腹が据わる、ということ  ~ケイコ先生と旧交を暖める~

こんにちは。

この週末は、講演で大阪に出張しました。

大阪は前職の仕事でご縁があり、5年近く毎週のように通っていたので、第二の故郷のひとつになっています。いいですね、大阪。うどん食べました。

そして、今回の出張はもうひとつの目的がありました。

浪曲師「春野恵子」として関西中心に活躍中のもとクラスメイトと10数年ぶりに会うことです。

旧友との再会

ご存知の方は多いと思いますが、かつて視聴率30%をたたき出していた電波少年のもとケイコ先生でもあります。いわゆる自慢の同級生ってやつです。

大阪での講演の日程が決まった直後、連絡を取ったら午前中時間がある、ということでしたので早朝の便で大阪に行くことにしました。

ちなみに、そのときに「こんな写真が出てきた」といって送ってくれたのが添付の写真です。

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(この人、白百合学園の制服を着てますが、ともに大学生1年生、18歳のときの写真です。なんか、高校時代の制服を着てこよう、と申し合わせて何人かが着てきたような覚えがあります。行動もいかにも若いですね。)

ついでに、Before/Afterのノリで今回一緒に撮影したのがこちら。

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確実に年月は経っていますねー。なんといっても22年ですから。お互いがんばってる方かな。

 22年を遡って語り合った事

実際に会うのは2001年以来ですので、13年ですか。その間のこと、共通の知り合いの同級生のことなど、いろいろ盛り上がり、文字通りあっという間の約2時間でした。

彼女がケイコ先生として大きく世に出た直後の葛藤や、浪曲の道を歩むと決めたこと、その後の研鑽と、現在、そして今後のビジョンなど、深い話を聞けました。

それぞれぜんぜん違うキャリアを歩んできたのですが、いろいろ話す中で、この稿のテーマでもあるホワイトカラーのキャリアに参考になるな、と感じた部分も多くありました。

ケイコ先生デビューの直後は、いわゆる芸能界の華やかなステージで多忙を極めつつも、表現者としてやりたいことと乖離していくのを強く違和感として感じたそうです。

華 やかなステージにいられるのは、はた目にはうらやましいように感じますが、それだけに勇気を出して自分がやりたいと思ったことへ舵を切ったのはつらい決断 だったのだろうと想像します。ある程度責任ある立場だったので、周りへのインパクトもそれなりにあったことでしょう。ただ、長い目で見ると今があるのは、その時の決断があったからこそです。

まよったら、原点に立ち返るというのは言うは易し、ですよね。

その後、29歳という決して若いとはいえない段階で浪曲の修行を始めたということですが、それも端から見れば勇気ある決断です。本人は結構自然体だったようですが。Nothing is too late to start!これも、言うは易しですよね…

そして、これから

そして、今、「浪曲を世に広める」というパーソナルミッションのもと、時流に流されすぎず、仕事の優先順位をつけて日々活躍しています。

浪曲の舞台以外にも、芝居やラジオ番組などにも出演しつつ、クラウドファンディングを活用してNYで浪曲公演をしたり、ドイツ公演を実現したりもしています。

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今後の目標も聞きましたが、それは公開しないで、ということでしたので、活躍を期待しましょう。

やはり、この道で生きていく、と覚悟を決めた「腹が据わっている」人は強いですね。

そして、明確にパーソナルミッションを自覚している人はブレません。

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もちろん、日々の仕事や私生活に悩みが無くなる、というものではないでしょうが、それぞれが高いレベルのものになるでしょうし、社会のためにも有意義なものになっていくと思います。

そんなことを考えた、再会でした。

と、今や立派な人になっていますが、僕にとってはいまだに普通のクラスメイトでもあるので(若いころの事、いろいろ知ってるし)、ちょっと、褒めすぎかもしれませんが、まあ、今回は公開の場ですので持ち上げておきます...

さて、お互いそれぞれの持ち場で前に進んで参りましょう。