「菊池病」を経験しました

こんにちは。

「菊池病」にかかりました。

実は、4年近く毎週欠かさず書いてきたこのブログも初めて飛ばしてしまいました。それも2週も。

理由は、「菊池病」という病気にかかって2週間、文字通り寝たきりだったためです。

菊池さんというドクターが発見した病気のようでググると以下のサイトがヒットします。

組織球性壊死性リンパ節炎 - Wikipedia

そもそも珍しい病気のようで、20代から30代の若い女性がかかることが多いそうです。ですので、僕を診てくれたお医者さんは、悪性リンパ腫も疑っていました。

確定するまで結構つらい日々を送りました。

症状は主に高熱と頭痛、主な患部である首の腫れと痛みです。原因不明・治療法無しということで解熱鎮痛剤で治るまでガマンするしかないという。。。

珍しい病気でもあるのでネット上の体験談は非常に役に立ちました。ですので、僕もまだ完治していないのですが記憶が新しい段階でここに残しておこうと思います。

本稿の主旨はホワイトカラーの生産性向上ですが、究極的には健康もおおきく関係ありますので、こちらに記載します。

また、今回病気を通じて得たもの、失ったもの、学んだことなども多かったたため、それを最後に纏めてみました。

経緯

まず、発症〜回復の経緯から。

(あくまでも僕が見聞きした情報と体験にもとづくものです。医学的に正しいかどうかは分けて理解して頂けましたら。)

9月29日(金)発症

四半期の締めに向けてこの数週間眠れない夜が続き、疲れたかなー、と思いながらも、ほぼ締めたところで「なんかおかしい」という感覚が走り、体温を測ったところ37℃を超えていました。まだこの時点では「あ、風邪かなー」という感覚で、明日に備えてはやく寝ようと思い、寝る準備をして寝室へ移動しました。

念のため寝る直前に体温を測ったところ、38℃を超えていました。

9月30日(土)治療開始・悪化

朝起きてまだ熱が下がってないことを感じながら、時差のある四半期オペレーションの締まり状況を確認しました。

昼間は仕事は無かったものの、夜には3時間の登壇があることもあり、アサイチで近所の内科へ行きました。

血液検査で白血球が少ないという結果は出ましたが、通常の風邪の処方(抗生物質と解熱鎮痛剤)をしてもらい、あとは夜に向けて点滴を受けました。

咳や喉の痛み、鼻水なんかも全くなく、すぐ治るかなーという感覚で18時から登壇しました。ただ20時ころからフラフラし始めたので「やっぱり週末は安静だな」などと思いながら21時過ぎに終了。この時点でかなりつらくなっていて帰路はタクシーで帰宅しました。

帰宅して体温を測ったら39℃越え。

39℃越えは僕の人生の中でも記憶に無く、後で母に確認したところ物心つく前もそんなことは無かったようで、人生初の39℃越えでした。

だから子どものようにワクワクしながらも少し不安を感じ始めました。処方された薬を飲んで就寝。

10月1日(日)別症状を自覚・インフルエンザ陰性

朝起きて、熱が下がっていないことを確認しました。それ以外にも首と腰が痛くなっていました。そしてくしゃみ鼻水鼻づまり、咳やノド痛などの全く風邪の諸症状が無いのです。

抗生物質も通常は、数回飲むと自分の経験では効き始めを実感するのですが今回はそれも無く…

確実に、なんかおかしいという感覚を持ち始めました。

自分の持てる知識の範囲では、インフルエンザを疑い始めました。なので家族との距離を持ち始めました。

39℃超えがつづいたこともあり、夜間の窓口のある病院に行き、診てもらいました。が、「帰って、処方された薬を飲んで安静に」という結論でした。

家族への伝染の懸念もあり、そして会社に行くつもりだったこともあり、インフルエンザの検査を無理に頼んでうけたところ陰性でした。

原因不明なのが一番怖いので、生まれて初めて「インフルエンザであってくれ!」と願いました。

そしたら処方は決まってくるのに...が、空しく陰性だったわけです。

10月2日(月)ピークの始まり

起床時点でまだ39℃キープ。会社の会議を全て電話に変更してもらい、会議や作業をこなしました。解熱鎮痛剤が効いている時は37℃台に下がるのでなんとか仕事はこなせました。がやはり夕方にはダウンしました。

今から振り返るとこの時点でリンパ節の壊死のピークだったのではないかと思います。

特に頭痛がひどく、「ガンガン」とか「ズキズキ」という風邪の時の症状ではなく、アタマの中をバイキンマンが走り回っているような感覚で、髪の毛の毛先に触れるとさらに激痛が走る、という感覚でした。

常に顔の表情は、よくお寺にある仁王像のような顔をしてました。大河ドラマの「直虎」に出てくる菅田将暉さんの顔芸にも親近感を覚えます。

「これ、回復しても顔の眉間のしわは残るんでないか?」ってくらい形相してました。

あと、鏡をみて左右の首の太さがちがうことが分かった時には、あまりの間抜けな姿に吹き出したのですが(首の中心から、顔がずれて見える)、笑うと体中に激痛が走るため、鏡を見るたびに笑いながら苦しんでました。

10月3日(火)原因ほぼ特定

また39℃。さすがに不安になり、今年3月に引っ越す前まで10年以上お世話になっていた主治医のところに、ちょっと遠いけど行きました。

行ったら、「あれ、首太いねー。鍛えてるの?」と一言。ぱっと見分かるくらい首が(左だけ)太くなってました。

幾つかの診療のあと、すぐに大病院を紹介してもらい「今すぐ行きなさい」ということで某大病院に行きました。

この時はまともに立ってられない状態でした。鬼の形相も継続してました。大の大人が待合室で普通に座ることすらできず長椅子に横たわっていると、人は距離を置きます。

血液検査、首より上のCTを撮った時点で先生から「菊池病の疑いが高い」という判断をもらいました。

  • 原因不明(敢えて言えば「ストレス・疲労」)
  • 治療法無し
  • 伝染せず
  • 全治1か月程度
  • 亜急性(急性と慢性の間)

ということを伝え聞きました。

とはいえ、悪性リンパ腫の可能性を確実に否定したい、とも言われて1週間後に来院することに決まりました。(このあと1週間、恐怖は消えず。。。)

このタイミングで、入れていた全ての仕事や行事をキャンセルしました。9月までの四半期末オペレーションはIBMの仕事なので、それ以外の仕事を四半期末明けにつめこんでいたので、本当に泣く泣くいろいろなものをキャンセルしました。

同時に腹くくって治療に専念することに決められました。

 

ちなみに、この某大病院で両腕から採血してもらっているときに面白いことが起きました。

 

「VIPから直電。看護婦さんと話したいって!」という声が聞こえました。

 

「超VIPみたい。A社の元社長のBさん!」と続いて僕の採血が中断しました。

 

名前が聞こえることの是非はよくわかりませんが、聞こえてしまったのです。Bさんと言えば15年ほど前僕も憧れた偉大なビジネス人。「あ、彼なら自分の治療がほったらかしにされても仕方ないかな」と思えました。

 

一方で結構つらかったので「はやく済ませてねー」と願いながら待っていました。

10月4日(水)から7日(土)ピーク継続

「亜急性」だけに回復のスピードは鈍いです。発症から7日連続で39℃越えでした。やれることが少ないため、いろいろ余計なことを考えます。何しろ全く回復の兆しがないわけです。

とはいえ本を読んだりする体力も無く、仕方がないのでAmazonでぶっ続けで映画とドラマを見続けました。

昼間一人のときは、クリント・イーストウッドの作品を見続けました。もともと44歳になるタイミングで44つながりでダーティハリーは1〜5まで見ていたので、その流れで数々の名作を見ました。

家族といる時は、ドクターXを見ました。

どちらとも老人や病人がたくさん出てくる物語なのでこの数日間で、自分の思想に大きな変化があったことも自覚できています。

解熱鎮痛剤を飲めば痛みは和らぎ、熱も少し下がるのですが、効き目が切れた時の恐怖たるや、ものすごいものがありました。

食後三回という処方だったので、夕食から朝食のあいだが一番間隔が長いです。明け方になるとグンと熱が上がり、頭が傷み始めます。

これが堪え難く、少し工夫して8時間間隔になるような薬の飲み方に変えました。

10月8日(日)、10月9日(月・祝)回復の兆しあり

朝起きると、恒例の39℃越えをしておらず38℃台でした。これだけでも嬉しい。そしてついに9日には37℃台。

ふだんなら37℃こえるだけで大騒ぎなのに、37℃になって嬉しいとは。

相変わらず薬が切れた時には頭痛、首痛はありましたが、回復基調に乗ったことがすごく嬉しかったです。

10月10日(火)菊池病確定

回復基調にはいったこともあり、また朝起きたら36℃台であったこともあり、ある程度自信があったものの、おそるおそる前回と同じ大病院へ行きました。

ここで「悪性リンパ腫の可能性はほぼ否定できるでしょう。」と言われ菊池病の診断書も受領しました。

解熱鎮痛剤を継続で処方してもらい帰宅しました。

熱は下がったものの、やはり頭痛と首痛、あと体の倦怠感は引きずっていました。

10月11日(水)〜14日(土)リハビリ

社会復帰日を16日(月)に定めて、諸々活動を再開しました。

体力の低下が著しく、まさか自分が「ウォーキング」を運動の一環としてやる日が来るとは想像もしていなかったです。

ちょっと動いて休み、階段は手すりをつかってゆっくり上り下りする。立ったり座ったりもその直後に来る頭痛をやり過ごす。なんて状態が続きました。

しかし、熱が無いためか、解熱鎮痛剤をのむと、35℃台までさがることに気がつき、解熱鎮痛剤を止めてみました。

禁断症状とは言わないのでしょうが、痛みだけが鈍く続くのですが12日以降解熱鎮痛剤は飲まず、その分食欲が増えて体力も少しずつ回復しつつあるように思います。

首の腫れも、相変わらず左右は違って見えますが、細くなりつつあります。

次の目標は、泳げるようになることかな。

治療時のコツ

菊池病にかかる人は少ないとは思いますが、なった人のために書いていることもあり、治療時に少しずつ経験値が増えますので、何かの参考になるかと思いメモとして残してみます。

  • 首やアタマが痛いので寝返りがうてません。一方で横になる時間が多いので腰痛を併発しました。膝の下に毛布を巻いたものや枕のようなものを入れることで背骨を真っすぐにできるため、この処置は有効です。
  • 長時間高熱がでるため、氷枕は常備しておくと良いです。無いと本当につらいです。
  • 解熱鎮痛剤を服用しても結局また元の体温に戻る、という回数が多いです。ですので、発汗してその後寒気が戻るという繰り返しですので、薄手のものを重ね着するなど布団の厚さは調整できた方が良いです。
  • 一方で体の方は元気です。なので解熱鎮痛剤で胃がやられることも多いかもしれませんが食事は普通の食事を確実にとることが重要です。
  • 通常、解熱鎮痛剤は毎食後、ということで一日3回分処方されます。しかし夕食から朝食の間が10時間以上空くことが普通です。そうすると明け方4時とかに痛みで目が覚めそのまま寝られない、ということになりかねません。僕の場合は明け方に薬が服用できるようにヨーグルトやバナナなどの流動食的なものを常備し、丁度8時間間隔で服用できるようにしました。
  • 熱が引いた時には、痛み止めの目的で解熱鎮痛剤を服用すると、35℃くらいまで下がってしまいました。(これは個人差があるかもしれません)そのときは、少しガマンして服用を止めてみるといいかもしれません。僕の場合は良かったです。

失ったもの、得たもの、学んだこと

今までも、休暇のときとか転職の合間などに週単位の休みを得たことはあります。しかし結局メールを見たり、原稿を書いたりするなど結局仕事をしていました。

一方今回は2週間ほとんど全く仕事から強制的に離されるという経験をしました。そのなかで失ったもの、得たもの、学んだことなどがあったのでメモしておきます。

失ったもの

これは、明確に自分の「信用」です。病気だから仕方がない、と思ってくださるものの、やはり約束を違えたのは事実です。

書籍のプロモーションイベントや、自分がアレンジしたインタビュー、食事会への参加、ゴルフなど四半期明けに詰め込んでいたものが全部リスケになりました。

本当に申し訳ありませんでした。

私生活に置いても3連休に家族で四国に旅行に行く計画を立てていたのですが、あえなくキャンセル。息子のために並んで取ったチケットもあったので自分としてもとても残念でした。

これらの信用については、時間をかけ一つ一つ取り返して行きます。

得たもの

一方で振り返ると得たものが、意外に多いことにも気付きました。

まず、家族との時間がたくさん取れました。何しろ家から一歩もでない日が続いたので子どもたちに「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」を毎日言えるのは新鮮でした。

かなり貴重な時間でした。

あと、最初の頃は特に横になることしかできなかったので、アタマの中で今までのキャリアとか今後の方向性などについてグルグル考える時間が取れました。これは少しずつカタチにして行きます。

また、いわゆる中毒性のあるものを断てました。アルコールは2週間、コーヒーも10日以上、スマホも超限定的。睡眠不足とも無縁でしたのである意味「健康」な日々だったかもしれません。

その分の時間を書籍を読む、映画を見ることに費やしたため新たな知的刺激を受けながらモノを考えるというあこがれの生活も、結果的に送ることができました。

最近の自分のテーマは「覚悟」について考えることなのですが、書籍を通じてとか、映画やドラマを通じてそれについて考えることができたのも収穫です。

学んだこと

今回の菊池病体験も、つまるところストレスや疲労が原因ということでした。

つい先日「メンタルのコツ」という書籍を出しておきながら、メンタル面では問題ないからと突っ走った結果、体の方が悲鳴をあげる、ということになってしまったわけです。

年齢を重ねるとどこかでそういうことが起こるのかな、と思います。

今後は「覚悟」を持ちつつも、自分がその覚悟に肉体的に負けてしまうことのない動き方を工夫する必要があるなあ、とも強く思いました。

発病までの何週間かを分析してみると、納得いかないことに「従う」という、最も自分が苦手とすることを一定期間やった結果こうなったとも言えます。

丁度回復に至る過程で44歳の誕生日を迎え、残りの自分の時間を今後どのように使って行くかについて真剣に向き合い、適切な判断をし、実行して行くタイミングにさしかかっていることを強烈に自覚した出来事でした。

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