こんにちは。
「船頭多くして・・・」は「リーダーが多すぎて・・・」と同義か?
先日、たまたまある上場企業の創業社長と二人で話す機会があって、最初に創業した時に失敗した話を聞くことができました。
複数の仲間と創業したのだが、それぞれが主張しあい空中分解した、ということでした。
それを「船頭多くして船山に登る、状態だった」とおっしゃっていました。
その時は
「確かに、『両雄並び立たず』というが、リーダーシップを取りたい人がたくさんいる状態っていうのは、なかなかうまくいかないものかもな」
と思いました。
ちょうどその頃、昔の自分のブログを読んでいたところ、ちきりんさんの以下のブログへのリンクが出てきました。
これを改めて読んだ時に、先ほどの件について違う角度での見方が芽生えてきました。
このブログには、学校のクラスでのやり取りが出てきていますが、非常にわかりやすい。
指名されてリーダーになった人(Aさん)が、文化祭の出し物についてクラス討議を司会します。ところが周りの人は自己主張をしたり、他人事だったりします。
結果、先生が出てきて対応した、という話です。
もしAさんと同じ経験を他の人もしたことがあれば結果は違っていただろう、というのは想像できますよね。
集団で何かをしようとすれば必ず全ての人にリーダーシップの経験やスキルが求められる、というメッセージです。
要は、目的の方向に向かえないのは、参加者のうちの一人または多くがーダーシップ能力が足りていないのだ、と。
船頭多くして・・・というのは、リーダーが多いから話がまとまらないのではなく、主張や思いはあっても、リーダーシップスキルが足りない人が集まっているから、話がまとまらないというわけだ。
なるほどー。
確かに、そんな感じのシーン、よく目にするかもしれない。ですよね?
もちろん、「多くの主張が入り乱れて前に進まない」という状態は、「誰も何も考えていない」「誰も何も主張しない」よりは一歩先を行っています。
考えがあって、自分の理想があるわけですから。
「自分の考えをもて」「ビジョンをもて」、と言われる所以です。
リーダーは人を従わせる役割では無い
ですが、一人で物事が出来上がることはとても少ない。
少なくとも大きなことをやるためには、複数の人が集まってやる必要があります。
そうなった時に、チームが出来上がり、そこに集まった人にはリーダーシップが求められる、というわけです。
チームには目的があって、ゴールがあります。(それが無いのであれば、指摘してそこを作り上げるのもリーダーの仕事)
そこに向かうために自分が主張するべき時はするし、必要に応じて妥協もします。
困っている人がいれば、ただ批評家になったり、その人の責にだけするのではなくて、ここでも必要に応じて助けに入ります。たとえ自分が役割分担上の「リーダー」でなかったとしても。
こういう社会を実現するためには、やっぱりみんなにリーダーシップが求められる、ということなんだな。
冒頭に戻ると、「船頭多くして・・・」は「みんなリーダーシップがあったんだけど・・・」という意味ではなくて、「関与者のリーダーシップスキルが足りなくて・・・」と置き換えられる、っていうことです。
これを分かりやすく、説得力を持ってメモを書いているちきりんさんは、尊敬に値します。
少しでも近づけるように努力しよっと。
皆さんはどうお感じになりますか?