根拠の無い自信 〜自分はこの人たちの子供だから大丈夫〜

こんにちは。

ことしも2月1日が来ました。

中学受験に臨む東京の小学6年生とそのご家庭は緊張感をもった数日をすごされていると思います。

僕自身は、育った地域がそれほど中学受験が盛んでなかったため、高校受験が初めての受験でしたが、15歳のときでもやはり不安はあったと記憶しています。

そんなときは、根拠の無い自信をもつことで気持ちを落ち着かせたものでした。

根拠の無い自信は自己暗示

試験だろうと水泳の大会だろうと、父は一切この手の事で直接何か言ってくることはなかったのですが、母を通じて「がんばれ」などと伝言がある事が多かったです。本当にそう言っていたかは確かめた事はありませんが。

結果的にですが、子供の頃は「自分はこの人たちの子供なので大丈夫だろう」とか「河野の家の一族なのでなんとかなる」という感覚がつねにあったように思います。

今となっては、自分の子供たちにそう思ってもらえるような親になりたいものだなあと思っています。

自分を律する基準は育ってきた家とかコミュニティなど環境が大きく影響するのですね。

全く根拠は無い自信なのですが、自己暗示の一つなのだと思います。

験担ぎも自己暗示のひとつ

自己暗示といえば、験を担ぐとか神頼みをする、というのもこの一種だとおもうようになりました。

実は2月2日まで本厄でして、2月3日には後厄が始まります。この1年、本当にいろいろあったので、長年のポリシーを曲げて厄払いに行ってきました。

厄払いに行った後、何か良い事があると「あー、厄払いに行ってよかった」と思えるようになりますし、何かつらい事があると「厄年だから仕方が無い」と納得できたりします。

これも、科学的根拠があるとはいえないのですが、自己暗示をかけるとか自分を律するという意味では、それなりに効果がある、と思うようにしています。

特に人に迷惑をかけないのであれば、勝手に勘違いしたり、自信をもったりするのはその人の自由です。

むしろ、自分のためになるのであれば、そのように考えた方が良いですよね。

要するに考え方次第、気の持ちようなわけです。

人事を尽くして...

もちろん、気を大きく持つだけでは単なる「勘違い」ですので、できうる努力はちゃんとやっておく事が前提です。

「人事を尽くして天命を待つ」というところまでやったと思えた人だけがもつ特権かもしれませんね。

12歳のこどもたちもそうですが、大人になっても(やるべきことをやった上で)根拠の無い自信をもつことは有効なのだと思っています。

皆さんはどう思いますか?