先見の明 〜31年ぶりの再会から〜

こんにちは。

31年ぶりの再会

実は子供の頃、米国人の英語の家庭教師についてもらっていました。(それでその英語力かよ。。。というのはナシです)

祖父が大学に勤務していたため、その縁でお願いする事になったと記憶しています。祖父の大学の英語の教官をされていたJames Dorseyさんです。小学校の5年〜6年にかけてだったと記憶しています。

31年間ご無沙汰していたのですが、この春、僕がネット上で探し当てる事ができたため、記載してあった連絡先にメールして繋がりました。

今では日本文学の専門家としてアイビーリーグの名門Dartmouth Collegeで日本語・日本文学の教官をされています。ちょうど研究休暇で日本に一年間滞在するということでしたので連絡をとって食事に行きました。

添付の写真が現在(上)と31年前(下)。31年前の方は前列向かって左が僕です。

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31年間のギャップを埋めるようにいろいろ語り合いました。僕にとっては彼が初めてであった「アメリカ合衆国」であり、言葉だけではなく、音楽や歴史、習慣などについてもいろいろ学んだのですが、そんなことを話題にしました。

31年前の写真の右奥にBruce Springsteenのポスターが貼ってあるのが少し見えると思いますが、当時からファンだったわけです。

手元にある情報から洞察を得て判断する

で、本稿のテーマに少し近づけるとすると、もともとのこのご縁が成立したきっかけは、大学の経営に関与していた祖父の「これからは英語をやらなアカン」というひとことでした。

「お前らの時代は、全く想像もつかない時代になる」というのは祖父の口癖でした。たしかに、AIだのIoTだの。今はとんでもない時代です。

祖父はロシア革命の年の生まれで出征も経験した世代の人でした。銀行に定年まで勤めておりその後は大学の経営に関与した経歴の持ち主です。

とはいえ、狸やイノシシの出没する山あいの田舎ぐらしでした。そんな環境の中で国際化、特に英語がこれからは重要になると考え、実行させたのは先見の明かな、と感じました。

さらにいえば、ウチの家系は14世紀に現在の岐阜県岐阜市にある実家の地域に移ってきたらしいのですがおそらく刀狩り以降基本的には農業に従事する家系でした。

昭和初期には近隣も含めほとんどが農家で、農業が生活手段だったらしいのですが、曾祖父が「これからは農業だけではダメだ」ということで祖父を銀行に入らせたそうです。

もちろん、上記のようなことは都会にいれば当たり前のことなのでしょう。自分も東京に出て、都会で育った周りの仲間たちをみるにつけ、彼我の違いは痛感しました。

しかしながら環境を踏まえると、祖父や曾祖父の見えていたものは、受け取っていた情報を軽く凌駕するものだったのではないかと思います。

環境を十分に分析し、手元にある情報を最大限活用して得た洞察・判断だったのではないかと今にして思います。

今、自分が触れられる情報は対象や昭和の時代と比べて飛躍的に質、量ともに高まっています。そんな中で、彼らが導きだした洞察や判断を超えられるのか、と思うと少し気を引き締めていかねば、と考えたこの数日間でした。

皆さんは、こんなことを思うことってありますか?