怒りの感情を持つこと自体は悪いことではない

こんにちは。

予定通り9月14日に田中ウルヴェ京さんとの共著「99%のひとがしていない たった1%のメンタルのコツ」が発売されました。

おかげさまで、初日にAmazonのカテゴリー1位をとるなど出だし好調です。

ご購入いただいたみなさま本当にありがとうございます。

今回は共著ということで心理学を深く学んでこられた京さんとの議論の中で幾つか大きな発見がありました。

たくさんある中でも、特に心に残った二つほど取り上げてみたいと思います。

感情の多くは人類が生き残るためのもの

怒りの感情や、精神的・肉体的に疲れた時の前向きになれない感情について、人は得てして否定的にとらえ、打ち消そうとします。

僕自身もそうでした。

さらに言えば怒りの感情をもつことや「疲れたー」「やる気が出ないー」という思いを持つこと自体、未熟な人間なのだからもっと鍛錬せねば、という自己催眠をかけがちでした。

しかし、編集過程で議論する中で

「怒りや恐れの感情は、危機が迫った時に警戒や逃走をするためには不可欠なもの。これらの感情があったから、人類は様々な危機をくぐりぬけて現代まで生き残ってきた」

「疲れた、やる気が出ない、というのは脳が休息をもとめている証拠。ある程度休められる時に休めておく必要がある」

といった、人間の生き物としての原点に立ち戻って考えてみる切っ掛けをもらいました。

(当然、感じたままに怒りをぶちまけること自体は配慮が必要ですが)怒りの感情を持つこと自体は全く持って自然なことである、というのは目からウロコでした。

ちなみに、この生物としての自然な反応と、怒りをぶちまけることでギスギスしてしまう、という社会とのギャップについては、農業革命以降、産業革命や、資本主義、情報・デジタル革命と有史以来人間が作ってきた社会の発展スピードに、生物としての人間の発展スピードが追いついていないだけであり、いつになるかは分かりませんが「怒りの感情をコントロールできる」人が淘汰の結果残って行くのだろうな、ということも予測できますね。(この辺りは「サピエンス全史」からの連想ですが)

「メンタルのコツ」としては、この負の感情をもつことそのものについては無理にそれを否定せず、一旦肯定することで多くのストレスを持つことを回避できるという示唆が得られます。

心理学に使役動詞はない

 もう一つが「心理学に使役動詞はない」という考え方です。

これは「He makes me mad」という英語表現のように「彼によって」私はイライラさせられている、という使役動詞”make”を使った表現は、日常会話の中では存在しているが、心理学では存在しない、ということです。

では、今、イライラしている「私」の原因をどう説明するかというと、単にイライラしている「私」が存在しているだけであり「彼」という外部の存在は無関係である、という説明になります。

すなわち、一見イライラの原因である「彼」は何の関係もなく、ただ「私」がイライラするという選択をしたという結果である、と。

これも、目からうろこです。

あいつのせいで、と思っていたことが、結局自分が原因だったのだ、ということですね。

あまりに衝撃的な解釈だったので、今回の新著には何度も出てきます。

実践的な「コツ」である

これらの考え方は、日々の仕事中で「コツ」として非常に重宝できるスキルです。

僕も毎日組織の中で仕事をしています。

あたりまえですが、怒りの感情を持つことや「誰かのせい」で不快な感情をもつことも、正直言うと毎日あります。

その中で、先に挙げた考え方を知っているだけで、より目的に合致した「メンタルマネジメント」を行うことができ、最終的に高いパフォーマンスで仕事をすることができるようになるのです。

皆さんはどう思いますか?

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