太古の人類にiPhoneの良さを伝える方法

こんにちは。

もし仮に、原始人の方々にiPhoneの使い方をお伝えするにはどうしたらいいのだろうか?と考えてみました。

なんでそんなつまらないことをしたのかというと、他意はなく、ちょっとした妄想ゲームです。

結論は、やっぱり電話やインターネットがたどってきた歴史を噛み砕いてお伝えすることが最適なんだろうな、というものでした。

原始人の方々にiPhoneの良さを伝えるには

まず、原始人の皆さんは衣食住のうち、やはり食の優先度が高いのではないかと思います。それも文化としての「食」というよりは、栄養摂取・生命維持のための摂食です。

だから、iPhoneを見て最初にきかれることは、

「何それ、食えんの?」

でしょうね。そこで、

「ごめん、これ自体は食べられない。でも、Amazon行けばこれ使って食べ物をGETできるよ」

と言うと、おそらく原始人の皆さんは、

「うそだろ、こんな小さいもので?」

と、いいながら、密林の中でiPhoneを振りかざしてマンモスに襲いかかっている自分を想像していることでしょう。そして、

「だめ。言ってることよくわからない。出直してこい」

「オレ、これまでちゃんと意思で作ったオノでマンモス倒してきたもん。それでいいじゃん」

と言われるか、

「じゃあ、デモしてみて」

と、iPhone持たされて、サーベルタイガーと一対一で対峙させられるかもしれません。

要するにいくら最新鋭の文明の利器であっても、前提知識も共通言語もない相手に説明しても、受け入れてもらえないということですね。

何事も理解してもらうにはステップが必要

ここで、現代人の立場で、やりがちだけどやってはいけないこととしては、

「こいつら分かってない。ダメだ」

「これだから原始人は...」

などとあきらめたり、他責にしてしまうことです。

経験がない原始人の方には、文明の利器の価値はいきなりは分からないのです。

これは原始人の皆さんのせいではありません。多くは悪気があって理解しないわけではないのです。

そういうときは分かっている側が、伝え方に工夫をする必要があるのです。

そこで、まずやるべきなのは「糸電話」を作ることなのではないかと思うのです。

話している人同士が離れていても、音声が伝わり、まるで近くにいるように大きな音で聞こえるという技術があるのだ、ということを知らせるのです。

「おー、なるほど。これが声を伝える道具ね。キミすごいねー」

と、原始人の皆さんにも分かって頂けることでしょう。ちょっと信頼を得ることもできました。ここで細かい技術や音の伝達の仕組みを解説しすぎないこともポイントですね。混乱させてしまうかもしれません。

そうなったらしめたもの。次のステップは、黒電話でしょうか。

宛先を番号で指定すると、特定の電話に呼び出しがかかり、お話ができるような技術があるのです。

「あらまあ、隣村までヤックルに乗っていかなくても、用事が伝えられるのか」

と意義を理解してもらえることでしょう。

その次に「無線電話」や「テレビ」「パソコン」の考え方をお伝えし、続いて「インターネット」や「アプリケーション」の概念を分かりやすく伝えるのでしょう。

そして、最後にそれらが全て揃って手元で動かせる「スマホ」「iPhone」というものがあるのだ、ということを丁寧にお話しすると

「なるほど。この小さいやつは、マンモスに投げつけても殺せないけど、うまく使えばそれ以上の利点があるのか」

と理解してもらえるはずです。

もちろん、相手が「分かりたいと思っている」という前提だけは必要ですけどね。

物事を前に進めるって、こういうことかもしれません。

理想を持てば「原始人」に必ず遭遇する

もちろん、

「自分にはそこまで丁寧にやっている時間はない。ちゃんと自分で学習して、スマホiPhoneの意義くらい分かっている人と一緒に過ごしたい」

という思いの方が優先順位として高い場合は、自分の居場所を他に求めるか、自分自身がそういう場を造り上げることになるのでしょうね。

こう考える人がいてもいいと思いますし、ある意味感情的には当然だろうな、と思う側面はあります。

それは一人ひとりの選択になるのだと僕は思います。

ただ、少なからず新しいことをやろうとか、高い志をかかげ実現しようという思いがある場合は、自分の組織内か、顧客内か、社会の中か、のレベルは違えど、自分にとっての「原始人」に遭遇することは間違いないわけですから、何処かで「原始人説得」の労はとらないといけないことになるのだろうと思います。

みなさんは、どう思いますか?

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認識の仕方の多様性を踏まえたコミュニケーションを。

こんにちは。

人の認知特性には色々あります

先日、自分の体験を踏まえ、学習の仕方にも人それぞれの違いがあることについてコメントしたところ、添付の本をご紹介いただきました。

医師のつくった「頭のよさ」テスト 認知特性から見た6つのパターン (光文社新書)

医師のつくった「頭のよさ」テスト 認知特性から見た6つのパターン (光文社新書)

  • 作者: 本田真美
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2012/06/15
  • メディア: 新書
 

『「頭のよさ」テスト』という、現役の医師の方が書かれた物です。

人間の認知に関わる特性を大きく視覚優位、聴覚優位、言語優位の3分野をそれぞれ2つに分けて、合計6分類に分けた考え方を紹介しています。

  1. 視覚優位:カメラアングル
  2. 視覚優位:三次元映像
  3. 言語優位:言語映像
  4. 言語優位:言語抽象
  5. 聴覚優位:聴覚言語
  6. 聴覚優位:聴覚&音

だそうです。

それぞれ、個人個人で得意不得意があって、それをうまく使うとキャリア(人生)を過ごす上で得意分野を活かせるようになり、そうではないと本人の特性と求められるものとのギャップに苦しむようになる、ということだと理解しました。

例えば、1, 2,の視覚優位者は、映像を軸に物事を認識することが得意で、人の顔を覚えたりするのが得意だそうです。デザイナーや映像ディレクターが多いとも。3, 4, の言語優位は文字を覚えたり認識することに長けていて、アナウンサーや弁護士、教師といった職業に就く人が多いようです。5, 6,の聴覚優位者は、音感が強いということで音楽家などに多く、言葉を覚えるのも音から入る傾向があるようです。

僕が受け止めた、この書籍のポイントは、極端な例も含めていくつか実例を並べて解説した上で「自分の得手不得手を認識すると同時に、他者の得手不得手もよく理解して、お互いの得意分野をうまく活用して参りましょう」というものでした。

もっと言えば「自分の認識の仕方が絶対である、と思ってはいけない。その考えを前面に押し出しすぎると、力の強弱がある関係の場合などは相手を潰してしまいかねない」というものでした。

比較的上意下達文化のある組織の中で上司の役割を担っている人は、部下との関係で部下を潰さないように配慮するべきでしょう。またフラットな文化の組織にいる場合は、自分の認識タイプを相手に押し付けすぎると逆に上司の人が部下からの求心力を失うことになります。

また、子育て中の人などは、特に自分とは違うタイプのお子さんを持った場合、配慮が必要なのだろうな、とも思います。

僕自身は「視覚優位タイプ」

この本の冒頭には、タイプ分けを意識したチェックシートがついていてそれを受けてみてから読むとより当事者意識が持てます。
僕は、明確に視覚優位という特徴が出ました。

レーダーチャートの16−25のエリアが標準スコアで、26以上が出ると驚嘆にその傾向が強いそうです。

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これは僕自身思い当たる節があります。

確かに人の顔は覚えるのが得意です。しかし名前などは厳しいものがあります。思い出すのにかなりの時間が必要ですので、打ち合わせ前などには一度思い出して頭の前の方に出しておく必要があります。
また、特に顕著に現れるのが、ソフトウェア・アプリケーションがバージョンアップした時です。プルダウンメニューやアイコンの位置なども、見た目の位置で覚えているため、バージョンが変わると何がどこにあったかが全くわからなくなります。
「ファイル」の下の概念だから、とか「編集」をするのだから、当然編集に分類されている、という意味づけで覚ればいいのでしょうし、多くの人がそうしているのは知っています。しかし未だ意識してもなかなかうまくいかないのです。

この手のことって、できる人には全く理解できないものです。

世の中に、これができない人が存在することすら信じられないため、できない人が、できる人に対して「ごめんなさい、覚えられないのです」と言っても、「そんなはずはないだろう!」「ふざけるのもいい加減にしろ」という反応を受けて悪者にされたりします。

僕自身も今から思うと、責める側になったこともありますし、責められる側になることも未だにあります。

認知特性の違いを意識したコミュニケーションを

この「認知の仕方の違い」が存在することだけでも理解すれば、職場や学校、家庭での諍いの多くの部分は解決するのではないかと思いました。

言うは易しですけどね。

加えて言えば、多少の差であれば努力して対応策を考え出し実行することも可能だと思っています。

僕も若い頃から日々、そのように工夫してきました。

ですので、認識力の特徴を根拠にして、全てを「才能論」で片付けることについては個人としては反対です。才能をより伸ばすことや、苦手を努力で克服すると言った未来志向の態度で当たるべきで、最初から自分で諦めたり、人を切り捨てたりすることはやるべきことではない、と思うのです。

皆さんはどう思いますか?

 

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意思の疎通が成立するとき 〜「無知の知」を自覚できるか〜

こんにちは。

なぜ、意思の疎通が成立するのか

所属会社の仕事を通じて、また、教壇に立って社会人学習のサポートをする活動を通じて時々思うことがあります。

「なんで、初対面だったり全然異なるバックグランドなのにここまで話が通じるのだろうか」とか、「この人、専門外のはずなのに僕のことを一生懸命理解してくれようとしているなあ」などと感じることがあります。

そういう時って、コラボレーションがすごくうまくいくものです。

なぜコラボレーションがうまく行くのだろうか、と考えてみました。

要するに相手の姿勢が肯定的・前向きであれば、その雰囲気に後押しされて、こちら側はもっと相手に貢献しようとますますサービスをしますし、その結果相手もそれに答えてさらに背中を押してくれるため、良循環構造が出来上がるのでしょう。

この構造ができあがると、より高い目的を達成できたり、同じレベルの目的なら構造がないときより短時間・低労力で到達できるわけです。

これは人口減少下の日本で優先課題とされている働き方改革、そのポイントとなる働き方の効率化には追い風の状態を作り出しているという見方もできます。

意思の疎通がリスクにさらされるとき

逆に、意思の疎通がうまく行かない時とはどういう状態でしょうか。

共通言語、いわゆるプロトコルがお互いの間で存在しない時が典型です。経営のことを話そうとしているのに、一方が経営を学んだことが無い場合とか、ITプロジェクトなのに、一方がITのことが分からない場合などです。

僕個人に当てはめてみれば、経営の場合は前者側(学んだ経験がある側)になりますし、ITの場合は後者側(学んだ経験が無い側)になります。

後者側として、すなわち意思の疎通に足る十分な知識を持ち合わせてない者として気をつけるべきだと思っていることがあります。

すなわち、相手の言うことがレベルが高すぎてわからない時の態度として…

いちばん望まれるのが

  • 必死で学んで意思の疎通ができるだけの前提知識をつけること

です。

しかしながら、それだけの時間・労力をかけて身につけるだけの余地がない場合は、次に望まれるレベルとしては

  • その場で理解しようと、教えを請う姿勢であること

が必要になります。

まかり間違っても、自分が理解できないからと言って、「そんなモノは必要ない」などと足下に否定したり相手の足を引っ張って、自分のレベルまで引き摺り下ろしたりしてはなりません。

無知の知を自覚できるか

よくちまたで耳にするのは、「英語なんてしゃべれても、意味が無い。要は中身だ」とか「MBAなんて頭でっかちで、実務では役に立たない」という原始人的発言です。

こんなことをすると、物事を進めるスピードが遅くなったり、全く進歩しなかったり、本来世の中の役に立つべき優れた人が、やる気を無くしたりして、悪くすると社会全体が退化することになりかねません。

これは社会をあげて取り組んでいる課題に対して貢献できないどころか問題を助長する行為になります。

すなわち知識・知恵がない、または、無いなりにそれを受け止めないというのは本人がチャンスを逃すだけではなく社会的にマイナスになるのです。

 ソクラテスが言うように、自分は「知らないのだ」ということを自覚して、より高みを目指すことで、無意識に「無知の罪」を犯してしまうことを避けなければならないと思うのです。

みなさんはどう思いますか?

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IBM在宅勤務関連報道に公式見解? 〜本来の目的は従業員エンゲージメントの向上〜

 こんにちは。

職住近接型在宅勤務

日本国内の一連の"IBM在宅勤務廃止"報道に対して、日本IBMの広報から裏を取ったというニュースが流れてきました。

cloud.watch.impress.co.jp

内容を見ると、偶然ですが先日の僕の「個人の見解」コメントと同じ内容でした。

ということでこの件は一旦終息ですね。

eitarokono.hatenablog.com

何のための在宅勤務?

ところで、やっぱり気になるのが、何のために在宅勤務を推進するのか?日本においてはどんな意義があるのか?という点ですね。

社員が働きやすい環境を整備することで企業のパフォーマンスを上げることなのは間違いありません。

今までは、残念ながら退職したり、休職したりしていた社員がフルタイムのままで働き続けられることを会社が認め、その人たちの会社でのパフォーマンス(やる気と能力)を引き出すことが目的です。

これを「従業員エンゲージメント」と言います。

ビジネス界が2000年代に「従業員満足度」で痛い目にあったあと、出てきた考え方です。

単に従業員が満足しているのではなく、会社の方針に対して同意し業績貢献にモチベーションを感じているかどうか、ということがエンゲージメントのポイントです。

日本の「エンゲージメント」が低い理由

で、この「従業員エンゲージメント」が日本ではどういう状況かというとつい先日も以下の報道がされたように、どの調査をとっても日本の組織は「従業員エンゲージメント」の度合いが低いのです。IBMの提供するエンゲージメント調査でも日本は最下位です。

www.nikkei.com

エンゲージメントが高い組織は①業績が高く、②コンプライアンス問題も起きにくく、③離職率も低い、という調査があります。

つまり日本の組織に置いて、このエンゲージメントの数値が高くすれば①、②が上がる可能性がある、と解釈できます。

しかし、ここで疑問が残りますよね。③の離職率がそれほど高くない組織が日本ではほとんどなのです。

これは何故なのでしょうか?

僕の仮説は、こうです。

「日本の組織には、本来なら辞めてもいいほどエンゲージメントレベルの低い従業員が、雇用慣習にながされて、在籍し続けている」

要するに「イヤなのに、何故か会社にいる」従業員がたっくさんいるわけです。社内失業というやつですね。

外を見れば、もしくは自分で作れば、もっともっと、その人の能力が発揮される環境があるかもしれないのにね。

なので、僕の考える解決策はシンプルに言えば、雇用の流動化です。

「イヤな組織」にそのままいるのではなく自分が活き活きと働けるような場所を見つけるか作るかすれば良いんですよね。

そのためには、起業のし易さの向上、社会人学習の推進や複業の推進による新たな能力の獲得や雇用機会の提供、言い方を変えると推進のために立ちはだかる障壁の撤廃が必要だと思います。

スタートは僕らの意識改革

まずは、僕たちの意識の方から変えないといけないですよね。

こういうことを言うと「日本的雇用慣行にはそれなりの良さがある。安易な欧米の真似事ではいけない」と言われます。結構な規模の会社、中でもエクセレントな会社の経営層の方でもこう言うことがあります。

もちろん、僕はその場では「ですよねー」と言います。一見正しそうなこの理由に対しては反論しないことにしてるんです。議論の出口が見えないから。

「だって、エンゲージメントが低いじゃん」と言っても、返ってくる言葉は「エンゲージメントの結果が間違っているのだ」だったりします。対応策は「もっと高くつけるように社員に周知しろ」だったりします。

まずは、各自が行動をおこしてみるのでしょうね。

「日本的雇用慣行にはそれなりの良さがある。欧米の真似事ではいけない」というやらない理由を言われる前に...

みなさんはどう思われますか?

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この国の「在宅勤務」と、かの国の"Remote Work"はちょっと違う

こんにちは。

Wall Street Journalの記事

先日Wall Street Journalに添付のような記事が発表されました。在宅勤務に関する米国IBMの判断の衝撃を伝える内容です。

僕自身は会食の席での話題で友人から教えてもらいました。

jp.wsj.com

なんか、ブログのアクセス件数の動きがいつもと違うなあ、と思ってはいたのですがどうやらこれが原因でした。

元記事はNews Picksでも掲載され、またHARESの西村さんにもピックされていたのですが、当ブログの以下の記事を引用いただいていたのも要因のようです。

NewsPicks - 西村 創一朗

eitarokono.hatenablog.com

もともとは北米のマーケティング部門で実施されていたものでしたが、今回の記事はその対象となる部門が広がったことを報じています。

さらに今回は報道担当者のコメントが付いているところが前回とは異なります。実際に影響を受ける社員にとっては、大きなインパクトなのだろうということもわかります。

報道を受けての(あくまでも個人の)見解

社員でありつつも、当ブログでは会社を代表していない僕の立場から、報道を通じての「感想」は2点ほどです。

①Sell What We Used

自社での先進的実験を通じて得たノウハウをクライアント企業に対して提案してきたIBMです。社員としては、会社も何か始めるのだろうか、という感じの見方をしています。Globally Integrated Enterpriseの実験やDiversityの実験などが行われたときのように、近い将来メッセージを社会に向けて出して行くのだと思っています。ご期待ください。(あくまでも「個人の意見」ですよ)

②「在宅勤務」の示すもの

さらに、ここも大きなポイントなのですが、この記事でいう「在宅勤務」の原語である"Remote Work"というのは、日本で現在働き方改革の一環として導入が推進されている「在宅勤務」というものとは大きく異なります。

日本は「在宅でも」勤務できるように、という意図でそれを推進する制度や、組織文化の醸成を推進している状況です。

米国ではこの段階は数十年前に済んでいて、いまや「在宅でしか」勤務しないものを「在宅勤務=Remote Work」と言っています。

ですので、日本で言えば「福岡在住・在勤、札幌オフィス所属」とか「沖縄在住・在勤、東京オフィス所属」のように全然距離が離れたところに住んで、オフィスには決して行かない、呼び出されたら交通費と出張手当を請求する、というような立場の人が数千人いる状況なわけです。

これを再び「同一オフィス在勤・所属」に戻そう、ということなのです。とは言え「在宅でも」勤務できる程度の制度は残るはずです。(あくまでも「個人の意見」ですよ)

在宅勤務はやっぱり推進すべき

 ここで一番お伝えしたいと思うことは...

在宅勤務は何のために推進するのか、というところに立ち戻って考えてみると、実際に会って仕事をすすめるよりも効率的になるから、という理由ではありません。

在宅勤務を推進しないと、働けなくなる人がいるからです。いわゆる「働き方弱者」の人は、介護や育児を抱えていたりして従来型の、朝から晩まで会社に物理的にいなければいけない、という働き方ができません。

しかし、そういう人にも働きたいという意思があり、組織や社会に貢献できる能力があります。なかなか人が取れない現代においては社会としてはそういう人たちに活躍してもらわなければなりません。

そして、それが制度と意識を少し変えて、ITの力を活用すれば実現できるのです。

その方向性に対してIBMは逆行しているわけではありません。ただ、行き過ぎた”Remote Work”を少し引き戻しているというだけなのです。(あくまでも「個人の意見」ですよ)

以上、あくまでも「個人の意見」でした。

みなさんは、どう思われますか?

 

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一世代前の謎に近づく 〜誰かの一世代前としての自覚〜

対面➡電話➡メールの順! 〜働き方改革の本質は効率性〜

こんにちは。

アメリカ人はメールに返信しない?

先日こちらのブログを読んで感銘をうけ、FBでシェアしたところ色々な意見をいただきました。いろいろな見方があることを改めて知ることができて結構うれしかったです。

ktdisk.hatenablog.com

僕のシェアした意図としては以下の2点がポイントでした。

①確かに、アメリカ人そういうひと多いですね。ですので、相手が誰であろうと僕は目的完遂までおいかけます。(いわゆる「トラッキング」ですね)

②とはいえ、日本人にも返信無い人多いかも。

というもの。

①すくなくとも僕の周りのアメリカ人は朝から晩まで働き、日本の昼間の時間帯でもかなりの確率でリアルタイムに返してくるので、あんまり心配は無いのですが、とはいえ全員が同じレベルを期待していると痛い目を見るので、つねに海外へのメールは一度では戻ってこないもの、というスタンダードを設けています。

ラッキングすると、淡々と返してくれたりします。

②一方で、何も「アメリカ人は」ではなくメールを大量受信している、僕を含む日本人も、理由はともかくタイムリーに答えきれないところもあり、つい先送りしてしまうことがあります。

メールはそれほど効率的ではない。

24時間働きつづければ当日中に返すことはできるのでしょうが、今の世の中あんまり遅くまで仕事しているというのも恥ずかしいですし、そもそも遅くまで働いて社会に対する反逆者になるわけにも行かないのでなるべく9時から18時の”常識的な”時間帯に仕事を終えようとします。

夜遅くまで働いてよかった昔だったら当日中に絶対返すぞ!とおもっていたので返していたのですが、結構選択的になってきているというのが実情です。

すなわち、いつまでも働いてもバカにされなかった時代と同じだけのパフォーマンスをあげようとすると、今の働き方改革の時代は全員が効率的に働かないきゃいけないわけです。(昔からやっとけ!というのは一旦おいといて...)

そうすると、このメールというヤツが、厄介になってくるのです。

対面だったら、電話だったら、数秒から1分以内に済む用事も、メールだとその5-10倍かかることもざら。働き方改革に逆行するツールに成り下がってしまいます。

もともと僕は、礼儀も、常識(とかいうやつ)もすっとばして最短距離でゴールに向かいたいタイプなので、秒単位での非効率が気になるのです。

「対面➡電話➡メール」の原則で働き方改革を実現

自分がリーダー・マネジャーとして立ったならばメンバーに徹底するのが次の原則です。

コミュニケーションのツールの優先順位は「対面➡電話➡メール」である。

ただし、以下のメールの利点が有効な場合は除く。

①証拠能力:履歴として文面に残す必要がある、またはその方が有利なとき

②一斉同報機能:同じことを複数の人に同報するとき

③時間差活用:相手に読む時間の選択をゆだねるとき。特に時差がある国とのやりとり

この3つの利点を活用しない場合は「対面➡電話➡メール」の優先順位の原則を守ってもらいます。

この原則を外すと働き方改革は絶対に成立しません。

個人的な経験でいえば、同じフロアであれば歩いていって話す方が所要時間も目的達成までのリードタイムも大幅に短く済みます。顔を見て話すことの利点は得られる情報やsのあとのリレーションなどどれをとっても圧倒的に意味があります。

電話にしても、メールで新規文書を開いて宛先を書いた時には時にはダイヤルし終わっているでしょうし、挨拶文を書き終わるころには用件はおわっているでしょう。さらに交換できる情報にしても、対面ほどではないにしても、メールよりは圧倒的に多くの情報を交換できます。

そもそもメールというのは、返信するしないの判断を、相手に権利としてあたえてしまっているかのような印象が付いて回ります。

対面で声をかけた時に無視するのはよっぽど勇気がいります。電話に出ないというのもメールを無視するよりはかなりプレッシャーがかかる作業です。

仕事というのは如何に自分のペースに相手を巻き込むかというところがポイントです。メールは相手のペースに巻き込まれやすいと言う点ですでにポイントを外してしまっているという視点もあります。

20世紀末にビジネスシーンに入ってきた電子メールですがついその気軽さに甘えて、効率性を忘れてしまってはいないでしょうか。

働き方改革の本質は効率性であって、ITを使いこなすことそのものではありません。ITを使って効率的になる場合は、使いましょう。というものです。

実は件のアメリカ人も効率重視!?

で、冒頭のアメリカ人のメールに対するメンタリティにもどりますと、個人差はあるものの僕の経験では「電話しようよ」と返信があることが多いです。メールでベタベタかいても、時間差もあるし情報の限界もあるし。だったら15分でも電話会議した方がはやいよ。ということです。

アメリカ人はよく働く傾向が高いですが、さらにいえば効率的に働こうという意識も高いように思います。メールでやるんじゃなくてせめて電話にしようよ、というのが彼らのホンネなんじゃないでしょうか。

みなさんはどう思いますか?

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