「仕事を選り好みしない」は真実か。...おそらく半分真実。

こんにちは。

「仕事を選り好みしない」

この言葉は、つい、「これをやりたい、あれをやりたい」「それはやりたくない」と思ってしまいがちな自分への戒めとして肝に銘じてきた言葉です。
自分の中で基準を決めて、人生の大目標や、道徳的な基準に外れないのであれば、どんな事でも学べることはある、というのが背景にある考え方です。

なので、やれと言われた仕事はその中で面白みを見いだすよう創意工夫をし続けましたし、どうしても自分の信条に外れる事をしなければならない時は、わがままを通すのではなく、辞表を提出してその場を去るなどのそれなりの責任をとってきました。

この、「仕事をえり好みしない」というスタンスですが、では、すべてのキャリアステージに当てはまるのか、ということを考えるきっかけになった出来事が随分前にありました。 

それは、仕事ではなく、飲み会の場でのちょっとした会話でした。

残り少ないキャリア、1秒たりとも無駄にできない

ある、10年以上続くコミュニティーで飲み会をしよう、ということになり、その中で一番年下でもあった私がいつも通り幹事を引き受けました。
個別に声をかけ始めたところ、その中のリーダー格の方から、「○○さんを呼ぶのを止めない?」と言われたのです。
普段あまり、このように人を疎外するような事を言わない方だったので、少し意外に思い、

「え、なんでそんな事言うんですか?大学生のサークルじゃあるまいし」

と冗談めかして訊ねたところ、
「あのね、河野君。僕もそろそろ、キャリアの折り返し地点だ。一度の飲み会だって有意義に、楽しく過ごしたい。ただでさえ仕事のポジション上、義務の飲み会が増えているので、やはり業務外の飲み会は気の置けない仲間でいきたいんですよ。大人げないとは分かっているけど、理解してもらえないかな」
なるほど。そういうものなのか。当時30歳をちょっとすぎた頃の僕は、頭だけでは理解しました。

ミドルの季節に迫られる”発想の転換

時が経ち、年齢、見た目、社会的立場など客観的にも「ミドル」と呼ばれるキャリアステージになってから、様々な先輩の助言やコメント、書籍などに触れるなかで、ある人に紹介いただき、神戸大学の金井としひろ教授の「働く人のキャリアデザイン」(PHP研究所)という新書を手に取りました。

働くひとのためのキャリア・デザイン (PHP新書)


著名な学者の作でありながら非常に実践的な内容で、感銘を受ける部分が多かったのですが、その中でも、非常に気になる一文が目に飛び込んできました。

「四十代、五十代になっても、良い仕事ぶりだと思う人は、結構わがままを貫いている事がある。それは、ただのわがままではなく、志の高いわがままのことが多い。ガマンしないのがいいことだとか、わがままがいいことだと言っているのではないので誤解されないように書くのは難しいが、わるいガマンのないキャリアは私には大事なことのように思えてならない」

ガマンを貫いて、耐え続ける。これ自体に価値がある訳ではないのです。
自己の目標実現のための一時のガマンであればする価値はあるのでしょうが、目標実現ができないのに、ガマンをしつづけるのが「わるいガマン」なのでしょう。

わるいガマンと意味あるガマン

キャリアが浅い頃は、今直面しているガマンが「わるいガマン」なのか、「意味あるガマン」なのかの区別がつきにくいため、「まずは耐える」ということが、選択肢にあがってくることもあるでしょう。先輩に助言をもらったら、あなたの事を真剣に考えてくれる人の8割以上が「まずは3年やってみよう」と言うのは根拠ある助言だと思います。

一方で、先の例にあった、キャリアステージも折り返しにさしかかった方が、「一度の飲み会でも大事にしたい」と言った理由が感覚的にも分かるようになりました。
その方は、好ましくない人と一席ともにする事「悪いガマン」と判断されたのでしょうね。

キャリアステージ、ライフステージの段階をあがると、同じ時間を割くのであれば、その時点で意義が見いだせるもの、自分が価値を提供できるものを選んで、すべての中で最も貴重な資源である自分の時間を投入しなければならない。

最近、そんな事を感じました。

皆さんは、どう思われますか?