西施(せいし)の顰(ひそみ)に倣(なら)う 〜ヒンシュク(顰蹙)の語源〜

こんにちは。

初めて繋がったヒンシュクの語源

7月30日付けの日経新聞「遊遊漢字学」の欄でヒンシュク(顰蹙)の語源についてのコラムが載っていました。

このヒンシュクという言葉、もとは「西施(せいし)の顰(ひそみ)に倣(なら)う」という表現が起源なのだそうです。

「西施(せいし)という美人が、病のため顔を顰(ゆが / ひそ)めるのが美しかった。それをまねて顔を顰める人がいたが、逆効果だった。なんでもかんでもマネをすればいいものではない」という故事がもとです。詳しくはこちら

コラムの文脈としては、もともと語源となった故事としては、現代で言えばセクハラに当たるような内容であるが、それを知らない現代人は日常的にこの「ヒンシュク」を使っている。(そんなことを言ったら、それこそヒンシュクかな...)というオチがついた内容でした。

この何でもかんでもマネをすればいいものではない、という意味の方の「西施の顰に倣う」という表現を知ったのは、恥ずかしながら実はつい最近のことで、福澤諭吉著の「学問のすゝめ」を現代語訳した時に出てきたため、調べたのが切っ掛けです。

学問のすゝめ全17編のうち、15編で出てきて、ここでの文脈的には

「文明開化の後の昨今(学問のすゝめ出版当時)、西洋かぶれがちまたにあふれている。西施の顰に倣うというが、なんでもかんでも真似すりゃあいいってもんじゃない」

というものでした。

当時は、脱亜入欧論(アジアから抜きん出て、欧米列強に伍するようになるべき!)の最右翼のように思っていた福澤諭吉なのに、その印象が覆された、という意味で印象に残りました。

今回、この日経のコラムを読んだことで、さらにこの「西施の顰に習う」は「ヒンシュク」という言葉の元になった表現であることを知りました。

極端な二元論はヒンシュクもの?

ちまたでよく出会う「なんでもかんでも論」ないしは「極端な二元論」というのは、「ヒンシュク」なんだな、って紀元前の人も知っていたんだな、という意味で今回すごく印象に残りました。

「なんでもかんでも、欧米流の経営スタイルが正しいって分けではない」という主張をしながら、つい「日本の方が常に正しい」と思ってしまっていないか。

「働き方改革なんだから、なんでもいいから早く帰れ」なんてのも、いい例かもしれません。

綱に目的に対して合理的に考えないと、それこそヒンシュクものなんだな、ということを考えた朝でした。

皆さんはどう考えますか?

f:id:eitarokono:20170730233414j:image