ログを振り返ることの意味

こんにちは。

過去ログを振り返る作業

最近、当ブログを振り返って毎日一本ずつ読み直すという作業をしています。

もともとは、バラバラと書いていたものをカテゴライズするために始めた作業でした。一本ずつ編集モードにして、同時進行で作った「チーム」「リーダーシップ」などというキーワードにタグ付けして分類しているのです。

その作業だけを一気にやってしまうと負担感もあるし、面白くないので一日一本ずつ実施し、その際にコメントを加えて改めてSNSで共有する、という作業に置き換えてみました。

そこで、幾つか思わぬ収穫がありました。大きく3つくらいでしょうか。

思わぬ収穫

まず、何よりも一点目は、自分が過去考えたことを霧散させず、改めて蘇生できること、ですね。

タイムラインなどで流れて行ってしまうのを防ぐためにストックとして実施しているわけですから、何度も見返してみるのは意味のあることです。

資産の有効活用とも言えます。

「意外にいいこと言っているなあ」とか「まだまだ考えが甘かったなあ」とか、そんなことを思ったりもします。

また、数年前の自分自身の姿とはいえ彼我の差をみることにも意味があると思いました。コレが二点目。

ここでの彼我の差というのは、自分自身の知的な側面での成長の軌跡でもあるわけです。そうえば、この時期こんなことで悩んでいたな、今だったらさらっと乗り越えられるのになんて思ったりもします。

中には「この人は素晴らしい。将来伸びるに違いない」とか「これは間違っている。長続きはしない」などと予想めいたこともコメントしてたりしますが、結果が出ているものもあり、そのときの考えを検証することもできます。

あとは、二点目とは矛盾するようですが、過去の自分に教えてもらっている、とすら感じる部分もたまにあります。

この三点目が最も意外でした。

自分自身は日々成長前進しているつもりです。それが証拠に二点目で自分の成長実感のことを書いているわけですから。

一方で日々の雑事に流される中でつい忘れてしまっていることや、余裕が無くて気を配れていないコトに対して、過去の自分が

「をいをい、キミキミ、ちょっとちょっと」

と、指導してくれているみたいな感覚になります。

本稿の性質として、自分の仕事の中で課題解決を通じた気付きを備忘録的に書いているという側面があります。

すなわち、うまく行かないことを工夫してなんとか前進させた、という類のものがおおいため、表現を変えれば自分が陥りやすい悪い状況や、失敗などから教訓を得ているところがあるわけです。

したがって、気を張っていないとつい同じ失敗をしてしまうという展開になりやすい。なので、時々慌ただしい中で振り返ると、

「あ、そうだった。ここで主張していることを、今この瞬間、自分自身が実行できてないや」

なんて思うことが多いわけです。

なんか、昔の写真を振り返ったり、昔の仕事の資料を見返したりすることにも似ているな、って思いました。

「若いなあー」からはじまりつつも、「初心に返って」とか「そういえば忘れていたよ、この感覚」などと改めて昔の自分に教えてもらった、というような。

(日記って、小学校の宿題以外に自分の意志で書いたことがなかったのですが、同じような効果があったりするんですかね。しばらくして振り返るのであれば結構効果の高い教育手段だったりするのではないか、なんて思いました)

皆さんはどう思われますか?

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