「は?」を越えて 〜死してなお貢献するガウディ〜

こんにちは

夏の休暇を利用して家族でバルセロナを訪問しました。(ほぼ週刊で毎週末発信している本稿が遅れたのは通信環境の問題です)

もともと目的は、家族で共通の時間を過ごすことが一番で、その次にみなの知見を広げること、そして個人的にはいろいろ考えを巡らすこと、の三点でした。

本稿はその三点目の延長になります。

サグラダファミリア聖堂に圧倒される

バルセロナを選んだ理由は明確にはないのですが、予算や気候、興味などからなんとなく決まりました。(偶然ですが前後に何組もバルセロナ旅行をする知人が多いです)

バルセロナと言えば、言わずと知れたガウディのサグラダファミリア聖堂が有名ですね。当然こちらは主要訪問先です。予約を入れた方がスムーズらしく現地で日本語ツアーを探して家族で参加する流れになりました。

結論から言うと、圧倒されました。スケールや背景に流れる思想、この事業にかけた信念や情熱などを聞くにつけ、人を引きつける理由を改めて実感した、という感じです。

そこで考えたこと。

①大事業を成し遂げるための必要条件

②死してなお貢献し続ける偉大さ

でした。

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事業を成し遂げるための必須条件とは

まず、①の「大事業を成し遂げるための必要条件」。

少し大げさな表現を使いましたが、ちょっとした規模の事業(プロジェクトでも、企画でも)は当然一人ではできません。人に動いてもらう必要があるのですが、その原動力ってなんだろう...と考え続けました。

つい、ビジネスの現場にいると事業を成し遂げるにはいわゆる「リーダーシップ」が必要で、そのための能力育成が必須要件である、という流れになります。

具体的には、目指す方向を特定して(ビジョン設定)、やらなければならない理由を示し仲間を募り(危機感情勢)、やる気にさせて動いてもらう(モチベート)という作業が行われるのですが、実際にガウディはそんなことをやったのか?という疑問が浮かんできました。

サグラダファミリアの建立の事実関係を聞いたり調べたりすると、必ずしもそうではないようです。

まず、発起人は聖書などをを扱う書店の店主だったようです。彼の発案で全て寄付による教会を作ろう、と声かけをしたようです。

そして、そもそもガウディは最初の設計者ではなかったそうです。一人目が意見の対立から離任しその跡を継いだ、ということだそうです。

要するに発起人や初期の建築者は別にあり、そもそも根底には信仰のモチベーションが働いていたということで、誰か一人だけの功績ではないということでした。

ただ、この条件が揃った聖堂は他にもたくさんあるわけで、この聖堂を特別なものにしているのは、この発起人のビジョンに賛同してそれを実現するための技術力や構想力を発揮したガウディの功績だと思います。

その意味では、ガウディを主任設計士に選んだ人が功労者であるとも言えます。同時にそのコンセプトならこうあるべきという姿を示したガウディの構想力それに説得力を持たせた功績や行動、ガウディについていった現場の技術者たちの実行力全てがそろって出来上がった事業なのだ、ということを改めて確認させられました。

「は?」に負けない

経験的にも、新しいものやことを提言すると返ってくる反応は決まっています。ひと言、というかひと文字です。

「は?」

最初はあまり理解されないんですよね。

たぶん、サグラダファミリアの最初の構想を作った時にも周りからのガウディへの反応は「は?」だったのではないかと思います。

この場合はスケールがでかすぎて理解を得られなかったのではないでしょうか。

聖堂の内装外装を見て、なんでここまでのことが実装できるのだろう、と思うようなことばかりでした。そもそも考えつくこと自体がすごいのですが、考えられたとしても人に伝えられるか?伝えられても賛同を得られるか?という疑問が起こります。

「は?」を突破するには、先頭を走ってお手本を示したり、小さな成功を収めてだんだんひとを説得したり、理詰めで説明したり、いろいろな手段があります。

ガウディの場合はそれ以前に功績があったことに加え、背景にある信仰の力やパトロンの支援などを味方につけたのでしょう。

これらを駆使して「は?」に対抗し、責任を果たしていったのだと空想しました。

自分自身も新しいことにチャレンジするなかで、多くの「は?」につきあたります。「は?」を量産しすぎている感もあり反省も多いのですが...

たくさんの「は?」に囲まれてつらくなることもありますが、必ず次に活かしていきたいな、と思いを新たにしました。

死してなお

考えたことの二点目は、このサグラダファミリアをはじめとするガウディの作品の存在によってバルセロナは潤い続けているということに関連します。なんと観光客は2700万人に上ると言われ、ヨーロッパではロンドン、パリに次ぐ三番目の規模ということです。

そしてサグラダファミリア聖堂自体への入場者は2008年は270万人に上ったそうです。入場料はまだ終わっていない聖堂の建築のための費用に使われているとのこと。

ガウディ本人は1926年に事故で亡くなっていますが、没後100年の2026年を目処に感性を目指しているということです。

まだ、ガウディの描いた完成図に向けた作業は続いているわけです。そのための費用を聖堂の見学費用でまかないつづけるところも優れていますし、完成の姿を見たいと技術者たちに思わせるだけの構想力もずば抜けていると感じます。

ガウディはスペイン国民というよりは、バルセロナが属するカタルーニャ国民という意識が強かったようです。(バルセロナではスペイン国旗を目にすることはほとんどありません)死してなおカタルーニャに貢献し続けるというのはガウディの気概であるとも取れました。

様々な組織には、ガウディほどではないですが、過去の●●さんの功績によって後に続く多くのひとが潤っている、というケースは多々あるのではないかと思います。

自分がその場を引いたあとも、貢献し続けられるものを残す、というのはありたい姿のひとつだな、と感じた次第です。

一度ご訪問ください。皆さんはどう思われるでしょうか。

(時差ボケ調整中の深夜の書斎にて...)