新しい概念に触れるとき RPAとホワイトカラー

こんにちは。

今回も、人に紹介されて手に取った本を元に思ったことをメモしてみようと思います。

「RPA革命の衝撃」という本です。

RPA革命の衝撃

RPA革命の衝撃

 

もともとRPA(Robotic Process Automation)という言葉は知っていましたし、この書籍が出る2016年末頃から、お会いするコンサルタント職の方からよくお聞きするキーワードでした。

とはいえ、既製のソフトウェアを販売するというIBM内の僕のミッションとは直接のビジネス上のつながりが直感的にイマイチ見出せず、入っていくことをためらっていたというのが実際のところです。

とある機会からこの書籍を紹介され、「IBMにおけるミッション(Kenexa / Watson Talentの国内展開)」と「個人のミッション(ホワイトカラーの生産性向上)」両面の視点から学んでみよう、と言う気持ちになりました。

RPAって?

RPAとは、ごくごく簡単に言うと、今まで人間が手間をかけてやらざるを得なかった業務をソフトウェアロボットが代替する、と言うものです。

従来のシステム化と大きく違う、とされているのが、この自動化がホワイトカラーの領域まで入ってきている点です。

僕なりの言葉で言うと、この違いは「従来はコストや時間、品質の観点からそもそもシステム化に向かない、と考えられていた領域に踏み込んでいること」と理解しました。

深く踏み込むと本稿の目的を超えるので細かいところには入りませんが、実は、僕の中ではここまで整理できれば、一つの結論を得たのかな、と思っています。(もちろん、書籍はより深いところまで入っていますし、事例なんかも興味深いものが出ていますので、ぜひご覧ください)

RPAは今後のホワイトカラーにとっては、無縁でいられないもの。仕事の中で場合によってはこのRPAに関与することがクリエイティブな仕事の中心になっていく可能性が高いもの、というのが僕の見立てです。

(こうやって自分で記録に残すことで、後々振り返ってみてこの予言めいたコメントが結果どうであったかを、数年後の自分に課したいと思います。)

「新しい(?)」概念に触れるとき

このRPAに限らず、世の中は常に環境変化にさらされていて、新しい概念が様々な意図を持って世の中に出回ります。

こういう時の身の処し方については僕は次のように考えています。

結論から言うと「まずは接して、試してみる。そのときに自分ごととして考えてみる」と言うものです。相変わらず当たり前すぎてすみません。

過去20年の経験から得たものとして、「新しい概念」と言うのは、100%が無から有ではなく何か既存のものにプラスアルファのアイデアを盛り込んだものである、と言う点です。

その文脈でいうとこのRPAも、

「なんだ、今までのXXに毛が生えた程度じゃないか。もっとすごいことができると思っていた」

「まだまだ実証段階。うちは評価が固まってから導入だな」

と先送りすることも可能な概念です。

実は僕もこうなっちゃいけないな、と思って今回この本を手に取ったクチです。

また逆に

「これを実行すると、人の仕事が機械に奪われる。人類を幸せにしない概念だ」

などと極端に解釈して、自分ごととして考えることを放棄することもあるべき態度ではないと思っていますが、人間どうしてもやってしまいがちな態度です。

当面は人間のやること一杯あるので、天が落ちてくることを心の底から心配する杞の人みたいにならないようにすることの方が大事だと思ってます。

IBMにおけるミッション(Kenexa / Watson Talentの国内展開)」と「個人のミッション(ホワイトカラーの生産性向上)」の両面から見た検討結果としても、もう少し深入りして考えてみたいなあと言う結論に至りました。

と言うことで、近場にいる有識者の人たちに色々聞いて回りたいと思いますので、いきなり質問するかもしれませんが、その時は宜しくお願いします。

また、以下の勉強会にも参加してみようかと思っています。

rpa-bank.comみなさんは、どうお感じになりますか?

Back to Basic 「優れたリーダーはみな小心者である。」

 

こんにちは。

すすめられて読んだ本

二週間ほど前に、ある方からお薦めいただいたことが切っ掛けで、ブリヂストン元CEOの荒川詔四さんの著書「優れたリーダーはみな小心者である。」を読みました。

優れたリーダーはみな小心者である。

個人的には非常に感銘をうけました。

というのも二つほど理由があります。

  1. よく自分が唱えていることと近いことが書かれていたことが一つ。
  2. もう一つが、それをさらに延長して「なるほど、それもその通りだ」「こう言う表現がいいのか」と気付かせて頂けることが多かったこと。

これらは全て、14万人のグローバル企業を引っ張った実績を通して語られているため説得力が高いです。

全ての人が14万人引っ張るわけではない!と言われるかもしれませんが、ご安心ください。入社2年目社員の頃の失敗談なども含まれているので、全く「遠い話」とは感じさせないと思います。

全体を通じたキーワードは、タイトルにもなっている「小心者」や、「臆病者」「心配性」といった、従来の概念では優れたリーダーとは真逆にあたるような言葉です。
特にこれが一貫した、この著作の差別化要素としての主張点でした。

逆説的ではありますが「なるほど、だからこんな行動が可能になるのか」と思わせる内容だったのです。

書籍の存在は知っていましたが、タイトルがあおっていた感じがしたので、手に取るまでに至りませんでした。すすめられて初めて手に取ったわけです。

著者のことも存じ上げないまま、勿体ないことをしていました。

読んで感銘を受け、それ以降講演やセミナーなどでもこの書籍について言及するようになりました。

幾つか心に残ったポイントを少し。

補佐は最高のリーダー育成方法

荒川さんは、ブリヂストンがアメリカのファイアストーン社を買収した時には社長補佐をされていたそうです。この期間を通じて、リーダーとしての行動や心構えを学んだということでした。

社長補佐というのは社長の分身として現場とのパイプ役になったり、社長がスムーズに判断やメッセージングをするための支え役になったりする仕事です。

僕もあるエグゼクティブの補佐をやったことはあるのですが、その活動を通じて大きな組織を引っ張ることの大変さを感じることができたし、彼我の差が明確になり自分の課題を理解することもできました。同時に理想のリーダー像が明確にもなりました。

ということもあり、この主張には非常に親近感を持ちました。

一定以上(従業員数1000人とか?)の規模の会社や事業部のトップは秘書以外の補佐機能を持って、自分の業務をより円滑に進めるようにするとともに、そのポジションを担当することを通じた人材育成は有効かもしれません。

当たり前のことを繰り返し

特にリーダーからのメッセージングの話の時に、当たり前のことを繰り返して伝えないと、伝わらないというコメントがありました。

荒川さんの年頭の挨拶などは、毎年代わり映えのしない原理原則を繰り返し説く内容だったそうです。

そして、ありがちな流行言葉の入った美辞麗句だけのメッセージを荒川さんは否定します。

僕もよく、「改革」は大変なことではあるが飛び道具が全てではなく、当たり前のことを確実にやれるかどうかがポイントである、とお伝えします。

教科書に書いてあるような、当たり前のことを着実にこなせる組織は、流行言葉になるような「飛び道具」を与えられても使いこなせる可能性はありますが、その逆はありえません。

基本に忠実に、というのはこの書籍全体を通じたメッセージでもあるように感じました。

合目的・原理原則

「合目的」という言葉が出てきます。これも普段僕が使っている「目的合理性」と同じ意味です。

その行動は、目的に合致しているか、を常に考えている人が多ければ多いほど、その組織は滑らかに動きます。

ビジネスはつまることろ、ここだと思うのです。

そしてこの当たり前のことが、なかなかできないのが組織です。

目的を追求するためには、その付き合い残業・アピール残業は意味があるのか?

その差別発言や個人攻撃は、目的に合致したものなのか?

日々あるトラブルは目的や原理原則に照らせばかなりの部分解決します。

究極的にはすべての人が目的合理性を追求している前提に立てば、リーダーは目的・原理原則さえ方向付ければそれでよいはずです。

方針を示さずに

「あの方針は決めたけど、人に言うものではない」

とか、「右ですか、左ですか」と問われ

「右でもあるし、左のケースもある」

というのはリーダーの発言ではありませんね。

そんなやついないだろう?と思う人もいるかもしれませんが...残念ながら実在します。

原理原則をしめさないと、集団は何を方針に動いていいか分からないので、合目的もなにもあったものではありません。烏合の衆になってしまいます。

「オレはお前らくらいのとき、もっとキビシいことをやらられてきた」というのはリーダーがもっともやってはいけないこと、として記載されています。

この類のはなしは過去の自慢話や懐古話に過ぎず、何の根拠にも教訓にもならないことだと書かれていて、これについても我が意を得たり、と思った次第です。

 

このように、当たり前のことを着実にやってきたリーダーがいた結果ブリヂストンは世界に冠たる会社になったとも言えるのではないか、と感じた次第です。

時を置いて、また改めて読んでみたい本が一つ増えました。

皆さんは、どう思われますか。

ステキな定年退職

こんにちは。

「定年退職」と聞いて初めて年齢を知る

我がIBMは、定年退職まで勤め上げる人が少ない会社なので、今まで送別は数あれど、定年を迎えた人との送別は、現時点でお一方だけしか経験をしたことがありませんでした。

ところが、ここへきてこの先の数ヶ月の間で二人の元チームメイトが定年を迎えられる、ということを知りました。

「知りました」ということにも多少関係あるのですが、お二人の共通点は女性であること。

かつてそれぞれ別の時期(5年前と12年前)ではありますが、共にチームメイトとして机を並べて仕事をした仲間なのです。

ですが、当然のことですが先輩女性を相手に年齢を話題にすることはありませんでした。

初めて年齢を知ったのが、今回

「あの、今度定年で退職するんだけど」

と聞いた瞬間でした。

「えーーっ!そんなに…あ、失礼…」

日常会話からほぼ間違いなく年上であることは知っていたのですが、そこまでの差は感じたことがないお二人でしたので、まさか還暦とは。

一緒に仕事をしていた当時は、今よりもだいぶ「若手」であった僕を、時に叱咤し、時に支援してくださり、常に笑いの絶えない職場を共に作っていけていました。

僕としてはこのお二人とお仕事したことはIBM生活の中でも、とても楽しく、大切な思い出です。

まあ、寂しくなりますが、「ありえないほど」お元気なので、場所を変えて活躍されることだと思います。

同僚の「定年退職」に思う

同時に本稿の文脈でも二つほど少し感じたことがありました。

一点目は…

日本の今時点の一般通念として「定年退職」と聞いて思い浮かべるのは、笑顔の男性が花束をもらっているシーンなのではないでしょうか。

先ほども書いた通り、今までお一人しか定年退職の方を送別したことが無い身としては、女性が定年まで働いてこられたこと、それも二人の元チームメイトが同時期に、ということを思うと、少し感慨深いです。

二点目は、そもそも定年ってなんだろうなあ、という点です。

生涯現役でありたいと思っている僕としては、別に企業が定年を決めることもないんじゃないかなあ、と思うのです。

働ける人で希望する人は貢献すればいいし、無理に定年を設けてそれを前提に制度を作ることで、働きたくない人や貢献できない人が残り続けなければならない現実があるのではないかと思います。

年齢なんかでは決めないでもっと自由になればいいのに。

当然若手の成長を阻害しないような文化や制度を作っている前提ですけどね。

なんてことを考えました。

みなさんはどう思いますか?

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「ご挨拶に伺う」と"Greeting Call" 〜ご挨拶したら企画が立ち上がった〜

こんにちは。

ちょっと「ご挨拶」の意義

おそらく和製英語なのではないか、と思うのですが、Greeting Callという表現があります。(少なくとも僕は、あると思っています。何度か使ったことがあるので。)

僕は、これを日本のビジネスシーンでいう「ご挨拶に伺う」とほぼ同義と理解しています。

そして(和製英語ゆえ?)来日したNon Japaneseの人にはそのまま通じないな、と思っているものでもあります。

僕の知る限り、という限定付きですが、Non Japaneseの場合、誰かを訪問するには具体的にビジネスに直結する目的を持たせようとする傾向があるように思います。

例えば、製品の紹介をして案件を掘り起こしたり、今提案中の案件の念押しをすることだったり。

単にお客さんとお会いして「何かのきっかけになるかもしれないから」という訪問はなかなかセットしにくいなあ、というのが感覚です。

みなさんの周りではいかがでしょうか?

リハビリ時の派生行動が、企画に発展

先日、このいわゆる「ご挨拶」が具体的な企画の話につながった経験があったので宣伝も兼ねてご紹介しようと思います。

本稿でも2回前にご報告しましたが、今月の上旬に体調を崩し療養していた時期があったのですが、その際、リハビリも兼ねて自宅から適当な距離にある碑文谷のイオンスタイルまで歩いたことがありました。

イオングループには未来屋書店という本屋さんがあるのですが、この店舗にもありました。当然反射的に自分の本を探すのですが、新刊も含めて平積みにしていただいていました。

なので、お礼も兼ねて近くにいらした書店員の方に、

「この本の著者ですが、置いていただいてありがとうございます」

とお声がけをしました。

その場では

「あ、こちらこそお世話になっています。版元の営業さんにもお世話になっています」

といった基本的なご挨拶で終わりました。

 

しかし、数日後版元のディスカヴァー21経由で連絡いただき、

「書店の方が、大変喜んでおられました。展開するのでPOPを書いてください」

という依頼がありました。

是非是非、ということでPOPを書いてお送りしました。

増刷分が届くのと同時に展開するということでお話を聞いていたので、今日改めてご挨拶に伺いました。

今日は、店舗に店長がいらっしゃって、直接展開のお礼をさせていただくことができました。

その際の店舗の様子を写真で撮影してきました。(なんかピントがあまりあってなくてすみません)

一番いい場所でテーブルの上に展開いただいてました。テーブルは二つあって、僕の著書はメインの棚の両翼の右舷なのですが、なんと左舷は今年のノーベル文学賞作家カズオイシグロの棚でした。

これも感激しましたが、店長さんとお話ししているなかで併設しているカフェでイベントをやらないか、という話になりました。

この企画については追ってご報告します。

もともと、リハビリのつもりで歩いて行った店舗での「ご挨拶」からプロモーションイベントの企画にまで発展した例です。

ここでも全ては合目的性

この“Greeting Call “については、洋の東西の違いについては、あまり正確に「こうだ」という見立てはできませんが、あえていえば「日本的習慣」かもしれない「ご挨拶訪問」もうまくやれば具体的なビジネスにつながるのではないかな、と改めて思った出来事でした。

全ては合目的性がポイントだと思っているのですが、もともとリハビリが目的の移動と、対して負担にならない挨拶という、簡単な投資に対してリターンがそれ以上にあったわけで、十分合理的と言える行動だったのではないかと思います。

つまり、例えば移動に異常に時間やお金がかかるようなところまで、わざわざ「ご挨拶」に伺うのは本末転倒なわけです。

冒頭で、来日した外国人の例を出しましたが、考えてみれば彼らは多大な時間と経費、体力を投資して移動してきているわけですから、大きな成果を上げて帰ろうとするわけだから当然、具体的な目的を問うのかもしれませんね。

みなさんはどう思われますか?

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「おい、軽く一杯」とSNS 〜時代の要請で変わっていくべきもの〜

こんにちは

自分が働き始めた20年前と比べて、変わったな、と思うのが部門内の飲み会の頻度です。

今日は飲み会の今昔について思うところを記してみました。

20年前の育成プロセス

20年前を振り返ってみると。

「おい、行くぞ」

という声とともに、21時とか22時ごろから部門やプロジェクトの先輩たちと一緒に飲みに出かけるわけです。

その場で交わされる会話は、過去の誰かの武勇伝であったり、その日の若手の行動の評価であったり、翌日の仕事の話であったり。

「仕事の一部」として考えられていて、よく言われるように20世紀には確実に機能していた「徒弟制度」の育成プロセス、そしてコミュニケーション、すなわち「懇親」の一環だったわけです。

当時若手の僕としては、色々な細かい振る舞いについて教えてもらったり「誰々さんはこんな趣味がある」「先週こんなところに行った」という他愛ない会話でメンバー同士で仲良くなるきっかけを見つけたり。

自分の過去を振り返ってみても、そこで教えてもらったことは当時すごく重宝した感覚はあります。

一方で、おじさんだけで飲み会の場で物事が決まって行く「アンオフィシャル」な意思決定プロセスとして、弊害も指摘されていました。

そして、時代が流れて、業務が終わった後は、自己投資や家族のケアが当然になってきた今「おい、今から行くぞ」というシーンはほぼ見かけなくなりました。(もちろん、どこかにはあるのかもしれませんが)

僕自身も今でも会食はランチも合わせれば、ほぼ毎日のペースで出かけますが、普段から顔をあわせるメンバーよりも外部の人との会食がほとんどです。

「徒弟制度」は今…?

で、過去機能していた「徒弟制度」「育成プロセス」は今、どこへ行ってしまったのでしょうか?

実はこの件に関連して、こういうことかな、と思うことが二つがあります。

ポイントは「人から教えてもらうのではなく自分で学ぶ」「業務外の懇親の場はSNSへ」でしょうか。

①人から教えてもらうのではなく自ら学ぶ

時代が変わって、人の流動性も増し、いつまでも先輩が会社にいるわけでもなく、家族のケアのために早く帰らなければならない先輩も多い、という時代において時間外に時間を共有することが難しくなってきました。

こうなると自分の成長は、会社から与えてもらうものでも、先輩から教わるものでもなくなってきたという時代背景があります。

一冊めの書籍を出した時に、言われたことで印象的なことがあります。

  • こんな本、飲み会の説教を活字にしただけじゃん。
  • 最近では飲み会で教わる機会が少なくなった、仕事のコツが、うまくまとまっている。

両方とも同じことを言っていて、表現を変えただけなのですが、「なるほど」と思いました。

諸々の事情で機能しにくくなった「徒弟制度」を補う内容なんだな、ということです。

ただかつての徒弟制度は「ほぼ強制参加」の飲み会を軸に展開されていたのに対し、現代の育成は、本人が前向きに行動を起こすことが軸になっているのが大きな違いですね。

能力開発系の書籍や情報サイトが流行ったり、意思ある人が国内の各種MBAに自費で集ったりするのはその表れなのではないでしょうか。

②業務外の懇親はSNS経由で

飲み会のもう一つの効果である「懇親」の場はSNSに移っているのも感じます。

今までは飲み会に行ける人たちだけの中で行われていた懇親が、全ての人に開かれた感じです。

趣味は何で、家族構成は何で、週末誰と何をした、などと言ったことはそちらで交換することが多いですね。

もちろん、知られたくないこともあるでしょうからFacebookTwitterと、Instagramと…などメディア毎に人格や発信情報を使い分けるのが前提ですが。

「おじさん世代」が配慮すべきこと

このように時代の要請や技術の発展によって、日常の仕事の仕方や育成方法にも変化が出てきています。

ちょっと発送を柔軟にして、一歩踏み出して時代の流れに任せるとその利便性を享受することができます。

にもかかわらず「保守本流」の人がやってしまいがちなのは、

「やっぱり、飲み会の復活だ!全員飲み会出席せよ!」

とか

「フェイス to フェイスが重要だ。在宅勤務禁止!」

などと言った、寂しい思考停止の「原点回帰」です。

これは時計の針を逆に回転させる、無駄どころか迷惑な労力です。そうならないように気をつけたいですね。

皆さんはどう思われますか?f:id:eitarokono:20171022144709j:image

「菊池病」を経験しました

こんにちは。

「菊池病」にかかりました。

実は、4年近く毎週欠かさず書いてきたこのブログも初めて飛ばしてしまいました。それも2週も。

理由は、「菊池病」という病気にかかって2週間、文字通り寝たきりだったためです。

菊池さんというドクターが発見した病気のようでググると以下のサイトがヒットします。

組織球性壊死性リンパ節炎 - Wikipedia

そもそも珍しい病気のようで、20代から30代の若い女性がかかることが多いそうです。ですので、僕を診てくれたお医者さんは、悪性リンパ腫も疑っていました。

確定するまで結構つらい日々を送りました。

症状は主に高熱と頭痛、主な患部である首の腫れと痛みです。原因不明・治療法無しということで解熱鎮痛剤で治るまでガマンするしかないという。。。

珍しい病気でもあるのでネット上の体験談は非常に役に立ちました。ですので、僕もまだ完治していないのですが記憶が新しい段階でここに残しておこうと思います。

本稿の主旨はホワイトカラーの生産性向上ですが、究極的には健康もおおきく関係ありますので、こちらに記載します。

また、今回病気を通じて得たもの、失ったもの、学んだことなども多かったたため、それを最後に纏めてみました。

経緯

まず、発症〜回復の経緯から。

(あくまでも僕が見聞きした情報と体験にもとづくものです。医学的に正しいかどうかは分けて理解して頂けましたら。)

9月29日(金)発症

四半期の締めに向けてこの数週間眠れない夜が続き、疲れたかなー、と思いながらも、ほぼ締めたところで「なんかおかしい」という感覚が走り、体温を測ったところ37℃を超えていました。まだこの時点では「あ、風邪かなー」という感覚で、明日に備えてはやく寝ようと思い、寝る準備をして寝室へ移動しました。

念のため寝る直前に体温を測ったところ、38℃を超えていました。

9月30日(土)治療開始・悪化

朝起きてまだ熱が下がってないことを感じながら、時差のある四半期オペレーションの締まり状況を確認しました。

昼間は仕事は無かったものの、夜には3時間の登壇があることもあり、アサイチで近所の内科へ行きました。

血液検査で白血球が少ないという結果は出ましたが、通常の風邪の処方(抗生物質と解熱鎮痛剤)をしてもらい、あとは夜に向けて点滴を受けました。

咳や喉の痛み、鼻水なんかも全くなく、すぐ治るかなーという感覚で18時から登壇しました。ただ20時ころからフラフラし始めたので「やっぱり週末は安静だな」などと思いながら21時過ぎに終了。この時点でかなりつらくなっていて帰路はタクシーで帰宅しました。

帰宅して体温を測ったら39℃越え。

39℃越えは僕の人生の中でも記憶に無く、後で母に確認したところ物心つく前もそんなことは無かったようで、人生初の39℃越えでした。

だから子どものようにワクワクしながらも少し不安を感じ始めました。処方された薬を飲んで就寝。

10月1日(日)別症状を自覚・インフルエンザ陰性

朝起きて、熱が下がっていないことを確認しました。それ以外にも首と腰が痛くなっていました。そしてくしゃみ鼻水鼻づまり、咳やノド痛などの全く風邪の諸症状が無いのです。

抗生物質も通常は、数回飲むと自分の経験では効き始めを実感するのですが今回はそれも無く…

確実に、なんかおかしいという感覚を持ち始めました。

自分の持てる知識の範囲では、インフルエンザを疑い始めました。なので家族との距離を持ち始めました。

39℃超えがつづいたこともあり、夜間の窓口のある病院に行き、診てもらいました。が、「帰って、処方された薬を飲んで安静に」という結論でした。

家族への伝染の懸念もあり、そして会社に行くつもりだったこともあり、インフルエンザの検査を無理に頼んでうけたところ陰性でした。

原因不明なのが一番怖いので、生まれて初めて「インフルエンザであってくれ!」と願いました。

そしたら処方は決まってくるのに...が、空しく陰性だったわけです。

10月2日(月)ピークの始まり

起床時点でまだ39℃キープ。会社の会議を全て電話に変更してもらい、会議や作業をこなしました。解熱鎮痛剤が効いている時は37℃台に下がるのでなんとか仕事はこなせました。がやはり夕方にはダウンしました。

今から振り返るとこの時点でリンパ節の壊死のピークだったのではないかと思います。

特に頭痛がひどく、「ガンガン」とか「ズキズキ」という風邪の時の症状ではなく、アタマの中をバイキンマンが走り回っているような感覚で、髪の毛の毛先に触れるとさらに激痛が走る、という感覚でした。

常に顔の表情は、よくお寺にある仁王像のような顔をしてました。大河ドラマの「直虎」に出てくる菅田将暉さんの顔芸にも親近感を覚えます。

「これ、回復しても顔の眉間のしわは残るんでないか?」ってくらい形相してました。

あと、鏡をみて左右の首の太さがちがうことが分かった時には、あまりの間抜けな姿に吹き出したのですが(首の中心から、顔がずれて見える)、笑うと体中に激痛が走るため、鏡を見るたびに笑いながら苦しんでました。

10月3日(火)原因ほぼ特定

また39℃。さすがに不安になり、今年3月に引っ越す前まで10年以上お世話になっていた主治医のところに、ちょっと遠いけど行きました。

行ったら、「あれ、首太いねー。鍛えてるの?」と一言。ぱっと見分かるくらい首が(左だけ)太くなってました。

幾つかの診療のあと、すぐに大病院を紹介してもらい「今すぐ行きなさい」ということで某大病院に行きました。

この時はまともに立ってられない状態でした。鬼の形相も継続してました。大の大人が待合室で普通に座ることすらできず長椅子に横たわっていると、人は距離を置きます。

血液検査、首より上のCTを撮った時点で先生から「菊池病の疑いが高い」という判断をもらいました。

  • 原因不明(敢えて言えば「ストレス・疲労」)
  • 治療法無し
  • 伝染せず
  • 全治1か月程度
  • 亜急性(急性と慢性の間)

ということを伝え聞きました。

とはいえ、悪性リンパ腫の可能性を確実に否定したい、とも言われて1週間後に来院することに決まりました。(このあと1週間、恐怖は消えず。。。)

このタイミングで、入れていた全ての仕事や行事をキャンセルしました。9月までの四半期末オペレーションはIBMの仕事なので、それ以外の仕事を四半期末明けにつめこんでいたので、本当に泣く泣くいろいろなものをキャンセルしました。

同時に腹くくって治療に専念することに決められました。

 

ちなみに、この某大病院で両腕から採血してもらっているときに面白いことが起きました。

 

「VIPから直電。看護婦さんと話したいって!」という声が聞こえました。

 

「超VIPみたい。A社の元社長のBさん!」と続いて僕の採血が中断しました。

 

名前が聞こえることの是非はよくわかりませんが、聞こえてしまったのです。Bさんと言えば15年ほど前僕も憧れた偉大なビジネス人。「あ、彼なら自分の治療がほったらかしにされても仕方ないかな」と思えました。

 

一方で結構つらかったので「はやく済ませてねー」と願いながら待っていました。

10月4日(水)から7日(土)ピーク継続

「亜急性」だけに回復のスピードは鈍いです。発症から7日連続で39℃越えでした。やれることが少ないため、いろいろ余計なことを考えます。何しろ全く回復の兆しがないわけです。

とはいえ本を読んだりする体力も無く、仕方がないのでAmazonでぶっ続けで映画とドラマを見続けました。

昼間一人のときは、クリント・イーストウッドの作品を見続けました。もともと44歳になるタイミングで44つながりでダーティハリーは1〜5まで見ていたので、その流れで数々の名作を見ました。

家族といる時は、ドクターXを見ました。

どちらとも老人や病人がたくさん出てくる物語なのでこの数日間で、自分の思想に大きな変化があったことも自覚できています。

解熱鎮痛剤を飲めば痛みは和らぎ、熱も少し下がるのですが、効き目が切れた時の恐怖たるや、ものすごいものがありました。

食後三回という処方だったので、夕食から朝食のあいだが一番間隔が長いです。明け方になるとグンと熱が上がり、頭が傷み始めます。

これが堪え難く、少し工夫して8時間間隔になるような薬の飲み方に変えました。

10月8日(日)、10月9日(月・祝)回復の兆しあり

朝起きると、恒例の39℃越えをしておらず38℃台でした。これだけでも嬉しい。そしてついに9日には37℃台。

ふだんなら37℃こえるだけで大騒ぎなのに、37℃になって嬉しいとは。

相変わらず薬が切れた時には頭痛、首痛はありましたが、回復基調に乗ったことがすごく嬉しかったです。

10月10日(火)菊池病確定

回復基調にはいったこともあり、また朝起きたら36℃台であったこともあり、ある程度自信があったものの、おそるおそる前回と同じ大病院へ行きました。

ここで「悪性リンパ腫の可能性はほぼ否定できるでしょう。」と言われ菊池病の診断書も受領しました。

解熱鎮痛剤を継続で処方してもらい帰宅しました。

熱は下がったものの、やはり頭痛と首痛、あと体の倦怠感は引きずっていました。

10月11日(水)〜14日(土)リハビリ

社会復帰日を16日(月)に定めて、諸々活動を再開しました。

体力の低下が著しく、まさか自分が「ウォーキング」を運動の一環としてやる日が来るとは想像もしていなかったです。

ちょっと動いて休み、階段は手すりをつかってゆっくり上り下りする。立ったり座ったりもその直後に来る頭痛をやり過ごす。なんて状態が続きました。

しかし、熱が無いためか、解熱鎮痛剤をのむと、35℃台までさがることに気がつき、解熱鎮痛剤を止めてみました。

禁断症状とは言わないのでしょうが、痛みだけが鈍く続くのですが12日以降解熱鎮痛剤は飲まず、その分食欲が増えて体力も少しずつ回復しつつあるように思います。

首の腫れも、相変わらず左右は違って見えますが、細くなりつつあります。

次の目標は、泳げるようになることかな。

治療時のコツ

菊池病にかかる人は少ないとは思いますが、なった人のために書いていることもあり、治療時に少しずつ経験値が増えますので、何かの参考になるかと思いメモとして残してみます。

  • 首やアタマが痛いので寝返りがうてません。一方で横になる時間が多いので腰痛を併発しました。膝の下に毛布を巻いたものや枕のようなものを入れることで背骨を真っすぐにできるため、この処置は有効です。
  • 長時間高熱がでるため、氷枕は常備しておくと良いです。無いと本当につらいです。
  • 解熱鎮痛剤を服用しても結局また元の体温に戻る、という回数が多いです。ですので、発汗してその後寒気が戻るという繰り返しですので、薄手のものを重ね着するなど布団の厚さは調整できた方が良いです。
  • 一方で体の方は元気です。なので解熱鎮痛剤で胃がやられることも多いかもしれませんが食事は普通の食事を確実にとることが重要です。
  • 通常、解熱鎮痛剤は毎食後、ということで一日3回分処方されます。しかし夕食から朝食の間が10時間以上空くことが普通です。そうすると明け方4時とかに痛みで目が覚めそのまま寝られない、ということになりかねません。僕の場合は明け方に薬が服用できるようにヨーグルトやバナナなどの流動食的なものを常備し、丁度8時間間隔で服用できるようにしました。
  • 熱が引いた時には、痛み止めの目的で解熱鎮痛剤を服用すると、35℃くらいまで下がってしまいました。(これは個人差があるかもしれません)そのときは、少しガマンして服用を止めてみるといいかもしれません。僕の場合は良かったです。

失ったもの、得たもの、学んだこと

今までも、休暇のときとか転職の合間などに週単位の休みを得たことはあります。しかし結局メールを見たり、原稿を書いたりするなど結局仕事をしていました。

一方今回は2週間ほとんど全く仕事から強制的に離されるという経験をしました。そのなかで失ったもの、得たもの、学んだことなどがあったのでメモしておきます。

失ったもの

これは、明確に自分の「信用」です。病気だから仕方がない、と思ってくださるものの、やはり約束を違えたのは事実です。

書籍のプロモーションイベントや、自分がアレンジしたインタビュー、食事会への参加、ゴルフなど四半期明けに詰め込んでいたものが全部リスケになりました。

本当に申し訳ありませんでした。

私生活に置いても3連休に家族で四国に旅行に行く計画を立てていたのですが、あえなくキャンセル。息子のために並んで取ったチケットもあったので自分としてもとても残念でした。

これらの信用については、時間をかけ一つ一つ取り返して行きます。

得たもの

一方で振り返ると得たものが、意外に多いことにも気付きました。

まず、家族との時間がたくさん取れました。何しろ家から一歩もでない日が続いたので子どもたちに「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」を毎日言えるのは新鮮でした。

かなり貴重な時間でした。

あと、最初の頃は特に横になることしかできなかったので、アタマの中で今までのキャリアとか今後の方向性などについてグルグル考える時間が取れました。これは少しずつカタチにして行きます。

また、いわゆる中毒性のあるものを断てました。アルコールは2週間、コーヒーも10日以上、スマホも超限定的。睡眠不足とも無縁でしたのである意味「健康」な日々だったかもしれません。

その分の時間を書籍を読む、映画を見ることに費やしたため新たな知的刺激を受けながらモノを考えるというあこがれの生活も、結果的に送ることができました。

最近の自分のテーマは「覚悟」について考えることなのですが、書籍を通じてとか、映画やドラマを通じてそれについて考えることができたのも収穫です。

学んだこと

今回の菊池病体験も、つまるところストレスや疲労が原因ということでした。

つい先日「メンタルのコツ」という書籍を出しておきながら、メンタル面では問題ないからと突っ走った結果、体の方が悲鳴をあげる、ということになってしまったわけです。

年齢を重ねるとどこかでそういうことが起こるのかな、と思います。

今後は「覚悟」を持ちつつも、自分がその覚悟に肉体的に負けてしまうことのない動き方を工夫する必要があるなあ、とも強く思いました。

発病までの何週間かを分析してみると、納得いかないことに「従う」という、最も自分が苦手とすることを一定期間やった結果こうなったとも言えます。

丁度回復に至る過程で44歳の誕生日を迎え、残りの自分の時間を今後どのように使って行くかについて真剣に向き合い、適切な判断をし、実行して行くタイミングにさしかかっていることを強烈に自覚した出来事でした。

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当時「パソコンも持ってないのにWindows95を買った人」を笑えない

こんにちは。

働き方改革時代の一つの解決策:Watson

今、僕はIBMの中で、Watson Talent と言うブランドを国内に展開するチームに所属しています。

簡単にいうと、IBMのAIであるWatson を人事業務(特にタレントマネジメントと呼ばれる部分)に適用するためのソフトウェアツールとその周辺の製品、サービスを販売してるわけです。

Watson というとかなりブランドが確立しているため、おかげさまで引き合いは多く、ご紹介する機会は事欠きません。

機会をいただき、説明した後に、出てくる反応は大きく3つ。

①いやあ、まだまだうちはこれを投入するレベルにないですわ〜。そもそもデータがないので。

②あら、買ったらすぐに人間の代わりをしてくれると思ってたけど、意外に手がかかるのね。

③他社は導入してます?

①が一番多い反応で、もっとも危機感を持つものです。

「腰が重い」状態に危機感をもちます

ここでは①についてコメントします。

このパターンが典型的な反応なのですが、レベルにないのであればなおさら今着手しないとマズイです。

何でもかんでも欧米が良いとは思いませんが、人の能力やポジション、エンゲージメントのデータなど、欧米企業はその成り立ちから、既に蓄積したものが存在しています。

既にAIを人事領域に適用する土壌が備わっているケースが大半なのです。

すぐにスタートできる環境が備わっており、水面下では既に適用が始まっています。

これが、いざ表面化してからいきなり何の土壌もない企業がAIを購入しても、間に合わないわけです。

これ、1995年当時MicrosoftWindows95が大ブームになってあちこちにこれを求める大行列ができた時の状況に似てます。

頑張って並んで購入したWindowsの箱を家で開けて見たところ、CD−ROMが入っているだけで、どう使うか分からない、という苦情が販売側に殺到したとか。その多くの人はパソコンすら持っていなかったと。

我々IBMのWatson Talent チームが、ありとあらゆる場を使って発信しているのが、この状況を少しでも早く回避するための策です。

先ほども書きましたが、ポジションの定義を書いた記述書、そのポジションに求められる能力といったものを形式知化する必要があります。同時に従業員がどの様なポジションを経験し、どの様な能力を持っているかも形式知として持つ必要があります。

まずはそこから着手することをオススメしています。それがないとAIは、AIにとっては単なるデータにすぎない「従業員」に対して、次のポジションを提案したり、研修を推奨したり、というサービスをする前提が揃わないわけです。

まずは一歩踏み出さないと

これは今まで日本企業の人事が終身雇用を前提に、長く培った経験と勘、ネットワークでうまく回って来た証拠でもあるのですが、多様性がまし、人材も流動化していく中ではこれが通じなくなるわけです。

つまり

「元気で明るくて、器用な若者いない?」

「あー、それなら、◯◯君が良いだろう。いま、仙台支店かなー」

で回っていた人事をAI にやらせるのは難しいということです。

「それで良いんだ、ウチは」という声も聞こえて来そうですが、かたや

「世界中から客観情報に基づいてコンマ何秒で候補者をリストしてくる企業」

と、

「かたや一部の人の経験や勘に従って数日かけて作成される情報にたよる企業」

では、意思決定のスピード、品質、コストは桁違いなのは明らかですよね。

数字に基づく意思決定っていうのは、単なるStyleの話ではなくてSystemやStaff, Skills などの多面から行われるべきひとつの大きなトランスフォーメーションなんでしょう。

 ②、③のケースも合わせて総括すると、まだ早い、という判断をして横なだび意識で何もしないでいると、いざ本格的にスタートしようとしたときには、パソコンもないのにブームに乗ってWindows95を買うために行列に並んだ人を笑えない状態になりかねません。

少しでも早く、多くの日本企業の人事の皆さんがこれに気づき、気づくだけじゃなくて行動に移してくださることを願ってやみません。

みなさんは、どの様に思われますか?

(一応これも「個人の意見」です。念のため)

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