こんにちは。
人の認知特性には色々あります
先日、自分の体験を踏まえ、学習の仕方にも人それぞれの違いがあることについてコメントしたところ、添付の本をご紹介いただきました。
『「頭のよさ」テスト』という、現役の医師の方が書かれた物です。
人間の認知に関わる特性を大きく視覚優位、聴覚優位、言語優位の3分野をそれぞれ2つに分けて、合計6分類に分けた考え方を紹介しています。
- 視覚優位:カメラアングル
- 視覚優位:三次元映像
- 言語優位:言語映像
- 言語優位:言語抽象
- 聴覚優位:聴覚言語
- 聴覚優位:聴覚&音
だそうです。
それぞれ、個人個人で得意不得意があって、それをうまく使うとキャリア(人生)を過ごす上で得意分野を活かせるようになり、そうではないと本人の特性と求められるものとのギャップに苦しむようになる、ということだと理解しました。
例えば、1, 2,の視覚優位者は、映像を軸に物事を認識することが得意で、人の顔を覚えたりするのが得意だそうです。デザイナーや映像ディレクターが多いとも。3, 4, の言語優位は文字を覚えたり認識することに長けていて、アナウンサーや弁護士、教師といった職業に就く人が多いようです。5, 6,の聴覚優位者は、音感が強いということで音楽家などに多く、言葉を覚えるのも音から入る傾向があるようです。
僕が受け止めた、この書籍のポイントは、極端な例も含めていくつか実例を並べて解説した上で「自分の得手不得手を認識すると同時に、他者の得手不得手もよく理解して、お互いの得意分野をうまく活用して参りましょう」というものでした。
もっと言えば「自分の認識の仕方が絶対である、と思ってはいけない。その考えを前面に押し出しすぎると、力の強弱がある関係の場合などは相手を潰してしまいかねない」というものでした。
比較的上意下達文化のある組織の中で上司の役割を担っている人は、部下との関係で部下を潰さないように配慮するべきでしょう。またフラットな文化の組織にいる場合は、自分の認識タイプを相手に押し付けすぎると逆に上司の人が部下からの求心力を失うことになります。
また、子育て中の人などは、特に自分とは違うタイプのお子さんを持った場合、配慮が必要なのだろうな、とも思います。
僕自身は「視覚優位タイプ」
この本の冒頭には、タイプ分けを意識したチェックシートがついていてそれを受けてみてから読むとより当事者意識が持てます。
僕は、明確に視覚優位という特徴が出ました。
レーダーチャートの16−25のエリアが標準スコアで、26以上が出ると極端にその傾向が強いそうです。
これは僕自身思い当たる節があります。
確かに人の顔は覚えるのが得意です。しかし名前などは厳しいものがあります。思い出すのにかなりの時間が必要ですので、打ち合わせ前などには一度思い出して頭の前の方に出しておく必要があります。
また、特に顕著に現れるのが、ソフトウェア・アプリケーションがバージョンアップした時です。プルダウンメニューやアイコンの位置なども、見た目の位置で覚えているため、バージョンが変わると何がどこにあったかが全くわからなくなります。
「ファイル」の下の概念だから、とか「編集」をするのだから、当然編集に分類されている、という意味づけで覚ればいいのでしょうし、多くの人がそうしているのは知っています。しかし未だ意識してもなかなかうまくいかないのです。
この手のことって、できる人には全く理解できないものです。
世の中に、これができない人が存在することすら信じられないため、できない人が、できる人に対して「ごめんなさい、覚えられないのです」と言っても、「そんなはずはないだろう!」「ふざけるのもいい加減にしろ」という反応を受けて悪者にされたりします。
僕自身も今から思うと、責める側になったこともありますし、責められる側になることも未だにあります。
認知特性の違いを意識したコミュニケーションを
この「認知の仕方の違い」が存在することだけでも理解すれば、職場や学校、家庭での諍いの多くの部分は解決するのではないかと思いました。
言うは易しですけどね。
加えて言えば、多少の差であれば努力して対応策を考え出し実行することも可能だと思っています。
僕も若い頃から日々、そのように工夫してきました。
ですので、認識力の特徴を根拠にして、全てを「才能論」で片付けることについては個人としては反対です。才能をより伸ばすことや、苦手を努力で克服すると言った未来志向の態度で当たるべきで、最初から自分で諦めたり、人を切り捨てたりすることはやるべきことではない、と思うのです。
皆さんはどう思いますか?