鶏口となるも牛後となるなかれ

こんにちは。

最近は、誰かが昇進するタイミングでプロフィールが変更されると、Sansanのエイトとか、LinkedInなんかで、一斉にお知らせが来ます。

おめでとうメッセージへの謙遜か?

大変おめでたいことなので、おめでとう!ってメッセージを送ることがあります。

仕事の幅がひろがるというのは、多くは人格的にも成長するし、よいことがおおいですよね。

そんなときの反応として、

「いやいや、しょせんウチの規模なので」

とか

「まだまだ零細企業なので」

というものが、ときどきあります。

原因の一つとして、僕がIBMというでかい組織にいることが原因なのかもしれません。

また、ご本人はそんなことは実際には思っておられないのかもしれません。

僕はと言えば、やはり(現時点で)規模的には小さくとも一国一城の主は尊敬の対象です。

全体を自分の意志でコントロールして、全責任を負うというのは、規模の大小を問わずとてつもないプレッシャーとともにやりがいもあるんだろうな、と想像します。

実際、一国一城の主であるかたの、行動や顔つき、発言内容などの迫力も違ってみえることが多いかな、というのが僕の今までの感覚です。

実際、あるヘッドハンターの方に以前お話を伺った際には、大きな組織の事業部長と、小さな会社の代表取締役の案件があると、圧倒的に後者の方が人気があるといいます。例え前者が報酬面で圧倒であったとしても、だそうです。

鶏口となるとも、牛後となることなかれ

これって、高校時代に(中学だったかな?)漢文の授業で習った「鶏口牛後」という故事成語そのままですね。

manapedia.jpこれを机の上で習ったときは「そんなもんかな」という感覚でした。

が、実社会に出て、多くの人と接点を持ち視点をやしなってくると、これを実感として持てることが増えてきました。

もちろん向き不向きや好き嫌い、本人の優先順位など他の要素があるので、一概に誰にでも当てはまることではないのでしょう。

しかし、一つの考え方として「トップはどこに行ってもトップである」ということではないかな、と。

だったら、自分の居場所を選ぶとき、大きなブランドに身を置きそのステージを使い倒す、という選択肢の他に、ブランドは無いものの、十分な裁量を与えられた中で遣りたいようにやってみる、というのもアリなのではないでしょうか。

ときどき発生する冒頭のような出来事を通じて、こんなことを感じるのです。

みなさんはどう思われますか?

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