こんにちは。
”正しい日本語”への変なこだわり
「正しい日本語」というコトバがあります。
ときどき、新聞などにも載っていて、公的機関できめられたり、確認されたりするようですね。
ワードファイルで文章を作っているとソフトウェアの方で修正してくれますし、原稿として出版するときには編集のプロの方が修正してくれたりもします。
僕も結構こだわる方だったりするので、正しい知識を得た時はもちろん自分でその通りに使おうとします。
間違った使い方だったり、場にふさわしくないと思った表現に出会ったときには、まあまあ厳しい態度で臨んだりしていました。
子どもの頃に読んだ新聞に、「こんにちわ」ではなく「こんにちは」なのだ、と書いてあったことが強烈に印象に残っていたので、20代の頃は「こんにちわ」と書いたメールには一切返信しないことにしてました。
「パネラー」という言葉は存在しなくて「パネリスト」なのだ、ということで「パネラー」という言葉に遭遇する度に目くじら立てたりしてました。
もともと人を小馬鹿にした態度を取っていて、ちょっと直してあげなければならないとおもっていた人が言葉の使い方を間違えたため、人前で指摘して言い負かしたこともありました。その人が役員だったため「態度が悪いヤツ」「役員に逆らうヤツ」ということだけが広がり、あとから100倍返しをくらったこともあります。
今思えば若気の至りとしかいえませんが、本人は言葉に対しこだわりを持っていると思い込んでいました。
視野が広がって、態度が変わった
しかし、あることをキッカケに考え方が変わりました。
所属していた会社がIBMに買収されて、グローバル化の煽りを受けて様々な業務が海外に移転されました。
経費精算や各種問い合わせ窓口などは大連やマニラ、ブリスベンなどで実施されるようになったのです。
で、日本語ネイティブではない人のメールを受け取ることも増えてきました。
日本語の助詞や、独特の言い回しの挨拶文・依頼文などは、やはりネイティブの日本人とは少し習熟度がことなります。
しかし意味は十分通じる。(時々二重に意味がとれるときもあったりしますが)
そして、実はがんばって日本語を使ってくれていることに対して、好感をもち、尊敬もする。
そんな日本語を見たとき、はたと、自分の英語ってネイティブの人にはこのように見えるんだな、という思いにいたったわけです。
そう考えると、イチイチ細かい表現にこだわって本来の目的とはことなるところにストレスを持ったり、上から目線になったりすることに対しては、実はちょっと恥ずかしいこと何じゃないかな、って思うようになりました。
もちろん必要に応じて、伝え方に配慮しながら訂正することは必要かもしれませんが、表現をひとつ間違えたくらいで、対応を変えたりするというのはあるべき態度ではないですよね。
言葉は変わっていくものでもあります。「正しい日本語」ってやつも時代とともに変わって行きます。
実際に「パネラー」という表現をググってみると、「パネリストと同義の和製英語」という解説があったりします。
英語圏の方と話す時にパネラーが和製英語であることさえ知っていれば、日本語の中で使うことは問題ないわけです。また、そのうち再輸出されてパネラーが英語の辞書に載る日も来るかもしれませんしね。
今日はハロウィーンに一番近い週末。
自宅の近くを通る、ハロウィーンの仮装行列をみながら、中2の娘が「レイヤー」と言っていたのが分からず、問いただしたとき「コスプレイヤー」の略だと解説してくれました。
コスプレも和製英語。調べたら、Cosplayは逆輸出されて英国の辞書に載っているらしいです。
コレをキッカケに、言葉について考えてみた週末でした。
みなさんはどう思われますか?