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無くせ!「空中に消えるコメント」 〜議論は前に進めるためのもの〜

こんにちは。

チームワーク=コミュニケーション

チームで仕事をする意義は皆で新しい価値を創り出す事にあると思います。

一人では分量的に無理なことを皆で協力してやったり、領域的にカバーできないから得意分野のちがう人が集まって何かを作ったり。

そこにはメンバー同士のコミュニケーションが欠かせません。文字どおり欠かしてはいけなくて、絶対に必要なものになります。

それは立ち話でもそうですし、会議でも同じです。文章をやり取りするメールもコミュニケーションの一環です。

そのコミュニケーションにはルールがあると思っています。

「共通の目的に近づくためのものであること」です。

全てのコメントは目的に近づくためにある

全てのコミュニケーションが目的に対して、近づくためのものであるべきです。つまり、ある人がコメントを発する前と後では、ゴールに向かって皆が前進している必要があるのです。

誤解して頂きたくないのは、一切が機械が発するようなデジタルな会話でおわるべきである、と言いたいわけではありません。

ジョークは、場を和ませる効果がありますし、プライベートで何をした、とか一階のカフェでフェアをやっているといったような情報もチームの親密度を上げるうえでも効果があるでしょう。

個人的には日本で「オヤジギャグ」と呼ばれる一種の呪文にも脱力させるという意味では、意義を見いだせると思っています。

ただ、一方で、時間の無駄としか言えないコメントもります。

質問に対して答えない感想のようなコメント、言い訳のためなのか延々と状況説明をするようなコメント、はぐらかしコメント、等など...

僕はこれを行き場の無い「空中に消えるコメント」と呼んでいます。

周りにいませんか?

空中に消えるコメントへの対処法

観察をすると、どうやら本人には悪気は無く、意図せずやっている事が多いのでなかなか対応が難しい事が多いです。

「何が言いたいのですか!」「ごまかさないでください!」という対処をすると本人は傷つき、改善どころかマイナスの結果にしかなりません。

どうするべきかについてですが、一部繰り返しになりますが、会議等のコミュニケーションには目的があります。そこに向かって寄与しているかどうかの視点を常に持ち続ける事です。

もちろん会議によって目的は多岐にわたりますが、何かを決める、情報を共有するということが大半でしょう。常にその目的を念頭に置きつつ「そのコメントは目的に合致しているか」を問い続けるべきだと思うのです。

よく考えてみると僕個人は、義務教育から中等・高等教育、そして社会人になってから受けた社員教育の過程で、議論の仕方について教わったことがありません。もしかしたら日本で教育を受けた多くの人も同じなのではないでしょうか。

そういう意味では個人学習の範囲に収まっていて、もともとできる人か意図的に学んだ人しか身につけていないスキルなのかも知れません。(じゃあ、外国ではどうかというとよく知りませんが...ディベート教育というのはこの一環なのかもしれません)

議論の仕方というのも、もしかしたら義務教育の過程で「教育」として授ける種類の基本的能力なのではないかな、という思いに至っています。

それが多くの人に備わっていたら、日本のホワイトカラーの生産性も、だいぶ上がるんではないかな、と思うのですが…

皆さんはどう思いますか?

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