伝統をまもりつつ・・・

こんにちは。

この3連休は「伝統」について、考えてみました。

「伝統」に思いを馳せた週末

 以前、こんな文章を書いたことがあるのですが、写真から推察するに、そのときも週末に訪れた日光の様子がキッカケだったようです。

eitarokono.hatenablog.comこの3連休は、歴史を扱った小説や映画に触れたこと、自宅の近所にある大鳥神社の酉の市に熊手を買いに行ったこと、そして東大駒場際の大河童踊りを見に行ったことが重なったのがキッカケになりました。

特に、東大駒場際の大河童踊りは、ちょっと感動しました。

それについて少し書いてみたいと思います。

河童踊りは水泳部伝統の行事で昭和4年から続いているということだそうです。水泳部自体は明治17年から続いているので、比較的”新しい”行事かもしれません。

こんな記事がありました。ご参考。

平成4年から数年間は僕も現役生として(卒業してからも体が動く時は時々)参加しました。

平成5年には現場責任者である「河童隊長」を拝命(笑)し、理不尽な環境下(?)で人に動いてもらうことの難しさを学びました。

あまり詳しくは書けませんが当時は河童踊りも隆盛を極めていました。(=ちょっとエスカレートしてました)

 70匹以上の河童が出現して全長は百メートル以上の大行列になったのをおぼえています。

その後、様々な社会的情勢が変化したため、形を変えながら後輩達が引き継いでいてくれます。

河童隊長も25周年だし、今年はちょっと顔を出してみるか、と思い駒場に向かいました。まあ、25年以上たったとはいえ、最寄り駅が近づいてくると脈拍があがってきます。

「あ、まだあったのか」という、忘れていた感覚がわき上がってきて河童モードのスイッチが入ってきました。

と同時に、現代の河童踊りがどうなっているか、久しぶりすぎてちょっと心配というか不安になってきました。

開始予定時刻の15時20分、変わり果てた(というか、見違えるほど近代的になった)キャンパスを迷いながら歩いてスタート地点にたどり着きました。

イマドキの河童踊り

「今の若者」という表現はどの時代にもあります。

文字通り「今の若者」たちが、”伝統的な”河童の装束に身を包み、伝統の河童踊りを晩秋というかむしろ初冬のキャンパスでやってくれてました。

自分自身も現役時代、特に初めて河童に変身したときはいろいろ複雑な思いがありました。恥ずかしさとか、理不尽さとか、バカバカしさとか(笑)

「今の若者」もそれぞれ思いはいろいろあるとは思いますが、旧き伝統を引き継いでくれていました。

僕自身も先代の河童隊長から引き継いだノウハウを、なんとかこなす中でとんでもなくたくさんのことを学びました。

おそらく、おそらくですが、今の現役の皆さんも、準備や本番をこなしているうちに何かを感じ取ってくれるのではないかと思います。

運営の仕方や、姿、踊り、歌、実行委員会や警察などの周りの社会との関係など、僕らの当時とはかなり変わっている部分もありましたが、そういうのは当然とおもいます。

むしろ、そうあるべき、って思います。

ただ、世代を超えた共通の「何か」だけはつないでほしいと感じるし、実際につないでいてくれることがもの凄く嬉しかったです。

自分の現役時代には、まだ歴代15傑の記録の中に戦没者の方の記録が残っていたりしました。

そういう大先輩たちがどのような思いで戦地に赴かれたかは正直、想像を超えます。ただ自分がほんの少しだけど、また河童踊りという個性的な形式ではあるけれど、そういう人たちの思いをつないでるんだな、って感じられるのがちょっと誇らしくもあり、社会を担う人材を輩出するための大学の運動部のメンバーとしての少なからぬ責任も感じたものです。

伝統って、そのまま引き継ぐことだけに意味があるという言い方があります。同時に聖域無く変えていいもの、という考え方もあるでしょう。どっちなんでしょうね。

会社組織で言えば、看板が変わったり、トップにフランス語をしゃべる強烈な人が君臨したりすることもあるかもしれません。

そんな環境変化の中で、なにをつなぎ、何を変えて行くかというのはその時々の現役の人が判断するんでしょうね。

ただ僕個人としては、現役を過ごした時代は違うものの、同じようにプールの中で若い時期の貴重な時間を投入して、競泳で言えば自己ベストタイムを、水球で言えばゴールや勝利をめざした者同士共通の「水泳部魂」がまだ残っていることを確認できた、大変うれしい週末でした。

みなさんはどう思われますか?

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