年間目標振り返り 〜歴史的な年に悔しい結果〜

こんにちは。

2016年ももう終わりに近づきました。

今年のアタマに決めた目標を振り返ってみたいと思います。目標は添付参照です。昨年の反省を踏まえちゃんと中間振り返りもしました。

総括すると、非常に悔しい結果でした。ただ、過去の数年とくらべると「自分は何をやっているのだろう?」とか「なんでこんな目に遭うのだろう」という、他責にしたくて仕方が無く、厄年のせいにしていたような後ろ向きな状況は完全に脱しました。

うまく行かなくても、自分の問題と考えられるようになったわけです。その意味では圧倒的な進歩ではありました。

1) ワーク(所属会社):年間ターゲット達成

これ、IBMが上場企業なのでどこまで言っていいのか分かりませんが、自分として一義的に負っている最も意識したターゲットが達成できませんでした。

ここが最も不本意で悔しくて仕方がありません。

次年度は、少しでも言い訳できない状況をつくりだして、自分の責任で絶対に達成したいと思います。

これについては、思うところが多すぎて記せませんが、いろいろな問題はかなり解決して次年度はより高い位置から出発できるような準備がととのったと思っています。

問題解決と種まきに費やした一年でしたが、素晴らしいチームメンバーのおかげでベクトルは目標に向かっていると確信しています。

2)ワーク(個人事業):発信活動の継続

これについては、当ブログを中心に継続的にできました。

また夏には、関西テレビのミュージャックという番組で、今をときめく元AKBの高橋みなみさんやジャニーズのABC-Zの皆さんとご一緒することができました。

書籍は図解版リーダーのコツを上梓することができました。

また、グロービスリーダーシップのコースに登壇することができたのも1つの新しい成果です。

関係者の皆様に心より感謝します。

一方でオリジナルの新刊は出すことができませんでした。これは必ず発展的なカタチで2017年に実現します。

3)ライフ(個人):競技会に2度出場

これについては、未達。具体的には夏のジャパンマスターズ水泳大会には出場は果たしました。もう一回が果たせませんでした。

一方で、ゴルフを始めたという想定外のライフ面での進歩がありましたし、スキーにも取り組むことができたのでアスリート魂はさらに燃焼することになりました。

4)ライフ(家族):家族との時間を維持

これについても、達成です。

上の子が受験を控えていたこともあり、特に下の子との時間は質量ともに濃いものがありました。

これについては、来年も継続していきたいです。(あたりまえか)

5)おまけ:上記目標を忘れない

これも、達成です。あまりにも安易な目標かもしれませんが、昨年目標を立てたことさえ忘れていたので、それを踏まえた目標でした。

2016年全般

それにしても、2016年という年は数年後の教科書にもある程度特別な年として記載されるような特徴的な年だったようなな気がします。

象徴的なのはイギリスのEU離脱の意思決定とアメリカの大統領選挙だと思います。その結果をメディアが想定できなかったことも含めて。

これ以外にも、アレッポでの”代理戦争”やたびたび発生したテロも。

そしてボブ・デュランのノーベル文学賞受賞や、ナタリー・コール、プリンス、デビッド・ボウイジョージ・マイケルなどの死去といった出来事も印象深かったです。

働き方改革の話題も多かったし、それと関係した文脈で人工知能などのコグニティブ技術の話題もさかんでした。つい先日(12/26)の日経の一面は”副業禁止規程の禁止”の話題でした。とうとうここまで来ました。

ビジネスの文脈でも象徴的な一年になるかもしれませんね。

 

さて、冒頭にも記載しましたが、今年は不本意な結果ではあったものの、次に繋がる一年にできたと思います。

2017年の目標は次週発信したいとおもいますが、地に足をつけつつも、大胆に行きたいと思います。

来年もよろしくお願いいたしまーす。

 

みなさんの2016年はどんな年でしたか?

f:id:eitarokono:20161230233416j:image

 

プロを頼るということ

こんにちは。

抱え込んで頑張るよりもプロの一言

仕事の効率化とか働き方改革などといった動きがさらに高まっているせいか、最近拙著のタイトルで講演依頼をいただくことが増えています。

そのような講演の最中、受講者の皆様、とくに現場リーダーの皆様とのやり取りの中で

「問題が発生した時に、手遅れになってしまってから相談されても手の施しようがない。もっと早く相談してほしいし、そのような雰囲気作りをしたい」

といった声を聞くことがあります。

僕自身も自分の中で解決しようとする傾向があるので、溜め込んでしまうメンバーの皆さんの気持ちはよくわかります。

これは、責任感の強さとも取れるし、自信の表れでもあるかもしれません。

ただ、企業などの場合多くの問題は、過去に組織として経験したことのある問題である場合がほとんどで、どこかに解決したことのある人がいたりします。

その経験を生かし切れている組織が強い組織という言い方もできるでしょう。 とくに、その領域のプロと言われる人のアドバイスは貴重です。

素人では解決できないことや何日もかかるようなことを、5分で解決することさえあります。

宴席での出来事

非常に卑近な例ですが、先日僕が経験したことで、プロの助言の凄さを感じたことがあったので、余興的に共有します。

ちょっと前になりますが、拙著の版元であるディスカヴァー21恒例の年末パーティにお招きいただき、出席した時のことです。

男性の著者4名をバックダンサーに従え、干場社長と同じく著者の岩本麻奈さんがキューティーハニーを踊る、という催しがありました。

毎年演目は変わるこの気合いが入った出し物も、そして会場が帝国ホテルで開催されることも恒例になっています。

ステージに上がり、干場社長手ずからの衣装をまといかなり気合を入れて実施するので、どうやら業界でも評判になっているらしいです。

僕自身パーティ自体には過去3回ほどお招きいただき出席しているのですが、2013年には一度ご指名を受けて、そのときは、ゴールデンボンバーの「女々しくて」を踊りました。

今回も栄えあるご指名を受けましたので、喜んでお受けしたのですが、2回開催された練習会にはどうしても都合が合わず、参加できませんでした。

なので、ぶっつけ本番で挑むことになったわけです。

当日会場に行ってみると、なんと1番と2番の間の間奏中2フレーズ「ソロでやってください」とのお達しが。

この手の出し物はこれまでの社会人人生、伝家の宝刀、門外不出のカッパ踊りで切り抜けてきたので、ちょっと高を括っていたのですが、今回は雰囲気的にカッパで乗り切れそうな感じがしません。

ピンチもピンチ、大ピンチ。

と、本番直前の控え室に3人のプロのダンサーの方々がいらっしゃいました。

我々のプログラムの前に幾つか踊る予定とか。

ここは、プロに頼るしか無い!

僕にとっては、普段の生活であまり接点の無いみなさんではあったのですが(世代的にもだいぶ違っていたし)思い切って、今困っていることを相談してみました。

『「人間の姿での踊りは素人」かつ「普段、陸の運動はしていない」僕でも今から1時間後にそれなりに見られるようにしてください』 

嫌な顔をされたり、笑って流されるかな、と思いきや、3人ともが笑顔でおもむろに立ち上がりサッサッサと振り付けを決めて伝授してくれたのです。

特別な才能や、何度も練習して身につける必要がある類のものではなく、その場でちょっと知っていれば簡単にできるものを。

おかげさまで、2フレーズを無難に(?)こなしきり、ことしもこのチャレンジを乗り切ることができたのです。

自分の中で溜め込んで結局間に合わず出し物をぶち壊す...という最悪の事態におちいることなく、むしろ多少なりとも盛り上げることができたのは、プロに頼るという判断をしたからだと自負しています!

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」

彼女たちは、普段ダンスのインストラクターをされているようで、その辺りはお手の物。 頼られることも助言することも何の違和感も無いのでしょう。

よく考えてみれば、拙著で訴えている「仕事のコツ」「リーダーのコツ」も、よく誤解される飛び道具ではなく、まずは基本的なことを着実にやりとおすことが本質です。

このあたりと結構似通っているなあとも感じました。

余興ネタなので、一見仕事の効率化とは無関係に思えるかもしれませんが、僕は結構共通していると感じています。

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」

とはよく言ったものですが、チームの中で、一人で踏ん張り続けることは美学でも根性でもなんでもないんだと思います。

場合によっては逆効果であることさえも…

みなさんはどう思いますか?

f:id:eitarokono:20161225183659j:image

f:id:eitarokono:20161225183706j:image

 

 

できない理由を言う理由 

こんにちは。

なんで、できない理由を挙げるのだろう?

誰かが新しい何かをやろうとしたときに、前に進まない状態を象徴する出来事として

「保守的な人が、できない理由ばかりを先にあげてくる」

というものがあります。

では何故、できない理由ばかりを挙げるのでしょうか。

この「保守的な人」の立場に立って考えると何か見えてくるかもしれない、と思って考えてみました。

幾つか分類がありますよね。

可能性としては、

①間違いなくできないことだから。

②何が出来上がるか、想像つかないから。

③出来上がっても、意義があると思えないから。

④賛成したくない(やりたくない)から。

⑤やってみて、できなかったから。

くらいでしょうか。

できない理由を言う理由も様々

①「間違いなくできないことだから」については、例えば「いまから錬金術の会社を作ろう」とか「明日、火星にいこう」という類の、客観的に不可能なことをであれば、できない理由を挙げる以前にもしかしたら相手にしないかもしれません。

ただ、これは②「何が出来上がるか、想像つかないから」と紙一重という側面があります。

過去に新しい発明や発見をした人は、周りから①のようなことを言っている、と見なされた側面がないわけではありません。国産自動車を作ると宣言した豊田喜一郎もそうだったでしょうし、大西洋を単独無着陸飛行で横断したリンドバーグだってそう思われていたかもしれません。

ですから、新たな試みに立ち向かう人は、本気でできると思ったらならば「できない」と思っている人に、何をやろうとしているかを、できるだけ具体的にイメージできるように伝える必要があります。

しかし、具体的にイメージできるように伝えたとしても、③「出来上がっても、意義があると思えないから」のパターンのようにその意義が伝わっていなければみな、人は何かとできない理由を付けて賛同はしないでしょう。

国産自動車ができたら日本の国は多くの国民を養うことができたり、誇りを取り戻すことができるでしょう。大西洋を飛行機で横断することができれば、人やものの移動が船よりはやくなるはずです。そんな「意義」や「夢」と結びつけると人は賛同してくれやすくなるものなのではないでしょうか。

④「賛成したくない(やりたくない)から」については、色んなケースがあります。

例えば、それをやられると自分の立場が危なくなるという保身のケースや、愛着を持っていたものがそれによって崩れるといったような感情面での抵抗。さらには「お前のことがきらいだから」といったものまであります。これについてはリクツを超えた世界ですので、感情面で訴えるか、力で押し切るかのどちらかで対応するものなのだと思います。

そして⑤「やってみて、できなかったから」ですが、自分がもし「やってみたけどできなかった」ことがあったとして、誰か他の人が改めて「やってみたい」と言ってきたらどうするだろうか。そんな風に考えてみました。

本当に一生懸命やってみて果たせなかった夢を引き継いでくれる人がいるんだったら、その人を応援するだろうな、と思う反面、「自分ができなかった」ことを目の前でやられてしまうと悔しい、というホンネの側面もあるのだろう、とも思います。

できれば、前者でありたいと思いますが、なかなか簡単なことではありませんね。

企てる側がやるべきこと

まとめると、

「周りができない理由ばかりをあげてくる」

という状況を招かないためにやるべきことがたくさんあって、

①’そもそもできることなのかどうか、検証する

②’出来上がりイメージがより鮮明になるように説明する

③’イメージに加えて、そのメリットを話す

④’その際、相手の感情に配慮する

⑤’経験者に教えを乞う

と言ったことでしょうか。

得てして、何かをしかける側になりがちな性格なので、今日は立場を変えて考えてみました。

みなさんはどう感じますか?

 

賢人の教え 〜T.J.Watsonと福澤諭吉〜

こんにちは。

"THINK"と『学問のすゝめ』

僕自身が意図せず、結果的に大きく影響を受けることになった二人の賢人の間に、共通点を見いだしたことがあったので、少し書いてみたいと思いました。

T.J.Watsonと福澤諭吉です。

最近はWatsonというと、別のものをさすことが増えましたが。

そのCognitive Computing を推進するWatsonを”Watson”と呼ぶ理由は、ご存知の人も多いと思いますが、今のIBMの基礎を作った人がThomas Watsonであり、中興の祖と言われるのがその息子であるThomas Watson Jr. だからです。

IBMの中で、”THINK”という言葉は行動原則のような扱いをうけており、社屋のあちこちや、製品名の一部につかわれています。

その由来になったのが以下のThomas Watson Sr.のコメントです。

www-03.ibm.comここで、

"And we must study through reading, listening, discussing, observing and thinking. We must not neglect any one of those ways of study. "

「文章を『読み』、『話を聞き』、『議論し』、『観察し』、『考える』ことを通じて学ばなければならない。このうちのどれ1つとして欠かしてはならない」

と言っています。

その中でもThink(考えること)を怠るのが多くの問題の原因だ、と続けたため"THINK"がクローズアップされることになりました。

あるとき、かの福澤諭吉の名著「学問のすゝめ」(岩波文庫)を読んでいて次のような文面にあたりました。

「即ち、視察、推究、読書はもって智見を集め、談話はもって智見を交易し、著書演説はもって智見を散ずるの術なり」

『観察し』、『考え』、『読み』、『議論し』、『文書を書き』、『プレゼンテーション』をすることで初めて学問というものであり、当時の「学び」の主流であった和漢の古文書を読むだけの活動は本来の学問ではない、というのが福澤諭吉の主張です。

かなり共通していると思いませんか?

地球のほぼ反対側で活躍し、年齢差は約40歳。ほぼ間違いなく、全く接点はなかった人物ですが、大事を成した人は共通の結論に至るものなのだろうな、と思いました。

賢人の言葉を日頃の行動に

で、翻って我々の日頃の仕事を振り返ってみると、一連の「学ぶ」プロセスのうち、一部しかできていないことって多いと思います。

  • 情報収集して文書化しているけど、本当に考えているか
  • 資料は必死になって作っているけど、説明することに準備も含めて時間を十分割いているか
  • 自分の中だけで完結し、人から意見を貰ったり、自分の見える範囲を超えて情報を出したり、取りにいったりしているか

そんな振り返りのヒントになります。

福澤諭吉も「実用に堪えてこそ学問なのである」というスタンスを取っています。明日からまた改めて行動を見直したいものです。

皆さんはどう思われますか。f:id:eitarokono:20161211212702j:image

 

ベンダーじゃない。パートナーなんだ。 〜魔法のひとこと〜

こんにちは。

下請けいじめ結果的に損

「下請け」とか「ベンダー」、または「業者」という言い方で、いろいろな仕事を外部の企業に依頼することは、多いと思います。

その人たちに品質の高い仕事をしてもらうことは、自分自身の仕事の品質やお客さんへの提供価値を上げるためには必要不可欠だと思います。

僕自身、B2Bビジネスをやる中で、いわゆる「委託先」になることが日常です。

もちろん、難しい仕事もあれば、過去の経験でより確実に成果を出せる仕事もあります。

ケースバイケースであり、1つとして同じ仕事はありません。

ただ、高いパフォーマンスが出せる時に共通の条件があります。それは、依頼元との信頼関係がある場合です。

この信頼関係があると、すごく難しい仕事も、また、とてもつまらない仕事だとしても「この人たちのために、役に立ってみたい」という気持ちが芽生え、とてもいい仕事をするものです。

あるときなど、我々のことを「ベンダー」と呼んだ人に対して、「ベンダーと言うな。パートナーと言え。いっしょに目標を達成するための持ちつ持たれつの関係なんだ」と言ってくれたお客さまリーダーがいました。

長期にわたる、とても苦しい仕事ではあったものの、この一言で「なんとかこの人の役に立ちたい」と心底思ったのを覚えています。

こう言う時に、人は力を発揮するものなのです。

一方で、人が力を発揮し辛くなる状況とはどんなものなのでしょうか。

端的に言えば、抑圧された時です。いわゆる「ベンダーいじめ」に遭ったときなどが典型的です。

依頼もととは言いながらも、約束した期日に情報を出さない。にもかかわらず、遅れた日付分は、”ベンダー”にて、”自主的に”吸収しろ言い出すことなどが具体的な事例です。

これは、明確にビジネス上のルール違反です。金の出し手であることを笠に着て、拡大解釈し悪用しているわけです。(金の出し手といいながら、その担当者が稼いだものではないことは明白です)

こうなると、人は動きません。品質も効率も下がる一方。結果的にケチケチして減額した委託料も、ほぼ無駄になるということで、株主や社員に対して迷惑をかけてしまうことになります。

信頼し、任せることが第一歩

プロフェッショナル同士の契約により委託関係は成立しています。その関係に対して、プロフェッショナルらしくない、ずるいやり方で買いたたこうとか、自分だけが樂をしよう、という行為は第三者から見ると非常にわかりやすいです。

今この案件だけは、乗り切れたとしても、長い間のうちには必ずしっぺ返しを食らいます。

実は、”予算内”に無理矢理収めるとか、少しでも安い価格で入札する、というのは委託先との信頼関係を損ね、結果的に目的を達成できないだけではなく、業界の中で「あの依頼元は、客筋が悪い」というマイナスイメージが出来上がります。そういうウワサは一気に広まるもので、本業にも悪い影響が及ぶことになります。

正直、誰もハッピーにならないし、誰もうれしくないことです。

かの福沢諭吉も「学問のすゝめ」の中で「世の中で『抑圧』ほど質の悪いものは無い」と断言しています。140年前から分かっていた問題を、われわれ現代に生きるまだ解決しきれていない、ということですね。

そろそろ、我々の時代に解決するべき課題なのかも知れません。

皆さんはどう思いますか?

 

f:id:eitarokono:20161204195158j:image

コンシューマライゼーションの波 〜業務アプリも、ゲームなみに使いやすく!〜

こんにちは。

コンシューマライゼーションとは?

かつて、テクノロジーは一般に業務用から普及するのが普通でした。

例えば、プリンターやコピー。ファックス。プロジェクター。もしかしたらPCも。

通常オフィス利用から始まって、小型化・高性能化・廉価化がすすみ、それがだんだん一般消費社や家庭に入っていく、という流れでした。

わが家もファックスこそはもうありませんが、それ以外のものは取り入れています。

一方ソフトウェアとなると、ちょっと状況が変わってきています。

端的に言うと、一般消費者や家庭で使っているものの方が既に、何歩も先にすすんでいて、それをオフィス利用に取り入れる方式が増えています。

このように一般消費者向けの製品をオフィス利用することをコンシューマライゼーションと言います。

e-words.jp

法人内で使う業務用のソフトウェアは、「使いにくくて当たり前」と思われている傾向がありますが、ネットデバイスの普及、SNSなどの発展にともない、日常生活にソフトウェア利用が広まってくるとユーザーの目が肥え始めます。

「なんでスマホできることが、会社でできないの?」

「会社のシステム、使い辛くてイライラする」

となるのが自然です。

そういうユーザーの声に答えるためにも、ソフトウェアを開発している人たちや、それを選定する人たちの視点も変わっていく必要があります。

働き方改革!」「どこでも働ける環境の実現!」

なんて言いつつ、使いにくいソフトウェアを採用している法人は考え直さないといけないかもしれませんね。

Watsonも1つの答え

手前味噌ですが、その「使いやすさ」を促進する上で、「自然言語認識」を得意とするWatsonなんて、解決策の大きな選択肢だとおもっています。

なんてことを、最近同僚がシカゴで行われたHR Techで視察して、最先端事例として持ち帰ってくれました。

しかし、それだけではなく各地のセミナーやパネルディスカッションに登壇した際も連続で話題になりました。

そんなタイミングで、同じソフトウェアインダストリーに属するワークスアプリケーションのマーケティングの方から、以下のような動画付きで、コンシューマライゼーションをより加速するムーブメントを、会社横断で起こしていこうというキャンペーンへの賛同の打診がありました。

www.worksap.co.jp

これに対して、僕は基本的には、このムーブメントに賛同いたします。

皆さんも一度ご覧になってみてください。

業務アプリケーションも、コンシューマー向けのアプリケーションなみに使いやすくなると、働き方もより効率的、高品質になっていくべきなのではないかと思います。

さらに次のステップとしては、それに”楽しさ”を加えることで、更に効率、品質を上げる「ゲーミフィケーション」という流れもあるようです。それも上記のHR Techで話題になっていたようです。

確かに、業務アプリケーションは「まじめでなければならない」というのは法律なわけではないですもんね。

ソリティアだったら世代を問わず会社で延々とやっていられるわけですから、業務アプリケーションもソリティア並みに楽しくなればいいかもしれません。

皆さんは、どう思われますか?

辞めてもいいとき、辞めたほうがいいとき、辞めなきゃいけないとき

こんにちは。

昨今、組織の中でいろいろな理由で疲れてしまって心や体の健康を損ねるケースがとりざたされています。

ケースバイケースですし、非常にデリケートな内容なので踏み込んで発言しにくいですが、自分自身がいろんな会社を「辞めてきた」経験があるので、その経験から思う事を書いてみます。

辞めてもいいとき

実は、いつでも辞めていいのです。そこがベースラインだと思っています。

僕は社会人経験はおそらく20年程度ですが、その間、すべて他人が作った組織にばかり勤めてきました。いわゆるサラリーマンです。

自分の作った組織に勤めている人(一般に起業家というカテゴリ)とはちょっと事情が異なり、基本的には「いつでも辞めていい」というのが建前だと思います。

もちろん辞めたいと思ったらどんな時でも辞められる、というものではなく社会人としての一定の責任は果たさなければなりませんが、ここでお伝えしたい事は、「すべての組織は、辞めようと思えば辞められる」のだということです。

辞めたいのに辞められない、といってガマンをし続け心や体を壊してしまうというのは、何か別の基準にとらわれすぎています。

自分そのもの以上に大切な勤め先なんて、世の中にはありません。

辞めた方がいいとき

辞めた方がいいときとは次のような時だと思います。

①自分がその組織に所属した目的を違えるような状況になったとき

とか

②信念に反する事をやらなければならないとき

などです。

①について:

自分がその組織に所属した目的って覚えていますか?「仕事の基本を覚える」とか「生活の糧を得る」とか「同期で一番に出世をする」というレベルから、「ITを通じて人々の生活を豊かにする一助となる」とか「起業のための資金を得る」などなど。

所属しているあいだに、どう手を尽くしてもその目的が達成できない事がわかったとき、外を見てもいいタイミングかも知れません。

ちなみに僕は「東京から世界に!」という夢が叶わない事が分かった時に辞表を書いた事があります。

もちろん新しい目的を今の組織で探すというのも1つの考え方ですけどね。

②について:

人にはいろいろな信念があるでしょう。それを違えざるを得ないときには辞めてもいいのではないかと思っています。

「自分は喫煙には反対なのでタバコ会社の仕事はしない」という人も知っていますし、どうしても人員削減を良しとしないため、それを実行せざるを得ない組織を去っていった人も知っています。

また、対外的に発信しているミッションやバリューに賛同して入社したのに、実際に入ってみると、それが普通に踏みにじられるのを知ったときに辞めることを決意することもあるでしょう。このケースは僕も経験があります。

クライアントよりも株主を明確に優遇するようになった会社にはいられない、と辞表を書いた事もあります。

(これらのケース、実は自分の信念が貫けるように組織を変革するのだ、というのも1つの正論ですし、「俺なら自分の会社をつくるね」というのも正論ですが、一旦人の作った会社に雇われている人を想定しています)

辞めなきゃいけないとき

そして最後の段階、辞めなきゃいけないとき。

その組織にいることで、心や体の調子が崩れ悪化する可能性すらある場合です。

これにもいろいろなケースがあります。

上記の「辞めた方がいいとき」を迎えて嫌で嫌で仕方が無いにもかかわらず頑張って状況の改善を試みているときにも起こりうるものですし、他者から理不尽な攻撃(いわゆるパワハラやいじめ)を受けるような状況でも起こりうるものです。

どうやら僕はいじめやすいキャラらしく、陰に日向にいろいろやられたことがあります。今でこそ対処方法は心得ていますが、若い頃は本当にヤバい状況を何度も経験しました。(僕の場合は偶然にも心ある周りの助けなどで、その理由によって辞表を書くことには至りませんでした。)

そういう状況に共通しているのは、著しく「思考力」「判断力」「記憶力」といったアタマの動きが低下することです。

こうなったらその組織にいる事は何のメリットもないはずです。「会社ブランドがあるから」「生活費が入ってくるから」といった理由を挙げる人もいますが、実はそういう場は他でもいくらでも見つかるものだったりします。そもそも、そのような考えをもつ時点で「思考」「判断」に異常を来し始めています。

とはいえ、自分の「判断力」が落ちているのに、「辞める」という決断はとても難しいです。

その時のために、家族など信頼できる周りの人に日頃から自分の考えや基準を伝えておいたり、自分にとっての危険信号を認識しておく事が重要だと思います。

信頼できる周りの人の意見を参考にしつつ、危ない状況に陥ったと思われる時は、雑音に気を取られる事無く、その場から避難しましょう。辞めなきゃいけないのです。

 とにかく、とにかく。僕は、平時において自分の心や体を取り返しのつかない状況にまでするほど大事な仕事は無いはずだと思うのです。

皆さんはどう思われますか?

f:id:eitarokono:20161120183121j:image