人は年をとる。認めたくないが…

こんにちは。

メジャーリーグのニュース

今週は、野球選手のイチローさんがシアトル・マリナーズに復帰するというニュースが流れました。

個人的に思うこととしては2つほどありました。

まず、古巣に戻るというというのは自分でもやったことがあるのですが、少しあの頃が蘇りました。

もちろん、レベルが違うのはよくわかっていますがね…

流れてきたマリナーズの30秒動画でイチロー選手が古巣のファンに歓迎されているのが良くわかりました。

Mariners on Twitter: "People throughout the Pacific Northwest rn… "

戻ることって、いろいろ思うことあります。そして、いずれ遠からずもう一度去らなければならないのも分かってます。

そんな時に歓迎してもらえるのは、心から嬉しいものです。

もう1つは、何を隠そうイチロー選手と僕は昭和48年生まれで同いどし。誕生日も一週間くらいしか違いません。今年45歳になります。

この歳になると、同い年の人がトップスピードで走ったり投げたり飛んだりしているのを見るのは、心強いものです。

彼は入団会見の中で最低50歳までは現役を続ける宣言をしてました。まだまだ自分も老け込んではいられない、と思います。

とはいうものの、確実に年齢は重ねているのも事実。

いかに、年をカバーできるようなメンテナンスや体との付き合い方を経験とともに学ぶか、というところがポイントなんだろうと思います。

加齢による「なんとか痛」

実は昨年の秋にカバンを変えました。本稿でも別の文脈でご報告しています。

eitarokono.hatenablog.comこのカバンをこの数ヶ月持ち続けていたところ、どうやら持ち方が悪かったらしく、右の肘がいわゆる「テニス肘」になってしまいました。

多少重いものは、筋トレついでになる、なんて思ってPC他たくさんの荷物を入れていたため、加えて右手だけを使っていたため、というのが原因です。

整形外科では「当面右手を使うな」ということでした。それに従って左手ばかりを使っていたら、今度は腰にきました。

ということで、正直ちょっと年を感じて弱気になる日々でした。

発想の転換で一瞬で解決

ですが、今までの発想を変え信頼できる人のアドバイスに従ったことで、一瞬で根本解決したのです。

解決策は、リュックの導入です。

実は今まで、リュックはビジネスにおいてはあまりにカジュアルである、というポリシーのもと20年以上避けてきました。

(今のチームでは僕は超マイノリティーでして、僕だけがビジネスバッグを使っていました。)

今まで頑なに主張してきたという世間体もあり、かなり迷ったのですが、背に腹は代えられません。44歳にしてリュックの導入です。

新宿伊勢丹のメンズ館が充実している、と聞いたので行ってみたところ、ものすごい展開をしていました。

驚きました。

いろいろ見てみると機能と見た目の両方でかなりのレベルのものが揃っていました。

そして、その中でもmasterpieceという関西のブランドのものにしました。(写真参照)

とうとう我がチームの全員がリュック愛用者になった瞬間です。

で、効果は、というとリュックにしたその朝にはまだ腰痛だったはずなのですが、その日の帰りは気にならなくなり、翌日には治ってました。

慢性的に痛みを持っている肘も、今まで良くなる兆しが全くなかったのに、嘘のように痛みが引いてきています。

なんじゃそれ。って感じです。

両手が自由になったことで歩いて移動しながら折り畳み傘を開いてさせるとか、なんとなく若々しい気分になる、とか想定外のメリットもありました。

イノベーションとか、発想の転換とかいろいろ偉そうに発信してましたが、灯台下暗しというか、身近なところにやるべきことがあったことを痛感しました。

柔軟性が無いのは自分だったんじゃないかと。

まあ、人生こういうことの繰り返しでしょうかね。

当然ビジネスバッグはビジネスバッグでその良さがあります。体が落ち着いてきたら、時と場合によって使い分けて行こうかな、と思っています。

スーパースターの帰還のタイミングで、こんなことを考えた数日間でした。

イチロー選手の大活躍を期待します。

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自分たちの責任は自分たちで 〜それぞれの世代はこの曲をどう聞くのか〜

こんにちは。

今回はおなじみ感情系投稿です。

機内プログラムで聞いた浜省「J. Boy」

先日日帰り国内出張で全日空の飛行機に乗りました。

いつも習慣的に音楽プログラムを聞くのですが、その中でも最近は八嶋智人さんがパーソナリティをやっているAround the 80'sという読んでそのままのプログラムを聞きます。

要するに僕はこのプログラムのドンピシャターゲットなわけです。

で、その中に浜田省吾の”J. BOY”という曲がありました。

パーソナリティの八嶋さんの語りによると、これはJapanese Boyの略で当時の日本のサラリーマンたちを指したものだそうです。

1986年の作ということで、右肩上がりのバブル前夜の時代の、働く人たちの苦悩を代弁したようなメッセージソングである、と。

歌詞はこんな感じです。↓

http://j-lyric.net/artist/a0011b4/l003ad8.html

YouTubeにはこんな感じで載ってます。↓

浜田省吾 『J.Boy (ON THE ROAD 2011 "The Last Weekend")』 - YouTube

実はこの曲は初めて聴いたのですが、世代的にも好み的にも僕にヒットする曲でした。

それだけではなく、歌詞を聞いていて思ったことが少しありました。

もっとも意外だったのは、上り調子でお金もたくさんあった時代だったはずなのに、それなりに辛そうな曲調や歌詞であったこと。

時代の雰囲気を反映して、すごくゴージャスな感じの曲が多い印象がありますが、働く人たちに近い題材になると状況は少し違うようですね。

今でこそ「バブルの頃は良かったね」とか「バブル世代だから」、「バブルの時に踊ってしまった」という文脈で、「過去の栄光」や、逆に「諸悪の根源」的な語り方を(少なくとも)僕はしてしまうのですが、この曲を聞くにつけ、当時のJ. Boyたるビジネスパーソンの皆さんは大変な思いをしながら、色々矛盾や悩みを抱えつつ、身を粉にして働いていたんだな、と改めて思ったのです。

当時もかなり支持された曲だったようですので、同じような感覚を投影する人は多かったのでしょうね。

団塊ジュニア世代の僕としては…

当たり前のように自分以外の誰かから与えられた”明確な”目標のもと、家族や友人よりも仕事を優先するのが当然という時代だったはず。

夕方に男性社員が「保育園にお迎えに行きます」なんて言おうものなら大変なことになっただろうな、とか。

ネットもスマホもないから「今日は家で仕事しまーす」なんて言えないし。

海外とのやりとりも気軽にメールで資料送るから電話会議しよっか、って感じではできないし。

そして、何よりも強く感じたのは、そんな自由な働き方が今できるのは、”J. Boy”たる先人たちが精一杯いろんなところを開拓してきてくれたからなのは間違いないな、と。

だから、あったりまえですが、僕たち世代はいまの問題を少しでも解決して次の世代に繋いでいかないとダメだな、って思ったわけです。

つい、「逃げ切った世代」とか「バブル世代」とか、自分たち以外の世代のせいにして溜飲を下げるだけに終始するのはやめようかな、とも。

まあ、もちろん守るべき伝統は守るし、先人の知恵や歴史に学ぶことは前提ですけどね。

皆さんはこの「J. Boy」とう聴きますか?

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ゆとりの轍を踏まない、働き方改革世代の時間の使い方

こんにちは。

以前(だいぶ以前)、テレビでこんな光景を目にしました。

ゆとり教育”の影響

通称”ゆとり教育”の振り返り番組だったと思うのですが、その教育を受けた世代に該当すると思われる若者が、”大人”に向けて

「ゆとりで育ってしまった私たちは、どうすればいいのですか」

という質問をしていたのです。

それに対して大人が、答えに窮しているように見える演出でした。

家庭や学校の現場が、当時の文部省の意図とは少し異なる動きをとってしまった結果、十分な知識を得ることなく、とはいえ「生きる力」も不十分なまま義務教育を終えた、というこれまた意図せざる効果が出てしまった、と言うことで理解しました。

一方で、講演などで人前でお話しするような機会に「ゆとり世代」と言う言葉は安易には使わないようにしています。

「世代」でステレオタイプで区切ることは、何かを言い表してはいますが、その世代全員を説明しているわけではありませんからね。

事実、文部科学省の当時の方針とは関係なく、多くの知識の上に立った上で考える力を養うという方針で、教育を続けた私学や民間の教育機関を通じて学んだ児童・生徒、学ばせた保護者も多いようです。

その教訓を今に当てはめると

上記の分析は、いずれもデータに基づかない、僕の持つ印象にすぎない解釈ではありますが、大枠正しいとして、この経験から次のようなことを考えました。

同じことの繰り返しが、今の日本の職場で行われている「働き方改革」でも起こってしまわないよう注意する必要があると思うのです。

「働き方改革」についての政府の意図を僕が解釈すると、

  1. 低い生産性でダラダラ仕事するのではなく、高い生産性で効率よく仕事をしましょう。人口減ってるんだし、高齢化してるんだし。
  2. とは言っても成長はしなきゃなんだから、浮いた時間で何か他に生産的なこと、しましょう。(人生百年時代に備えたリカレント教育とか、起業とか、複業とか)

と言うものです。

あたりまえですが、単に今までと同じやり方を続けて、早く帰るんじゃあ、投入時間が減った分成果が下がるだけですからね。

さらに、全てが無駄な仕事や非効率な職場ではないのは明らかなので、一律に時間を減らすのはキャリアの浅い人の「スキル育成」の機会を奪っているともいえます。

間違っても後から

「働き方改革世代の私たちは、大事な時期にスキル獲得できませんでした。どうしたらいいんですか?」

って言わせることの無いようにしないといけません。

ただ、すでに社会に出ている人たちは、児童・生徒と違って保護者がいません。

時間の使い方は全て本人に責任があります。

というか、本人が自由にできる権利があります。

この「政府からプレゼントされた時間」をどのように使っていきましょうか!?

まさか、早く帰れるからと言って遊んでばかりいる人はいないでしょうけれど、一方でもっともっともっと本が売れたり、社会人大学院に行く人が増えたりしてもいいんじゃないかなぁ、って思います。

みなさんはどう思われますか?

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性格によっては、まずはやってみることが重要だったりする

こんにちは。

ふとしたことから、10年以上まえの職場でのある出来事を思い出しました。

僕がまだ、いわゆる「現場の元気な若手」だったころのことです。

とある作業依頼の会話

メンバーの方(仮にAさん)に「XXをやっておいて頂けませんか?」と作業依頼した時のこと。

 

Aさん「それをやるには、増員が必要です」

僕「え?そんな感覚はありませんが」

Aさん「いま、いろいろやることがあるし、対応は不可能です」

僕「Aさんがやるとしたら、どれくらいかかりそうですか?」

Aさん「かなりかかります」

僕「あの、かなり、ってどれくらいでしょうか?時間とか人日で答えて頂けるとたすかります」

Aさん「今すぐ、そんなこと言われても困ります」

僕「見積もりは作業計画の基本です。一旦増員すべきかの判断のためにもラフでいいのでタスクを整理して、作業時間を見積もってもらえますか?」

Aさん「わかりました。明日までに見積もります」

 

なんとなく、イヤな予感がしますよね。

なのでこのときは、すぐに自分でやりました。作業は1時間程度で終わりました。

 

翌日Aさんから上がってきた作業見積はエクセルにシンプルな表で纏められたものでしたが、14人日(14営業日=約3週間分)の作業見積もりでした。これが本当なら増員が必要ですよね。

 

僕「おそらく、こうなるだろうと思って昨日のうちにやっておきました。ちなみに1時間で作業を終えられました」

Aさん「...」

人は外部刺激に対して過剰に反応しがち

これ、本当にあった話です。

つい、人は外部から与えられた刺激に対して過剰に反応しがちではないでしょうか。

その人の性格によりますが、物事を大きくとらえがちな人は特に、考えるより生むが易し、というケースが多いです。

僕もどちらかというともともとは、物事を大げさにとらえる方でした。

ですので作業も多めに見積もったり、着手する前は必要以上に負担に感じる傾向がありました。

ただ、いろいろ経験するにつれ、世の中の大抵のことというのは、やってみると極端な話、想定していた時間や労力の10分の1ですんでしまうことの方が多いことが分かってきました。

以来、つとめて楽観的に物事を見るように行動を変えるよう努力しています。

そして、そうすることによって、いままで避けていたことも特に逡巡せずとりくむこともできるようになりました。

「まずはやってみる」て最もシンプルでイージーな解決策だったりします。

もし今、なんか迷っていることや、積み残していることがあったら、 やってみてはいかがでしょうか?

皆さんはどう思われますか?

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「同調圧力」と「建設的な不調和」の狭間

こんにちは。

DHBSの記事

ちょっと前(2017年11月)のダイヤモンド・ハーバード・ビジネスレビューの「出る杭を伸ばす組織」という特集を興味深く読みました。

その中でもフランチェスカ・ジーノさんというHBSの教官の書いた『同調圧力が生産性を低下させる「建設的な不調和」で企業も社員も活性化する』という記事は、今の課題意識と近いものがあったので、かなり引き込まれました。

内容としては

どの組織でも調和を求める圧力が、異論や新しい考えの芽をついばんでいる。それに対して、組織は『建設的な不調和』を育てることで、勤労意欲や生産性の向上、イノベーションの増大を期待できる

というもの。

記事内には、同調圧力が発生する原因と、その解決策が整理されています。解決策はイージーではないがシンプルなものが多く、これについても個人的には非常に賛同しました。飛び道具ではなく「あたりまえのこと」をやることが全ての取り組みの前提条件なんだと思うのです。

同調圧力」は洋の東西を問わない

興味を持った理由の一つに「組織の課題って、根本は洋の東西を問わないのだな」と感じたところです。

この手の話でよくある流れとしてありがちなのは、(かつ自分でもやってしまっているなと思うことは)、「日本人は」「日本の組織は」「日本の文化は」という決まり文句を使うことです。

周りに日本人が多いのでつい「日本は」と言ってしまい、「ここではない、どこか」つまり日本以外の外国では何か特別なパラダイスが存在していると思いがちなのだと感じます。

ここ、気をつけないといかんなあ、と改めて思いました。

目的の共有と信頼関係の大切さ

あと、もう一つの理由は、次のような新たな課題意識を持ったことです。

現場で仕事をする際に、次のような2つの側面の判断で迷った時に、どのような基準で判断すべきだろうか、というものです。

  1. 「ここは、方針だからしたがってほしい」(または立場を逆に「これは、方針だから従おう」)と"同調"を求めるべき場面
  2. 「なるほど、そのアイデアは斬新だね」(または立場を逆に「現状、違和感を感じるから是非意見しよう」)と”建設的な不調和”を作り出す場面

これって日常あるジレンマじゃないでしょうか。

現時点での僕の結論としては…

目的を共有し、信頼関係が成立している相手とのやりとりであれば、上記の「2」として取り合うようにします。

そして、そうでない相手、すなわち目的を共有できているかどうか分からない相手や、信頼できない相手とのやりとりであれば一旦は「1」なのではないかと思います。

ただし、ここで気をつけなければならないのは、この「1」を取らざるを得ないシーンが多いため、勤労意欲や生産性の低下、イノベーションの減少が起きやすいわけです。

ですから、「1」の行動を取らざるを得ないシーンはやはり極少化するべきでしょう。

なので、まずは日々の優先項目としては組織で働く人たちは、「目標の共有」と「信頼関係の成立」に力を注ぐべきなんだろうな、と思います。

皆さんはどう考えますか?

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フリーランスの落とし穴

こんにちは。

最近、寒い日が続きますが、皆さん体調はいかがでしょうか。

仕事の品質の危機

ご多聞に洩れず我が家も、順番に体調を崩していき、通常風邪に縁がない僕も低空飛行を続けております。

というものの、インフルエンザ罹患には至っておらず長期休業からは免れている状況です。

そんな中、こんな本を読む機会がありました。

自分の時間を取り戻そう―――ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方

自分の時間を取り戻そう―――ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方

 

発売日を見ると実はだいぶ前の本なのですが今回初めて手に取りました。

今の働き方改革の動きに新しい視点を加えるような内容で、全編を通じて印象的な内容でした。

で、今回ここで取り上げたポイントですが、ネタバレ的になるかもしれませんが、気をつけなきゃいけないなあ、と心から思ったポイントがあったのです。

それは「フリーランスこそ、遊びの予定を先に入れてそれを死守する必要がある」という趣旨のメッセージがあった点です。

休みを入れることでアクセントにする

僕も、会社に所属しながら自分でも仕事をしています。

新しい雇われ方、働き方を自分で実践しようと思ってのことです。後に続く人のためにも自分がやらなければ、という手前勝手な使命感もあります。

ただ、現実的には所属会社であるIBMの仕事もそれなりに時間が必要であり、それ以外の時間を使って自分のビジネスをやることになります。

そうすると、何も工夫をしないで挑むと朝から晩まで、平日も休日も働くことになります。まあ、自分が選んで好きでやっていることが大半なので嫌で嫌で仕方がない、ということはないのですが、とはいえ、仕事なのか休みなのかわからないような時間がダラダラすぎている、という状態にはたと気付くことがあります。

単に時間がかかってしまうことのみならず作業の品質が低くなることもあるので、これは、実は最も避けたい状況です。

そんなときは、免疫力も下がるのか体調を崩しがちになります。今みたいな季節は特に体に負担がかかりやすく、簡単に風邪をひいたりするようになります。

そうするとさらに作業品質も下がり、体だけではなく心の健康もあまりよい状態ではなくなる、という悪循環に陥ります。

この状況を回避するための策が、さきほどのちきりんさんの書籍にコメントしてあった「フリーランスだからこそ、まず休みの予定を入れる」という手法の応用です。

もちろん、完全なフリーランスというわけではないので、一定の制限があるものの、この日は仕事をしない、とか友人と会うとか、家族とどこかに旅行に行く、と言った行事や休みから入れて行くわけです。

そうするとそれに向かって仕事を一気に集中的に終わらせようという瞬発力や使命感が働きますので、結果的に高品質の成果を短時間で出すことができるはずです。

時間こそ、最も貴重な財産

何しろ、世の中で命が一番大切なものだとすると、その命を細かく分離したものが個々人の持つ「時間」というやつです。それが大切でないわけがないですからね。

ついつい無駄にしてしまいがちな「時間」とは、見方を変えると「命のある一部分である」という考えに立って見ると日々の過ごし方が少し変わってくるかもしれませんね。

皆さんはどう考えますか?

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「FAAMG」ってご存知ですか? B2BオンリーからB2Cマインドを持った組織へ

こんにちは。

時価総額ランキングトップ5: "FAAMG"

FAAMGという表現をご存知でしょうか。

実はまだ定着した表現ではないようなのですが、2017年時点の世界の時価総額ランキングの上位5社の頭文字をとったものです。(順番は入り繰りあります)

世界時価総額ランキング2017 ― World Stock Market Capitalization Ranking 2017

すなわち、

Facebook, Apple, Amazon, Microsoft, Googleです。

もともとこの5社の特徴と、自分が所属するIBMとの比較を常にしていたので、この5社をまとめて表現するものがないかと探している中で見つけたものです。

1社ずつ個別に挙げて行くと、5つ全部思い出せないんですよね!たいてい4つまで思い出して「あとなんだっけ?」となるので、いい表現をさがしていました。

日本語のカタカナでこのFAAMGをうまく読むよみかたも定着していないようです。「ファーング」といった所でしょうか。

口頭で表現するとファーングなので、もともと伸び盛りの株を示した市場用語であった「FANG」(Facebook, Amazon, Netflix, Google)の方が有名であったようで、新聞記者の方にFAAMGというと、FANGですか?と聞き返されたこともあります。

個人向け(B2C)と法人向け(B2B)の違い

で、なんでこのFAAMGの5社に注目していたかというと、組織としてのそのスピード感、組織文化です。

もう少し詳しく言うと、この5社の共通点として個人すなわちコンシューマーを強く意識した商品・サービス(B2C)を展開しつつ、対法人向けビジネス(B2B)でもうまくやっている点です。

この2つのビジネスの比較がなんで今重要かというと、その環境変化が起点になっています。

かつては法人に所属していないと得られなかったような情報が、今では個人でも安価・瞬時に手に入ります。同じように企業経由でしか発信できなかったような情報を個人が世の中に広められる時代です。

そして法人の中の意思決定者も、どの人をとっても個人としての側面を持っているひとりの人格ですので、個人として生活する中で持った印象や情報をもとに組織の中で意思決定を下して行きます。

ですので、いざ、組織のなかでのポジションや責任に応じた意思決定をするときも、日頃接している情報が大きく影響してくるわけです。

B2Bビジネスであっても、この変化に対応して行く必要があります。

実際には、たとえば新しい製品・サービスが世の中に送り出される時、20世紀であれば、まずは本国だけで本国の言語で出して、様子を見ながら売り上げが見こめるマーケットの見こみ顧客を見極めます。そしてビジネスとして行けそうであればそのマーケット向けの言語や仕様を備えた製品・サービスをつくり出すというある意味ゆっくりした方法が定石でした。

これは、比較的大規模な年間予算をもとに年次サイクルで回っているB2Bビジネスの常道であり、少ない投資で大きなリターンを得ることのできる低リスクな方法だったのです。

顧客側も、組織として熟慮をかさね、諸々検討する時間をとれることもあり、そのスピード感で全く問題ありませんでした。

一方で、個人・コンシューマーは購買意思決定はかなり反射的にその場で行われることが多いのです。「あ、コレ面白そう」「あ、この感じいやだな」で決まります。

コレに対抗するためには「初見」の時点で一定以上のクオリティを保っている必要があります。

たとえば新製品・新サービスであれば、発表の第一日目からほぼ世界のマーケットを網羅する言語に対応している必要があります。

すくなくとも「日本語はいつ出ますか?」の回答にこたえられる計画がある必要があるわけです。

そうしないと、二度と見向きをされません。

iPhoneに日本語が無かったら、日本では多くの人が買いませんもんね。

B2Cビジネスの強みをB2Bにも

これにちゃんと対応できているのが、冒頭にコメントしたFAAMGの「スピード感」です。そして同じスピード感・ブランドネームでB2Bビジネスに対応しているので、個人消費者の顔を持っている組織内の意思決定社は、同じ感覚・印象でビジネスを進めて行けるのです。

それにともない、当然多少犠牲にしているのが「確実性」です。かつてのB2Bの年次予算スピード感であれば、じっくり良いものを作って、確実におとどけしないといけない、という考え方でした。

しかし今は多くのデバイスがCloudでつながっているため、一旦発売したソフトウェアやサービスをあとから遠隔でバージョンアップすることが可能です。まずは、出してみて適宜修正して行くというアプローチが可能になったわけです。

ですので、多少この「確実性」を犠牲にしても、まずは個人消費者の目につく、印象の良いものを早めに市場に出すことを優先することが従来よりも重要になっているのではないかと強く思うのです。

FAAMGだけではなく、時価総額ランキングの上位にくる会社はかなりの確率でB2Cビジネスで鍛えられた組織であることが多いです。

逆にB2Bだけでやってきた会社の(時価総額上の)凋落ぶりは目に余るものがあります。もちろん、この傾向が永遠に続くわけではないとは思いますが、現時点では、組織としてB2Cビジネスから学んで変化して行く必要があるのではないかと思います。

具体的には例えば、新製品を発表する時にはそのローンチのDay1から主要言語を網羅したものを出すべきなんでしょうね。

今回は、ホワイトカラーの生産性という本稿のテーマとは少しだけ離れていますが、日頃B2Bオンリーの会社と接する中で、そんなこと(はっきり言うと危機感ですね)を強く思ったので、書き留めておきます。

みなさんはどう思われますか?

 

 

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某社社屋より、雪景色を望む