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『屈託(くったく)』という言葉には、意外な意味がありました

こんにちは。

今活き活きと仕事をしている人を見て、老若男女問わず僕がイメージする言葉があります。

「屈託なく、過ごす」

という言葉です。言い方を変えれば、僕自身、こうありたいといつも願っていてなかなか実現できない状態です。

「屈託なく、過ごす」とは

先日も、平日は朝7時半から11時まで、毎日働き、週末もよく出勤している、という社会人2年目の若者と話したのですが、まさに「屈託」がありませんでした。内面ではおそらく、いろいろ疑問に思いながらも前向きに働き、表彰されるほどの成績をあげています。と言いつつも、次のキャリアもちゃっかり考えている、という話をしていました。

私が尊敬するベテランの皆さん、例えばスーパーアスリートや、有名な起業家、大企業の経営者、まわりの同僚なども、お話しすると、当然いろいろ悩みやチャレンジはあるものの、自分は自分。やるべき事に疑問は持たず、周りからの雑音にぶれる事も滅多にありません。

「屈託ない」という言葉がぴったりの姿勢を貫かれています。

僕の、過去40年間におよぶ、日本語経験の中で身につけたこの言葉のイメージだったのですが、現時点で覚えている、初めてこの言葉を認識した瞬間は、学生時代に手に取った城山三郎氏の「屈託なく生きる」を通じてでした。長島茂雄岡本綾子盛田昭夫加藤紘一平松守彦渡辺美智雄といった当時の綺羅星の人物を扱った対談集だったはずです。絶版らしいので、再会するには中古を購入するしかないですね。

屈託なく生きる

でも、この言葉、よく考えた事が無かったなー、それも、慣用的には「屈託+ない」という使い方が一般だなー、と思ったので、まず「屈託」ということばを少し調べてみる事にしました。

「屈託」の第一義

オンライン辞書で調べると、

 

ある一つのことばかりが気にかかって他のことが手につかないこと。くよくよすること。「―のない顔」
「人は只だ黄金(おかね)のことばっかりに―して」〈木下尚江・良人の自白〉

 

と出ています。

なるほどなー。例えば、世間の評判とか、会社の上司の顔色とか、そういうものが気になる人は、「屈託している」わけだ。すなわちそれらから自由になり、自分の道を突き進んでいる人をこそ、『屈託なく、過ごす』人と呼ぶ訳だ。

『屈託』の意外な第二義

ただ、世間の目や、周りの期待に一切かまわない人、となると、それじゃあ、まるで世捨て人ではないか。と思ってしまいます。

が、おなじオンライン辞書の2つ目に、意外な意味が書いてありました。

 

疲れて飽きること。また、することもなく、退屈すること。
「―そうな顔をして、火箸(ひばし)で火を弄(いじく)っていた」〈秋声・足迹〉

 

なるほどー!

「屈託」には退屈したり、ぼーっとしたりするという、一見逆に見えるような意味もある訳だ。

「屈託ない」というのは、周りの雑音に頓着しないが、とはいえ、あきらめの境地に至っているわけではない、ちゃんと何か目的を見据えている、というイメージも含んでいるんだな、と感じた訳です。

これ、ご存知でしたか?僕は恥ずかしながら今まで存じ上げず、生きてきました。

とはいえ、結果的に僕がイメージとして持っていた「屈託」の意味も、あながち外れてはいないのだな、とも感じた次第です。

そして、さらに「屈託ない」という表現が好きになりました。

慣用句的に使っている言葉でも調べてみると、意外な背景があったりするんだな、とも思いました。

 

さて、じゃあ、明日から『屈託なく』過ごすには...

 

みなさんは、どうお考えになりますか?