全てのビジネスパーソン向けの書『会社を変える分析の力』河本薫著

こんにちは。

今回も読後感です。

データ分析によって会社を変える

今から5年以上前の出版物ですが、以下のような本を読みました。 

会社を変える分析の力 (講談社現代新書)

会社を変える分析の力 (講談社現代新書)

 

ちなみに、アマゾンの書影ではわかりませんが、実物の帯はこんな感じ。

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日経情報ストラテジーから、データサイエンティスト・オブ・ザ・イヤーを贈られたようです。(多分著者の方が。)

著者は大阪ガス株式会社の情報通信部ビジネスアナリシスセンター所長の河本薫さん。

タイトルや帯の触れ込みからして、一見、いわゆる理系的な内容で、一般ビジネスパーソンには縁の無いような印象を受けるかもしれません。

しかし、実際に内容を読むと、一切そんなことはありません。

むしろ5年以上前の書籍とはいえ、今後を生きる全てのビジネスパーソンに必要な内容だ、と言うのが僕の読後感です。

「目的合理性」に立った分析

特に印象に残ったのは、こちらの図。

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 ビジネスにおいてでデータ分析は、なんのために行うのか、を冷静に根本的に考えると、ビジネス上の課題を数的根拠を用いて、解決するためです。

すなわちここでは、データを分析した結果や、分析のためのモデルが、組織のそれぞれの層で日々無数に行われる意思決定に貢献して、当初設定した課題の解決に活用されること、にあります。

これ、言われればあったりまえのことですが、なかなか実行できないのが現実です。

僕がいつも唱える、「目的合理性の担保」、「シンプルだけどイージーじゃないこと」の典型です。

簡単じゃないことの理由も著者はわかりやすく説明してくれます。

適切な意思決定のできる組織へ

冒頭の帯に描かれている絵にも出てきた「データの壁」「分析の壁」「KKDの壁」「費用対効果の壁」といったいくつかの壁が存在するのです。

実務の経験があれば、それらの壁はよく実感できます。分析する側や、それを活用する側ないしは意思決定する側それぞれが超えなければならない壁です。

これらも、全てただ漫然と読めば「ああ、その通りだね」と言う内容です。

ここでも重要なのは「そんなの分かってる」という評論家視点ではなく、「自分ごと化」とか「当事者意識」です。

この「壁」以外にも、

  • 「問題発見力」→「分析力」→「実行力」

といったデータ分析でビジネスを変えるために求められる力とか、分析力を向上させるための「4つの問い」、とか「分析者9カ条」など、著者が実務を通じて整理した実践的なノウハウや心がけが記載されています。

これがまた、わかりやすい。

もちろん「データ絶対主義」のようなスタンスをとってはいません。先に出てきた「KKDの壁」のKKDというのは、K(勘)とK(経験)と度胸(D)の略語なのですが、「壁」としつつも、KKDのもつ意義についても明言されています。

非常にバランスの取れた内容となっていると感じました。実際に分析作業をする人も、そうでない人も理解しておくべき内容がふんだんに盛り込まれています。

これらの考え方が「共通言語」になっている組織はいろんな場面で強さを発揮するんだろうなと思います。

新書版で200ページちょっとです。是非手にとって見ていただければ。

皆さんはどうお感じなるでしょうか?

他人と比べず、自分の基準を持つ(って難しいけど)

こんにちは。

同学年のスーパースター

よく、日常会話で世代や年齢の異なる人に向けて、自分はどの年代の人間であるか説明するときに、有名な人で例えること、ありますよね。

僕は1973年生まれです。

その時代に物心ついていたり、大人として活躍していた人に向けてなら「オイルショックの年です」とお伝えするのが一番わかりやすい。

あとは「僕の一歳の誕生日に、長嶋茂雄選手が『永久に不滅です』という引退スピーチをしました」とお伝えすると、おーなるほど、と言ってもらえます。

が、同年代や若い人たちにはその手は使えません。

若い世代でも、よく知る同年代の有名人・・・

となると、最もわかりやすかったのがプロ野球イチロー選手でした。誕生日は確か1週間くらいしかかわりません。

同い年なのに、二十台の若者に混じって走ったり跳んだり、打ったり投げたりしている人がいるというのは尊敬に値するし他人なのに誇らしい。なんかプラスのエネルギーをもらっていた感じがしました。

だから、先日の彼の現役引退は、僕ら1973年生まれの人は感慨深い思いを持って受け止めた人、多いと思います。

当然かく言う僕もその一人でして、引退試合や記者会見は見られるものは見ましたし、ネットで全文掲載してくれたので、改めて読んだりしました。

dot.asahi.com

人との比較ではなく、自分基準での評価

普段から、キャリアや働き方について考える生活をしているため、どうしてもその視点で見てしまうわけですが、イチロー選手の「生き方」について問われた時の、以下の答えが非常に印象深く残りました。

『人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。

 あくまで測りは自分の中にある。それで自分なりにその測りを使いながら、自分の限界を見ながらちょっと超えていくということを繰り返していく。そうすると、いつの間にかこんな自分になっているんだという状態になって。』

比較対象は自分の限界である、と言うわけです。

決して誰か他の人や、他の誰かが与えた何かではない、と。

なるほど。頭ではすぐに理解できます。すごくシンプルですので。

とは言うものの、じゃあイージーなことであるか、と言うと全然イージーではない。

我々は幼い頃からいろんなものと比べられて育ってきています。

「同級生の〇〇ちゃん」との比較から始まり、偏差値とかなんとかランキングの中で育ち、「学生らしさ」などの「らしさ」との比較が始まります。

そして「まっとうな社会人」とか「世間さまの目」、相対評価などとも。これだけ長い間色々なものと比較されると、その呪縛から逃れるのは簡単ではない。

一般的に「比較される」と言うことは、自然に自分も誰かを「比較評価しちゃっている」わけで、自他共にかなりのインパクトで我々の行動を制約していることは間違いないです。

僕自身も若い頃は結構、そういうことありました。その結果、焦ったりマイナスの嫉妬をしたり、なんだかわからないプレッシャーを勝手に感じてしまったり。

当時はまだSNSの広がりもなかったので、入ってくる情報も少なくて比較対象も少なくて済んだのですが、今の時代だったらさらに焦ってたのかなあ、なんて思います。

また、比較しなくなるというのは、常に良いことかというと必ずしもそうではないと思っています。

他人との比較が唯一のモチベーションの源泉だった人が、もし一切他人と比較しなくなったら、成長が止まるわけですからね。

イチロー選手の凄さはそこなわけです。

勝負の世界にいるにも関わらず、他の選手との比較ではなく、そして他の誰かが設定した何かとの比較ではなく、「自分の限界」というものとの比較をしているわけですから。

シンプルだけどイージーじゃない、ものすごい比較対象です。

それもかなり若い頃からその片鱗があったというのがさらに驚きです。

おそらく、自分の限界との勝負となると、周りからのノイズは聞こえにくくなるとは思うのですが、そこはあっちこっちから追いかけられるスーパースター。周りもほっとかないわけですから、プレッシャーは半端ないと思うんですけどね。

どんなメンタリティーの持ち主なのか、本当に興味があります。

僕も、この同学年のスーパースターの姿勢を見習って、誰かとの比較や世間の常識ではなく、自分自身で立てた目標にさらに近づいていけるといいなあ、と思う桜が咲き誇る年度末の静かな夜なのでした。

みなさんはどう思われますか?

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平成「体育会」考

こんにちは。

思うところあり、ちょっと古風な思索を巡らせてみました。

「体育会系」は悪か?

ここ数年、特に2018年はいわゆる「体育会」という概念、思考法、組織文化、行動様式がかなり評判が悪かったように思います。

少なくとも僕が目にした文脈では、思考停止の典型であったり、理不尽の象徴であったり。そんな描かれ方をしていました。

僕は、いわゆる体育会系学生、すなわち運動部の活動を生活の最優先事項として学生時代を過ごしました。伝統に関していえば国内ではダントツに長い水泳部の主将を務めた経験があります。

そんな僕自身の学生時代を含め、先のような批判を受けるに値するような思慮に欠く行動があったことも認めざるを得ません。(あくまでも、僕個人の問題かつ考え方です。)

また、当時の悪しき伝統や至らなさを次の世代の若い人たちが、知恵を使って改善していることもよく知っており、それに賛同し応援もしています。

この一見変節とも思える考え方の転換は、多分に社会に出てからいわゆる「体育会系」とは程遠い、むしろ対極の文化を持った組織(主に「ガイシ系」と呼ばれるエリア)でキャリアを築いてきて、嫌が応にも視野が広がったことにも起因していると思います。

社会に出た初めの頃は思考や行動のギャップに苦しみながら、色々考え、つどつど自分の中で整理してきたわけです。

そんな背景のもと、今回改めて、ちょっと考えてみました。

  • 昨今世の中で言われる「体育会系」というレッテルは本当に正しい見方なのか?
  • 「ガイシ系」経験を経た今の目から見て、全く参考にならない意味のない組織文化なのか?

そういう観点で考えると、そんなことはない、って思うんです。本来の体育会には理不尽さや思考停止などではない、もっと崇高な精神があったと信じています。

巷で体育会系と混同される”ブラック”組織は、本来の体育会の精神とは真逆の考え方だと思っています。

なので、ルールを違えることは許されないし、嫌がる人に何かを強制するのはやるべきでないということは前提です。

本来の「体育会魂」的なもの

体育会の圧倒的な意義として、三つほど重要なポイントをあげられます。理論として整理しているわけではないので、列挙になります。

いわゆる「体育会」で若い頃の多くの時間を過ごしてみて、こんな学びがありました。

  • チームの仲間は絶対に裏切りません。
    そんなの当たり前じゃないか、と言われるかもしれませんが、僕は社会人生活の中で、平気で人を裏切る人を見てきました。
    積極的、消極的どちらの意味でも人を裏切る人は多いものです。
    しかし本来の「体育会系」は、例え意見が違おうとも、同期はもちろん先輩であろうと後輩であろうと、チームのメンバーよりも他の人を優先することは絶対にありません。同じ釜の飯を食った人は守り通すと言うのが体育会のオキテ(笑)ですので、体育会の人は絶対に裏切りません。
    もちろん切らなきゃいけない時はあります。ただし「裏」切るのではなく、正面から切り掛かります。
    同時に、裏切った者は「基本的には」許さないし、「ずるい」とか「卑怯」な行動は最も信念に反する行動ですので、誤魔化したり謀略的に動いたりするなどの行為、これについては怒りとともに心底嫌悪します。

 

  • 一つのことを深く究めようとします。
    学生時代のほぼ全ての期間にわたり、ある競技に打ち込むわけです。食事、睡眠、栄養、思考全てがそれぞれの目的を達成するために研究し尽くされます。文字通り「四六時中」「寝ても覚めても」そればっかり考えるクセがついています。
    社会に出て、寝ても覚めてもある一つのことを突き詰める人材が不要なはずもなく。
    物事を極めるために既存の枠を外れ、海を渡ったり、法律を改正したり、事業を始めたりする人も多いです。
    巷に誤解のある、ゲタを履かせてもらって入社した企業に定年までぶら下がる、というのは体育会精神に反します。

 

  • 社会の役に立つことを旨としてます。
    これは、解説が必要だと思います。
    体育会の学生は、学生時代から何十年も上の大先輩と交わる機会が何かと多いです。時に杯を酌み交わし、時に(不謹慎かもしれないですが)その方とのお別れも経験し、活きた歴史を知り社会を知るわけです。
    また、校歌や応援歌、部歌や寮歌などを耳にしたり自分で口にする機会が圧倒的に多くなります。そうすると自然と建学の精神や、会うこともなかった大先輩の熱い想いに触れることになります。そういう力のあるコトバに接すると、自然に考えますわな。どういう想いでこの詩や曲を作ったのか、って。
    大抵は国や社会、世界のあり方をより良くしようとして教育機関を作るわけです。並大抵のエネルギーであるはずもなく、そういうエネルギーに接すれば、当たり前のようにあるべき社会の姿や、それに対する自分の姿勢を考えるようになるわけです。

ご覧になって分かるように、「まっすぐ」とか「紳士」「武士道」と言った言葉が当てはまりがちな人を生産する集団なわけです。

当然です。「そうあれかし」と育てられていますので。

これが、尊敬する代々の先輩から僕が受け継いだ、一般用語でいう「体育会魂」です。

平成の次の「体育会系」

ただ実は冷静に考えると弱点もあって、いわゆる体育会集団は、かつてのようなモノカルチャーの時代は力を発揮してきましたが、現代の環境に十分に適応しているかというとそうではない側面も多いです。

端的に言えば、「オキテだろ!」って言っても日本人以外の人は「は?」と思うでしょう。「裏切る」の定義も、文化によって全然違うでしょう。

平成の次の時代を生きる、新しい世代の「体育会系」の人たちは、受け継いだものの上に、少し知恵を加えた考え方を身につけて行かなければならないのが現実です。

ま、体育会系の弱点≒自分の弱点でもあるわけで、その辺りを改良していかなければなあ、と僕自身考えることがここ数年増えているってことなんですけどね。

著作などを通じた発信活動・社会への提案活動の原点には、このような背景もあるんです。

皆さんは、どう考えるでしょうか?

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どっちだ⁈「今の1分は明日の1時間、来週の半日」と「明日できることは今日やらない」の見極め

こんにちは。

最近出した新刊の反応をいただくようになりました。

今すぐ対応すれば短時間で済む

いくつかの反応のうち、「今の1分は明日の1時間、来週の半日」という項への賛意がありました。

この項の意図としては、何かやらなければならない時。特にトラブル発生などが顕著ですが、

「あー、なんかちょっと疲れたなぁ」

とか

「苦情対応するのやだなあ」

などと思ってしまい、少し寝かせてしまうことがあります。

これって、実は生産性の観点でいうとかなり効率が悪い、ということを言っています。

すなわち、

今すぐに対応すれば1分で済むことなのに、その日の夕方まで放置すれば2−30分の作業になり、翌日まで放置すると1時間、翌週まで放置すれば半日、下手をすると終日かかって収拾するほどの作業量になる傾向があるのです。

これは、完全な経験値ですが、賛意が多いということろから見ても同じような経験をする人も多いのでしょう。

過労から体や心を守るのは自分

一方で、僕が新卒で入った会社で、新入社員研修の時に講師に立ってくれた現場で活躍する先輩が、質疑応答の中でおっしゃっていたことを思い出します。

「働き過ぎに注意。自分は『明日できることは今日やらない』と決めて日々を過ごしている。」

というのがその方のコメントでした。

今では名前もポジションも忘れてしまいましたが、ハードな仕事で有名な部署の方だったので、おっしゃっていた内容を鮮明に記憶しています。

そしてそれ以降、自分自身に言い聞かせるようにしています。

頑張りすぎて、体や心を壊してしまうなんて本末転倒ですからね。

そんなポリシーを持ちながら今までのキャリアを過ごす中で、いつも自分ながら一瞬混乱するのは、「明日できることは今日やらない」と自分に言い聞かせながらも、「今の1分は明日の1時間、来週の半日」つまり今すぐやらなきゃ、という考え方も併せ持っている点です。

どっちなんでしょうかね。

キーワードは「計画」

今のところのこのトレードオフに対する僕の回答は「計画化してあるか否か」です。

なーんだ、そんなことか、という声が聞こえてきそうですが。

ま、当たり前ですよね。

「Aの部分は明日やる、Bは明後日。そしてC以降は来週」といった計画さえあれば、今日やるか明日やるかなんて迷う必要もありません。明日に先延ばしすることで1分が1時間に膨れ上がることもないわけです。

一方、突発的な出来事対応や予定外の割り込み仕事は、当たり前のように計画化されていませんので、まずは手をつけてみる必要があるわけです。

もしかしたら、先の新卒研修の時の講師もそれが言いたかったのではないかな、なんて今は思います。

重要なのは、その手の突発的な出来事があることを見越して、スケジュールをギュウギュウに詰め込みすぎないことですね。

ほんの少しでもいいので余裕を持たせて、計画外対応の時間という「計画」をしておくのです。

僕自身も1日のうち1時間はそのような計画外対応時間を見込んでいますし、木曜日(これは決めの問題)には年間を通してギリギリまで予定は入れないようなバッファの時間を確保しています。

このバッファ時間があることによって、なんだかんだではみ出した時間を、直前にここに吸収することができるからです。何もなければ考える時間に当てればいい。

曜日を決めて調整時間を作るのは高校生時代からやってました。

「明日やるか」「今すぐやるか」の分岐は「計画化してあるか否か」というお話でした。

みなさんはどう考えますか?

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超訳モンテーニュ 中庸の教え

こんにちは。

慌ただしくも、充実した1週間

今週は、レポート採点とか書籍の発売とか、その他諸々なんだかんだで仕事のハイライトが続きました。

その分非常に充実した時間を過ごすことができたわけですが、ランチも毎日のようにいろんな人たちとご一緒しました。

ランチはいいですね。長くなりすぎず、お酒も入らないので、記憶・体力・時間・おサイフ面それぞれで効率的です。(お酒が入った夜の宴も大好きですが!)

で、ある日のランチは、『超訳 モンテーニュ 中庸の教え』の著者(訳者?)の大竹さんとご一緒しました。

 良いタイミングなので、今日はこの書籍の読後感を。

どんな人が書いたか?

原著は、エセーまたは随想録として世界史の教科書に載っているのでキーワードとしては多くの人が聞いたことがあるとは思います。

16世紀後半にフランスで出版された、タイトルが表す通りのいわゆる随筆です。

エセー - Wikipedia

この原著を書いた人は、ミシェル・ド・モンテーニュという人で、ミシェル・ド・モンテーニュというところの人です。名前と居住地名が同じ、ってところからもわかるように、地元の名士だったとのこと。

もう少し言えば、地方自治の首長に相当する方だったようです。当時のヨーロッパは宗教的にも荒れた時代だったのですが、彼はバランス感覚に優れた政治家だったようです。

そんな彼が最前線から少し引いた時に城館にこもって書き残したものということです。

なんとあのパスカルや、ラ・ロシュフコーデカルト、さらにはニーチェなど名だたる哲学者も尊敬している人だと。

フランスのミッテラン大統領の公式肖像の手に持たれたのもこの随想録だそうです。リンク的には多分これ。

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内容は多岐にわたり、日本語版は岩波文庫だと確か6冊の大部です。

学生時代は文学部だったので、この書籍を扱った講義を取った記憶がありますが、四半世紀の時が経ってしまっていて、正直講義内容は記憶がありません・・・

モンテーニュは日本で言えば誰だろう?というお話を、著者の大竹さんとしたのですが、僕にとって「バランス感覚に優れた政治家」というのは後藤田正晴さんのイメージが強いので、僕は勝手にそのようにイメージしてみました。

後藤田さんがもしこのようなエッセーを書かれたら同じように多くの人に読まれたのではないだろうか、なんて妄想も。

そして、もう一方の著者、翻訳をした大竹稽(けい)さんは、愛知県出身の僕と同世代の方。

以前、とあるパーティで初めてお会いしてお話しする機会をいただきました。

愛知県名古屋市の名門、旭丘高校から東京大学理科三類(そう、あの理Ⅲです)に入学され・・・たのに退学して、色々あって同じく東大の哲学研究科で改めて学びなおされた、という異色の経歴の方です。

プロフィール | 大竹稽 オフィシャルサイト

子供の教育にもかなり尽力されているため、作文教室などでもお世話になった保護者の方も多いかと思います。

どんな内容か

書籍自体の内容的には、当然読んでいただくのが良いのですが、僕が読み取ったモンテーニュのメッセージとしては、

頑張る必要もないがサボることを進めるわけでもなく、名声は求めるものではなく、とは言え、物事に真摯に向かうことで後からついてくるもんなんだ

というようなトーンでした。

つい、功名心とか自己顕示欲、外発動機に左右されがちな僕に取っては、「まあ、待てよ。そんなに焦って、どうするの?」と450年近い時代を経た人から言われているような気がする内容ばかりでした。

まさに「中庸の教え」。

同じようなことで悩んでいる人がいれば、ぜひ手に取っていただきたい一冊です。

そして、この本の最も特筆すべきところは、大竹さんによる現代人にも分かりやすい翻訳(超訳)です。

現代日本人である我々にとってこの随想録自体は「450年前の」「フランスの」「難しい」本という印象は拭えません。実際に岩波の書籍もそれほど読みやすい文体ではないというのが僕の感覚です。しかし、大竹さんはまるで、モンテーニュが現代の人で、それも日常会話に近いような親近感あふれる語り口で話しているような表現に作り変えてくださっています。

 僕も以前、福澤諭吉の「学問のすすめ」を中学生にもわかるような表現で翻訳をしたことがあります。

本来、もっと身近な書物が、その翻訳が難しいために一部のインテリ層だけのものになってしまっている、という問題意識が共通しています。

まるで、中世ヨーロッパで聖書を中心とする書物が全てラテン語で書かれてしまい、一部の読書階級だけのものになってしまっていたのとよく似ています。

それを、なんとかしたいね、という考えで認識が一致したのは非常に印象深いです。

この「超訳 モンテーニュ 中庸の教え」が、モンテーニュへの扉を開き、原書なり、全訳なりへの橋渡しになれば良い、と。

僕も同じ考えです。「学問のすゝめ」はもっと多くの日本人に読まれるべきであり、そのための橋渡しに「現代語訳 学問のすすめ」がなっていけるといいなあ、と思うのです。

超訳 モンテーニュ 中庸の教え」改めて、オススメの一冊です。ぜひどうぞ。

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新刊『VUCA時代の仕事のキホン』発売開始!ハッシュタグは#VUCAキホン

こんにちは。

新刊発売!

1ヶ月以上カウントダウンとして連載してきましたが、この3月2日、無事新刊『VUCA時代の仕事のキホン』が発売の日を迎えることができました。

本当は大切なのに誰も教えてくれないVUCA時代の仕事のキホン

本当は大切なのに誰も教えてくれないVUCA時代の仕事のキホン

 

毎回ですが、僕にとって書籍を作ることは、多大な労力と精神面の疲弊を伴います。

結構眠れない日が続きました。

もちろん、発売がゴールではなく、世の中に広く行きわたらないと当初描いた目的を達成することができないので、世の中に認知してもらう努力をしなければなりません。

その過程で相当程度人に誤解を与えたり、平たく言えばウザいと思われるようなことがあるのでしょうが、そんなことは言ってられないわけです。

甘んじてそこは受けとめるしかありません。それが自分の選んだ道だし責任なのだ、と言い聞かせています。

なんか、辛いですけどね。これについては1冊目の時から割り切って考えています。目標を立ててそれに向かう、という文脈で今回の本の中でも少しコメントしています。

これからも必死にプロモーションしていきますので、ご了承くださいませ!

ハッシュタグは「#VUCAキホン」!

さて、発売に絡めて諸々のプロモーション活動を始めてます。

ツイッターFacebookなどでは「#VUCAキホン」というハッシュタグで諸々の発信をしています。

それ以外にも、まずは音声メディアということでVoicyを使って荒木博行さんが配信していらっしゃる「荒木博行のbook cafe」にも、3日連続で取り扱っていただきました。

その1:コンセプト説明と第1章、2章について

voicy.jp

その2:第3章、4章について

voicy.jpその3:著者河野のキャリアや3/8に実施する共同セミナーについて

voicy.jpその3で少し触れている、”共同セミナー”というのは、新刊の版元ではなく別の僕の書籍の版元であるディスカヴァー21で開催するこちらのセミナーです。

発信活動を通じて成長した実感のある我々2人が、現代のビジネスパーソン向けにその背景にある考え方を発信する場として考えています。

(場合によっては将来出版につながるきっかけになるかもしれませんよ!)

3月8日ですので、お時間ある方は是非!まだ間に合います。

詳細および申し込みは、こちら!

peatix.com新刊については、各書店でも大きく扱っていただいていますし、オンライン書店でも順調に順位を上げつつあります。

それ以外にも様々なプロモーション活動をこれからも実施していきますので、その面でも楽しみにしていてください!

引き続きよろしくお願いいたします!

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新刊カウントダウン!その⑤「VUCA時代の仕事のキホン」見本が届いた!本ができる直前の状態も初めて見た

こんにちは。

カウントダウン第5回ですが、来週はもう発売日なのでカウントダウンとしては最終回です。

とうとう、見本ができました!

先週、見本が出来上がりました。やはり形になるととても嬉しいです。

想像以上に美しい装丁で出来上がってきました。発売日は3月2日なので今週の木曜日以降に書店に送られる予定です。

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実は、これを手にした時は版元であるPHP研究所にいました。

その日は見本が出来上がるということで、夜の時間帯だったのですがそちらに伺ったのですが、ちょっと作業が押していました。

なので、もう今日は見本が届かないだろう、ということは言われていました。見本そのものの代わりに、中間見本のようなもの(なんと呼ぶのかは忘れました)を見せてもらいました。添付写真のような、16ページ分が一つになった紙の束でした。

これをまとめて表紙をつけて、一気に裁断すると綺麗な本になる、ということでした。

「大人の事情で、あと●●ページ増やし(減らし)たいのですが。。。」という表現を耳にしますが、印刷・製本の都合上16ページ単位で増減させる必要がある、というわけです。

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この、本になる直前の紙の束を見て、半分感慨にふけっているときに「届きました!」という連絡が入ったので、急いで受領してもらったのが、冒頭の見本というわけです。

ちょっと運命的なものを感じました(笑)

それを持ってこの数ヶ月間伴走してくれた、担当編集の宮脇さんと記念撮影しました。年の差18年のチームです。干支は1.5周りですね。

本当にありがとうございました。感謝です。

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 さて、今回の中身事前公開は、前書き「はじめに」です。

VUCAの意味するところについてや、今回の書籍を出すに至った思いなんかを書いています。

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 はじめに

現代社会は、「VUCA」と呼ばれる環境に置かれています。

VUCAとは、

「Volatility」(変動性)

「Uncertainty」(不確実性)

「Complexity」(複雑性)

「Ambiguity」(不透明性・曖昧性)

の頭文字を取った言葉で、あらゆるものを取り巻く環境が複雑性を増し、想定外の事象 が次々と発生するため、将来の予測が困難な状態を指す言葉です。

「変化が激しい」「先が見えない」とはいつの時代も言われることですが、 〜 年前に 比べて、現在は明らかにVUCAの度合いが加速しています。

その理由の1つは、テクノロジーが進化するスピードが猛烈に上がっていることでしょう。その結果、世の中の仕組みやルールが目まぐるしく変わるようになり、ますます先行きが見通せなくなってきたのです。

そんな中、ビジネスシーンにおいても、このVUCAという言葉を、たびたび耳にするようになりました。

 この新しい現実を前にして、今のビジネスパーソンは、主に次の2つのタイプのどちらかに分かれているように思います。

 1つは、周りの変化が、単に景色になってしまっていて、自分も変化しなければならないことを自覚できていない人たち。

「今までこのやり方でうまくいったのだから、きっと大丈夫だろう」 という思いが根底にあり、今も昔と同じやり方で、仕事をし続けています。

しかし、こういった人は、多くの場合、新しい現実を直視していない場合も多い。心のどこかに不安があり、それゆえ、仕事のやり方を変えられずにいます。

もう一方は、変化に過剰に反応しすぎている人たち。

「環境が激変する今こそ、変革が必要だ」と声高に主張し、革新的な働き方や考え方を、 次々と提唱しています。

しかし、こちらはこちらで、変革を急かすあまりに本質を見失い、人々を煽るような過激な言説に走っている傾向があるように思います。

その結果、主張にも具体性や現実性を欠いていて、「視点は良いのに、もったいない」と 思うこともしばしばあります。

いずれにせよ、ある種の思考停止に陥ってしまっているような気がするのです。

私自身は、このVUCA時代について、次のように考えています。

1.仕事の本質は大きく変わっていない

2.しかし、その形式は大きく変わっている

つまり、VUCA時代には、これまでの仕事の形式を刷新しつつも、地に足の着いた仕事のやり方が求められている。そして、この両者のバランスをうまく取って働けるビジネスパーソンが増えていく必要があると思っています。

だからこそ、そんな新しい時代に必要とされる仕事のやり方を、まとめることに意義があると考えました。タイトルの『本当は大切なのに誰も教えてくれない VUCA時代の仕事のキホン』には、そんな思いを込めています。

イノベーションは「小さな工夫」から始まる

VUCAを語るとき、セットのように出てくるのが、「イノベーション」という言葉です。多くの人は、イノベーションと聞くと、何か大それた変化を想像しがちです。

しかし、私自身は「イノベーションは、小さな工夫の積み重ねからこそ生まれる」と考えています。たとえば、これまで1時間かかっていた会議を、45分でやるようにする。いつもより少しだけ早めに、ホウレンソウするようにする。一つひとつの変化を見ると、小さな変化にすぎません。

しかし、これらの「小さな工夫」が積み重なることで、結果的に大きな変化が生まれます。これが、「現実的な」イノベーションの本質です。

つまり、イノベーションといっても、必ずしも「飛び道具」が必要なわけではなく、「日々の小さな工夫の積み重ね」によって成立しているのです。

ちなみに、イノベーションは日本語で「革新」などと訳されますが、アイビーリーグの 大学の日本語学科で教鞭を執る、知り合いの米国人の方は、「イノベーションの訳は"工夫"が近い」とおっしゃられていました。これを聞いた時、とても納得した記憶があり、今でもこの考え方を大切にしています。

ここでいう小さな工夫が、本書でお話しする「キホン」です。

新しい時代にかなった「キホン」ができていれば、最終的にイノベーションが生まれる可能性は高まります。一方で、この「キホン」をおろそかにすると、偶然の一発に頼るしかなくなってしまいます。

だから、私はこのVUCAの時代にこそ、「キホン」に立ち返るべきだと考えています。

VUCA時代、4つの「新しい現実」

本書では、そんなこれからの仕事の「キホン」について、VUCA時代に到来した4つの「新しい現実」に即して語っていきます。

第1章のテーマは、「限られた時間で成果を出す」。

かつての日本企業では、「残業してでも、とにかく成果を出す」という風潮が一般的でし た。しかし、今は残業自体が禁止され、限られた時間の中で、効率良く成果を出すことが 求められています。そこで、最小限の投資で最大の成果を出すための、「生産性」アップのキホンをご紹介します。

第2章のテーマは、「答えのない問いに答えを出す」。

一昔前までは、与えられた仕事を淡々とこなしていれば、誰にも文句は言われませんでした。しかし、今は上司も含め、誰も答えを持っていません。そんな中でも、筋のいい解答を導くための「問題解決」のキホンについて述べます。

第3章のテーマは、「多様なメンバーをまとめる」。

メンバーの多様性が増し、さまざまな価値観が職場に溢れる現在、自分のやったことをそのまま部下に教える指導スタイルは、もはや通用しません。そんな多様なメンバーをまとめる「リーダーシップ」のキホンについて、本章では述べていきます。

第4章のテーマは、「働き方の持続可能性(サステナビリティ)を高める」。

ある1つの組織の価値観を順守し、そこで定年まで働いていれば良い時代は終わりました。現代では、どんな組織、どんな環境でも働き続けられる働き方の持続可能性が問われています。本章では、長く働ける自分をつくるための「自己投資」のキホンを述べます。

最後に、私の紹介をさせてください。

私は、日本IBMで働くかたわら、「ホワイトカラーの生産性向上」をテーマに、発信活 動をしています。具体的には、本を出版したり、経営大学院で教壇に立ったり、自分で会 社を経営したり、いわゆる複業をしています。

その間、さまざまな世代やコミュニティの個性あふれる方々とのご縁に恵まれ、一緒に仕事をしてきました。そして、一貫した私のクセなのですが、その人たちの働き方をつぶさに観察してきました。

そんな中で気づいた、「生産性を上げる、ちょっとした働き方の工夫」についてまとめ た、『 99%の人がしていない たった1%の仕事のコツ』『同リーダーのコツ』『同メンタル のコツ』シリーズは、おかげさまでシリーズ140万部超のベストセラーとなりました。もちろん、本書でも、その主張の軸は変わりません。

つまり、ちょっとした言い方や依頼の手順、少しの工夫だけで、生産性は劇的に向上する、ということです。

本書は、時代に遅れたくないと思っている=これからの仕事のやり方に悩んでいる方に ぜひ、読んでほしいと考えています。その上で、「ちょっとした仕事の工夫」の中に、これ からの時代を生き抜くヒントがあることを、感じ取ってほしいと思っています。

VUCA時代の仕事のキホンを知ることは、きっとあなたに飛躍をもたらすでしょう!

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以上です。
いよいよ発売まであと数日。何度経験しても、ドキドキします。
参考までにアマゾンの予約サイトです。

 

本当は大切なのに誰も教えてくれないVUCA時代の仕事のキホン

本当は大切なのに誰も教えてくれないVUCA時代の仕事のキホン