皆既日食 〜新しい「気付き」「発見」のイメージ〜

こんにちは。

今年、初めてグロービスの「あすか会議」に参加者としてフルアテンドしました。

あすか会議とは

あすか会議は、ダボス会議をヒントに開催されている会議で、各界(ビジネス、学術、文化、芸術、思想、行政、冒険など)で活躍する人たちが集って登壇し、参加者に刺激を与える(参加者と刺激を与え合う)場です。
内容はそれぞれ、生放送されましたし録画も公開されるでしょう。是非ご覧ください。

分科会はいくつも並行して走るので、同時間帯からは一つを泣く泣く抽出しなければならなかったのですが、登録した分科会はどれも刺激的な内容ばかりでした。
これらへの参加を通じて、登壇者の皆さんとの彼我の差を確認して気持ちを新たにするとともに、新しい視点や自身の活動へのアイデアをたくさん頂きました。

「素晴らしい考え方だ」とか「あー、もやもやしていたのは、こう言う事だったのか」と感心するコメントが山のようにあったのですが、こう言う経験をつづけるにつけ、このイメージってなんなんだろうか、って考えるようになりました。

皆既日食のコロナ部分

で、思い至ったイメージがあります。
ちょっと変なたとえですが、皆既日食です。
皆既日食って、地球から太陽を見た直線内に月が入り込んで月のカタチのまわりに太陽のコロナがぼーっと見えるイメージです。(添付の写真はフリー百科事典 ウィキペディア日本語版からの引用画像)
ここでは、黒い円に見えている月の部分が既存の明確に認識・理解できている範囲、で太陽のガスの部分がぼやっと理解している部分。
月の輪郭からはなれれば離れるほど薄くなってくのは、何となく認識できているところからだんだん理解度が下がっていっているイメージです。
コロナ部分=知的好奇心の及ぶ範囲と置き換えてもいいでしょう。

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このガスの部分を刺激してくれるのが、今回のあすか会議の登壇者のような各界で活躍する先人たちからのメッセージなのだと思います。(当然のことながら、あすか会議に限った事ではありません)
それが、ニュートリノのようにぴゅんぴゅん飛んでくるのですが、このガスの部分にかすったときに「気付き」「発見」が生じるわけです。

そして発見を増やすごとにこの円の部分が大きくなっていきます。

コロナを広くもつ

要するに、受け手としてアンテナに相当するこのぼやっとしたコロナをひろーく張っていないと、引っかかるものも引っかからない。
自分の知識の範囲だけで満足してしまうと、この黒い部分だけにとどまり成長がないわけです。
ガスが濃い部分であれば「あ、僕の言いたい事は、この事だったのだ」という気付きになるし、薄い部分は「こんな考え方もあるのか」という発見になります。

そして、まったくガスが届かない部分にニュートリノが飛来した場合は、理解・認識を超える部分で「難しすぎる」「???」ということになるか、そのニュートリノに気づきもしない、ということになるわけです。
僕たちがやるべき事は、コロナをひろくひろーく保って、少しでも遠くのニュートリノをキャッチできるようにすること。すなわち知的好奇心や課題意識を持ち続けることなんだな、と思いました。

みなさんはどう思いますか?