勝手に門下生 あなたには”メンター”がいますか?

こんにちは

先日、ある方との会話の中で、「メンター」についてお話しする機会がありました。
今日は、メンターについて考えてみたいと思います。

悩みの解決手段

長いキャリアの中で、方向性に迷ったり、悩んだりすることは多いと思います。
程度の差や波があるでしょうが、日々何かに悩んだり、真剣に考えなければ、と思っていることは常に誰でも持っていることでしょう。
キャリア、といいましたが、もちろん、職業人生だけではなく、私人としての生活も含めると枚挙に暇はありません。

そんなとき、対処方法は様々ありますが、僕がよく実践しているのは、メンターに相談する、ということです。

勝手に「門下生」

自著の中で、僕はメンターの定義として、「現在は直接の利害関係のない尊敬できる人」であれば誰でも良い、としています。
かつての上司、かつてのクライアント、先輩、恩師、サークル仲間などどんな方でも良いでしょう。
さらに言えば、書籍、作品やソーシャルメディアなどを通じて一方的に知っている人や歴史上の人物であってもよいとすら思っています。

そして、「私のメンターになっていただけますか?」という儀式も必要ありません。
ただ、悩みを話してすっきりしたり、解決するための糸口をもらう、というのが目的です。相談された方が、
「自分がメンタリング」している、というということを気付いていないような場合すらあるでしょう。

幸い僕は、そのように相談できる方に恵まれていると思っています。
何か困ったときに、「あの人だったらどうするだろう」と想像したり、「あの人の意見を聞いてみたい」という人が頭の中にザーッと列挙できます。もちろん相手のあることなので、やたらと何でもかんでも相談したりはしないですが、どうしても、というときは
意外に躊躇なくお聞きするようにしています。

躊躇しない理由は、逆の立場に立ったとき、すなわち、相談をもちかけられる側になった場合、結構うれしいので、おそらく自分以外の人もそうだろう、というある意味勝手な想像もあります。

岐路には常にメンターの影響

実際に今までのキャリアを振り返ると、岐路に立ったときには、やはりそのシーンと共に、助言をいただいた人、手本にさせてもらった人が思い浮かびます。

たとえば、差し支えない範囲で言えば、私がキャリア上最初に岐路に立ったのは(意外に早くて)新卒新入社員のときに入った会社を
いきなり3ヶ月で辞めたときです。そのときは母方の祖父でした。

その年のお盆にはすでに、いわゆる無職で、先の見通しもまったく無い状況でした。
当時はニートというような便利な言葉も無く、そもそも終身雇用が常識の時代でした。途中で会社をやめる、それも3ヶ月で、というのはほとんど考えられない、というのが社会通念でした。
とはいえ、我が家族の慣例に則ってお盆には帰省しました。正直、親戚中に合わせる顔が無い、というのが僕の感情でした。
そんなとき、祖父が、僕の隣でぼそり、とつぶやいた言葉がとても印象に残っています。

「気にせんでええ。わしの20代は、6年間戦地におったんや...」

これで、本当に救われました。
(祖父は激戦で有名なガダルカナル島からの帰還兵で、当時の話は折に触れよく聞いていました。)

実践していること

どれくらいの頻度でメンターと話しているのか?という問いも受けましたが、大小を含めると、多いときは本当に毎週のように尊敬する人とお話させていただくことがあります。
同じ方に何度も、というよりは、都度都度いろんな方にご意見を伺うというイメージです。
どうして、そんなことができるのか?という一歩踏み込んだ質問に対して、少し振り返ってみると大きく2点ほどあるかと思います。

①僕は結構「愚痴」っぽいのかもしれません。

②周りの方に対して、自分の持っていない側面を発見するとすぐに尊敬する傾向があります。

①は一見するとネガティブな印象を受けますが、僕の定義では「愚痴」「文句」は言いっぱなしであるからネガティブであって解決策を模索するのであれば、改善の出発点である、と考えられます。
なので、「こうありたい、だから改善したい」という状況を口に出すのは必ずしも悪いことではなく、むしろ成長の一歩かもしれません。
内に溜め込んでしまうほうが、心にも体にもよろしくありません。外に出して初めて、周りに気付いてもらえる部分も大きいです。
僕の場合、結構すんなりと、悩みを口に出せるようです。もちろん相手や状況はわきまえますが。
その愚痴を、②でコメントした、自分ができないことを、うまくやっている尊敬する人リストに頭の中で「照合」して、この人ならヒントをいただけるかもしれない、と思えれば、連絡したり会いに行ったりするわけです。

こうして、尊敬する人が、さらに感謝する対象になり、どこかで恩返しをする対象になっていきます。

メンタリングの良循環

恩返しは、もちろんご助言をいただいた方にお返しすることでもありますが、それ以外にも自分が誰かから尊敬されるような存在になって、後進に対して逆の立場でお返しすることも重要なのではないでしょうか。
そう考える理由は、僕が尊敬している人たちには、必ずと言っていいほど、その人が尊敬している更に上の世代の方がおられるからです。世代間の善意の継承、これの繰り返しなのだろう、と。

僕自身、誰かの(少なくとも子供たちの、将来は孫たちの!?)よきメンターでありたいと常に思っています。

皆さんは、どうお感じになりますか。