米国流、日本流。違いの背景だけでも理解してみようか。

こんにちは。

外国人の方たちと仕事をすると、やはり彼我の違いを強く認識します。

その違いはなんでだ?そうなった背景は何か?ということを考えざるを得ません。そうしないと、「あいつの仕事のやり方は...」という思いをお互い持たざるを得なくなります。

いわゆる広義のダイバーシティは、お互いの違いを認め、一旦うけいれることから始まるのだろうと思っています。

米国流と日本流。その成り立ち

僕個人が仕事で今まで接した外国人の人たちの国籍は、おそらく米国が多いです。なので、今日は米国流と日本流の仕事の仕方の違いを考えてみようと思います。

米国流と日本流の違いの原点は僕の中では、すごーくシンプルに整理すると以下の2つの観点で整理できると思います。

 

①国の成り立ちの違い

②食料調達の方法の違い

「僕ら世界」と「僕ら世界」

①は、「自分たちのやり方がグローバルスタンダード」と考えている人と、「自分たちはグローバルスタンダードとは違うのだ」と考えている人の違いです。

米国は多くの移民から成立した国で、それが故にロジックとか客観性を共通の基準として国を成立させてきました。すなわち自分たちのやり方は、多様な人たちのるつぼで成立したから米国以外のすべての国で通用するはずだ、という考え方です。

で、これはある程度実態に近いかな、とも思います。

加えて20世紀に培ったその圧倒的な国力がその考えのさらなる後ろ盾となり、根拠のある自信につながっていったわけです。

一方日本は、島国です。長い間他国とは没交渉で、言葉もこの国の中だけで通用する言葉を使っていて、よくも悪くも自分たちは他国とはちょっと違う、と考えています。

今までの仕事生活の中で何度もあった会話をサマリーして再現すると次のようなものになります。

 

米国人:「これが米国で作った方法論だ。日本市場で展開せよ」

日本人:(うわ、マジかよ。これ日本でお客さんに出したら出入り禁止になるよ)「これを展開するのは難しいと思う」

米国人:「何故だ?英国でも、オーストラリアでも実行している」

日本人:(あー、始まった。米国人のわがまま)「日本は特別なんです」

米国人:(あー、始まった。日本人のごまかし)「どう特別なんだ?ロジカルに説明して」

 

「ウチはグローバルスタンダード」と「こっちはグローバルスタンダードの外」では、永遠に交わりません。

それぞれの「おまんま食い上げ回避策」

②については、狩猟民族か、農耕民族かの違いです。

先日も米国人のオジサンと話した時に

「日本人の働き方は、初めて接した時はびっくりした」

という感想を聞きました。曰く

「リーダーが決めたのに、現場が従わないってどういうことだ?日本じゃ、リーダーが決めた事を、その部下にあたる人たちも含めてもう一回合意形成しなければならない。時間かかりすぎじゃないか?リーダーが決めたんだから、従えばいいじゃないか。」

そこで僕は説明しました。

「君たちは狩猟民族文化で、僕たちは農耕民族文化。君たちはリーダーが意思決定したことにとやかく言っていると、その間に獲物のイノシシが逃げちゃうから、すぐに従う文化だ。でも僕たちは、時間感覚が違う。毎年田植えの季節はほぼ決まっている。集落のみんなで議論して、今年は何日に用水路をせき止めて、どの田んぼから水を引いて田植えを始めて...という合意形成が重要なんだ。それを無視するのは我田引水といって村八分にされるんだ」

「なーるほどー」と納得してくれました。

米国人はファーストネームで呼び合うからカジュアルな関係かと思いきや、上司の命令には絶対服従の文化です。

 

米国人:「ワシはお前の上司筋やぞ!」

日本人:(んで、なんやねん?)「そーーーほわっと?」

米国人:「XXXX!!!」(顔面紅潮)

なんていうやり取りを何度も目にしました。

背景には、米国では上司は部下をクビにする権限が強く、反抗する時は辞めるとき、という常識があります。

まあ、他にも「一神教」と「多神教」とか、「性悪説」と「性善説」、「パンとビーフ」と「米と魚」などいろんな視点もあるかと思いますが、僕が経験から強く感じるのは上に挙げた2点です。

そして、ケースバイケースではあると思いますが、解決の一歩目は、まずは違いの背景を理解する事が出発点だと思っています。

 

皆さんはどう思いますか?