「おい、軽く一杯」とSNS 〜時代の要請で変わっていくべきもの〜

こんにちは

自分が働き始めた20年前と比べて、変わったな、と思うのが部門内の飲み会の頻度です。

今日は飲み会の今昔について思うところを記してみました。

20年前の育成プロセス

20年前を振り返ってみると。

「おい、行くぞ」

という声とともに、21時とか22時ごろから部門やプロジェクトの先輩たちと一緒に飲みに出かけるわけです。

その場で交わされる会話は、過去の誰かの武勇伝であったり、その日の若手の行動の評価であったり、翌日の仕事の話であったり。

「仕事の一部」として考えられていて、よく言われるように20世紀には確実に機能していた「徒弟制度」の育成プロセス、そしてコミュニケーション、すなわち「懇親」の一環だったわけです。

当時若手の僕としては、色々な細かい振る舞いについて教えてもらったり「誰々さんはこんな趣味がある」「先週こんなところに行った」という他愛ない会話でメンバー同士で仲良くなるきっかけを見つけたり。

自分の過去を振り返ってみても、そこで教えてもらったことは当時すごく重宝した感覚はあります。

一方で、おじさんだけで飲み会の場で物事が決まって行く「アンオフィシャル」な意思決定プロセスとして、弊害も指摘されていました。

そして、時代が流れて、業務が終わった後は、自己投資や家族のケアが当然になってきた今「おい、今から行くぞ」というシーンはほぼ見かけなくなりました。(もちろん、どこかにはあるのかもしれませんが)

僕自身も今でも会食はランチも合わせれば、ほぼ毎日のペースで出かけますが、普段から顔をあわせるメンバーよりも外部の人との会食がほとんどです。

「徒弟制度」は今…?

で、過去機能していた「徒弟制度」「育成プロセス」は今、どこへ行ってしまったのでしょうか?

実はこの件に関連して、こういうことかな、と思うことが二つがあります。

ポイントは「人から教えてもらうのではなく自分で学ぶ」「業務外の懇親の場はSNSへ」でしょうか。

①人から教えてもらうのではなく自ら学ぶ

時代が変わって、人の流動性も増し、いつまでも先輩が会社にいるわけでもなく、家族のケアのために早く帰らなければならない先輩も多い、という時代において時間外に時間を共有することが難しくなってきました。

こうなると自分の成長は、会社から与えてもらうものでも、先輩から教わるものでもなくなってきたという時代背景があります。

一冊めの書籍を出した時に、言われたことで印象的なことがあります。

  • こんな本、飲み会の説教を活字にしただけじゃん。
  • 最近では飲み会で教わる機会が少なくなった、仕事のコツが、うまくまとまっている。

両方とも同じことを言っていて、表現を変えただけなのですが、「なるほど」と思いました。

諸々の事情で機能しにくくなった「徒弟制度」を補う内容なんだな、ということです。

ただかつての徒弟制度は「ほぼ強制参加」の飲み会を軸に展開されていたのに対し、現代の育成は、本人が前向きに行動を起こすことが軸になっているのが大きな違いですね。

能力開発系の書籍や情報サイトが流行ったり、意思ある人が国内の各種MBAに自費で集ったりするのはその表れなのではないでしょうか。

②業務外の懇親はSNS経由で

飲み会のもう一つの効果である「懇親」の場はSNSに移っているのも感じます。

今までは飲み会に行ける人たちだけの中で行われていた懇親が、全ての人に開かれた感じです。

趣味は何で、家族構成は何で、週末誰と何をした、などと言ったことはそちらで交換することが多いですね。

もちろん、知られたくないこともあるでしょうからFacebookTwitterと、Instagramと…などメディア毎に人格や発信情報を使い分けるのが前提ですが。

「おじさん世代」が配慮すべきこと

このように時代の要請や技術の発展によって、日常の仕事の仕方や育成方法にも変化が出てきています。

ちょっと発送を柔軟にして、一歩踏み出して時代の流れに任せるとその利便性を享受することができます。

にもかかわらず「保守本流」の人がやってしまいがちなのは、

「やっぱり、飲み会の復活だ!全員飲み会出席せよ!」

とか

「フェイス to フェイスが重要だ。在宅勤務禁止!」

などと言った、寂しい思考停止の「原点回帰」です。

これは時計の針を逆に回転させる、無駄どころか迷惑な労力です。そうならないように気をつけたいですね。

皆さんはどう思われますか?f:id:eitarokono:20171022144709j:image