なんでもかんでも○○のせいにする…

こんにちは。

感受性の低下か!?

先日、あるイベントに同席したときのこと。

かなり盛り上がっていたので、何度か笑いが起こるシーンがありました。

セミナー形式だったので、プレゼンターの言っていることを聞きながら、それに関連することをもとにいろんなことを考えながら聞いていたのですが、ふと自分が、そしておそらく自分だけが、笑っていないことに気がつきました。

それに気がついたとき、ちょっと驚きました。

「あれ、なんでだろう?」

と、考えてみました。

もしかして、とその時に思い至ったのは、いわゆる「おっさん化」です。

自分自身が講演をやっても、やはり若い人は反応がいいことが多く、聴衆の構成によって盛り上がりが変わることも多いのですが、とうとう自分もそっち側に…

まあ、客観的な年齢もすでにそっち側なので仕方ないですが、結構若くありたいという願望は強い方なので…

と、愕然としていました。

「◯◯のせい」の多くは、勘違い!?

その場はそれで終わったのですが、自宅に帰る途中、何となくその日の出来事を振り返っていたところ、

「いや、待てよ」

と思い直しました。

「実は、昔から同じ状況で自分は笑っていただろうか。」

・・・そう言う意味では、人の話を聞きながら考え事をするくせは幼い時から。周りが笑っているタイミングでもそのまま考え続けていることも多く、笑うタイミングを逃すことは普通にあったな。

問題は何かが起こると、つい自分が今気にしていることに原因を結びつけることなんじゃないか、という発想にたどり着きました。

僕で言えば、最近けっこう気にしている「とし」。

あれもトシのせい、これもトシのせい、って整理すれば、ある意味安心だし簡単だし。

「◯◯のせい」

これ、◯◯が、だれかの名前や、自分の置かれた環境、かかってる病名、自分の属性・プロフィールなどなど、当てはめればほかのケースも当てはまるような気がします。

ついやってしまいがちじゃありません?

安易にそれをやってしまうと、思考停止が始まり、本当に考えなきゃいけないことが見えなくなっちゃうんじゃないか、もしくは気にしなくてもいいことで腹を立てたりがっかりしたりしなきゃいけなくなるんじゃないか、って思ったのです。

で、結局冒頭の僕の出来事でいえば、トシのせいで会場の雰囲気に対する感度が低くなった、と考えて絶望するのは「下手な考え」であり、なんのことはない、単に元々そう言うキャラだった、と言うオチなわけです。

取り越し苦労というか、杞憂というか、は時間の無駄ですからね。

なんてことを思った晩秋の週末でした。

皆さんはどう思われますか?

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