パレスホテルでの朝食会・ニューオータニでの昼食会 〜ミッション・ビジョンの重要性を再認識他〜

こんにちは。

先週は、仕事で二度にわたりホテルでの食事会に参加しました。

それぞれ朝食会と昼食会で、どちらも日本の名だたる会社の人事担当役員を中心とする経営層の方々が集まる会でした。

最近、日本でもHR Techというキーワードがかなり盛り上がっています。

従来、「勘と経験」が活きる「アートの領域」として、テクノロジー業界からはラストリゾートと言われた人事の領域でも、AIを中心とするテクノロジーの進歩や、人事の担当の皆様の意識の改革により、とうとうXX Techの流れがHRの中にも本格的に入ってきています。

どちらの食事会も、その流れを明確に感じる会合でした。

中でも3つほど、印象に残るポイントがありました。

①ミッション・ビジョンの重要性

②ジョブディスクリピション(職務定義書)の必要性<そろそろ、本格的に>

③パワーモーニング・パワーランチの意義

です。

ミッション・ビジョンの重要性

働き方も含めて多様性が深まっている昨今の組織において、やはりミッション・ビジョンといった「人が集まるための根本的な理由」の部分に焦点があたっていると感じました。

集まった人たちが組織上のトップであったりシニアエグゼクティブであった、という部分もありますが、新しい働き方や、新しいテクノロジーというテーマでの座談会でこのキーワードが踊る、というところにポイントがあるのではないかと思います。

何か、改革を進めるにあたって立ち戻るポイントが無いと、ただでさえ多様な働き方、価値観、思考を持った人の集団ではバラバラになってしまいますからね。

議論の端々にこの一段高いところの議論がでてきて、凄く印象に残りました。

ともすると「あれはあれ、これはこれ」という形で棚上げされたり、そもそも自社のミッションやビジョンを知りもしない人がいたりする中で、改めてミッション・ビジョンに立ち返ることの重要性を認識したわけです。

ジョブディスクリピション(職務定義書)の必要性

これについては、従来も議論はされてきました。

そして「あったらいいけど、メンテナンスに手間がかかる」「職務を明記して限定してしまうと、他に何もやらなくなる」という文脈で本格導入は先送りされてきましたが、そろそろそれも限界のようです。

ほんのちょっと前は、同じようなレベルの人が集まる場で僕が発言したら「何を言っているんだ。日本の組織にはJDは必要ない」的な反応を受けることが多かったのですが、この1,2年で状況は一変したように思います。

日本の伝統的な大企業の代表のような会社のトップから「役割や責任は明記しないといけない」というコメントが何度もあったのです。

これは従来無かったことです。

今まで日本の職能資格制度は、かなり機能してきました。

何となく大体この辺をやればいい、という定義の中仕事をしてきても、単一人種・単一言語・男性のみ(妻は専業主婦)・新卒一括採用・残業無制限の中では、うまく行くのです。

でも、コレが全部崩壊しました。

センターフライは、外野全員で取りに行くもの!という考え方も通用しなくなったのです。

さらに、AIの時代です。

AIはご存知の通り、「5年目の社員」という言葉だけではその人が何ができるか分かりません。職能的文脈での「課長」が何を求められるのかも理解できません。

誰が何を出来てで、何を求めているポジションかが明文化されていないと、マッチングも難しいわけです。

複数の「時代の要請」から、もう変えられない流れなのではないか、と感じました。

パワーモーニング・パワーランチの意義

最近、朝食やランチの時間も人と会って仕事の話をするコトが増えています。

とはいえ多くて3,4人での会合が普通でした。

が、今回は10人を超える人たちの会合だったのです。

飲み会などでは6人を超えると話題が二つ以上に分かれます。原因はお酒が入っていることだと思うのですが、これはこれで意義のあることだとは思います。

また、お酒が入っているとあまり真剣な議論が長続きしなかったり、参加できる人が限られてしまったり、また、だらだらと長引いてしまったりします。

これが、1時間ちょっとの会合で、最後まで話題が複数に分かれること無く、有意義な議論ができました。

当たり前のように活用している人に取っては当たり前すぎる話なのかもしれませんけど。

これ、自分でも使ってみたいなあ、と思った次第です。

皆さんはどう思われますか?

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