ブランドにあぐらをかいてはいけない。

こんにちは。

ブランドのおかげで仕事ができている

仕事をする中で、自分個人の実力値以上に会社のブランドによって助けられているな、と思うことは多くあります。

インターブランドの評価によると、IBMは相変わらずグローバルトップ10に入っています。そういう意味では日々助かっているな、と実感します。

一方で、気をつけなければならないな、と思うことも多くあります。

会社のブランドを一瞬自分の実力だと勘違いしてしまったり、気がつくと「IBMだからいちいち丁寧に自社の説明をしなくても許してくれるだろう」「IBMだから、ちゃんと毎月給料は払ってくれるだろう」と思っている自分がいたりすることです。

最近の仕事柄、スタートアップの企業の皆様との接点が多いのですが、その人たちは腕一本で勝負しています。常に新しいことを試し差別化をしようと努力しているのを感じます。そして日々成長しています。

たとえ伝統ブランドにいても、そういう気持ちを忘れてはならないと思うのです。

伝統ブランドと新興ブランドの違い

最近もよく似た感覚をもった出来事がありました。

実は娘が中学受験を経験したのですが、その過程で伝統的ブランドと新興ブランドで大きく二つに分かれるな、と思ったことが多々ありました。

学校公開、募集、合格発表などで痛感したのですが、やはり伝統的ブランドは学校公開では「来たければ、来れば?」というスタンスを感じますし、募集手続きも数日から一週間と、そこそこ長くかかります。合格発表も同じように受験後数日から一週間かかります。一方で新興ブランドは学校公開は明らかにマーケティングイベントとして力の入れようが違います。募集も入学試験の30分前まで受け付けていたり、発表も試験終了後2-3時間程度でオンラインで速報したりします。要はハングリー精神の観点でだいぶ異なるのです。

この活動をどう見るかは、いろいろな視点があるとは思います。やはり「本質的」な教育内容で判断すべき、とか、OBOGのネットワークは伝統校ならでは、という部分があるのはたしかです。

とはいえ、うかうかしていると伝統的ブランドといえども、長い間に大きな波に呑まれるのではないか思ったことが多々ありました。実際に募集人員の伸びとか、いわゆる合格偏差値といった数字面でも動きが出始めています。

更に言えば、若い純粋な感覚で判断するとその辺りの雰囲気を敏感に察知するようです。

志望校を決める際も、つい自分の時代の感覚で判断してしまい、○○(ブランド)がいい、とかXX以上じゃなきゃいけない、と価値観を押しつけがちですが、フラットに子供の視点で決めさせると、親の視点とは全く違う結論になりました。

結果的に子供の判断に任せたのですが、時代の変化を考えると、まあそれもアリかな、と思っています。

ビジネスでも同じことが起こっていないか

翻ってビジネスの世界に視点を移しても、同じことが言えるのではないでしょうか。

ブランドがあれば、仕事の中でも無理を通したり、ゲタを履いたりできます。人を集めるにもそれほど苦労はしません。でもそれにあぐらをかいて、イノベーションを怠ったりすると、気がつかない間に新興勢力に追い越されていたりするものです。

消費者や顧客の中で先進的な感覚を持っている人が判断すると、新興勢力の方が魅力的に見えてしまうことも多いはずです。

ブランドを維持し、その結果であるブランド価値を活用することは悪いこととは言いません。むしろ日々の活動の中でも中心にあるものであるとすら言えるかもしれません。

しかし、それにあぐらをかいてしまうことは実は自分のクビを締めている、そしてビジネス的寿命を縮めていることでもあるということを常に意識したいな、と娘の受験を通じて思った次第です。

皆さんはどう思われますか?

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