こんにちは。
慌ただしくも、充実した1週間
今週は、レポート採点とか書籍の発売とか、その他諸々なんだかんだで仕事のハイライトが続きました。
その分非常に充実した時間を過ごすことができたわけですが、ランチも毎日のようにいろんな人たちとご一緒しました。
ランチはいいですね。長くなりすぎず、お酒も入らないので、記憶・体力・時間・おサイフ面それぞれで効率的です。(お酒が入った夜の宴も大好きですが!)
で、ある日のランチは、『超訳 モンテーニュ 中庸の教え』の著者(訳者?)の大竹さんとご一緒しました。
良いタイミングなので、今日はこの書籍の読後感を。
どんな人が書いたか?
原著は、エセーまたは随想録として世界史の教科書に載っているのでキーワードとしては多くの人が聞いたことがあるとは思います。
16世紀後半にフランスで出版された、タイトルが表す通りのいわゆる随筆です。
この原著を書いた人は、ミシェル・ド・モンテーニュという人で、ミシェル・ド・モンテーニュというところの人です。名前と居住地名が同じ、ってところからもわかるように、地元の名士だったとのこと。
もう少し言えば、地方自治の首長に相当する方だったようです。当時のヨーロッパは宗教的にも荒れた時代だったのですが、彼はバランス感覚に優れた政治家だったようです。
そんな彼が最前線から少し引いた時に城館にこもって書き残したものということです。
なんとあのパスカルや、ラ・ロシュフコー、デカルト、さらにはニーチェなど名だたる哲学者も尊敬している人だと。
フランスのミッテラン大統領の公式肖像の手に持たれたのもこの随想録だそうです。リンク的には多分これ。
内容は多岐にわたり、日本語版は岩波文庫だと確か6冊の大部です。
学生時代は文学部だったので、この書籍を扱った講義を取った記憶がありますが、四半世紀の時が経ってしまっていて、正直講義内容は記憶がありません・・・
モンテーニュは日本で言えば誰だろう?というお話を、著者の大竹さんとしたのですが、僕にとって「バランス感覚に優れた政治家」というのは後藤田正晴さんのイメージが強いので、僕は勝手にそのようにイメージしてみました。
後藤田さんがもしこのようなエッセーを書かれたら同じように多くの人に読まれたのではないだろうか、なんて妄想も。
そして、もう一方の著者、翻訳をした大竹稽(けい)さんは、愛知県出身の僕と同世代の方。
以前、とあるパーティで初めてお会いしてお話しする機会をいただきました。
愛知県名古屋市の名門、旭丘高校から東京大学理科三類(そう、あの理Ⅲです)に入学され・・・たのに退学して、色々あって同じく東大の哲学研究科で改めて学びなおされた、という異色の経歴の方です。
子供の教育にもかなり尽力されているため、作文教室などでもお世話になった保護者の方も多いかと思います。
どんな内容か
書籍自体の内容的には、当然読んでいただくのが良いのですが、僕が読み取ったモンテーニュのメッセージとしては、
頑張る必要もないがサボることを進めるわけでもなく、名声は求めるものではなく、とは言え、物事に真摯に向かうことで後からついてくるもんなんだ
というようなトーンでした。
つい、功名心とか自己顕示欲、外発動機に左右されがちな僕に取っては、「まあ、待てよ。そんなに焦って、どうするの?」と450年近い時代を経た人から言われているような気がする内容ばかりでした。
まさに「中庸の教え」。
同じようなことで悩んでいる人がいれば、ぜひ手に取っていただきたい一冊です。
そして、この本の最も特筆すべきところは、大竹さんによる現代人にも分かりやすい翻訳(超訳)です。
現代日本人である我々にとってこの随想録自体は「450年前の」「フランスの」「難しい」本という印象は拭えません。実際に岩波の書籍もそれほど読みやすい文体ではないというのが僕の感覚です。しかし、大竹さんはまるで、モンテーニュが現代の人で、それも日常会話に近いような親近感あふれる語り口で話しているような表現に作り変えてくださっています。
僕も以前、福澤諭吉の「学問のすすめ」を中学生にもわかるような表現で翻訳をしたことがあります。
本来、もっと身近な書物が、その翻訳が難しいために一部のインテリ層だけのものになってしまっている、という問題意識が共通しています。
まるで、中世ヨーロッパで聖書を中心とする書物が全てラテン語で書かれてしまい、一部の読書階級だけのものになってしまっていたのとよく似ています。
それを、なんとかしたいね、という考えで認識が一致したのは非常に印象深いです。
この「超訳 モンテーニュ 中庸の教え」が、モンテーニュへの扉を開き、原書なり、全訳なりへの橋渡しになれば良い、と。
僕も同じ考えです。「学問のすゝめ」はもっと多くの日本人に読まれるべきであり、そのための橋渡しに「現代語訳 学問のすすめ」がなっていけるといいなあ、と思うのです。