報われなかった努力を思い出すのは辛い

こんにちは。

いやー、今までよく失敗しました。

ひょんなことから、過去の自分のキャリアを思い返す機会がありました。

いや、いっぱい失敗してきました。

軽い失敗はあまり覚えてませんが、一生懸命やったことでうまくいかなかったことって、すごく覚えています。

ふとしたキッカケで、そのいくつかの失敗のシーンが鮮明に記憶が蘇り、ため息が出たり顔をしかめたくなるような感覚になったり。

多くの場合時間が経てば痛みは和らいできますが、直後は血圧や脈拍にも出ますし、眠れなかったり人を恨んだりさえします。

新しい事業の立ち上げや、肝いりのチームを任されたことも何度かあります。

それぞれでうまく行ったこともあれば、うまくいかないこともありました。

長い時間や労力を注ぎ込み、私生活を犠牲にしてたりやキャリアをリスクにさらしてやったことって、うまくいくと本当に嬉しいものですが、そうでなかった時は、むちゃくちゃ辛いです。

「あの時、ああすればよかった」と後悔することもたくさん出てきます。

その中でも究極の後悔は「あんなチャレンジ、しなければよかった」というやつです。そもそも、チャレンジしなければ失敗しませんからね。

そのチャレンジのために使ってしまった時間を、別のことに当てていれば、もっと充実したキャリアが築けたのではないか、と思うこと何度もあります。

チャレンジやめますか?やめられません。

では、チャレンジするキャリアをやめますか?と言われたら「はい、そうですね」というわけにはいかないのが自分の性分です。

どうやらナチュラルボーンらしく、保守本流で、ひとところに着実にということがどうしてもできないタチです。

自動販売機でも左上側のメジャーな飲み物には手が出ません。

下の端の方にある、新しく発売されたばかりの変わった飲み物のボタンを押してしまう性分なのです。

チャレンジ無駄ですか?無駄じゃないです。

一方で、失敗してきた期間が全く無駄であったか、というとそうでもないのです。

当たり前ですが、全く同じ失敗をしないように努力します。

だから同じ「ような」失敗はしたとしても、少しだけレベルの高いところで失敗しています。

要するに痛い目を見て、それなりに学んでいるわけですね。

だから、チャレンジすることは本当に重要です。言い方を変えれば、そんなに必要度の高いものだから、チャレンジが特別なことであっていいはずがありません。

選ばれた人たちにしか与えられないチャンスでもないし、常に血の滲むような、髪を振り乱すような状態なわけでもない。

例えば、ほんの少し今とは違ったことをやる。今まで温めていたアイデアをまず実行してみる。新しい人と接点を持ってみる。そんなことの積み重ねでも十分チャレンジですからね。

言ってみれば普通の、当たり前のことなのです。

とはいえ学ぶためだけにチャレンジしているわけではありません。成功するためにチャレンジしてるんです。

だから「いろいろ学べたから、このチャレンジはよかった」では、一生秘密兵器で終わってしまいます。

失敗を経験しながらも、同じような失敗を減らして成功への精度をあげて、目指すものに近づいていくことがポイント。そうすれば、次のチャレンジの成功確率が上がったり、より高いレベルでのチャレンジへの意欲に繋がったりするわけです。

実際に僕自身を振り返ってみると、辛い経験の一つ一つが今に繋がっていて、新しいチャレンジをする上でも様々な形で活きています。

…というような考え方のもと、今までの自分自身のキャリアの辛かった失敗の記憶を前向きに捉えるようにしているわけです。

皆さんにも、そんな経験あるのではないでしょうか?

f:id:eitarokono:20180520195055j:image