個人メドレーの順番をご存知ですか? 〜ルールは実態に合わせて変えるもの〜

こんにちは。

始まりましたね、世界水泳

もと競泳選手としては楽しみです。とはいえ早寝早起きの僕としてはハンガリーとの時差は若干中途半端です。朝のニュースを楽しみに。

個人メドレーの種目順をご存知ですか?

ところで、競泳選手にとっては当たり前の知識ですが、オリンピックや世界水泳でしか水泳に接点の無い人からすると「個人メドレー」の種目順を知らないのが普通なのではないでしょうか。

実は、

①バタフライ

②背泳ぎ

③平泳ぎ

④クロール

の順番です。

さらに難易度が高いのが、メドレーリレーの順番です。

これは正答率が相当低いと思われます。

①背泳ぎ

②平泳ぎ

③バタフライ

④クロール

が正解です。

メドレーリレーが何故個人メドレーの順番じゃないのかというと、背泳ぎのスタートの特殊性が一つの理由です。

背泳ぎは飛び込めないため、水中からスタートを切ります。

スピードを重視すると、個人メドレーの時は二番目以降入れるしかありませんが、メドレーリレーの時は前の泳者とぶつかるため、第二泳者以降にすることができないため止むなく第一泳者になるわけです。

意外だな、というのが感想なのではないでしょうか?

ルールって柔軟。目的に応じて変えていい

このルールを小学生時代に初めて知ったとき「えらい柔軟なルールだな」と思ったのを覚えています。

当時の僕の感覚として、いわゆるルールってものは、理由を付けて同じ順番にしそうなものだという前提があったのです。

以来「ルールってものは、目的に応じて変えればいいんだよな」と主張する時に思い浮かぶのがこのエピソードです。

これ、たとえ法律であっても、当てはまると思うのです。

変えなければいけない(変えた方が良い)理由があり、それが社会通念上問題ないものであれば、手続きさえ踏めば法律は変えられるべきものなのだと思います。

ただし、この手続きを踏むことが手間や、場合に寄っては勇気を必要とするのですが。

福澤諭吉も「学問のすすめ」の第六編の中で、同じようなことを言っています。

ましてや、会社のルールなどはさらに手続きも簡単ですよね。

なので、実態に合っていないルールが存在していて、不都合を生じているのであれば、「そういう決まりなんですよ」とか「それは、○○法に違反している」とあきらめるのではなく、変える方に動くのが未来志向の考え方なのだと思うのです。

皆さんはどう思われますか?

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濃尾平野を望む>

伝統と革新 〜働き方改革とはエセ「伝統」に立ち向かうことでもある〜

こんにちは。

伝統は守ることだけに意義があるか?

今を遡ること20年以上前。六大学水泳大会に選手として参加した時のことです。

開会の挨拶に立たれた他学の先生が「伝統とは、守ることだけに意味があるのかもしれない」という主旨のお話をされました。

当時の僕は「そんなもんかな」と思うとともに、自分たちが背負った水泳部100年以上の伝統は守っていこうと思ったものでした。

一方で、先日京都吉兆総料理長の徳岡さんが参加されたパネルディスカッションを拝聴する機会があったのですが、出汁の取り方などのレベルでさえ、常に革新を追求されている姿勢が明確にありとても印象的でした。

この瞬間、自分の中で伝統とはどういうものか説明ができなくなっているのに気がつきました。

日本の組織の非効率の原因

講演で最近よく、日本の「働き方改革」の本質は「ホワイトカラーの生産性の向上」であるということを申し上げます。

では日本において生産性の阻害要因になりがちなのはなんでしょうか?

僕はあえて、行き過ぎた「気遣い」や「礼儀」が一つの原因なのではないかと思っています。

「部長、お忙しい所大変申し訳ありません。今お時間宜しいでしょうか?」

「あー、ごめん、あとにして」

なんて会話、身近にありませんか?

あとにしてと言われて、あとにしたら部長は外出直帰。あしたから2週間海外出張。。。なんてコトになったりします。

ご覧になってわかるとおり、この情報のやり取りの間には、部下と思われる側からの提供情報の中に、仕事の優先順位や作業にかかる時間にかかわるものは一切ありません。

これに対して「部長」は「あとにして」という判断を下しています。

これが典型的な「礼儀優先」の会話です。

では、こんな会話はどうでしょう?

「ねー、部長、ハンコよろしく。支払い支出承認の件」

「おっけー...はい。いっちょあがり。あと、よろしく」

2分で終了です。

唯一「礼儀」というやつだけがなっていませんが、それ以外は完璧です。

古来日本で重視された「礼儀作法」というやつだけ取り払えば、2週間後に達成されたかどうかすら怪しい仕事が2分で終了するわけです。

こんな背景から、分かりやすい表現でよく申し上げるのは

「働き方改革とは、上司を今までより粗末に扱うことなのです」

ということです。

言い方を変えれば、儒教的な「目上は敬うべき」という考え方から来る変なプライドや「伝統的な礼儀」へのこだわりを捨てられた上司をもつチームが生産性の高いチームになる可能性があります。

「専務、僕は客先に直行なので、申し訳ありませんがプロジェクターを会社から車で運んでもらえませんか?」

っていえる組織は、いろいろ効率的な気がしますよね。

礼儀が非効率なら、伝統は悪か?

では、話題を元に戻して、この観点から「伝統」は百害あって一利無しなのでしょうか。

僕の現時点の意見としては「目的に対して合理的であるべき」というものです。

それに合致しているのであれば伝統は守るべきだし、合致していなければ変えて行くべきものなのだろう、と。

これに関連して思うことがあります。

茶道の作法です。

以前お茶の師範のかたから「素人」としておもてなしを受けた経験があるのですが、「この動きはどういう意味があるのですか?」という問いに全て回答いただけました。

礼儀優先と思われがちな茶道の作法は、どの一挙手一投足をとっても「なんで?」に対して説明できます。すなわち目的に対して合理的なのです。

もちろん、ここでの「説明」には「そんなの常識だろう」「そりゃあ、部長がえらいからだ」というレベルのものは含みません。

よく考えられた「伝統」は、意外に目的に対して合理的なんだと思います。

一方で、特に考えもなく実施されている「習慣」を「伝統」と呼んでいるだけのものは、「そんなの常識だろう」「そりゃあ、部長がえらいからだ」以上の説明ができません。

ですから状況に即して変えて行くべきものなんでしょうね。

社会的な存在として利益を上げながら顧客の満足度を高める、という使命をもった企業は、社内の先輩、上司の単なるわがままや自己満足を、顧客満足や株主価値、社会課題より優先していいはずはありません。

これでは目的に対して非合理です。

 先輩や上司、経営陣への過剰な礼儀、見直してみるとだいぶ働き方も変わってくるのではないでしょうか。双方の歩み寄りが必要ですよね。

皆さんはどう考えますか?

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つながる感謝、つなげる喜び

こんにちは。

東京は暑いです。夏本番ってやつですね。そんな中、今週末は二日とも稼働しました。

さて、今週もブログ参ります。

繋いでもらって生まれる新しい価値

最近、個人的にライフワークにもなってきた発信活動を通じて、多くのつながりが増えてきたと感じます。

加えて、SNSの存在がその繋がりを発展しやすくしているように思います。

そんな関係の中で、人と人をつなぐことで世の中に良い影響を与えている人にもお会いする機会が増えてきました。

その方々は、なぜか僕のニーズを知っていて(なんでわかるんだろうか)、この人、という人と繋げてくれたりします。

僕が嬉しいだけではなく、繋がった相手も意外に喜んでくれたりして、新しい価値が生まれたりするのです。

繋いでくれた人に話を聞くと「いやー、ただね、こことここ、つながると面白そうだと思って」という感じで、恩着せがましくないのが特徴です。

人と人をつなげる喜び

ちょっと前までは「そんなもんかなー」程度の理解で、単純に「繋げてくれてありがとう」という感謝の気持ちだけだったのですが、先日ちょっとしたきっかけがあり、立ち止まって考えてみました。

そしたら、最近ネットワーク間で人と人を繋いでいる役割を演じている自分に気がつきました。

この自分の行為を振り返ってみると、やっぱり何かに役立とう、とか義務感などで動いているわけではありません。

シンプルに

「こことここつなぐとなんか、面白いこと起きそう」

って思ってつなぐわけです。

それで喜んでもらえたり、本当に何か新しい価値が生まれたりすると、自分にとっても嬉しいわけです。

むしろ、自分が嬉しいからやっているに近いなあ、という感覚すら持ちます。

もともと、僕自身は複数の転職経験者でもあるため、いろいろな組織に所属した経験があり、活動領域も会社員に閉じた領域ではありません。

自然に所属コミュニティという意味でのネットワークは広いのですが、最近それぞれのネットワークで頑張っている友人たちがどんどん責任ある立場になり、成果を残しているのを感じます。

一時は焦りもあったこの現象も、見方を変えればこのネットワーク自体が自分の価値。

それを必要としている人に開示するという行動も意義があるように思えるようになったのです。

そんでもって、そういう「おせっかい」な行為が意外に嫌ではない自分に気がついたわけです。

引きあわせる双方にメリットがあるのであればやらない手はないですよね。

これからも、「やめてくれ」と言われない限りこの活動、進めて行きたいと思います。

皆さんは「つなげる活動」されてますか?

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自分の成長を確認するイベント 〜あすか会議に参加してきました〜

 こんにちは。

年に一度のチェックポイント

実はこの週末、福岡市で開催された母校のビジネスカンファレンス(あすか会議)に出席してきました。

昨年につづき、フルアテンドは2回目です。その前にも1度参加をしていますので都合3回目です。

ここでは何が行われるかというと、テーマを設けて各界で活躍する人を招きパネルディスカッションが展開されます。

ダボス会議を参考に作ったもので、当日は在校生、卒業生が対象となっています。今年はなんと1100人(!)の参加者でした。

今回は地元福岡市の高島市長やJR九州の会長はじめ、ビジネスからアカデミック、政治、宗教、芸術、エンターテイメントなど各界で活躍する人が登壇者に名を連ねます。

順次以下のサイトで録画が公開されると思います。これはオススメです。

スロットは8つあり、そのうちの4つが自分の興味に合わせて複数から選べるものになっています。

今年は「成熟産業のビジネスチャンス」「伝統を守り、革新に挑む」「シェアとクラウド」「キュアリアの変節点」を選びました。それ以外にも全体会として「VUCAの時代」「テクノベート」といった最先端のテーマを扱ったパネルにも参加しました。

それ以外にも、自分自身が登壇者となって実施するラウンドテーブルの実施も依頼されたので登壇者・参加者両面で参加しています。今回は「職場のメンタルマネジメント」をテーマにしました。

3つの学び

前回までの参加でも思ったことですが、今回も改めて大きく3つのTake Awayがありました。(細かな学びは大量にあったのですが、だいぶ抽象化して3つです。)

①最新の情報をインプットする活動は重要

これって、あたりまえのことですよね。でも日々の仕事や雑用に追われてできてないことが多いです。加えて、自分に圧倒的な情報の選択権がある読書やネットからのインプットでは、どうしても興味のエリアに偏りができます。

自分の興味に近いところか、自分の周りのコミュニティからしか入手できません。当然程度問題ではあるものの、やはりそれなりの権威がキュレーション機能を働かせて選んだ情報に触れることは新しい刺激になります。

今回も今の自分の問題意識やチャレンジにダイレクトに有効になる情報をインプットできました。

今後のアクションのイメージもかなり具体化してきたのを明確に感じました。具体的に実践してカタチにして行きたいとおもいます。

あすか会議そのものに関しては、グロービス関係者に閉じたカンファレンスではありますが、このような普段とは異なる外部の勉強会への参加は、視野を狭めないためにはビジネスパーソンには必須なんじゃないか、って思います。

②自分の成長のチェックポイント(成長してたな)

この年になって成長かよ、と言うなかれ(笑)。人間いくつになっても進化しないと!

同じビジネスカンファレンスに継続して出席していると、自分の視野・視点の変化、経験の結晶化がチェックできます。

この部分は成長しているな、とかこの部分は”高齢化”しているから改めて巻かないといかんな、とか。

昨年はこうだったな、という振り返りとともにこの1年で自分にあったことをふまえて多角的にチェックすることができました。

これは、実は同じ週の水、木、金の3日間で東京国際フォーラムで実施されたイベント日経ヒューマンキャピタルでのパネルディスカッションに登壇したときも感じました。

昨年も同じように登壇したのですが、似たような景色を眺めながら、お話しする内容の主張ポイントや伝え方などは昨年と比べるとかなりの進歩をしているな、と強く認識しました。おそらく今回のあすか会議の他の登壇者も連続参加されている人は感じられるのではないでしょうか。

このような定期的なイベントに連続参加するというのは、自分の成長のチェックポイントとして大変有効です。そのような場を作ることをお薦めします。

③他の参加メンバーからの刺激

もともと、同窓の人たちの集まりだからということもありますが、久しぶりに会うメンバーの成長ぶりを確認することは何よりの刺激です。

中にはメディアを通して活躍が伝わってくるようなメンバーさえ出始めていますが、それでも本人と直接会って、活躍を讃える機会ほど前向きな刺激はありません。

そして逆に自分が誰かにとってそういう存在でありたいと改めて思わせてくれる機会でもあります。

自分がメンターと思っている方との語らいも楽しみな機会でした。

 

体力も時間もお金もかなりかけましたが、文字通り明日への活力になると感じたイベントでした。

最後になりましたが運営に携わった皆様に心より感謝です。

これを読まれているみなさんにも、このような場がそれぞれあるのではないでしょうか?

 

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2017の目標 半期の振り返り

こんにちは。

2017年上半期も最後の週末となりました。

恒例になりました、今年の目標の半期の振り返りをしたいと思います。

2017年半期 道半ば

目標は大きくワークとライフの2つ。

それぞれ、ワークはIBMと個人事業の2つに分けて設定し、ライフについても家族と個人の2つに分けて決めています。

加えて、裏では100の細かい「やりたいことリスト」という目標も決めています。

 

eitarokono.hatenablog.com

 基本的には、大目標を振り返りたいと思います。

1) ワーク(所属会社)

まず、ワークの方では年間ターゲットの達成とブランド構築でした。

数字の方は明かせない状況ではあります。まだまだチャレンジは続きます。

また、Watson Talentのブランド構築については、Watsonのブランドが確固たるものがあることもあり、相当進んでいるとおもいます。

Watson Summitや各種インタビュー、ラジオ出演などIBMの仕事の延長として様々な活動を進めることができました。

とはいえ、18ヶ月前に加入して以来、クライアントにとっての選択肢で思い浮かぶ相手先の3本の指に入るということを目標にしていますが、まだまだそこまでに至っている分けではないので、引き続きこちらでも努力を進めて参ります。

2)ワーク(個人事業)

今年に入って特に、複業推進に関する動きが加速してきていて、いままで隠れてやっていた人がカミングアウトする事例などから始まっています。この流れは止められないので、各社対応が必要ですね。

さて、僕の方は、3月に約4年ぶりにオリジナルの新刊を出版することができました。

この『現代語訳 学問のすすめ

現代語訳 学問のすすめ

は僕の中では込めた思いや、かけた時間・労力はこれまでにないものでした。

おかげさまで「学問のすすめって、こういう本だったんだ」という反応とともに、好評を頂いております。

継続的に販促活動を続けて行きたいと思います。

年始に掲げた「2冊のオリジナル新刊とコンテンツの有効活用」という目標についても、もう1冊の別のオリジナル新刊の進捗状況から見ても、コンテンツの有効活用企画の進捗状況から見てもおかげさまで達成見込みです。

ご期待ください。

グロービス講師も4月に復帰して以降年内はフルで継続予定です。

また、追加で掲げた「新しい領域への第一歩」という目標も計画実行中です。

これを希求する活動の中で得たあたらしいネットワークは本当に貴重だと感じています。すでに「新しい領域」に踏み込んでいるとも言えます。

3) ライフ(個人)

こちらは、水泳大会に2回出場するという目標でしたが、上半期ではゼロでした。まずは9月に出場し、12月になんとか達成という流れに持って行きたいと思っています。

その他インプット系の目標(小説10冊、小説以外20冊、映画20本など)を立てましたが、ビハインド気味ですので、後半に追いつくべく着々と進めていきたいと思います。

4)ライフ(家族)

3月に転居をし、娘が受験を経て中学に上がるという大きなイベントを経験しました。

これに加えて上記の「ワーク」関連もろもろが重なったため、年が明けて以降、本当に慌ただしい日々が続いたな、と感じます。

ぎっくり腰に始まり、体調的にやばいな、という時が何度かありました。ギリギリでやっていた感じは否めないので、40を超えたカラダなりの詰め込み方で知恵を使って行動するようにしたいと思います。

その他の目標である家族で月に一度出かけるという目標も期間をならすと達成していますが、立てた目標が低かったのかな、とも思います。

あと、週末の家ご飯を増やすという目標はBeforeの数値をとっていないこともあり「増えたような気がする」という結果です。比較するなら比較対象がある目標を立てなければ行けなかったです。(今更ながらに反省)

5)目標を立てたことをわすれない

このおまけ目標って実は重要です。今回振り返ってみたときに、さすがに大目標はざっくり覚えていましたが、100の細かい目標は普段認識できていなかったな、と改めて思いました。

実は小説10冊読む、という目標なんかも忘れてました。

年末はゆっくり細かく振り返ってみないと。

「4」の「ライフ(家族)」の目標でも触れた通り、上半期はイベント目白押しでした。

大規模イベントそのものは少ない下半期に、挽回して行きたいと思います。

みなさんの上半期はどんな半年間だったでしょうか? 

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太古の人類にiPhoneの良さを伝える方法

こんにちは。

もし仮に、原始人の方々にiPhoneの使い方をお伝えするにはどうしたらいいのだろうか?と考えてみました。

なんでそんなつまらないことをしたのかというと、他意はなく、ちょっとした妄想ゲームです。

結論は、やっぱり電話やインターネットがたどってきた歴史を噛み砕いてお伝えすることが最適なんだろうな、というものでした。

原始人の方々にiPhoneの良さを伝えるには

まず、原始人の皆さんは衣食住のうち、やはり食の優先度が高いのではないかと思います。それも文化としての「食」というよりは、栄養摂取・生命維持のための摂食です。

だから、iPhoneを見て最初にきかれることは、

「何それ、食えんの?」

でしょうね。そこで、

「ごめん、これ自体は食べられない。でも、Amazon行けばこれ使って食べ物をGETできるよ」

と言うと、おそらく原始人の皆さんは、

「うそだろ、こんな小さいもので?」

と、いいながら、密林の中でiPhoneを振りかざしてマンモスに襲いかかっている自分を想像していることでしょう。そして、

「だめ。言ってることよくわからない。出直してこい」

「オレ、これまでちゃんと意思で作ったオノでマンモス倒してきたもん。それでいいじゃん」

と言われるか、

「じゃあ、デモしてみて」

と、iPhone持たされて、サーベルタイガーと一対一で対峙させられるかもしれません。

要するにいくら最新鋭の文明の利器であっても、前提知識も共通言語もない相手に説明しても、受け入れてもらえないということですね。

何事も理解してもらうにはステップが必要

ここで、現代人の立場で、やりがちだけどやってはいけないこととしては、

「こいつら分かってない。ダメだ」

「これだから原始人は...」

などとあきらめたり、他責にしてしまうことです。

経験がない原始人の方には、文明の利器の価値はいきなりは分からないのです。

これは原始人の皆さんのせいではありません。多くは悪気があって理解しないわけではないのです。

そういうときは分かっている側が、伝え方に工夫をする必要があるのです。

そこで、まずやるべきなのは「糸電話」を作ることなのではないかと思うのです。

話している人同士が離れていても、音声が伝わり、まるで近くにいるように大きな音で聞こえるという技術があるのだ、ということを知らせるのです。

「おー、なるほど。これが声を伝える道具ね。キミすごいねー」

と、原始人の皆さんにも分かって頂けることでしょう。ちょっと信頼を得ることもできました。ここで細かい技術や音の伝達の仕組みを解説しすぎないこともポイントですね。混乱させてしまうかもしれません。

そうなったらしめたもの。次のステップは、黒電話でしょうか。

宛先を番号で指定すると、特定の電話に呼び出しがかかり、お話ができるような技術があるのです。

「あらまあ、隣村までヤックルに乗っていかなくても、用事が伝えられるのか」

と意義を理解してもらえることでしょう。

その次に「無線電話」や「テレビ」「パソコン」の考え方をお伝えし、続いて「インターネット」や「アプリケーション」の概念を分かりやすく伝えるのでしょう。

そして、最後にそれらが全て揃って手元で動かせる「スマホ」「iPhone」というものがあるのだ、ということを丁寧にお話しすると

「なるほど。この小さいやつは、マンモスに投げつけても殺せないけど、うまく使えばそれ以上の利点があるのか」

と理解してもらえるはずです。

もちろん、相手が「分かりたいと思っている」という前提だけは必要ですけどね。

物事を前に進めるって、こういうことかもしれません。

理想を持てば「原始人」に必ず遭遇する

もちろん、

「自分にはそこまで丁寧にやっている時間はない。ちゃんと自分で学習して、スマホiPhoneの意義くらい分かっている人と一緒に過ごしたい」

という思いの方が優先順位として高い場合は、自分の居場所を他に求めるか、自分自身がそういう場を造り上げることになるのでしょうね。

こう考える人がいてもいいと思いますし、ある意味感情的には当然だろうな、と思う側面はあります。

それは一人ひとりの選択になるのだと僕は思います。

ただ、少なからず新しいことをやろうとか、高い志をかかげ実現しようという思いがある場合は、自分の組織内か、顧客内か、社会の中か、のレベルは違えど、自分にとっての「原始人」に遭遇することは間違いないわけですから、何処かで「原始人説得」の労はとらないといけないことになるのだろうと思います。

みなさんは、どう思いますか?

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認識の仕方の多様性を踏まえたコミュニケーションを。

こんにちは。

人の認知特性には色々あります

先日、自分の体験を踏まえ、学習の仕方にも人それぞれの違いがあることについてコメントしたところ、添付の本をご紹介いただきました。

医師のつくった「頭のよさ」テスト 認知特性から見た6つのパターン (光文社新書)

医師のつくった「頭のよさ」テスト 認知特性から見た6つのパターン (光文社新書)

  • 作者: 本田真美
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2012/06/15
  • メディア: 新書
 

『「頭のよさ」テスト』という、現役の医師の方が書かれた物です。

人間の認知に関わる特性を大きく視覚優位、聴覚優位、言語優位の3分野をそれぞれ2つに分けて、合計6分類に分けた考え方を紹介しています。

  1. 視覚優位:カメラアングル
  2. 視覚優位:三次元映像
  3. 言語優位:言語映像
  4. 言語優位:言語抽象
  5. 聴覚優位:聴覚言語
  6. 聴覚優位:聴覚&音

だそうです。

それぞれ、個人個人で得意不得意があって、それをうまく使うとキャリア(人生)を過ごす上で得意分野を活かせるようになり、そうではないと本人の特性と求められるものとのギャップに苦しむようになる、ということだと理解しました。

例えば、1, 2,の視覚優位者は、映像を軸に物事を認識することが得意で、人の顔を覚えたりするのが得意だそうです。デザイナーや映像ディレクターが多いとも。3, 4, の言語優位は文字を覚えたり認識することに長けていて、アナウンサーや弁護士、教師といった職業に就く人が多いようです。5, 6,の聴覚優位者は、音感が強いということで音楽家などに多く、言葉を覚えるのも音から入る傾向があるようです。

僕が受け止めた、この書籍のポイントは、極端な例も含めていくつか実例を並べて解説した上で「自分の得手不得手を認識すると同時に、他者の得手不得手もよく理解して、お互いの得意分野をうまく活用して参りましょう」というものでした。

もっと言えば「自分の認識の仕方が絶対である、と思ってはいけない。その考えを前面に押し出しすぎると、力の強弱がある関係の場合などは相手を潰してしまいかねない」というものでした。

比較的上意下達文化のある組織の中で上司の役割を担っている人は、部下との関係で部下を潰さないように配慮するべきでしょう。またフラットな文化の組織にいる場合は、自分の認識タイプを相手に押し付けすぎると逆に上司の人が部下からの求心力を失うことになります。

また、子育て中の人などは、特に自分とは違うタイプのお子さんを持った場合、配慮が必要なのだろうな、とも思います。

僕自身は「視覚優位タイプ」

この本の冒頭には、タイプ分けを意識したチェックシートがついていてそれを受けてみてから読むとより当事者意識が持てます。
僕は、明確に視覚優位という特徴が出ました。

レーダーチャートの16−25のエリアが標準スコアで、26以上が出ると驚嘆にその傾向が強いそうです。

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これは僕自身思い当たる節があります。

確かに人の顔は覚えるのが得意です。しかし名前などは厳しいものがあります。思い出すのにかなりの時間が必要ですので、打ち合わせ前などには一度思い出して頭の前の方に出しておく必要があります。
また、特に顕著に現れるのが、ソフトウェア・アプリケーションがバージョンアップした時です。プルダウンメニューやアイコンの位置なども、見た目の位置で覚えているため、バージョンが変わると何がどこにあったかが全くわからなくなります。
「ファイル」の下の概念だから、とか「編集」をするのだから、当然編集に分類されている、という意味づけで覚ればいいのでしょうし、多くの人がそうしているのは知っています。しかし未だ意識してもなかなかうまくいかないのです。

この手のことって、できる人には全く理解できないものです。

世の中に、これができない人が存在することすら信じられないため、できない人が、できる人に対して「ごめんなさい、覚えられないのです」と言っても、「そんなはずはないだろう!」「ふざけるのもいい加減にしろ」という反応を受けて悪者にされたりします。

僕自身も今から思うと、責める側になったこともありますし、責められる側になることも未だにあります。

認知特性の違いを意識したコミュニケーションを

この「認知の仕方の違い」が存在することだけでも理解すれば、職場や学校、家庭での諍いの多くの部分は解決するのではないかと思いました。

言うは易しですけどね。

加えて言えば、多少の差であれば努力して対応策を考え出し実行することも可能だと思っています。

僕も若い頃から日々、そのように工夫してきました。

ですので、認識力の特徴を根拠にして、全てを「才能論」で片付けることについては個人としては反対です。才能をより伸ばすことや、苦手を努力で克服すると言った未来志向の態度で当たるべきで、最初から自分で諦めたり、人を切り捨てたりすることはやるべきことではない、と思うのです。

皆さんはどう思いますか?

 

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