請われれば一差し舞える人物になる 〜大震災直後の哲学者の言葉〜

こんにちは。

心に残る名文と再会

先日、小5の娘から、受験対策で課題図書を読むので本を買ってほしいという依頼をうけました。なんと哲学者鷲田清一氏の「じぶん・この不思議な存在」

じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書) | 鷲田 清一 | 本 | Amazon.co.jp

でした。

小学生には難しすぎるのじゃないかとは思いましたが「東京の小学生は大変だなあ」などと言いながらポチっとしました。

そのとき、ふっと思い出した文章がありました。

東日本大震災の直後の卒業式シーズンに鷲田さんが総長をつとめておられた大阪大学での卒業式の式辞です。

平成22年度卒業式・大学院学位記授与式総長式辞 — 大阪大学

当時友人がFacebookで共有していたのを覚えていたのです。

震災後2週間でもあり、僕も含めて日本中が動揺していました。と、同時に心がとても敏感になっていて、様々な言葉が刺さったのを強く記憶しています。その時の代表的な文章でした。

主旨としては

  • たとえ現場にいなくとも、今、自分の持ち場で出来る事を精一杯やれ。
  • そうすることで、誰かの支えになるはずである。ど真ん中だけが全てではない。
  • いつか「一差し舞え」と請われたときに舞うための準備でもある。

と僕には読めました。

それまで「何かをしなければ」と求め続けつつも、焦るばかりで二の足を踏んでいる自分がいました。「いつかやるぞ」と思いつつ一歩踏み出せないのは、まだ自分には時間があるはずだ、と思っていたからでしょう。

そんなとき、震源地から遠く離れた東京ではありますが震災を経験し、その後の原発事故の報道に接し、それまでと比べて「今、踏み出さないでどうする?」という気持ちが強くわき上がるのを感じました。

そして、このタイミングで鷲田さんの文章を読んだわけです。

この5年でどう変わったか

あれから5年近くを経て、またこの文章を改めて読んでみました。自分がどう変われただろうか、と振り返る良い機会になりました。

あれから、

  • 本を出版する事を思い立ち、出版にこぎつけました。
  • 現場から離れマネジメントの仕事を経験しました。
  • 改めて経営を勉強しようと決心し社会人ビジネススクールを修了しました。
  • 新しいサービスを立ち上げるため所属会社を変えました。
  • 異業種の人たちとの交流を深めて刺激を受け、また発信活動も始めました。
  • これまでに経験したことの無い長いスランプの時期も過ごしました。
  • いっぱい失敗したなー。(でもこれは、昔からだなー)

自分としては新たな世界が広がり、考え方や行動も大きく変わってきたのを自覚できています。「一差し舞う」ための準備はしつつあった、のかもしれません。

とはいえ、十分ではないと思っています。もちろん「誰を何人幸せにしたか」などと大それたことは申しません。よく言えば達成感・納得感、平たく言うと自己満足の世界でしょうから。

この先どうするか

もうすぐ震災後5年になります。

僕も幸いしにして「請われる」ことも少しずつ増えてきました。自分自身の達成感・納得感のためにもうちょっと大きく行動する時が来たのかな、と思っているところです。(ちょうど、後厄も抜ける頃ですし!)

まずは小さな第一歩としてこんな貢献から始めてみます。

河野 英太郎 | ビジネススクールならグロービス・マネジメント・スクール

第二弾、第三弾と打っていければ良いかな、って思っています。

今回は、なんだか決意表明みたいですね。