引退するとはやくなる 〜『俺たちの頃はこうだった』の功罪〜

こんにちは

先日、8年ぶりに競泳のレースに出場しました。

昔取った...。三つ子の魂...。

学生時代は水泳が最優先。当時は当たり前のようにこなしていた一連の動きを20年経った今改めてやってみたわけです。

相変わらず、準備段階のレース2-3週間前からそわそわし始め、直前には緊張し、終わった後は爽快でした。ラグビーの五郎丸選手じゃないですが、”プレパフォーマンスルーティーン”もやっぱり同じでした。染み付いたものというのは、良くも悪くも変わらないものです。

レース結果はまあ、こんなもんかな、と言うものでした。引退して20年近く立っている分、それほど期待もしてなかったからですけどね。

そんななか、ふと高校時代の水泳部の顧問の先生の言われたひとことを思い出しました。

自分が現役高校生時代のあるとき、先生との会話の中で引退した先輩の話題が出て、

『●●先輩は、現役時代▲▲秒だったそうですねー』と言ったところ、先生は

『いやいや、そんなはずは無い。それだったら県大会の決勝に残ってるはずだ』とコメントしたあと、

『まあ、引退すると誰でも速くなるからな』とニヤニヤしながら付け足しました。

そのときは、ん??と思いつつ、言葉通り

「現役時代はいくら練習しても意外にパフォーマンスは発揮できなくて、気楽になった引退後にベストタイムが出るものだ」

という程度の意味なのかな、と解釈しました。

想い出は常に美しい

でも、なんか引っかかっていたので、時々思い返して考えることがあったのですが、あるときユリーカ!の瞬間が訪れました。

「引退すると、実際のタイムが速くなるのではなく、記憶の中の『かつての自分』が輝きだして、(錯覚して)タイムまで速くなっていくのだ」

ということが言いたかったのです。

タイム競技の競泳ですら、こんなことが起こるのです...

悪いことに、自分自身が記憶の中で輝き始めると、気をつけていないと、今の現役たちが色あせて見えるようになります。

これを職場に当てはめると、例えば次のような状況になりませんか。

  • 「俺たちの頃は、■■さんという怖い先輩がいて、毎日殴られていた」(いやいや、たまにでしょ。毎日殴ったら殴る側の手がもたないし)
  • 「今の若い人は、恵まれているよ。私なんか毎晩2時、3時まで仕事してたよ」(期末だけでしょ。そんなにやること無いし)
  • 「今年の新入社員、なってないですよ。議事録もマトモに書けないんですよ」(キミが議事録かけたの見たこと無いけど...)

こんなやり取り、身近にけっこうありますよね。

目的は何か。

もちろん、理想を高く持ち、チームのメンバーや後輩に高い品質の仕事を求めるのは悪いことではありません。

ただ、相手の状況をちゃんと勘案する必要がありますし、また自分の経験を絶対視してはなりません。その上で助言をするなり、期待値のレベルを決めるなりするということを忘れてはならないですよね。

かく言う僕自身も、この連休、長男と2人で市民プールに遊びに行って、泳ぎの練習をしたのですが、彼の現在のレベルや、自分が小学校3年生だったころのレベルをすっかり忘れてしまい、イライラしたり厳しくあたったりしている自分に気付く瞬間が多々ありました。

いけませんね。

あまり求めすぎると、結果的に本来の目的を達成できないことがあります。気をつけようと思います。

皆さんはどう思われますか?