先週のエントリーはBridge to the Betterの方に書いたので、こちらリンクを貼ります!
ご覧くださいませ。
こんにちは。
前回は、このタイミングでIBMを離れることをご報告しました。
日頃考えていたことを整理して、IBMの良さを振り返る貴重な機会でした。
さて、今後ですが、時間をかけて準備してきたことを具体的に実行します。
大きくは、2つです。
①スタートアップに深く関与します。
②自分の会社を使った活動を本格化します。
①スタートアップに深く関与します。
どちらも、自分が目指す”ホワイトカラーの生産性向上に貢献する”というキャリア目標に合致していて、やりがいを感じられる仕事という観点で決めました。
まず、①について。
具体的な社名については、近いうちに会社から発表する形になると思います。改めてその時にお知らせします。
決める過程でも、多くの素晴らしい出会いがあり、その度ごとに学ぶところが大きかったのが想定外の収穫でした。
45歳という年齢になっても、動いてみれば世の中には本当に様々な機会に溢れているのだと改めて実感しました。
もし迷っている人がいたら、境界線を自分で作らないで、まずは越境してみてはいかがでしょうか。
で、のぞいてみた結果、戻るもよし、進むもよし。
たとえ戻ったとしても迷いを断ち切った上での決断なので、取り組み方も視野や視点も大きく異なったものになるでしょう。
少なくとも何もしないで悶々としていても次のステップには行きませんよね。
全ての機会が本当に魅力的に見えたのですが、その中でも特に、自分の時間を投じたいと思った縁に対して本気で関与することに決めました。
製品・サービスも、経営者も、共に働くメンバーも、投資家も僕にとっては贅沢なほど素晴らしいと感じています。
表立って活動します、といっても良いかもしれません。
もともとIBMの承認を得て、法人:株式会社Eight Arrowsを立ち上げて、IBM以外の仕事を一本に集約していたのですが、こちらの仕事を継続します。
もちろん、①のスタートアップの仕事を100%という選択肢もあるとは思うのですが、自分にとって両方やることの方が自然な気がしたのと、両方やることでどちらにも相乗効果があるという確信があったのです。
ですので、関係各所の理解を得つつ、大変かもしれませんがこのような形を選択しました。
具体的には、出版活動や講演・研修活動、グロービスへの登壇は従来通り続けていきます。
また、IBMを離れますので、従来は利益相反の可能性があったような領域も担当できるようになりました。
法人の組織をお客様として、人材開発や組織開発の支援を様々な形で実行していきます。
ちなみに、これまでのキャリアの中で、「コンサルタント」という名刺を持つことは多かったのですが、社会に出た時から「経営のコンサルタント」とは、「社長から直接相談される人」という定義が自分の中であったため、会社の看板で仕事をしているうちは、極力その肩書きを使わないようにしてきました。
”コンサルティング会社”に入っただけで「コンサル」という肩書きを前面に出す人が増えたことによって、世間に出来上がってしまったマイナスイメージがあったことも理由の一つです。(あくまでも僕の価値観ですけど。)
なので、例えば資料の中で僕の肩書きとして使われた時は修正しましたし、プロフィールにも使わなければいけない時以外は一切使いませんでした。
ある人の携帯の電話帳に「コンサル河野さん」と登録してあったものを、変えてください、とお願いして変更してもらったことさえあります。
ただ、最近実際に社長や経営者から直接相談を受けることが増え始めたため、その言葉に対する拒否反応が消え始めました。いずれ堂々と使える時が来るのかもしれません。
そのような経緯から、コンサルティング”的”な仕事もどんどんやっていきます。
人事部門を支援するソフトウェアカンパニーとも代理店契約したり、複数のコンサルティング会社と提携をして、規模の小ささを補っていきます。
他にも、以前この場でも紹介しましたが、有志とイベントなどを開催して世の中にメッセージを発信していければとも思っています。
こちらはまだビジネスとしての建て付けが十分ではないですが、焦らず継続していけたらと思います。こちらはこちらで楽しみです。
我が株式会社Eight Arrowsのスローガンは”Building Bridges to the Better”です。
今まで僕が四半世紀以上に渡って培ってきたネットワークや多領域にわたる経験を、社会に還元していきます。
と同時にその活動を通じて、さらに高いレベルでイノベーションを起こしていきたいと考えています。
是非、アイデアやお困りごとがありましたら、お声がけください。何らかお役に立てることがあるのではないかと思っています。
ご用命はこちらのサイトまで!
河野英太郎が代表を務める株式会社Eight Arrows' Site
これらの活動は、すでに大半は動き始めているのですが、正直いうと時間や体力的にはとんでもない負荷です。
ですが、気持ちは、あまりにも爽やかな感じです。
皆様には、引き続きのご縁を賜れますよう、お願い申し上げます。
こんにちは。
ここらでちょっとIBMのよいところについて整理したくなったので、改めて考えてみました。
ちなみに、毎週書いているこのブログ、日曜日の夜から月曜日の朝にかけて書くことが多いのですが、日曜日の午後、プールで泳いでいる時に内容について考えることが大半です。今回も25Mプールを往復しながら考えました。
IBMには都合15年以上所属しているので、色々素晴らしい経験もしましたし、悔しかったり腹が立ったりすることも多かったのですが、これはどこにいたって同じこと。
ただ、その経験を通じて本当に様々なことを学びました。レベルもまちまちですが、IBMのその特徴は、さっと整理すると大きく3つほど考えられると思います。
①教科書通りの組織運営
②文民統制
③(Valueのもとに集った)人
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IBMは100年以上続く老舗企業です。そして、IT産業というめまぐるしく変わる業界の中で、このポジションを継続している数少ない、というか唯一の企業だと言えます。
IBMの歴史=業界の歴史と言っても大きくは間違っていないと思います。
以前、年代ごとのIBMのライバルを整理したことがあるのですが、20年遡ると、もう存在すらしていない会社がほとんどです。
もしかしたら20年後、今のライバルたちも存在していないのかもしれません。(もちろん断言できませんけどね!)
この長生きの原点ともなる要素が、教科書通りの組織運営だと思うのです。
ただし、教科書を見て「あ、知ってる知ってる」というレベルではありません。とことん追求して実行するのです。そここそが差別化要素だったりします。
だから、片や先進の経営情報を仕入れておく。そしてもう一方でIBMの内部で落ちてくる指示や依頼、情報をみる。
そうすると、会社の意思が何で、どの理論に基づいて、何を目指しているかがはっきりわかるのです。
何度も何度も、何度もその経験をしました。
ですから、ほんのたまに、意味を全く理解せずに会社の指示だけおうむ返しのように伝達してくる管理職がいたのですが、そういう人に対して、意味を説明してあげることもできます。間違った指示も訂正してあげることができるのです。
このようにIBMは組織腐敗を防いでいるのだな、ということがよくわかりました。
よくIBMについてお話しする時、僕はIBMをローマ(帝国)と被るという言い方をします。
飛び道具を連発するわけではないけれど、やるべきことを早い段階からやりきっている組織であり、それでいて常に変化を厭わない組織である、という意味です。
目標管理制度とそれに基づく業績評価が世に流行れば、100%の実施率にこだわってやりますし、No Ratingが動き出したら手のひらを返すようにいち早くNo Ratingを導入します。営業の管理ツールを導入したら、とことん使い倒します。まるで、重装歩兵を整理し使い倒したり、それが動くためのローマ街道を整理したり。ローマ帝国の行動と酷似しています。
今日本社会で定着化しつつあるダイバーシティの考え方も20世紀の頃から本気で取り組んでいます。属州や奴隷階級から皇帝を出し続けたローマ帝国にも同じような考え方があります。
そういうシステムを守りながら、王政→元老院制→帝政などと変化をし続け、最後は敵視していたキリスト教まで取り入れてしまうという柔軟性を見せたのがローマ。
IBMもレジや肉屋のはかりのような“ビジネスマシーン”の生産販売から始まり、パンチカードで情報を扱うようになってから、コンピュータの生産、システム開発、プロセスの引き受け、そしてAIまで、どんどん変化を続けています。
飛び道具を狙って足元がおろそかになることの無いように、常に基本だけは100%に近いレベルでやりきる経営が結局はイノベーションを生み出し、より長く、強く生きる前提である、ということを学びました。
この考え方は僕のDNAに染み込んでいて、今でも武器としてかなりのレベルで通用するな、と思っています。
二つ目は、文民統制です。ここでのこの言葉の使い方は僕の考え出したものなのですが、技術者優位の組織運営のことをさしています。
対義語は軍政ですかね。
軍政までは行かないまでも戦前の日本は軍部大臣現役武官制というのをひいていたようで軍部が暴走し、国が方向を過ったということになっています。
これと同じで、テクノロジーカンパニーが暴走する瞬間があります。
それは、技術者がないがしろにされた瞬間です。もっとわかりやすく言えば、営業出身者(軍部的な人)が技術者(文民的な人)の言うことを聞かないときに、組織は誤った方向に進みます。
例えば、できもしないプロジェクトプランを作って、クライアントから案件を受注してしまうような事態です。
いわゆるトラブルプロジェクトが生成される瞬間ですね。
もちろん、営業機能は必要です。しかし自分たちの活動は技術があって初めて成立するのだと言うことを忘れてはいけません。
IBMは、技術者を厚遇する制度を伝統的に維持していますし、コミュニティ活動を重視する文化も努力をして堅持しています。
技術マインドを持った営業担当も多く、営業マインドを持った技術者もそれぞれの場で研鑽し続けています。
「IBMは営業の会社だ」と言う言葉を耳にすることは、多々ありましたが、そう言うことを言う人は信頼を得られていませんでした。まあ、組織を維持しているカルチャーに反しているわけですから当然ですけどね。
以前、GlobisでIBMを特集した4回連続の講義に講師として関わった時、「IBMにい続ける理由は何か?」と受講生に問われました。
その時に僕は「IBMにいる、人と技術だ」と答えました。
どの組織にも当てはまりますが、組織というのは人が全てです。今の所、人がいない組織はありません。
ただ、烏合の衆と強い組織の違いは、Valueを全員が共有しているかどうか、です。
IBMには共通の価値観があり、その歴史上一度だけ見直されたことがありますが、綿々と受け継がれています。
「お客様の成功」「イノベーション」を「信頼と責任」のもとに実現する集団です。
ちなみにValue の見直しの過程はDHBRにも掲載されましたし、そのことをダイヤモンドオンラインでもお話ししたことがあります。
ありがちな「Valueなんて建前だ。数字が全てだ。」的な発言をする者が皆無とは言いません。
ただ、僕はそういう輩はIBMの人間として認めてこなかったので、ある意味、IBMのメンバーの範囲でいうと皆無かもしれませんが。
このValueの体現のために15年を使ってきた自負はあります。
そんな思いから、今ではIBMに対して、感謝の気持ちしかありません。本当にありがとう、という気持ちです。
当然の事ながら、先に書いたように辛いことや腹の立つことはありましたが、それ以上に学んだことは多いです。
そして、これからも感謝し続けますし、応援もしていきたいと思います。
いみじくもIBM日本法人も日本人従業員の念願である”大政奉還”が成りました。(あ、これも僕の個人の言葉です。悪しからず)
japan.zdnet.com
山口さんについては、僕もお名前は出していないものの書籍の中で本人承諾のもと良い例としてなんどもコメントさせていただいており、その意味でも感謝です。
今後の日本IBMには期待ですね。
5月31日で二度目のIBM生活を終えます。森昌子さん風に言えば「三度目はありませんw」
が、巨人軍の監督は三度目ですしね。VUCA時代ですから何が起こるかはわかりませんが、今は森昌子さんと同じ心境です。
今後の身の振り方については、改めて近いうちに報告させていただきます。
そちらについても、是非よろしくお願いいたします。
Once an IBMer, always IBMer!
ありがとうございました。
こんにちは。
以前こちらでもキックオフの様子をお知らせしたのですが、
有志発起人5人と共に立ち上げた”越境”をテーマにしたコミュニティ、”Bridge to the Better”の初回イベントの参加者募集が始まりました!(応募はこちら↓)
大手町で3×3 Lob Futureを運営するエコッツェリア協会の協力をいただき、同会場にて5月31日夜に開催します。
今回は、労働生産性が我らが日本より圧倒的に高く(OECD加盟国内5位。日本は20位!)、そして人口たった570万人しかいないにもかかわらず、世界でもプレゼンスを発揮しているデンマーク🇩🇰を題材にします。
一人当たりGDPも日本よりも50%近く高いのですが、何と言っても幸福度ランキングも2位だったり1位だったりするのです。とはいえ、若者ばかりで元気のいい国かというとそういうわけではなく、高齢化率(65歳以上の人口比率)は日本がダントツ1位の27%ですがデンマークも19%と、いわゆる先進国の範囲です。
そんなデンマークは昨今、書籍や報道などで日本社会の参考になるかもしれない国としてベンチマークの対象になることが増えてきました。
ですのでこの国を題材に、私たちの働き方、学校教育、リカレント教育、ヒュッゲ、福祉、キャリア、恋愛、SDGs などについての学びを深めていきます。
このコンセプトに対してデンマーク大使館より後援をいただきました。
当日は、デンマーク大使館より公使参事官のマーチン・ミケルソンさんと、デンマークに在住されているジャーナリスト、ニールセン北村朋子さんに登壇いただき、考えるきっかけを作りたいと思います。
是非参加ください。お待ちしてます!
なお、私たちが目指す状態はこんな状態です。
成長したい”はたらく人”全員が対象となりますので、遠慮せず是非”越境”してみてください。
今後に向けたアイデアも引き続き募集中です。
こんにちは。
あと40時間くらいで平成が終わる、というタイミングでこれを書いています。
ちょっと前、平成の泳ぎ納めをしてきました。
プールを往復しながら、なんとなく自分自身の平成30年間のBefore Afterを考えていました。
昭和64年のタイミングでは15歳の中学生だったので、体重とか体脂肪率とかで比較するとあまり意味のないことになるなー、なんて考えていた時に、「じゃあ、平成30年間続いたものって何だろう?」という問いに至りました。
シンプルに出てきたのが、僕にとってはやはり「泳ぐこと」でした。
平成30年間で、住んでる場所は岐阜の実家や東京都内、あと二度ほど中期の外国滞在を含めちょうど10箇所になります。
主な所属組織は、中学から始まり大学、会社・・・転職とか同時並行とか出戻り、買収、起業・・・まあたくさんです。
その間、良き友人や恩師、親族、仕事仲間などに恵まれやってこられました。
激動の時代、とかVUCA時代とか言いますが、よくまあ基盤をあっちこっち変えながらもここまでやってこれたな、とも思います。
一方で、自分のキャリアについて時々考えることとして「フラフラしてるな」って思われてるんじゃないかな、ってことです。
自分自身でも両親から受け継いだ価値観に照らし合わせると、「フラフラしてる」キャリアであり、当初望んだことじゃないのは明らかです。
社会人になって所属組織を変えていない人はたくさんいます。そしてそれはとても羨ましく、またとても素晴らしいことと思います。
その人の「軸」に当たるものが客観的に明らですしね。
じゃあ、この平成の30年間、自分に一切「軸」はなかったのか。
そう問うてみると、すんなり出てきたのが冒頭書いた「水泳」でした。
軸は「水泳」(笑)。
国の代表選手になったことはないし、インターハイにも行ってません。
競技力的にはお恥ずかしいレベルではありますが、小学4年生から干支が3回りするまで続いてます。高校時代と、特に大学時代は本当に没頭しました。
生活のプライオリティだったわけです。
人生を変えるような転機でも、水泳は大きく影響しています。
ここで、どうやら社会人としてキャリアを積んでいくには「水泳」という軸以外に何かが必要だ、ということも悟りました。(本来は当たり前なんですけどね)
ただ、同時にチーム運営の難しさや望まぬ人事を経験し、すでに「人・組織」という後年確立するもう一つの「軸」の萌芽は確実に芽生えていたのですが、この時は自覚していませんでした。
ここに書いただけでは足りないくらい、平成を通じて折に触れ水泳つながりだなあ、と思う瞬間が多く訪れました。
30年間よく続いたな、と思います。
今も毎週末泳いでいて、これがないと1週間がまとまりません。
よくも冬場の寒い時期に泳ぎに行くね、なんて言われますが、リズムになっているので一年中泳いで、体調や心のバランスを取っているのです。
水泳と切っても切れない人生なわけです。
水泳を始めた機会は、母が嫌がる僕を無理やり開業したばかりの近所のスイミングスクールに放り込んだことでした。
当然ながら、あの瞬間がここまで人生にとって重要なポイントだったとは当時は全く自覚してませんでした。
母にも感謝ですね。
さらに言えば、「平成」という時代の象徴として体を張って仕事をしてこられた天皇陛下の、ご自身の誕生日でのコメントにもあるように、平成が戦争のない平和な時代だったから、平和の象徴であるスポーツを続けてこられたんだと思います。
いみじくも平成7年、戦後50年の年に開催した前述の旧7帝大の水泳大会。
僕は幹事校の主将として、開会式の選手宣誓の大役を担いました。
この年は戦後50年というだけではなく、1月に阪神・淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件があり日本国内が揺れに揺れた年でもありました。
神戸ポートアイランドにあったプールの建物が倒壊した煽りを受け、関西の大会日程がずれたため、7大学のうち京都と大阪が参加できない事態が起こったのです。
7大学揃わなければ7帝戦ではない、と不参加を検討する他大学もありました。
ここでも決断することを迫られました。21歳の青年にはそこそこ大きな決断だったと思います。
相談した大先輩方は「お前が全責任をもって判断したらそれを支持する」と言ってくれました。そして前代未聞の5大学の参加での実行に踏み切りました。
プリンシプルに則って判断することの大変さや重要さを学びました。
そんな背景もあり、件の選手宣誓では万感の想いを込め
「戦後50年のこの年に、平和の中で水泳ができることへ感謝をしつつ、国を作ってきた諸先輩方に恥ずかしくないよう正々堂々戦うことを誓います」
と宣誓したのを覚えています。 国立大学ですしね。
平成の30年間は自分的には沢山泳ぎました。ざっと計算して7,000㎞弱かな、と。
残りの人生泳ぎ続けますが、一年100㎞を維持して生涯10,000㎞を目指したいな、って思います。
平和の中で泳げること、そして水泳という素晴らしいスポーツに感謝しつつ、令和でも頑張って泳ごうかなー。
(このゴールデンウィークは、平成滑り納めと令和滑り初めのために山にきてますw)
こんにちは。
実は最近、自分の会社の活動も少し活発化させつつあります。
以下のような会社を2年ほど前に立ち上げたのですが、その後サイトを作る際に改めて、自分が会社を通じて何を実現したいか、ということを考えてみました。
www.eight-arrows.comこんなことやりたいな、と考える中で思い浮かんだスローガンが
”Bridge to the Better”
です。
イノベーションは何かと何かがつながれば出来上がる、って思うこと多いのです。
例えば、業界をまたぐ。
例えば、世代をまたぐ。
例えば、コミュニティをまたぐ。
例えば、国境をまたぐ。
例えば、例えば、例えば。今までやってきた実績やこれからやっていきたいことを考えると、Bridgeとというキーワードが浮かんできました。
そして、それが良いことにつながれば。なので”Bridge to the Better”。
複数のNative English Speakersのチェックを受ける中で”Buildign Bridges to the Better”が韻を踏んでいていいな、ということになったので、会社のスローガンはこれにしました。
そして、ハッシュタグは#BB2B!
これを実現するには、コンセプトと仲間が欲しいと思って、まずは僕がお世話になっている人で、このコンセプトに同意してくれそうな4人の方々にお声掛けをしました。
青山フラワーマーケットでParkERsという事業を営む梅澤さん。
文化放送の長島さん。
IBMのぱちさん。
3(スリー)の吉崎さん。
いずれも、ご自身の仕事を持ちつつ、枠にとらわれない活動をされている人たちです。
年明けから諸々計画を開始して、飲み会などを経てまずはイベントを通じて世に問うてみて仲間を増やしていこう、ということになりました。
多くの人たちのサポートを受け、4月12日にキックオフイベントを開くことができました。
イベントの様子は複数の皆様からのレポートがあるのでそのリンクをつけておきます。
まずは、ぱちさんの。
www.ibm.comあと、参加してくれた大学生のお二人のログ①
eitarokono-off.hatenadiary.jpそして、ログ②
ありがたいことです。
僕が冒頭コンセプトとしてお話ししたのは次のようなことでした。
シンプルに資料としてまとめておきましたので転載しますね。
そして、次回は5月31日にデンマーク🇩🇰大使館後援(公式に取れたんです!)のイベント!
国を超えて活躍する人たちのお話を聞きつつ、日本社会のベンチマークとなりうる国について考えてみれたら、と思います。
是非多くの皆様のご参加を!詳細は追ってお知らせします。
まだまだ、手探りだし、このてのことの運営ノウハウって僕の中になくって。いろんな人の力を借りて進めているわけですが、できましたら、さらに多くの皆様のお力を借りられたらな、って思います。
興味がある人は、運営側・参加側問わず連絡ください!
こんにちは。
「言霊(ことだま)」っていう表現をご存知でしょうか。
辞書的には「言葉に内在する霊力。」だそうです。
一般的には「言葉にすると、それが現実化する」というような文脈で語られることが多いのではないか、と理解しています。
もちろん、スピリチュアルな観点では僕は語る資格はないのですが、意外にこの「ことだま」の影響って現実にも(科学的にも?)ありうるのではないかって思うのです。
どういうことかというと、自分の言葉を一番近くで聞いているのは、言葉が発せられる「口」からほんの数センチの距離にある自分の「耳」です。
書き言葉にしても、書いた途端に最初にその文字を読むのは自分の「目」です。
つまり日頃から発している言葉や、書いている言葉って何度も聞かされ、見せられていると、知らず知らずのうちに自分の行動に大きく影響しているのではないか、と思うわけです。
これは著書にも書いたし、よくお話する内容なのですが、僕がキャリアの駆け出しの頃実際に経験した話です。
当時の僕は、優秀な若手でありたいと頑張っておりました。
実際に積極的に手を動かしたり発言したりしてたのですが、資料作成の方針の打ち合わせをして、そのあと作業分担に入る、という時に、
「わかりました。とりあえず、僕これとこれやります」
と分担を積極的に受けとった時のことです。
と、その時その場にいた先輩から意外な言葉が返ってきました。
「河野の仕事って、とりあえずのやっつけ仕事なのか?」
と。
自分の行動は積極的に前に出てチームに貢献するものだ、褒められこそすれ攻められるとは。若い僕としてはカチンときて
「そんなわけないですよ。じゃあ、なんていえばいいんですか?」
と返しました。と、その先輩は
「『とりあえず』じゃなくて、『まず』って言ってみろ。そしたら自然に『次に』って言葉が出てくるはずだ」
と言うのです。
当時は、生意気でしたが素直でもあったので、この瞬間「へーー」と納得してしまいました。
確かに。
一日のうち、なんども「とりあえず」「とりあえず」を連呼している人と、「まず」「次に」、「まず」「次に」を繰り返している人だと、長〜い間に大〜きな差がつくように思えたのです。
その視点で周りを観察してみると「とりあえず」「取り急ぎ」を連呼している人はどことなく「やっつけ」の行動が身についているように見えます。
「まず」「次に」、「まず」「次に」を繰り返していれば、自ずと行動は習慣化して、未来志向になるはずなんじゃないか、と。
データでの証明はできていないものの、単に「そんなのスピリチュアルなお話だ」、で片付けるほど瑣末なことでもない気がするのです。
そう考えると、ちょっとした言葉の口癖、書き癖も、実は行動に大きく影響しているのではないか、と思えてきません?
そしてまた、口癖、書き癖は、自分ではなかなか気がつかないものです。
以前、自分がラジオに出た時に後からその音源を聞き直した時に気がついたのが「おかげさまで」という言葉を多用していることでした。
その時、かつて書籍が売れた時に、絶対に有頂天にならないようにしようと決めて、その言葉を使い始めたことを思い出しました。
他にも、別の人が書いた原稿を読んだ時、この人「そもそも」が多いなあと感じたことがあります。
またある人は自分で「所詮XX、されどXX」と常に考えるようにしている、と仰っていましたがXXを過信はしないが、重視すると言う意味で使われていました。
そう考えると「どうせ」と言う自分を卑下する言葉や、「めんどくさい」「疲れた」「ムカつく」など、つい使ってしまいがちな言葉ってありますよね。
もし、このような言葉を使っていることに気がついたら、意図して未来志向の言葉に置き換えてみてはいかがでしょうか。
ちょっとしたことかもしれませんが長い間に、大きな違いが出てくるかもしれませんよ!
皆さんはどう思われますか?