「若手の会」がおっちゃんだらけという…

 

こんにちは。

上から目線で使う言葉

「若手」という言葉がありますよね。

僕も結構日常的に使ってしまったりします。

ある時ふと考えたんです。二人称で使う「若手」って言葉って、言われた側に対しては失礼なんじゃないかと。

「若手」って言葉を使う状況を思い出してみると、つい上から目線で使っていることに気がついたのです。

「若い人」「若者」とは重複はあるものの、ちょっとだけ違ったニュアンスを込めている様に思うのです。

何と比較して若いか、というと自分の価値観で「一人前」であるイメージと比較して、ということだと思います。

少なくとも自分よりはジュニアな人、訓練の余地がある人、という意味ですね。

昔、こんなことがありました。

自分の会社がIBMに買収された2002年、統合を祝う顔合わせのパーティの幹事になった時のことです。買収したIBMサイドと買収された 旧PWCサイド両方から幹事を出して立食形式の食事メニューを考えていました。

IBMサイドの幹事から、

「君たち若手が多いから炭水化物多めがいいんじゃない?」

と水を向けられました。その時、自分としては自然に

「いえ、僕たち若手いないので。」

と回答しました。

IBMサイドの幹事は、「え?」とばかり、すごく怪訝そうな顔をして、

「っていうか、君自身が若手だし、他の人も大半若手じゃん?」

とコメントしたのです。

平均年齢が10歳以上異なる会社同士の合併。認識が違って当然ですね。

当時僕は28歳でしたが、若手って新入社員のことだけを指すと思っていました。

一方当時のIBM側は30歳代は若手に入ります。旧PWC側はほとんど全員若手な訳です。

組織文化って面白いなー、と思ったと同時に若手扱いしないでほしい、と若干不快な感覚を持ったのを覚えています。

一人称で使うと、責任逃れ

で、ここからが本題なのですが、少し立場を変えて一人称で「我々若手は」という言葉を使うときの感覚です。

あくまでも僕の経験を通した「感覚」ですが・・・

「若手同士の交流」とか「若手有志の会」という話を聞いて、行ってみたらほとんどおっちゃんの集団だった、という経験を何度かしたことがあります。

で、その人たちは、いろいろ考えはお持ちの様ですが、書生っぽい議論はしつつも実行するのは自分たち以外の誰か、というスタンスの人が多い傾向にあります。

冒頭に定義したように、何か自分の中で「一人前」のイメージがあって、それよりは「若い」ので、若手なわけです。

 すなわち「若手」という言葉で「権限がないけど意識は高い自分たち」と定義して、当事者意識という責任から逃れているように思えてなりません。

そうでなければ、そんな屈辱的な表現、自分に対して使うことは許せないと思うんですがね。

まあ、客観的に若いとか、責任や権限が無いという現実はありながらも、是非自分からそんな言い方は死絶対にするもんか、という気概は持ちたいところです。

皆さんはどう思われますか?

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