こんにちは。
こしあんは、粒あんより優れている
実は僕は以前の世の中に「こしあん」より「粒あん」が好きな人など一人もいない、と思っていました。
自分がこしあん派だということが発端です。あんぱんも、大福も。もちろんぜんざいよりはお汁粉派です。
こんなおいしいモノよりも、粒あんが好きな人などいるわけがない、とアタマのスミから信じきっていました。
しかし世の中のスーパーやコンビニには粒あんがおいてあります。これには理由があるはずです。僕が考えた理由は次のようなものです。
こしあんの製法は、粒あんをこしてキメ細かにするひと手間がはいるはずです。このひと手間を惜しんだのが粒あんだと思っていたのです。
なので、こしあんを買えない人が粒あんを買うのだと思っていました。思い込みというのは立派な理屈まで作るのですね。
世の中に、心の底からこしあんより粒あんが好きだという人がいるのに気がついたのは大学に入ってからです。
衝撃の一言。「粒あんがいい」
部活で部室でたむろっているときに、小腹が空いたので生協にパンを買いにいきました。そのときに残っている同期に
「何か買ってくるよ、何がいい?」と聞いたところ、相手は
「粒あんのアンパン」と答えたのです。遠慮しているのだとばかり思って
「僕がおごるから、こしあんがあったらこしあんの方を買ってくるよ」といったところ、なんと
「いやだ。粒あんがいい」と言うのです。
その時は驚きました。『ひと手間惜しんだあんこが入ったパンの方が好きな人がいるなんて…』
なんのことは無い、単に「好みというのはいろいろあるのだ」ということをしらず自分の好みで世の中を見ていたというだけの話ではありますが、それまでの田舎の高校生活から都会に出てきて、世の中の広さを知った瞬間の一つでした。
それ以降も何度かそのようなことに出会いました。
自分が一度もサンタクロースを信じたことが無かったので、サンタクロースを信じている子供が世の中の大半を占めることを知ったのもびっくりしました。少なくとも故郷の岐阜ではだれも信じていなかったはずです。電波少年の「アポ無しサンタ」でサンタが来て喜ぶ子供はテレビ局の演出だとばかり思っていました。
正誤善悪ではなく「違い」
本稿のテーマであるホワイトカラーの人が働く職場で起こる「認識の違い」というものは、相手がおかしいとかだれそれが悪いというものばかりではなく、それぞれの世界の中で真剣に行動した結果のギャップであることが多いモノだというのもやっと最近ハラに落ちるようになりました。
異なる文化を背負った人同士のすれ違いは日々起きていることでしょう。
相手を攻める前に、一拍だけ考えてみて「もしかしたら、何かの理由で本当にそう考えているのかもしれない」と想像力を働かせてみると自分自身の視野も、もしかしたら相手の視野も広がり、異文化交流やダイバーシティが進んだ上で組織の目的が高いレベルで達成できるようになるかもしれません。
皆さんはどう考えますか?