分のヒトから学ぶ機会をうしなっていることになります。

極端に言えば、成長の機会を半分逃しているんじゃないでしょうか。

 皆さんはどう思われますか?

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