こんにちは。
読書体験の一部欠落
ここ数週間で立て続けに、最近読んだ本の話をして「今更ですか!?」と言われる経験を何度かしました。
学生時代から、社会人にかけて常に本は持ちあるいているタイプでした。
だから読んだ本はそれなりにあるのでしょうが、実は肝心の部分が抜けている感覚を持っています。
メジャーな読み物で読んでないものが結構あるのです。
人と会話したり、講演などを聞いたりするときに、前提知識として本の話題になったり、登場人物になぞらえて会話されることがあります。
特に最近お会いする人たちは、読書家であるケースが今まで以上に増えているため、会話の中で、時々スポンっと抜けている読書体験があることに気づかされます。
今回もそんな感覚でした。
先日、ある人(というか、父ですが)に薦められて「深夜特急」を読みました。
いやあ、非常に面白かった。
これ、もっと若い時期に読んでいたら人生変わっていただろうなあ、と思うような一冊です。
人生を変えた一冊って誰でもあると思います。
僕自身もそれなりにあるのですが、残念ながら(幸か不幸か)沢木耕太郎の「深夜特急」は手に取らなかったのです。
メジャー中のメジャーなんですけどね!
当たり前のようにタイトルや作家の名前は知っていましたし、書店(おそらく大学生協だと思います)で平積みになっている時期もあったのをよく覚えています。
でも、なんだか天の邪鬼であえて手に取らなかったのも同時に覚えています。
ある会合で「いやー、深夜特急最近よんだんですが、おもしろかったです」という話をしたら、周りに座っていた人たちから「今更ですか!?」という反応を多数頂きました。
まあ「その話を誰に恥じることなく、人に話せるあなたに好感を持つ」とも言われましたが。
他にも告白すると、夏目漱石の「それから」も最近読みました。実は読んでませんでした。
また、マンガですが「三国志」「キングダム」をまとめ買いして読み始めました。
結構話題に出てくるんですよね。読んでないと、周りの会話が盛り上がる中、何を意図して話されているのか自分だけ分かっていない、というシーンに遭遇することも多いのです。
ノーベル賞受賞をキッカケにカズオ・イシグロの「日の名残」もやっと読みました。
他にもたくさん、「いまさら」読書体験や、「いまさら」でも読みたいリストはあるのです。
それに「いまから」読みたい新刊がどんどん入ってくるから追いつかない。
”ために読む”本と、目的のある読書
40歳超えて「いまさら」ではあります。
とはいえ、「いまから」でもやっぱり基本はおさえておきたいなあ、と思って。
目的はなんですか?と問われると、本によっては「◯◯のため」と明確に言えるものもありますが、読むこと自体が目的のものもあります。
以前自分を称して「体育会系文学青年」と言っていた時期もあるのですが、自分の中に社会科学系と人文科学系の両方の要素をよく感じます。
それが、日頃のビジネスの行動に吉と出ているのか、その逆なのか迷うのですが、まあ持って生まれたモノは今更変えられないので受け入れるようにしています。
なんでビジネスと直接関係ないように見える文学小説を、忙しい中でも読みたいと思うのでしょうかね。
一見非合理のようにみえるのですが、説明できないだけでなんか意味があるように思うのです。
「説明できない=非合理」なのかもしれませんが、合理的に感じるのはなぜなんだろう。
これからも、欠落を埋めるためなのか、人との会話をより豊かにするためなのか、はたまた単なる自己満足なのか、うまくは説明できないのですが「いまさら」読書に勤しんで行きたいと思います。
そもそも"Nothing is too late to start"という非合理な言葉が僕の座右の銘なので。
皆さんは、読書についてどうお考えでしょうか?