こんにちは。
本質的でない「本質的な議論」
先日、働き方改革のながれで、残業上限月60時間という記事が日経新聞に載っていました。
こういう分かりやすい目標が設定されると、ありがちなこととして「何故60時間なのか」とか「数値目標ありきで本質的議論が足りない」という議論がおこることがあります。
(実際に今回起こったかどうかは確認できていませんが...)
実は僕自身がこの手のシンプルな目標とか、プロダクトアウト的なアプローチが好きなので、その立場から記事の見出しをみたときに「お、やるな」という思いとともに、先ほどの「そもそもさー」といった議論を想像してしまったわけです。
で、なんで僕がこの手のシンプルな目標とかターゲットありきのアプローチが好きなのかというと、簡単に言うと改革がちゃんと進むからです。
日本の組織の特徴として、ミドルからのアップ&ダウンという意思決定の方法があります。このアプローチをとると、何も決まりません。まったく前に進みません。
なぜかというと善意から出た「本質的な議論」というやつが始まるからです。
実際に経験したことですが、15分で決まることが、2年くらいかかったことがあります。これ、本当です。非常に優秀な人が真剣に議論を続けるわけです。で、タイムアップまで決まりません。
もちろん、なんでもかんでもこのミドルアップ&ダウンのアプローチが悪いとは言いません。うまく機能していた時期もあったのでしょう。ただ、僕は20年社会人をやっていますが、うまく行っていない例しか知りません。
要するに今の時代に合わない意思決定・改革実行方法なのでしょう。
XX電産とかYYクロとかZZZバンクとか、今うまく行っていそうな組織はトップダウンでクイックに意思決定・実践をすることで伸びている気がするのも無関係ではないでしょう。
今の日本の政府もかなりトップダウン的な様相を呈しているので、「本質的な議論」というエンドレス会議をする必要が無くなっているのかもしれません。
まずはやってみて、修正する
もちろん、蛮勇とか、「とりあえず」のドタ勘ではいけません。
とはいうものの、リスクをさけるために多くの人を巻き込んで「本質的な議論」という名の本質的でない作業を繰り返す愚はもう止めるべきです。
責任のある人が真剣に考えた仮説を、まずは検証してみる。違和感や見込み違いがあったら修正すればいいのです。
まずは動いてみること。そのアプローチをとれば、はやい段階で紆余曲折がはじまりつつも軌道修正されてゴールが見えてきます。「本質的な議論」アプローチの「議論の骨子」ができあがり、起案者の上司がそれに赤入れをしはじめたころには問題は解決しているでしょう。
みなさんはどう思いますか?