意思の疎通が成立するとき 〜「無知の知」を自覚できるか〜

こんにちは。

なぜ、意思の疎通が成立するのか

所属会社の仕事を通じて、また、教壇に立って社会人学習のサポートをする活動を通じて時々思うことがあります。

「なんで、初対面だったり全然異なるバックグランドなのにここまで話が通じるのだろうか」とか、「この人、専門外のはずなのに僕のことを一生懸命理解してくれようとしているなあ」などと感じることがあります。

そういう時って、コラボレーションがすごくうまくいくものです。

なぜコラボレーションがうまく行くのだろうか、と考えてみました。

要するに相手の姿勢が肯定的・前向きであれば、その雰囲気に後押しされて、こちら側はもっと相手に貢献しようとますますサービスをしますし、その結果相手もそれに答えてさらに背中を押してくれるため、良循環構造が出来上がるのでしょう。

この構造ができあがると、より高い目的を達成できたり、同じレベルの目的なら構造がないときより短時間・低労力で到達できるわけです。

これは人口減少下の日本で優先課題とされている働き方改革、そのポイントとなる働き方の効率化には追い風の状態を作り出しているという見方もできます。

意思の疎通がリスクにさらされるとき

逆に、意思の疎通がうまく行かない時とはどういう状態でしょうか。

共通言語、いわゆるプロトコルがお互いの間で存在しない時が典型です。経営のことを話そうとしているのに、一方が経営を学んだことが無い場合とか、ITプロジェクトなのに、一方がITのことが分からない場合などです。

僕個人に当てはめてみれば、経営の場合は前者側(学んだ経験がある側)になりますし、ITの場合は後者側(学んだ経験が無い側)になります。

後者側として、すなわち意思の疎通に足る十分な知識を持ち合わせてない者として気をつけるべきだと思っていることがあります。

すなわち、相手の言うことがレベルが高すぎてわからない時の態度として…

いちばん望まれるのが

  • 必死で学んで意思の疎通ができるだけの前提知識をつけること

です。

しかしながら、それだけの時間・労力をかけて身につけるだけの余地がない場合は、次に望まれるレベルとしては

  • その場で理解しようと、教えを請う姿勢であること

が必要になります。

まかり間違っても、自分が理解できないからと言って、「そんなモノは必要ない」などと足下に否定したり相手の足を引っ張って、自分のレベルまで引き摺り下ろしたりしてはなりません。

無知の知を自覚できるか

よくちまたで耳にするのは、「英語なんてしゃべれても、意味が無い。要は中身だ」とか「MBAなんて頭でっかちで、実務では役に立たない」という原始人的発言です。

こんなことをすると、物事を進めるスピードが遅くなったり、全く進歩しなかったり、本来世の中の役に立つべき優れた人が、やる気を無くしたりして、悪くすると社会全体が退化することになりかねません。

これは社会をあげて取り組んでいる課題に対して貢献できないどころか問題を助長する行為になります。

すなわち知識・知恵がない、または、無いなりにそれを受け止めないというのは本人がチャンスを逃すだけではなく社会的にマイナスになるのです。

 ソクラテスが言うように、自分は「知らないのだ」ということを自覚して、より高みを目指すことで、無意識に「無知の罪」を犯してしまうことを避けなければならないと思うのです。

みなさんはどう思いますか?

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