会議の出席者が少ないことのメリット

こんにちは。

会議8分の1の法則

「会議8分の1の法則」ってご存知でしょうか?

おそらくご存知ないと思います。

なんでかっていうと、僕が勝手に作った法則だからです。

なんで8分の1かっていうと以下のような説明になります。

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3つの要素を半分にすると、なんと全体では87.5%の削減効果があるというわけです。

100時間かけていたものが12時間半の投入コストで収まるのです。

余った87.5時間はお客さんのところに行くとか、早く帰って自己研鑽に当てるとか、家族や友人と過ごすとか。色々鍵ある時間として使えます。

これ、やらないわけにはいきませんね。

この3つの要素のうち参加人数について、最近考えたことがあります。

参加人数が少ないと、組織に与える負担も少ないので有効であることは上で説明できていると思います。

加えて、物事が進むスピード感というかリードタイムの短縮にも関係するな、と感じるのです。

「来月会いましょう」か「じゃあ明日」か

具体的には、今のような夏休みの時期に毎年感じます。

当然夏休みなので、いろんな人が休暇をとる機会が増えます。

最近はお盆の時期に一斉に、ではなく少しずらしたタイミングで取得する人も多いですね。チーム内で話し合って分散させるところも多いでしょう。

しかし、残念なことに、会議に参加する人数が多い組織の場合「●●さんが休みなので会議が設定できない」という事態が発生します。

参加人数が多ければ多いほどこのリスクが増えます。

ですので、ただでさえ調整が難しい会議なのに、平気で「残念ながら来月に設定させてください」ということになります。

せっかく分散して獲得した意味がないですよね。

出社している人だけで意思決定できるように、ちゃんと引き継いでおく必要があります。

役割分担が明確でないために、関係しそうな人全てに念の為声をかけるという文化も影響していると思います。この要素も削減しなければなりません。

そのためには役割を明文化しておく必要もあるかと思いますが、その辺りは十分なのでしょうか。

諸々原因はあるかと思いますが、この「次回は来月」というスピード感は、やり方次第で「じゃあ、明日打ち合わせましょう」とか「今電話で話しちゃいましょう」というところまで持っていける類のものだと思います。

もちろん、今の”働き方改革”と言われる規制や圧力の中ででも、十分できる改革です。

働き方改革の余波で選択肢が少なくて申し訳ありません」なんて弁明する必要もありません。

 

会議に参加する人が少なくて済む、というのは作業量削減だけではなく、物事の推進スピードの高速化というメリットもあるのです。

是非一度検討してみてください。

文化に与える、地形・気候・歴史のインパクト

こんにちは。

デンマークに行ってきました 

我が家では毎年夏には海外に出かけるようにしています。

外形的には休暇なのですが、仕事にも関連させて考えています。

今年は特に、色々仕事の環境が変わったこともあり、仕事に時間を割くべきなのでは?と通常なら考えるのでしょうが、もちろん僕はそうはしません。

仕事が忙しい中でも、立ち止まって諸々考える時間が欲しいと思う、というかむしろ、そうしたほうが仕事もうまくいくと考えるようにしてます。

あと、曲がりなりにも父親の役割を担う者としては、すでに中学生になっている子供たちがいつまで付き合ってくれるか分からない、というカウントダウン感もあったことも確かです。

で、今年はどこに行ったか、というと実は1週間ほどデンマークに行ってきました。

手がけている事業「Bridge to the Better」の取り組みの一環として、以前イベントを企画した時に初回のテーマとして選んだのがこのデンマークでした。

イベントは仕事と生活両面を取り扱ったもので、かなりの大盛況でした。

こちらのレポートに諸々背景なども書いてあります。

eitarokono.hatenablog.com

こんなイベントを主催しておきながら、実は現地に行ったことがなく。

企画の過程や、イベント当日に得た情報に刺激され、やはり現地に行ってみたい、という思いが募ってきたのがデンマークに行くことになった大きなきっかけです。(実は元々は別のプランでした)

僕の夏の旅行のスタイルはもしかしたらちょっと変わっているかもしれません。

飛び回って名だたる名所旧跡を訪ね歩く、という方法はとらないのです。

そうではなくて、一箇所に止まり、予定も決めずに現地に入り、近辺をぶらぶらしながらその範囲を広げていく、というスタイルをとります。

このスタイルに落ち着いたもともとの理由は、子供が小さい時から一緒に旅行していたため、頻繁な移動ができない、という制限があったところから始まっています。

あとは、特に僕が時差が苦手とか、プライベートまで緻密に計画を立てたくない、とか、まあ、どちらかというと消極的な理由から始まったこのスタイルですが、やってみると結果的に満足度が高いため、つい癖になってしまいました。

ですので、ツアーに参加したりはせず、移動手段と宿泊先だけを個別に確保して、あとは行くだけ。

細かい旅の計画は、日本の空港で行きの飛行機に搭乗してから検討が始まります。

 前置きが長くなりましたが、デンマークに行ってきたことを本稿のテーマに少し絡めて雑感を列挙したいと思います。(当然の事ながら、一部しかみていない個人的な独断と偏見と愛着に基づく!文字通り雑感ですので、悪しからず)

結論として、

全てにおいて非常にリアリスティックかつロジカルな国民性であり、無駄を排除しつつも過度な自称”効率化”や”高品質化”などもしないが故に、一人当たりGDP労働生産性、幸福度指数という一見トレードオフの要素を安定的に高く保っているのだな

という感想を持ちました。

SASスカンジナビア航空で往復しました

社会人駆け出しの頃、いろんなビジネス書を読み漁ったのですが、もっとも衝撃を受けた書籍の一つがこれでした。

真実の瞬間―SAS(スカンジナビア航空)のサービス戦略はなぜ成功したか

当時の僕にとっては、SASの社長でありこの著書の著者でもあるヤン・カールソンはヒーローの一人でした。

のちに学んだビジネススクールでケースの題材としても扱われていて、現在はそのケースは刷新されたものの、同じリーダーシップのコースを講師として担当しています。

なので、縁を感じまして。

成田からコペンハーゲンまでのダイレクトはおそらくこれだけだったので料金は他よりも高かったですが、サービスも含め満足度は高かったです。

ここでも過剰サービスはなく、定時運行で、快適な時間を過ごしました。

 ②自転車王国でした

噂には聞いてましたが、自転車が通勤通学を中心に定着してる感じがしました。

道路脇には必ずと行っていいほど自転車道が整備してあり、そこには歩行者も自動車も入らない工夫がしてました。

で、気が付いたこととしては、電動自転車が皆無だったこと。

なんでだろう?と滞在の前半に観察していたら、見えてきました。大きく原因仮説は2つ。

1)平地ばっかり。2)湿気が少ない。

もし、夏の東京で自転車で通勤したら、会社着く頃には、用水路に落ちた時のような汗だくのおじさんが出来上がってるでしょう。

さらに最近では熱中症にもなりかねません。命の危険を犯してまで地球温暖化対策に走るのは判断軸が間違ってますからね。

そこへ行くと、コペンハーゲンは、30度を下回ることが多く湿度も20%とか。

そして東京だと島国の海辺に位置し、地名も”谷”とか”山”とか”台”とか、いかにも起伏の激しい地形なのですが、広大なユーラシア大陸の一角を占めるこの国は元来平地が多いのではないかと。あまり起伏を感じないわけです。

だから自転車前提の交通網を設計できるわけだ。その結果渋滞もないし、電動自転車もニーズがそれほど高くない。

電車の中にも自転車抱えて乗りこむことが普通に想定されていて、車両の中に自転車専用エリアが準備されてます。エレベータもその前提なので縦長に設計されてる感じがしました。

そして、コペンハーゲン中央駅には、東京駅では考えられないくらい自転車置き場がありました。

ここで感じたのはいくらデンマークが「エコな社会」成功事例だからと言って、地形や気候、インフラを無視して強引に日本にモデルを持ち込むと、熱中症増加とか放置自転車の増加なんかを招く可能性もありこれまた結構な社会的コストを生んでしまうんじゃないかな、という発見がありました。

③夏の日光は重要

滞在の前半は曇りや雨が多かったのですが、後半はカラッと晴れたいい天気でした。

これも、かなりの偏見ですが、30度を越えると上半身裸の男性が現れ始めます。年齢問わず。

河原には人が大量に溢れ、集団で横たわって日光浴をしてますし、海岸はかなりの人で賑わってました。

日本で生まれ育った僕の感覚では、30度そこそこで脱がなくても、そんなに暑くないのに、と思い不思議に思ってました。

どうやら日本との違いは、暑さ故脱ぐのではなく、日光を取り込むために脱いでいるように見えます。

夏の一時期訪れただけなのでなんとも言えませんが、モノの本によると、夏の間に日光を取り込まないとそれ以外の季節があまり日照時間が多くないが故に、ビタミンDが不足して健康への影響があると言われているそうです。

日本だと避けようとする傾向の強い日光ですが、逆の発想もあるんですね。

そういえば日差しが強くても、サングラスは見かけたけど日傘は見なかった。

④サービスは必要最小限に

コペンハーゲンカードというフリーパスを使い倒したのですが、それを活用して電車は全ての移動で使いました。

ドアは、ほぼ全て乗りたいときは外側からボタンを押して開ける方式でした。日本だと北国によくあるタイプの車両ですね。

また駅員はホームには殆どいないし、駅のホームの放送や車内放送もかなり少なかったです。

人口密集が東京ほど進んでいないのか、自転車通勤などで分散できているのか東京の通勤ラッシュのような状況はなさそうです。(夏のバケーション期間だったのかな?)

だからなのか、駅員さんによる誘導や乗車補助、ホームの安全対策が必要ないのですかね。

多少遅れようが、「お待たせして申し訳ありません」というアナウンスがある訳でもなし。(個人的には山手線で「2分遅れ」で気なったことはあまりないです)

「進行方向向かって右側のドア」が開くかどうかのアナウンスもありませんでした。(右か左か分かってないと、降りられないほど混んでいる訳でもないから必要ないか)

この鉄道に乗るたびに、それほど高い期待値を持たないことが、満足度を上げる秘訣なんじゃないか、とだんだん思い始めました。

デンマーク贔屓になっていき、文字通り”贔屓目”は免れませんが、非常に合理的なシステムだなあ、と思った次第です。

⑤一度もキャッシュを使わずじまい

噂には聞いてましたが、かなり進んだキャッシュレス社会でした。

結局滞在して戻るまで、一切現金に触れず。これはすごいな、と思ったのですがコペンハーゲンだけではなく、今では世界中で当たり前なのですかね。

(海外に行く頻度が少ないため最新状況がわからないので、最近どこか海外に行かれた人、どなたか教えてください。)

その面で、滞在中一番びっくりしたのはトイレ。

鉄道駅だと、ところどころに安全上の理由からか有料トイレがありました。が、なんと入場時に全てカード決済方式でした。

クレジットカード持っていないとトイレ我慢しないといけないんです。

トイレ的に「緊急事態」だと、冷静に暗証番号打てなくて、その場で「崩壊」しかねないなあと思いました。

とは言え、キャッシュレスについては日本でも導入してもそれほど副作用はないんじゃないかな、と思いました。

経済を健全化する意味もありますしね。

⑥レジ袋有料の徹底ぶり

スーパーにはなんども足を運びました。コンビニが日本ほど多くはないから、ということもありまして。

その時に一番驚いたのが、前提としてレジ袋がないこと。これ徹底してました。というか習慣化されてました。

これも噂には聞いてましたが「要りますか?」ぐらいは聞かれるのかと思ってました。

なので、財布一つでふらっと買い物に行って、日本の感覚で買い物をしてカード決済をしたあと、両手では抱えきれない今しがた自分のモノになったばかりの元商品たちを目の前に、愕然とするすること幾たびか。

「”タダで”もらえる」と思っているものを購入することに抵抗があるため、意地でもポケットと両手を駆使して、抱えて帰る、という愚行を晒しました。

3度目くらいにはリュックなどの入れ物を持っていく、という知恵をつけましたけどね。

これにとどまらず、環境負荷の高いものについては、高い値段をつけるという経済が回っているように思います。

例えば、ティッシュやオムツの類が高いな、と感じたのとか、冷えたペットボトルと常温のベットボトルの価格差がすごい、など。

⑦英語はほぼ完全に通じる。けど・・・

英語はどんなところでも通じましたね。

英語圏に来たかのような感覚でした。

ただ、英語が完全に通じることは、現地語は知らなくていい、ということではないな、とは思いました。

中国行った時は英語は通じなかったけど、字である程度類推できることが多かったです。イタリアやスペインは、音や文字で英語やフランス語の知識から類推できるものがあったのですが、デンマーク語はこれまで僕が学んだ言葉とは距離がありすぎました。

結局、Yes / Noとか1、2、3という基本的なデンマーク語すらわからないまま帰ってきちゃいました。

カールスバーグ

特にビール好きの僕は、最初からカールズバーグを楽しみにしていました。

ついたその日に本社工場見学に行ったくらいです。(見学コースが工事中で閉まってましたが)

昼夜合わせて何リットル飲んだことか。

ところでカールスバーグって世界第4位のビール会社なんですね。

人口と面積を考えると日本の都道府県では千葉県に一番近いかな、と思うのですが(グリーンランドはカウントせず)、そこだけだと市場はだいぶ小さいので、生き残ろうと思うともともと国外に打って出るしかないわけです。

そういう宿命を持った企業は強いなあ、と思いました。

それほどこの会社に詳しいわけではないので、憶測の域は出ませんが、シンプルな味で基本を確実にやることで世界第4位のポジションを取っているんだろうと、何杯も飲みながら感じました。

あと、キャッチコピーも良いですね。「Probably the Best Beer in the World」だって。多分同意。

⑨北欧デザインの国はダテじゃない

デザインミュージアムにも行ってきました。

自分にデザインの素養があるわけではないのですが、展示物を見るにつけ、少なくともデザインを非常に大切にしている国なんだな、というのは強く思いました。

色の感覚とか、日本を含むアジアとも、南のヨーロッパとも、アメリカともだいぶ違っています。

北欧の国旗が並んでるところで思ったのですが、国旗の色使いもカッコいい。でシンプルです。

地形・気候・歴史という現実

そして、Bridge to the Betterでデンマークイベントをやった時も、たどり着けそうでたどり着けなかった問いへの答えですが・・・

なんで、デンマークでは一人当たりGDP労働生産性、幸福度指数という一見矛盾した指標で高いレーティングを取れているのか。

考え続けた結果…

論理をベースに判断をしつつも、地形や気候、歴史的背景などの現実を踏まえた意思決定をすることが広く国民に習慣として根付いていること(すなわち文化となっているところ)がこの国をこうさせているんじゃないか、という思いに至りました。

つまり、今のところの答えの仮説は、この国の徹底した「現実的な合理性」にあるんじゃないか、と。

「現実的な合理性」って、結構僕が好きな響きです。今まで思ってたことを結構説明できる。

要は合理性って理想を目指すと、現実と合わなすぎてうまく行かないです。とはいえ、あまりに現実ばかりに寄り過ぎると論理を欠いた感覚に基づく意思決定になっちゃう。

この言葉が見つかったのが今回の視察の最大の収穫かな、って思いました。

皆さんはどんな休暇を過ごされるのでしょうか? 

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プレッシャーはあるけどストレスはない

こんにちは。

独立してどうですか?

最近色々な会合などで、よく聞かれることが「独立していかがですか?」という質問です。

書類上は5月末、実質3月末から大資本を離れ、個人の会社やスタートアップを中心に仕事をするようになりました。

いわゆるサラリーマンを離れて、どうですか?という意味の質問です。

忙しくなった、暇になった、長く働くようになった、働かなくなった、お金が入るようになった、入らなくなった、そういう範囲での回答を期待されているのだろうな、とは思います。

ただ、あんまりどれもピッタリ来ないのです。

スタートアップに関与しているわけだから、時間的にはかなりタフになりました。

自分の責任で仕事をしているわけなので、自分さえ管理すれば仕事は進むという側面はあります。

意思決定は自分がするので、今までやれなかったことが自由にできます。

そういえば、大資本ではやろうと思ってもできなかった「出来高払い制の報酬体系のプロジェクト」というのも実施できています。

だからやりがいについてはかなり高まっています。

とはいえ、大資本で働いていた時のように、重厚なサポートはありません。

契約書は自分で作らないといけないですし、プリントアウトも一枚一枚がダイレクトにコストと感じられるため、なかなかプリンターボタンが押せません。

要するにいろんな要素がありつつ、シンプルな答えがなかなかできないなあ、という状況だった訳です。

プレッシャーはあるけど、ストレスはない

で、そんな中つい先日「これはピッタリだ!」と思える表現を見つけました。

それが

「プレッシャーはあるけど、ストレスはない」

というやつです。

これを聞いた、同じ境遇の方、すなわち長く”サラリーマン”をやっていて独立した人が心から同意してくれました。

やはり、明日仕事がなくなるかもしれない、というプレッシャーで眠れない日はあったりします。

一方で、どうしてもやりたくないことや、自分ではコントロールしきれないことまでやらなければならないという”ストレス”は一切ありません。

大資本にいた時には、お客さんの期待に答えたいけど、自分が納得できない理由で、期待に答えいることが出来ない、ということが一切無い訳です。

「大変だけど納得度は高い」という言い方もできるかも。

これはある意味幸せですね。

どうやら僕は相当程度、自由裁量を求める傾向が高いことが改めてわかりました。

まあ、一年経ったら全然違うことを言っているかもしれませんが、これが今時点での偽らざる心境です。

このまま体に気を受けつつ、一つ一つ納得できる営みを続けていき、大目標に近づいていければ、と思っています。

皆さんは今はどんな心境で仕事をしてますか?

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”アーリーアダプター”のそばに身を置いてみる

こんにちは。

スクーに出演しました

先日、スクーに出演しました。

今回はVUCA時代の働き方について。

schoo.jp

前回出演時(5年半前)は

99%の人がしていない たった1%のリーダーのコツ

を元にお話ししました。

今回はリーダー層向けとは銘打ってはいないものの、VUCA時代に戸惑う、または時代の変化を気づいてすらいないミドル層向けに作った

本当は大切なのに誰も教えてくれないVUCA時代の仕事のキホン

の内容を軸に講義をしました。

VUCA時代が来た!と言われても、それが当たり前の世代にしてみれば、特に違和感ないわけですからね。

 

 VUCA時代に向き合うべき世代

その時代のインパクトに、ある意味戸惑いながら、そしてどちらかというと”向かい風”的に接する世代が、もっとも大きく影響を受けるのではないかと思います。

とはいえ悲観ばかりするものでもなく、対処の仕方はあると思っています。

言い方を変えれば、うまく気づいて対応すれば、そのインパクトを追い風として受けられるわけです。

ただし、気づかないまま従来の常識のとおりに対応してしまうと、いつの間にか時代に取り残されている・・・

…で済めばいいです。

実はそれどころか、”抵抗勢力”とか”老害”になっている、なんていうことにもなりかねません。

当の本人的には「ついこの前まで」自分や自分の世代が世の中をリードしてたはずなんですけどね。

「自分たちが最前線」と思うあまり、新しい情報触れることなく過ごしてしまい、本来自分が戦っていたはずの相手に成り下がってしまう、という何とも皮肉な状態になりかねません。

(ミドルと言ってますが、場合によっては20代後半からすでに老害モードに入っているように見える例も多々ありますが)

そんな、リスキーな世代に対していくつかのメッセージを発信しました。

一つは、以前も本稿でコメントした「コンフォートゾーンから出てみる」というものです。 

eitarokono.hatenablog.com

 詳細はリンク先をご覧いただければと思います。このメッセージには、実はすでに反響がありまして、あの一節を読んで一歩踏み出してみた、という声も複数いただいています。

「そんなこと・・・」から始める

そして、今回取り上げるのは”アーリーアダプター”のそばに身を置く、というメッセージです。

ここでのメッセージは、「もちろん、自分自身がイノベーターであり、アーリーアダプターであるのがいい前提ではあるものの、そうでないからといって諦める必要はない。イノベーターやアーリーアダプターのコミュニティとの接点を持っているだけでも有効である」というものです。

具体的には、前述の”コンフォートゾーン”から出てストレッチゾーンに身を置くのもそうです。

さらに現実的には、いきなりそこまでいくのではなくイノベーターやアーリーアダプターの発信する情報に触れるだけでもかなり刺激を受け、自分の行動も変わってきます。
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ちょっとしたツールの使い方であったり、コミュニケーションの取り方であったり。

ちょっとだけ抵抗あるけど、あ、こんなやり方や表現があるんだ、と思うものを取り入れてみる。不思議に思ったら、これってどういうこと?なんて聞いてみる。そんなことだけでもいいのです。

アポイントも最近では普通にメッセンジャーやラインで取るのでしょうが、まだ抵抗があるなんてことも世代によっては起こります。

そういうものから少しずつ慣らしていくと、手遅れや抵抗勢力化、老害化を防ぐことができるのです。

「そんなこと・・・?」から始めてみましょう。

皆さんはどう思われますか?

 

共感型の著作:誰かを否定しないということ

こんにちは。

今日は、なるほどな、と思った書籍の読書メモです。

 もともとタイトルは知っていたけど、ちょっと手には取れてなかった書籍ですが、ある人に薦められたこともあり、購入して読んでみました。

僕たちはもう帰りたい(ライツ社)

僕たちはもう帰りたい(ライツ社)

 

 感想としては、「ビジネス書のカテゴリーでも、こういう描き方があるんだー」というものでした。

ビジネス書のような実用書って、「こうすればいい」とか「こうするべきだと思います」という主張があるものですよね。

最近では場合によっては「こういうことする人はバカです」「これをしないなんて、アホではないでしょうか」という表現をするものが出版されていたりします。

相当明確な主張をしてますよね。

もちろん、この「僕たちはもう帰りたい」も伝えたいこと、すなわち主張はあります。

しかしドラマ仕立てのコミックの表現方法を活かしながら、主張をする側とその反対側にいる人それぞれに事情があり、どちらかが悪いわけじゃない、という描き方をしているところが新しい発見でした。

読む側に何かを突きつけるのではなく、共感をしてもらうことで、変わるきっかけを掴めるようになるのでは、という著者の期待感が見えてきた気がしたのです。

著者の方の真意は確かめた訳ではありませんが、そんな感覚を強く持ちました。

僕も、著作を出したりネットで文書を発信する時には、なるべく誰かを傷つけないように気をつけた表現にするようにはしてますが、仕事の中ではかなり主張をすることが多いです。

特に、ずるい人とか、卑怯な人とか、嘘をつく人とか、無駄に威張る人とか。この手のことにはかなり強くアタリたくなる衝動に駆られます。

でも、相手に変わってほしい場合、強く主張してアタったとしても、その人は間違いなく変わってくれません。

共感を示しつつ、時間をかけて気づいてもらうことの方が近道だったりすることも多いです。

当初新しい考え方を示した時に、違和感や保守的な反応を示されることは普通にあります。

しかし、相手が誠実で素直で、謙虚で前向きな人の場合であれば、共感を示しつつ訴えていけば変わってもらえることが経験的には多いです。

読者に対しても、そのようにアプローチしてみる、というのは大切な視点だな、と思った次第です。

皆さんはどう思われますか?

 

(あ、表現方法についてだけのコメントになっちゃったな。中身はぜひ手にとってみてください!読む価値有りです)

 

 

コンフォートゾーンから出てみる

こんにちは。

名著の一説w

 先日出版した拙著の154ページに、「3年経ったらコンフォートゾーンと考える」という項があります。

本当は大切なのに誰も教えてくれないVUCA時代の仕事のキホン

本当は大切なのに誰も教えてくれないVUCA時代の仕事のキホン

 

3年同じ仕事をしてしまったら、ある程度流れでできるようになり、新しい刺激や発見が少なくなって、成長スピードが落ちます。

で、遅くなりすぎた結果、老害になったり、そこから出たらもうどうにもならない体になってしまったり。

だからちゃんと成長するためには、あえてコンフォートゾーンから出て、以下の写真の図にあるようにストレッチゾーンに身を置くことが重要です。

…と言うことを解いた項です。

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ただ、これは「言うは易し、行うは難し」の世界です。

まず、自分がコンフォートゾーンにいることに、なかなか気づけません。

同じことをやっていてもやっぱり忙しいし。日々問題は発生するし。 短期的には価値を出しているように見える、と言うか事実、かなり価値を出しているため、人に頼られたりすることも増えて、これがなかなか難しいのです。

 さらに、仮に自分がコンフォートゾーンにいるな、と気づいたとしても、現在の場所を捨てて外に一歩踏み出すのは、本当に難しいです。

いろんな人に褒められるし、次のポジションも見えてきたりして、打算的にも直近はそこにいるほうがどうやら実入りも良いのは確実。

一歩出てしまうと、過去培ったものは一旦リセットされ、多くの部分を新たに始めなければなりません。

勇気がいることですよね。

周りだって心配します。

ですから3年経ったら動き出すのではなく、始めから3年後を想定した動きを取っていることが望ましいでしょう。

ネットワークを広げるとか、学習を開始するとか、資格取得や仕組み構築を前もって少しづつでもやっていると、「その時」が来た時のハードルが下がるわけです。

この準備がないと、先ほどの図のストレッチゾーンを超えたパニックゾーンに行ってしまい、ひっちゃきになって動かないといけなくなります。

そうするとコンフォートゾーンとのギャップがあまりに激しくなり、文字通りパニックになってパフォーマンスを出すどころじゃなくなりますので、注意が必要です。

新しい世界の刺激

で、なんで今こんなことを思ったかと言うと、最近新しい環境に身を置くようになって、毎日が充実しています。(まあ、当たり前ですが)

新しいネットワークもどんどん広がる中、SNSのタイムラインに流れてくる情報の内容がだいぶ変わってきたなあ、と感じる瞬間が増えています。

年齢問わず尊敬できる人との出会いも多々ありました。

新しい情報が加わると言うことは、視野が広がり、視点も高まる可能性が増える、ということだと思います。

新しい発見も増えて、刺激も増えています。(ちなみに、上がったとか増えたとか広がったとかばかりですが、ネットワークの平均年齢はかなり下がった!)

具体的には、タイムラインに流れてくる情報は今まではおじさんネタとか、社会問題、人事系の話題が中心でした。

それもいまだに流れてきますが、機械学習とかスタートアップ、ベンチャーキャピタルなどのネタ今まで以上に流れてくるようになったな、と言う印象です。

(まあ、これも当たり前ですが)

この歳にして、こんな”血湧き肉躍る”系の感覚を持てるのは幸せなことです。今回のは、何十年か忘れてた感覚なので、どうなるか楽しみです。 (すぐ慣れちゃうのかなぁ)

ただ、すごく楽しくて充実しているとはいえ、ラクしているかと言うとそういう訳ではありません。

やっぱり、新しいことをやるには時間はかけなければいけないし、その意味では睡眠不足になり体力も必要。今回は独立であることもあり気苦労も絶えません。

なのではしゃぎたい気持ちを抑え、調子に乗りすぎず、無理しながらも、しすぎたりはせず、やりくりはしています。

何しろ体だけは古くなっているのでそっちが一番メンテナンス必要ですね。

と言うことで、責任は取れないものの、コンフォートゾーンから出ることは全ての皆様におすすめします。

皆さんはどうお感じになりますか?

大組織を外から見て

こんにちは。

大企業からスタートアップに移り、外から大企業を見るようになって気づくことがあります。

細かいとこまで含めるといくつかあるんですが、その中でも大きいのをひとつ。

具体的には、看板で仕事をする人と、そういうものを背負わずにピュアに仕事をしている人がいることに改めて認識しました。(これ、自戒を込めつつね。ってか、わかってたことですけど。)

大企業の看板ってやっぱりそれなりの迫力があります。

意識して笠に着るわけではないのでしょうが、どうしてもそうなってくるんでしょうね。

名刺交換した後、いわゆる格下と認識すると言葉遣いも含めだいぶ変わってくる例もあります。

アポイントを取って訪問しても、場合によっては散々待たされた挙句、応接エリアに通してもらえもせず、「場所取れなかったんで」と受付脇の椅子で対応いただく感じです。

用件を伝えた上で訪問したにも関わらず、そんなニーズは無い、と言われることも。業者なんだから無駄足は当然、なんですかね。

まあ、アポイントをとるときにもっと詰めればいいんでしょうが。

少なくとも大企業の看板があった時はそういう扱いは無いわけです。

ですので、もちろん僕の方も色々今までの感覚を捨てて、新しい形でのアプローチを取るようにはしています。

個人的にはむしろ新しい刺激として楽しむようにしてます。が限られた時間で成果を出さねばならないので乗り越えなければなりません。

目的はお客さんの”本来の”成功のために製品やサービスを役に立ててもらうことですからね。

まあ、いろいろ気づきは多いです。

一方で、世界に冠たるエクセレントカンパニーや、国を動かすような立場の方でも(だからこそ⁈)、自分の立場に驕ることなく、そして相手の肩書きだけを見るのではなく、言ってる内容やサービスの価値をシンプルに見て判断している人もおられます。

そういう方にお会いすると、改めて、その慧眼や姿勢に感服させられます。

そんなことを考えている内に、こんな記事がタイムラインに目に流れてきました。

diamond.jp

いかがでしょう?年齢に限らず伝わるものありますよね。

自分も、一歩踏み間違えればいつでもこうなり得るなあ、と思います。

大企業なりの苦労がわかるだけに。

事実、こういう人たちは、企業の看板を頼って意図的にサボってきたのかというと、そういうわけではありません。

むしろこれまで、色んなものを犠牲にして必死に組織の中で働いてきた人たちなわけです。

少しでも早い段階で、本人が気付きを得るきっかけがあれば良いのですけどね。

皆さんはどう思われますか?

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