立花岳志さんの『「好き」と「ネット」を接続すると、あなたに「お金」が降ってくる』を読みました

こんにちは。

今回は書籍の読後感です。

久々の読書

上場企業で働く会社員にとっては、魔の四半期末が終わると束の間のリラックスタイムが来ます。

ゴルフに行ったり先送りしていた友人との会合に使ったり、家族との時間に当てたりする人も多いでしょう。

溜まっていた本を読む時間に当てるという人も多いと思いますが、僕もその一人です。

四半期末の3月23日に上梓されたため、少しの間とっておいた、立花岳志さんの書籍を拝読しました。以下のリンクご参照。

 プロブロガーとして活躍する立花さんとの接点は、僕が書籍を出版したばかりの時に何かの会合でご挨拶する機会を得たことです。

それ以降ブログやSNSをフォローして色々参考にさせていただいているという関係です。1,2年に一度お会いする機会も持たせていただいています。

普段主に会社員として働く身としては、ネットを軸にピンで働く人との接点はどうしても少なくなるのですが、彼をフォローしているだけで違う世界を垣間見られるという意味で、非常に刺激を受けています。

「習慣化」「テクニック」「メンタリティ」

もともと、この本を読むにあたっての僕の課題意識は、自分の発信活動をより良いものにする、ということでした。

自分自身の発信活動については、信念を持って淡々と続けているものの、もっと良くできるように思うのですが、どうしたらさらに良いものになるかについて、いまだに試行錯誤中なのです。

その意味では、参考になる点が多々ありました。

この本のキーワードを3つあげろ、と言われたら僕は次の三点をあげます。

  1. 習慣化
  2. 発信テクニック
  3. 発信する上でのメンタリティ

「1. 習慣化」については、著者の立花さんは、かつてご自身を変えるためにランニングとブログを始めて、それを習慣化し、大きく人生を変えたターニングポイントの経験が背景にあります。

この点は、僕は新しい発見があったというよりは、自分自身の経験を確認させてもらえるお墨付きのようなものを得たな、という感覚を持ちました。

僕の1冊目の書籍の中で、名言サイトなどでよく引用されているフレーズの中に「継続は力だが、力な必要な努力は継続しない」というものがあります。

それと同じコンセプトが何度も出て来ました。

ハードルを下げ、継続を優先する。そこには、これまた僕の主張でもある「目的合理性の追求」とも通じるものもありました。

そして「2. 発信テクニック」についてが、僕にとっては新しい情報でした。

SNSやブログを活用する上でのテクニックで、「え、そうだったの!?」ということが何度も出て来て、今までちょっと色々無駄なことして来たかな、と思ったポイントがありました。

まあ、これから改善していきます。

3点目の、情報発信する上での「メンタリティ」も大いに参考になった点です。

ここは「2」と違って明日からすぐに改善に入る、というよりは少しずつ変えて行くのかな、という種類のものだと思います。

「立花さんの言う通りなんだろうな」と納得はしつつ、まだまだ抵抗がある部分でもあるので(会社組織に所属しているからでしょうか)、少しずつ改善していければと思いました。

具体的な内容にまで触れると、ネタバレになってしまうので避けますが、情報発信活動を進めていきたい人とか、現在の自分がなんか停滞している感じがするな、という人はぜひ手に取ってみていただくと良いのではないかと思います。

何よりも読みやすい

そうそう、あと、同じ書籍を出版する立場の者として大きく印象に残ったのは、文章の読みやすさです。

実はこの本、300ページくらいある書籍です。通常ビジネス書カテゴリーの書籍って200ページくらいなのです。

だから最初は、驚きました。書く側としても読む側としても。

でもそれは杞憂でした。

何と言っても毎日何千字もパブリックに発信している人です。文章書きなれておられるんですね。とにかく読みやすい。全然負担感が無いです。

ご本人によるとこの倍以上書いたものを凝縮してこの分量に収めたようです。

普段から「文章筋肉」がついている人だからこれくらい書いても平気なんでしょうね。

そんな面からも刺激を受ける本でした。

いかがでしょう、皆さんも手にとってみては?(四半期末になる前に!)

 

100の目標4半期チェックポイント Met: 8/On Track: 15 

こんにちは。

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今年も第1四半期が過ぎました

年の初めに年間目標を立てました。これは2015年からやってます。

eitarokono.hatenablog.com年間を通じて達成するものですので、抽象度が高いため、昨年から同じカテゴリーで少し細かく100の目標を立ててみました。

その中にも書いてあるのですが、100個たてたので全部覚えきっているわけではありません。ちゃんと思い出すためにも中間振り返りではなく四半期で振り返ってみようかな、と思いました。

まず、どんな四半期だったか、というと...

総合的には、んー、それなりに走ったつもりですが、これだ!というアピールができる成果は現時点で挙げられていません。とはいえ将来に向けた布石は打ててはいます。

100の目標の達成度合いで言うと、

  • 第一四半期で達成した項目は8項目
  • 経過順調なのが15項目
  • 現時点で測定不能なものも含めて未達成が77項目

でした。

IBMのビジネス面では学ぶことも非常に多くありました。

脱力することや怒り狂うこと、悔しくて仕方ないこともたくさんあった四半期でした。

だれだって同じだと思いますが、次から次に降り掛かってくる困難に全力で対処しているうちに知恵を使って工夫します。
だから当然考え方もいろいろ変わってきています。それを僕は今のところ成長ととらえています。

自分の会社(株式会社Eight Arrows)のビジネス面でも変化を加えてこられました。

グロービスでは新たなコースをもったりパートナーファカルティになったり。

また、発信活動では下記のような新しい連載を持ったりしてます。

www.kyoritsugroup.com

ブログも定期的更新は続けられています。

家庭生活の面では、子どもたちの思春期への対応が少しずつうまくなっている(って言うのかな?)とは思っています。

そして、個人生活の面では、健康面については特に風邪を引くわけでもなく淡々と体づくりはできています。昨年秋に病気をした直後から5キロほど体重を増やしましたが大半筋肉と信じています

小説を読んだり映画を見たり、競技会に出場したりという目標も立てているのですがそのあたりもOn Trackで来ています。

それぞれの目標を達成することは、当然継続して追求して行きたいです。

残りの3四半期は今まで以上に新しいことへの行動を増やして行きます。

そのためには、人と会う回数を増やし、そこを軸にインプットも多くしたいと考えています。そしてここに書けるような具体的な形にできたらいいなあと思っています。

企画段階から具体化、ということですかね。

目標を立て、振り返ることの意義

毎回、自分で振り返って思うのですが、目標って立てることも重要ですが、振り返りってすごく有意義だと思います。

目標そのものを思い出したり、年初に自分が希望に満ちて考えていた初心を思い出したりすることができます。

そして何よりも自分の成長・変化についても確認することができます。

まずは皆さんも目標を立てて、振り返ってみてはいかがでしょうか。

 

新社会人の皆さんへ

こんにちは。

4月ですね。

今年も日本の新卒一括入社の季節がやってきました。

4月1日が日曜日ですので、多くの人が4月2日に入社式を迎えられるのでしょうかね。一昨日の3月30日の金曜日に会社を出る時にIBMの一階のフロアでも準備が行われていました。

新社会人の皆さん、ようこそ!

どうしても自分の時のことを思い出してしまいます。

そのころには存在すらしていなかったGoogleの作ったGoogle Home miniに尋ねたら1997年の4月1日は火曜日だったそうです。

その日に僕は社会人になりました。そのときに着ていたYシャツは今でも持っていて、その後20回ほど通過してきた4月1日に着たりしています。形は旧いですがまだ着られます。

20年以上に及ぶ、失敗したりうまく行かなかったりした経験の中から、参考にしてもらえることは無いかな、なんて考えて書き始めてみました。(順不同)

  1. 誰しも、新しい世界に飛び込む時は期待と不安の両方の気持ちを持つものです。どちらも成長のためには必要なことです。特に不安の方は不快に感じるのではなく、成長の前触れとして是非たのしんでみてください。
    (あなたの目の前の先輩も全員が通ってきた道だし。)

  2. 新社会人って、職場でいろんな意味で目立ちます。たくさんの人が寄ってくると思います。そんでもって、いろんな「ご助言」をくれると思います。その人自身のために近寄ってくるのか、あなたのために近寄ってくるのかは見極めが重要!
    (経験的には、本当に有益な助言をもたらしてくれる人は、最初は少し遠巻きにあなたを眺めていることが多いです)

  3. 「石の上にも3年」は仕事を覚える上では、ある程度真実だと思います。

  4. 仕事を依頼されたとき、法律や倫理、信義に悖ることを強制された場合以外は、たとえ納得いかなくてもまずやってみることをお薦めします。違和感あることを体験してみるのは視野を広げるいい機会かも。

  5. 働き方改革」ってのを誤解しないように。減って行くこの国の人口でも成長をするための”生産性向上”のための重要な施策です。早く帰るための施策ではありません。

  6. 「素直さ」は若い頃の数少ない武器だったりします。ちょっと不器用でも素直な人が、かなり器用で(素直じゃなくて)当初先頭を走っているように見える人を追い抜くのは、意外に時間がかからないものです。 
  7. 「キャリアビジョン」というやつを今の時点であなたが持ってなくても、気にすることはありません。あった方がいい、というだけです。40歳までに持ってなかったら、立ち止まって考えてみればいいです。
  8. もし「誰かのために」って思える仕事があったら、それは最も幸せなことです。つきすすんでください。でも、今の時点でそう思える仕事が無くても気にしないでください。30歳までに経験できなかったら立ち止まって考えてみましょうか。
  9. 今まで育ててくれた人に感謝しましょう。そして、それを伝えましょう。今がいいタイミングです。僕はタイミングを逃して今まで来ちゃった。
  10. (ここまで書いてみて思ったけど)年をとると説教っぽくなりますね。そういうものだと思ってください。いつか分かるから!
    そして、次の世代に伝えてあげてください。気が向いたらでいいです。

さて、現場でお会いしましょう!

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ログを振り返ることの意味

こんにちは。

過去ログを振り返る作業

最近、当ブログを振り返って毎日一本ずつ読み直すという作業をしています。

もともとは、バラバラと書いていたものをカテゴライズするために始めた作業でした。一本ずつ編集モードにして、同時進行で作った「チーム」「リーダーシップ」などというキーワードにタグ付けして分類しているのです。

その作業だけを一気にやってしまうと負担感もあるし、面白くないので一日一本ずつ実施し、その際にコメントを加えて改めてSNSで共有する、という作業に置き換えてみました。

そこで、幾つか思わぬ収穫がありました。大きく3つくらいでしょうか。

思わぬ収穫

まず、何よりも一点目は、自分が過去考えたことを霧散させず、改めて蘇生できること、ですね。

タイムラインなどで流れて行ってしまうのを防ぐためにストックとして実施しているわけですから、何度も見返してみるのは意味のあることです。

資産の有効活用とも言えます。

「意外にいいこと言っているなあ」とか「まだまだ考えが甘かったなあ」とか、そんなことを思ったりもします。

また、数年前の自分自身の姿とはいえ彼我の差をみることにも意味があると思いました。コレが二点目。

ここでの彼我の差というのは、自分自身の知的な側面での成長の軌跡でもあるわけです。そうえば、この時期こんなことで悩んでいたな、今だったらさらっと乗り越えられるのになんて思ったりもします。

中には「この人は素晴らしい。将来伸びるに違いない」とか「これは間違っている。長続きはしない」などと予想めいたこともコメントしてたりしますが、結果が出ているものもあり、そのときの考えを検証することもできます。

あとは、二点目とは矛盾するようですが、過去の自分に教えてもらっている、とすら感じる部分もたまにあります。

この三点目が最も意外でした。

自分自身は日々成長前進しているつもりです。それが証拠に二点目で自分の成長実感のことを書いているわけですから。

一方で日々の雑事に流される中でつい忘れてしまっていることや、余裕が無くて気を配れていないコトに対して、過去の自分が

「をいをい、キミキミ、ちょっとちょっと」

と、指導してくれているみたいな感覚になります。

本稿の性質として、自分の仕事の中で課題解決を通じた気付きを備忘録的に書いているという側面があります。

すなわち、うまく行かないことを工夫してなんとか前進させた、という類のものがおおいため、表現を変えれば自分が陥りやすい悪い状況や、失敗などから教訓を得ているところがあるわけです。

したがって、気を張っていないとつい同じ失敗をしてしまうという展開になりやすい。なので、時々慌ただしい中で振り返ると、

「あ、そうだった。ここで主張していることを、今この瞬間、自分自身が実行できてないや」

なんて思うことが多いわけです。

なんか、昔の写真を振り返ったり、昔の仕事の資料を見返したりすることにも似ているな、って思いました。

「若いなあー」からはじまりつつも、「初心に返って」とか「そういえば忘れていたよ、この感覚」などと改めて昔の自分に教えてもらった、というような。

(日記って、小学校の宿題以外に自分の意志で書いたことがなかったのですが、同じような効果があったりするんですかね。しばらくして振り返るのであれば結構効果の高い教育手段だったりするのではないか、なんて思いました)

皆さんはどう思われますか?

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東急線二子玉川駅から

 

手垢のついた言葉の深いヤツ

こんにちは

ヒーローインタビューから

先日、オリパラのピョンチャン大会のテレビ放送を見ていて、子どもがこんなことを言いました。

「なんで、メダリストはインタビューで『支えてくれた、全ての人に感謝』って口を揃えていうのかな」

なるほど。

僕も若い頃、こんなこと考えてたな、と思い出しました。

スポーツで何かを成し遂げたひとや、きびしい選挙戦を戦って当選した人なんかがコメントする「感謝の気持ち」というものに対して、つい「よそ行きのコメント」「優等生コメント」という解釈を少なからずしていたのです。

でも今では少しだけ、何かやり遂げた人が口に出す”一般的な”感謝の言葉の言葉の重みがわかる気がします。

何かを一生懸命頑張ってみて、自分でできることはほとんど試してみて、さらにそれでも間に合わないときに、誰かの支援があったとき。それが、どれほどありがたいか初めて分かるわけですからね。

僕のような凡人には経験を通してしか分からないことってあるのです。

「手垢のついた言葉」の重み

この『支えてくれた、全ての人に感謝』というようなコメントを、あえてここでは「手垢のついた言葉」と呼んでみます。

チームスポーツの選手がよく言う「メンバーを信じる」というコメントも同様です。

メンバーを信じることがどれほど大変か、つらい時にメンバーを疑ったり、失敗を他のメンバーのせいにしそうになる時を幾度も経験しないとその言葉の重みは分かりません。

だから、経験が浅いときには「表面的な言葉」とだけ、映るのです。

 他にも「子どもを信じる」なんて言葉も、思春期の子どもをもって改めてその言葉のおもみを噛み締める毎日です。

手垢のついた言葉、っていう意味では「イノベーション」なんて言葉も、駆け出しの頃はよく使ってましたが、その言葉の重みを理解するにつれあまり使えなくなりました。でも最近、その言葉をさらに深く理解した気がしたので、自分なりに意味を持たせて使う頻度を上げてきたような気がします。

それに気付くと、人の見え方も変わってきたりします。意味を持たせて強い思いで発信している人の言葉が理解できるようになります。

同時に、それまでの自分の未熟さを痛感したりします。

コレに類する言葉って、まわりにあふれてますよね。

言葉って、使い方や状況などで重みが変わります。

たとえ「手垢のついた言葉」でも、重みを持たせてつかえる大人になりたいものです。(とはいえ、こだわりすぎると無口になっちゃうので、ペラペラしゃべりますが!)

こんなこと、考えたことありませんか?

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人は年をとる。認めたくないが…

こんにちは。

メジャーリーグのニュース

今週は、野球選手のイチローさんがシアトル・マリナーズに復帰するというニュースが流れました。

個人的に思うこととしては2つほどありました。

まず、古巣に戻るというというのは自分でもやったことがあるのですが、少しあの頃が蘇りました。

もちろん、レベルが違うのはよくわかっていますがね…

流れてきたマリナーズの30秒動画でイチロー選手が古巣のファンに歓迎されているのが良くわかりました。

Mariners on Twitter: "People throughout the Pacific Northwest rn… "

戻ることって、いろいろ思うことあります。そして、いずれ遠からずもう一度去らなければならないのも分かってます。

そんな時に歓迎してもらえるのは、心から嬉しいものです。

もう1つは、何を隠そうイチロー選手と僕は昭和48年生まれで同いどし。誕生日も一週間くらいしか違いません。今年45歳になります。

この歳になると、同い年の人がトップスピードで走ったり投げたり飛んだりしているのを見るのは、心強いものです。

彼は入団会見の中で最低50歳までは現役を続ける宣言をしてました。まだまだ自分も老け込んではいられない、と思います。

とはいうものの、確実に年齢は重ねているのも事実。

いかに、年をカバーできるようなメンテナンスや体との付き合い方を経験とともに学ぶか、というところがポイントなんだろうと思います。

加齢による「なんとか痛」

実は昨年の秋にカバンを変えました。本稿でも別の文脈でご報告しています。

eitarokono.hatenablog.comこのカバンをこの数ヶ月持ち続けていたところ、どうやら持ち方が悪かったらしく、右の肘がいわゆる「テニス肘」になってしまいました。

多少重いものは、筋トレついでになる、なんて思ってPC他たくさんの荷物を入れていたため、加えて右手だけを使っていたため、というのが原因です。

整形外科では「当面右手を使うな」ということでした。それに従って左手ばかりを使っていたら、今度は腰にきました。

ということで、正直ちょっと年を感じて弱気になる日々でした。

発想の転換で一瞬で解決

ですが、今までの発想を変え信頼できる人のアドバイスに従ったことで、一瞬で根本解決したのです。

解決策は、リュックの導入です。

実は今まで、リュックはビジネスにおいてはあまりにカジュアルである、というポリシーのもと20年以上避けてきました。

(今のチームでは僕は超マイノリティーでして、僕だけがビジネスバッグを使っていました。)

今まで頑なに主張してきたという世間体もあり、かなり迷ったのですが、背に腹は代えられません。44歳にしてリュックの導入です。

新宿伊勢丹のメンズ館が充実している、と聞いたので行ってみたところ、ものすごい展開をしていました。

驚きました。

いろいろ見てみると機能と見た目の両方でかなりのレベルのものが揃っていました。

そして、その中でもmasterpieceという関西のブランドのものにしました。(写真参照)

とうとう我がチームの全員がリュック愛用者になった瞬間です。

で、効果は、というとリュックにしたその朝にはまだ腰痛だったはずなのですが、その日の帰りは気にならなくなり、翌日には治ってました。

慢性的に痛みを持っている肘も、今まで良くなる兆しが全くなかったのに、嘘のように痛みが引いてきています。

なんじゃそれ。って感じです。

両手が自由になったことで歩いて移動しながら折り畳み傘を開いてさせるとか、なんとなく若々しい気分になる、とか想定外のメリットもありました。

イノベーションとか、発想の転換とかいろいろ偉そうに発信してましたが、灯台下暗しというか、身近なところにやるべきことがあったことを痛感しました。

柔軟性が無いのは自分だったんじゃないかと。

まあ、人生こういうことの繰り返しでしょうかね。

当然ビジネスバッグはビジネスバッグでその良さがあります。体が落ち着いてきたら、時と場合によって使い分けて行こうかな、と思っています。

スーパースターの帰還のタイミングで、こんなことを考えた数日間でした。

イチロー選手の大活躍を期待します。

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自分たちの責任は自分たちで 〜それぞれの世代はこの曲をどう聞くのか〜

こんにちは。

今回はおなじみ感情系投稿です。

機内プログラムで聞いた浜省「J. Boy」

先日日帰り国内出張で全日空の飛行機に乗りました。

いつも習慣的に音楽プログラムを聞くのですが、その中でも最近は八嶋智人さんがパーソナリティをやっているAround the 80'sという読んでそのままのプログラムを聞きます。

要するに僕はこのプログラムのドンピシャターゲットなわけです。

で、その中に浜田省吾の”J. BOY”という曲がありました。

パーソナリティの八嶋さんの語りによると、これはJapanese Boyの略で当時の日本のサラリーマンたちを指したものだそうです。

1986年の作ということで、右肩上がりのバブル前夜の時代の、働く人たちの苦悩を代弁したようなメッセージソングである、と。

歌詞はこんな感じです。↓

http://j-lyric.net/artist/a0011b4/l003ad8.html

YouTubeにはこんな感じで載ってます。↓

浜田省吾 『J.Boy (ON THE ROAD 2011 "The Last Weekend")』 - YouTube

実はこの曲は初めて聴いたのですが、世代的にも好み的にも僕にヒットする曲でした。

それだけではなく、歌詞を聞いていて思ったことが少しありました。

もっとも意外だったのは、上り調子でお金もたくさんあった時代だったはずなのに、それなりに辛そうな曲調や歌詞であったこと。

時代の雰囲気を反映して、すごくゴージャスな感じの曲が多い印象がありますが、働く人たちに近い題材になると状況は少し違うようですね。

今でこそ「バブルの頃は良かったね」とか「バブル世代だから」、「バブルの時に踊ってしまった」という文脈で、「過去の栄光」や、逆に「諸悪の根源」的な語り方を(少なくとも)僕はしてしまうのですが、この曲を聞くにつけ、当時のJ. Boyたるビジネスパーソンの皆さんは大変な思いをしながら、色々矛盾や悩みを抱えつつ、身を粉にして働いていたんだな、と改めて思ったのです。

当時もかなり支持された曲だったようですので、同じような感覚を投影する人は多かったのでしょうね。

団塊ジュニア世代の僕としては…

当たり前のように自分以外の誰かから与えられた”明確な”目標のもと、家族や友人よりも仕事を優先するのが当然という時代だったはず。

夕方に男性社員が「保育園にお迎えに行きます」なんて言おうものなら大変なことになっただろうな、とか。

ネットもスマホもないから「今日は家で仕事しまーす」なんて言えないし。

海外とのやりとりも気軽にメールで資料送るから電話会議しよっか、って感じではできないし。

そして、何よりも強く感じたのは、そんな自由な働き方が今できるのは、”J. Boy”たる先人たちが精一杯いろんなところを開拓してきてくれたからなのは間違いないな、と。

だから、あったりまえですが、僕たち世代はいまの問題を少しでも解決して次の世代に繋いでいかないとダメだな、って思ったわけです。

つい、「逃げ切った世代」とか「バブル世代」とか、自分たち以外の世代のせいにして溜飲を下げるだけに終始するのはやめようかな、とも。

まあ、もちろん守るべき伝統は守るし、先人の知恵や歴史に学ぶことは前提ですけどね。

皆さんはこの「J. Boy」とう聴きますか?

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