こんにちは
大学院時代の卒業生が集まって、戦後70周年談話に関連して議論する機会がありました。
インド、韓国、中国、フィリピン、日本、イタリア、アメリカ、オーストラリア、メキシコという9カ国の出身者からなる約30人のメンバーで議論しました。
このメンバーで戦後70周年談話について議論するとどんなことになるのだろうか、と一抹の不安は覚えつつ参加しましたが、取り越し苦労でした。
もともと同窓である上に、相手を批判しない、結論を出そうとしない、自分の考え固執しすぎない、というシンプルなルールを作ったことで、感情的な議論になることが避けられました。
さて、議論の中で印象に残った視点を幾つか。
(同じグループに韓国出身のメンバーがいたため主に韓国と日本の対比になりました。)
日本の終戦記念日は韓国の独立記念日
8月15日といえば、日本では象徴的な日であり、ほとんどの地域でお盆に重なることもあり神妙に想いを巡らす日になっています。
一方で、考えてみれば当たり前ですが同じ日は韓国に取っては独立を正式に勝ち取った日となり祝うべき日になります。
同じイベントでも立場が変われば意味も変わるのだ、ということが改めて認識されました。
韓国では常時臨戦態勢
これも言われれば当たり前ですが、朝鮮半島は南北に分かれて、両者で平和条約が締結されていないため南北は戦争状態にあると解釈されます。
ピョンヤンとソウルが近いこともあり、いつ何が起こってもおかしくないというのが戦争に対する韓国人の考え方で、ミリタリーサービスに従事しなければならないことも理屈では自然なことのようです。
そもそも戦争とは防衛である
韓国はその地政学上の位置は何千年もの間、中国やロシア、USや日本など大きなパワーに囲まれていて自分たちから攻め入ることは基本的には考えにくく、防衛である、という認識でした。
ですから、日本の自衛隊がSelf Defence Forceだといくら説明されても、戦争=Defenceの考えからするとやはり自衛隊は軍隊だと見えるわけです。
板門店を知らない人
板門店(Panmunjeom)とは何か、という質問がでました。質問したのはさすがに韓国人や日本人ではありませんでしたが、そのときは世界には「板門店を知らない人もいるのだ」ということを改めて認識しました。
我々に取っては当たり前に知っていることも、世界には知らない人もいるわけです。
ということは逆も然りでしょう。その地域の当事者には当たり前のように知られていて、世の中に知らない人がいるなんて考えられないようなことを自分は知らないのかもしれない、ということです。
ビジネスにおいては、不十分かもしれない情報で最善の判断をする、というのがリーダーの仕事ではありますが、最低限知っていなければならない情報も一方ではあるのです。
相手についてコメントする時は最低限のことは知っておく必要がありますね。
日本が世界に「貢献」できること
今後日本が世界に貢献できること、という議論をしたのですが、そもそも日本が世界に何か施しをする、という考え方が間違っているという意見が日本人以外のメンバーから出ました。
もはや日本は”周辺諸国”のあこがれの国ではなく、分け与えてもらいたいとは誰もおもっていない、と。上から目線の考え方だ、と。
なるほど。
僕たちが子供の頃、日本の小さな面積の土地全ての金額でアメリカの広大な土地が買える、ジャパンアズナンバーワンだと言われて育ってきたけど最近はそれも過去の話らしい。
そんな気はしてたけど、改めてはっきり言われたわけです。
じゃあどうするか
もちろん議論はそこでは終わらず、じゃあどうすれば良いか、という話になりました。
何かをしてあげる、という代わりに、我々が変わった、またはこんな改善をしていくということを示すことこそが貢献なのではないか、という話になりました。
超少子高齢化社会の課題解決、教育の改革、グリーン技術の追求etc.
身近な問題を解決することが世界への貢献にもなると位置づけられれば僕たち個人も更に意欲はわきますよね。
グローバルな視点って英語をしゃべることや海外で働くことだけを指すわけではない、とはよく言われることですが、今回のイベントはそれを実感するよい機会になりました。
まずは、こういう機会を作ってくれた人や運営してくれた人たちに感謝ですね。そしてこういう機会に積極的にふれて行きたいとも感じました。
皆さんはどうお感じなりますか。