伝統と革新 〜働き方改革とはエセ「伝統」に立ち向かうことでもある〜

こんにちは。

伝統は守ることだけに意義があるか?

今を遡ること20年以上前。六大学水泳大会に選手として参加した時のことです。

開会の挨拶に立たれた他学の先生が「伝統とは、守ることだけに意味があるのかもしれない」という主旨のお話をされました。

当時の僕は「そんなもんかな」と思うとともに、自分たちが背負った水泳部100年以上の伝統は守っていこうと思ったものでした。

一方で、先日京都吉兆総料理長の徳岡さんが参加されたパネルディスカッションを拝聴する機会があったのですが、出汁の取り方などのレベルでさえ、常に革新を追求されている姿勢が明確にありとても印象的でした。

この瞬間、自分の中で伝統とはどういうものか説明ができなくなっているのに気がつきました。

日本の組織の非効率の原因

講演で最近よく、日本の「働き方改革」の本質は「ホワイトカラーの生産性の向上」であるということを申し上げます。

では日本において生産性の阻害要因になりがちなのはなんでしょうか?

僕はあえて、行き過ぎた「気遣い」や「礼儀」が一つの原因なのではないかと思っています。

「部長、お忙しい所大変申し訳ありません。今お時間宜しいでしょうか?」

「あー、ごめん、あとにして」

なんて会話、身近にありませんか?

あとにしてと言われて、あとにしたら部長は外出直帰。あしたから2週間海外出張。。。なんてコトになったりします。

ご覧になってわかるとおり、この情報のやり取りの間には、部下と思われる側からの提供情報の中に、仕事の優先順位や作業にかかる時間にかかわるものは一切ありません。

これに対して「部長」は「あとにして」という判断を下しています。

これが典型的な「礼儀優先」の会話です。

では、こんな会話はどうでしょう?

「ねー、部長、ハンコよろしく。支払い支出承認の件」

「おっけー...はい。いっちょあがり。あと、よろしく」

2分で終了です。

唯一「礼儀」というやつだけがなっていませんが、それ以外は完璧です。

古来日本で重視された「礼儀作法」というやつだけ取り払えば、2週間後に達成されたかどうかすら怪しい仕事が2分で終了するわけです。

こんな背景から、分かりやすい表現でよく申し上げるのは

「働き方改革とは、上司を今までより粗末に扱うことなのです」

ということです。

言い方を変えれば、儒教的な「目上は敬うべき」という考え方から来る変なプライドや「伝統的な礼儀」へのこだわりを捨てられた上司をもつチームが生産性の高いチームになる可能性があります。

「専務、僕は客先に直行なので、申し訳ありませんがプロジェクターを会社から車で運んでもらえませんか?」

っていえる組織は、いろいろ効率的な気がしますよね。

礼儀が非効率なら、伝統は悪か?

では、話題を元に戻して、この観点から「伝統」は百害あって一利無しなのでしょうか。

僕の現時点の意見としては「目的に対して合理的であるべき」というものです。

それに合致しているのであれば伝統は守るべきだし、合致していなければ変えて行くべきものなのだろう、と。

これに関連して思うことがあります。

茶道の作法です。

以前お茶の師範のかたから「素人」としておもてなしを受けた経験があるのですが、「この動きはどういう意味があるのですか?」という問いに全て回答いただけました。

礼儀優先と思われがちな茶道の作法は、どの一挙手一投足をとっても「なんで?」に対して説明できます。すなわち目的に対して合理的なのです。

もちろん、ここでの「説明」には「そんなの常識だろう」「そりゃあ、部長がえらいからだ」というレベルのものは含みません。

よく考えられた「伝統」は、意外に目的に対して合理的なんだと思います。

一方で、特に考えもなく実施されている「習慣」を「伝統」と呼んでいるだけのものは、「そんなの常識だろう」「そりゃあ、部長がえらいからだ」以上の説明ができません。

ですから状況に即して変えて行くべきものなんでしょうね。

社会的な存在として利益を上げながら顧客の満足度を高める、という使命をもった企業は、社内の先輩、上司の単なるわがままや自己満足を、顧客満足や株主価値、社会課題より優先していいはずはありません。

これでは目的に対して非合理です。

 先輩や上司、経営陣への過剰な礼儀、見直してみるとだいぶ働き方も変わってくるのではないでしょうか。双方の歩み寄りが必要ですよね。

皆さんはどう考えますか?

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