こんにちは。
異文化感受性発達理論をご存知でしょうか。
ミルトン・ベネットという人の理論だそうです。下記リンクに分かりやすくまとめてあります。
column東海大学文学部英語文化コミュニケーション学科山本志都准教授 - みんなの教育
6段階の異文化対応レベル
曰く、
人が異文化に接した時に、どのように対応し、どのような意味を見いだすかについてその発達レベル別に6段階にまとめたものです。
レベル1. 違いの存在否定:異文化が認識できない
2. 違いからの防衛:異文化を卑下し、自文化優越に浸る
3. 違いの矮小化:「人はみな同じ」と分かった風なことを言う
4. 違いの受容:違いを認識し、尊重できる
5. 違いへの適応:異文化にあわせることがきる
6. 違いとの統合:複数の文化を自分のものとできる
レベル1〜3を自文化中心状態とし、レベル4〜6を文化相対的状態と位置づけています。
「人は皆同じ」は悟りではなく、買被り
特徴的なのは、レベル3の「矮小化」ですね。『異文化同士と言っても、人間同士だから、そんなに変わらないよ』と悟ったような状態になるのは、実はまだ未熟な段階である、と喝破しています。
「分かった」と思ってしまうと、ここで思考停止に陥りがちなのかもしれません。
文化というのは明らかに違いが存在するものであるという客観的事実をうけいれてから初めて、それを受容するレベルに達するとベネットは言っていると理解しました。
相手のあることなので、片方が4以上のレベルに達していたとしても、もう一方が2のレベルのままで、攻撃をしかけてきたりすれば、せっかくレベル4に至った人もまたレベル2に戻ってしまうのではないか、という考えも浮かびます。
故に、異文化交流というのは難しいのだと。
ここからの2つの「学び」
なるほどなー、と学びになったのは2点。
①今まで自分に取っての異文化とはいろいろありましたが、自分のものにできた、と感じるものは確かにこの6段階を通ってきたな、と思うこと。
②今チャレンジ中の『異文化』について、現在の位置を確認できたこと。
①については、たとえば、3つほどあげられます。
たとえば、上京。もともと憧れて移ってきたこともあり、レベル3までを飛び越してレベル4から入りました。今ではクイックに岐阜弁と東京弁をスイッチできます。
たとえば、IBMによる買収経験。これは教科書通りレベル1から入りました。いやー、これにも時間はかかりました。事業会社とプロフェショナルファームと呼ばれる組織のカルチャーについてはだいぶ使いこなせるようになりました。それぞれの価値もわかりますし、弱点も分かる。どちらか一方しか経験したことの無い人の持つ感情や行動パターンもわかります。これは、便利です。
たとえば、結婚。別々の家族文化で育った者同士が四六時中一緒にいるわけですから、最大の文化的衝突です。これもレベル1−6を経て、紆余曲折を克服してきました。今では次の世代が2人加わって新しい文化を作りつつあります。
②については、グローバル環境で働くことや新しい会社で働くこと。
現在進行形なので、なかなか客観的に評価しづらいのですが、おそらく3の段階からやっと4に進みつつあるのかな、と位置づけました。
①を経験する過程で、様々な知識、マインドフルネスや異文化対応スキルを身につけてきたつもりでしたが、やはり完全に応用できるほどにはなっていなかったということでしょう。
また、過去の成功体験や実績が邪魔していた側面もあるだろうな、とあらためて感じています。あえて「歳を取ったから順応性が落ちた」というふうには考えないようにしています。前に進めませんからね。
今回新たに知識として得たこのフレームワークを今後の異文化対応に活かしていきたいな、と思った次第です。
今回はリアルタイムの決意表明みたいな内容になりました...
皆さんもこのフレームワークで考えてみてはいかがでしょう。何かヒントを得られるかもしれません。